ひよこ日記 第23節

106、全裸少女対決

 麻衣の全裸ガイドは正確な知識を話してるのと、自分の経験を交えて適当に話してるのと半々という感じだった。自分自身が今、真っ裸なので全裸のこどもの写真を説明するのは説得力があるみたいで、「マスゲームは恥ずかしくないんですか?」という質問に、「わたしはグラウンドに登場するまではドキドキするし恥ずかしいし、凄く大変だったです。でも、グラウンドに出てしまうと、恥ずかしくても着るものはどこにもないので、逆に頑張るぞと思ってるだけで、登場前ほどは恥ずかしいとか思わないです」と答えたら、《ふーん、そういうものなんだ》と適当な答えでも納得してくれるので助かった。やはり素っ裸のこどもが、素っ裸のこどもの心理について説明してるので、実際にさせられたこどもが言うのだから本当だと思うのだろう。それから、麻衣としては真面目に質問に答えてるのに、結構ぼくは言うことが面白いようで、あちこちで笑いが起こっていた。もっとも全裸の幼児みたいな女児が一人前に説明してるということが面白いということだったのかもしれないが。幼児が一人前にエレクトーンとかを演奏すると、すごーい、と笑いが起こるのと似ていると思う。

 前半の少女の剥製の前での説明は少し大変だった。というのは、この見世物が、剥製なのか、それとも生身の生きた女の子なのか、麻衣自身がどちらか分からないからだった。分からないことを説明するのは難しい。でも、体に痛々しく安全ピンを刺されているうえに、手足を針金で縛られて、小さく体を折り曲げてるという少し残酷な姿なのだから、剥製として説明するしかないと思った。剥製なら、針金や安全ピンが食い込んでいても痛みも感情もないので全然残酷でないけれど、生きたこどもがさせられてるなら、少し惨いと思う。少しというより、かなり残酷味がある展示と思う。だから、まだ小学生の児童の前で、生きた子かもしれないなんて絶対に言えないと思った。そんなことを言うとショックを受ける女子とかがいると思う。可哀想なことを見たくない優しい女子もいる。ぼくが全裸でガイドしてる程度のことでも「可哀想」とか言ってた優しい子もいたのだ。もっとも残酷のことの好きな男子とかなら、生きた子が剥製姿にされていたら面白いだけかもしれないけれど。

 現代の剥製ならプラスチック化してるわけだから、人体の関節付きの人形のようにポーズを変えられるわけがない。ところが昨日と今日では全くポーズが違う。それに、どう見ても、昨日の美少年みたいな、ごく可愛い女の子と同一人物にしか見えない。それとも一卵性双生児のこどもが、二人同時に生きたまま剥製にされてしまったのだろうか。双子だったなら、昨日の剥製は倉庫で、昨日倉庫だった剥製が今日展示されてるというだけなのかもしれない。それなら剥製という説明でも納得できないわけではない。でも双子ということだと、同時に交通事故に会うとか、同時に病死するとかいうことは確率的に少ないと思うのだ。それに交通事故のような外傷もなく、昨日も今日も、健康そうな少女の肉体なのだ。ということは、文字通り生きたまま殺されないことには双子の剥製はできないと思うのだ。こどもの剥製が必要だからって、わざわざ2人の少女を生きてるのに剥製化してしまうのは、惨いと思う。やはり闇の世界で殺されて本当に剥製化されてしまった子ということなんだろうか。

 結論は出ないけれど、生きた少女と考えるなら、惨めすぎる姿だと思う。ぼくは素っ裸の体なのは同じでも、こんな惨めな格好で展示されてるわけでなく、自由に動いてるのだから、残酷さとかエッチさとかは大したことないと思う。ただ、唇と乳首に安全ピンを通されるくらいなら、白木くらいだと「はい」と素直にやると思う。痛みや苦しさに耐えるくらいはする素直で奇特な子と思う。だから、この剥製が白木のように洗脳されてて、裸教育の惨めさに慣れっこの子なら、生きた子でも不思議でもないと思う。でも、そうだとしたら、麻衣たちに比べて滅茶苦茶に頑張ってると思う。だって、ずうっと、この姿なのだ。それに手足を針金で縛られてるのも惨めすぎと思う。でも、命に危険のない胎児姿というだけだし、針金で縛られても苦しくないし、我慢強い子なら安全ピンを大人に刺されるくらいは耐えると思うし、やはり生きた子のような気もする。問題は安全ピンだけど、乳首の下を金属が貫通してるのだから、泣かずに頑張ったなら、かなり強い子だと思う。

 「これは、剥製なんですか?」

 「そうです。中国の初等中学のこどもの剥製です」

 「初等中等って何ですか?」

 「日本では中学校のことです。中国の高等中学っていうのが、日本の高校のことなんですよ」

 「胸に名札が付いてるんですが」

 「そうですね、6年生の時は日本で生活していて、6年2組の女子だったんでしょう。でも水野玲子さんは、日本の中学でなく、初等中学へ行って、それから剥製になったということです」

 「まるで生きてるみたい」

 「そうですね」

 人数が多いので一度には見れないので、後方の男子が「見せてくれ」と前方に割り込んできた。「前の子は少し姿勢を低くして」と先生が言っていた。台は余り高くないので、すこし中腰になれば、後方のこどもからも剥製の姿は見えると思った。

 「わたしには、生きてる子に見えるなあ」と一人の女子が言った。

 「ばーか、生きてる女の子が、体に直接、安全ピンで名札を付けるかよ。お前、乳首の下に安全ピンを通してみろよ、滅茶苦茶痛いぞ」と男子がその女の子に反論していた。それを聞いて、《確かに滅茶苦茶惨めな姿だし、刺す時は滅茶苦茶痛いだろうけれど、その後は実際に痛いのは唇と乳首だけなので、我慢する子もいるかもしれない》と麻衣は思った。

 「そうですね、剥製さんだから、胸に安全ピンを刺されても平気なんですね」と麻衣が言うと、男子は「ほらみろ」と言っていた。

 「唇には、名札と違って、とても太い安全ピンを通されてるんですが、痛くないんですか?」と別の女子が訊いてきた。

 「はい。死んでるから、痛くないですよ。だから、剥製と誰にでも分かるように、わざわざ安全ピンを刺してあるんです」とぼくは答えたけれど、やはり、生きてる女の子のような気分も払拭できないままだった。この展示ケース内の少女と、ぼくでは、どちらが可愛いかというと、きっとぼくの方が可愛いと言う人が多いと思う。でも、どちらが強い子かというと、展示ケース内の少女の圧勝だと思う。ぼくはこの全裸少女対決では、トータルでは負けだと思う。もし、これをさせられて、大勢にこんなぼくの姿を見られたとしたら、惨めすぎて落ち込んでしまい、数日は余り食欲がないと思う。ここまではさせられないから元気にパイプにまたがったり、全裸を笑われたりしてるのだ。

 「でも、痛そうですね。いくら剥製だからって、こんな太いピンを刺したら、穴が開きそう」

 「そうですね。たまに唇にファッションで安全ピンを刺してる人もいますが、こんなに太い安全ピンではないですね」

 「どうして、縛られてるんですか」

 「それは、………胎児の姿勢の真似をしてるので、その姿勢が崩れないように縛ってあるんでしょう」

 「可哀想。でも、どうして剥製になったんですか?」

 「それは分からないです。どうしてか、それぞれに想像してみるといいですね」と、ついにテストは満点だった麻衣も返答に困った。

 「やだ、残酷。太い安全ピンが肛門にも刺してある」と見ていた女子が言うので、そんな訳はないと思った。肛門のあたりまで見えてるんだなとは思ったが、肛門付近は蛍光灯の光の影になっているせいか、よく見ていないし、安全ピンなんてあった記憶がない。

 「肛門には、何も刺してないですよ」と、そこで麻衣が答えたら、「刺してある」と強い調子で女子が反発するので、標本を改め見てみた。

 薄暗くて、こどものお尻の穴のようなものしか見えないので、姿勢を低くしてガラスの反射を避けるようにして覗いてみると、本当に安全ピンが肛門に刺されていた。唇と同様な大きな安全ピンだった。肛門の2㎝くらい先から刺されていて、そのまま皮膚の下と肛門の穴の真下を貫通して、反対側の2㎝くらい先で針が飛び出していて、安全ピンは留められていた。刺し入れた場所から1㎝くらいは皮膚が針で盛り上がっていたが、その先は盛り上がってもいないかった。少女の体の深いところを針は貫いていて、さらに肛門内部を貫いて、反対側に飛び出しているのだ。これは痛いなんてレベルでなく、生きた子にしたのなら、単なる少女虐待だと思う。もちろん剥製なら、単に刺しただけなのだが…

 「うんこが出ないように、安全ピンで留めてあるんですか」

 「剥製なので、うんこはしないです。ただの剥製と分かるように安全ピンを刺してあるんでしょうね」

 「ふーん、そうなんだ」

 厄介で興味深い展示である剥製の展示台は、そこで説明終了にして、こどもの体の成分とか、こどもの体を全裸写真で紹介するコーナーに移動しようとした。こういう説明は丸暗記が役立ちそうだし、説明も楽そうだった。でも、ここでの移動直前に《このくらいなら、どうしても逃げられない状況にされて、やると覚悟して、我慢すればぼくでも出来そうかな…》という剥製の全裸少女への対抗心は、最後で見事に打ち砕かれたのも事実だった。ぼくも肛門は見せたけれど、しかも来賓の前で開いて見せたけれど、でも、こんな残酷に肛門に安全ピンを深々と刺されたわけではない。ぼくのは、恥ずかしいだけで、体は無傷だけど、この子の肛門は安全ピンで留められているのだ。可哀想さが違うと思う。でも、肛門に安全ピンが刺されていたことで、《やっぱり、ただの剥製なんだ。昨日と理由は分からないけれど、瓜二つの、ただの剥製なんだ》という思いが強くなった。生きた少女に、こんな惨い姿をさせるわけがない、だから99パーセント剥製だと思った。100パーセントでないのは、展示台内部に飾られているため、直接触って確かめるわけにはいかないから確信が持てないだけだ。でも、さっきの五分五分かなという判断が、99パーセントくらいになったので、ほぼ問題解決に近かった。やはり主催者の言うように、ただの剥製なんだろう。でも、なぜか麻衣の直感としては、「6-2 水野玲子」という名札は、剥製の子の本人の名札だな、という気がした。本名が出されてしまっているから残酷味とエッチさがあり面白い展示なのであって、偽物の名札なら最初に名札を付ける側の人からして、しらけてしまい、わざわざ取り付けたりしないと思う。本物の本人の名札だから、残酷だし面白くて取り付けたのだと思う。

 移動しようとして1歩か2歩、歩きだしたときに、「あれ、展示台の下に体操着があるよ。これって、ガイドさんの服なんですか?」と質問されたので、《あれ?》と思った。

 「ちょっとだけ、待ってね」と児童に言い、展示台の下の5㎝くらいの隙間を覗いてみた。剥製への疑問で頭が混乱していたので、引っ張り出してみると、こどもの体操着で、半袖シャツとブルマだった。驚いたのは、そのブルマに「6年2組 女 水野玲子」という名札が貼られていたことだった。

 「ほら、ブルマの名前を見てください。この剥製の子の体操着です。わたしは、久保田麻衣といいます。水野玲子ではありません」

 「ふーん、でも、どうして剥製の体操着がここにあるの?」と、さらに質問をされた。

 「小6の時の記念の品なんでしょう」と適当に答えるしかなかった。ブルマからは水野玲子のものと思われる女の子の甘い匂いがした。でも、オシッコの匂いとか、汗臭い匂いとかはしないみたいだった。仮にずっと前に着用していたブルマだとしても、女の子の匂いは長く残るものなので、その点ではあまり疑問はなかった。でも、これが剥製の子のブルマだと思うと、ちょっとエッチでどきどきしてしまった。

 「全裸とブルマと見られて、惨めな奴。肛門に針を刺されて、恥ずかしい奴」と男子は徹底的にバカにしてる様子だった。あまりブルマを見せたら、この子はさらしものなので、すぐに体操着を展示台の下に戻したが、《え、これって、どういうことかな?》と疑問が沸き起こってきた。ブルマはまるで、ここで脱いだかのような置かれ方だった。ここで、体操着から全裸に脱いで、展示台に入って、針金と安全ピンを付けられて、ガラスの蓋を閉められたのかな、とも思ったけれど、生きたこどもに、そこまでするだろうか。やはり剥製と思ったけれど、99パーセント剥製だと思っていたのが、90パーセントくらいになった気がした。

 剥製の前を離れると、6年生も剥製ほどは関心を示さず、パネルに飾られた様々なこどもの全裸写真も、最初は興奮していたけれど、こうも全裸写真ばかりが続くとマンネリ化するのか、反応も鈍くなった。こどもの裸の写真をこどもに見せるのはこどもの教育に良くないとかいう大人もいるけれど、見るくらいで教育に悪いと言うのなら、実際に裸教育で裸にされていたこどもは凄く教育に悪いことをさせられたということになる。それは、過保護すぎか言い過ぎだと思う。例えば全裸のこどもの剥製がこどもの教育に悪いというなら、その程度で悪いものならば、実際に全裸の剥製にされてる子はどうすればいいのだろうか。単なる惨めな子ということになると思う。だから、性教育の意味でも、女の子の身体を知るという意味でも、実際にクラスメイトの女子を全裸にしたら大問題なのだから、こういう展示は非常にいいと思うのだ。ただ、展示に参加させられてる麻衣にまで謎の展示があるというのは、あれこれと考えて悩んでしまいそうになるので勘弁してほしいと思った。

 こどもの体のつくりとかの説明は割と簡単で、「こどもは体重が軽く、筋肉も柔軟で、スポーツカーみたいなものです。大人は大きくて、力があるけれど、体重も重く無理できないので、重荷を積んだトラックみたいなものですぅ」とか、全裸写真を見せながら軽快に説明してるかんじだった。最初はゆっくりだし質問も多くて展示ホールを1周するのは大変そうだったが、衝撃的な胎児姿の女子中学生の剥製の展示物を過ぎると、どんどん進んでいくかんじで、いよいよスポーツ少女コーナーというか、華子の飾られてる展示台になった。

 昨日の原は本気を出したのか人形にしか見えないので驚いたのに、今日の華子はかなり下手くそだった。それでも、最初のころの原くらいには見えたのだけれど、正真正銘の人形には見えない気がした。やはり、それは6年生にも、そう見えるようで面白がられた。

 「えー、これ本当の人形なの?」と、いきなり言われてしまった。

 「はい、バレーボール部のこどもを模した人形です」と仕方なくぼくは答えた。

 「これって本当は麻衣ちゃんの友達なの?」

 「いいえ、そんなことありませんよ」

 「きゃはは。なんか、人形のふりしてるよ」

 「麻衣ちゃんと一緒で、スッポンポンでさせられてるんだ」

 「わたしはこどもだけど、これは人形なんですよ」

 「もうー、嘘ばっかりー」

 でも、人形に見えた男子もいて、「これ、人形じゃん」とかと、ぶつぶつ独り言を言ってる様子だった。

 一通り展示ホールを説明し終えると、《ぼくの説明は70点くらいかな…》と思った。そのままエントランスホールを横切って、外へ出た。さっきよりも微妙に太陽が高くなり、建物の影が短くなっていた。小さなローカルな展示会で、模型と写真が並んでいるだけで、大したものも展示していないのに、こんなに複雑な気分になるのは、やはり、あの剥製の子のせいだろう。不細工な子なら、余り気にもしないのだけど、顔立ちが可愛いし、プロポーションもきれいだし、普通に体操着姿でも十分に魅力的だろうと思える女の子だから、こんなに気になるのかもしれない。それに、原が、生きてるとか言っていたし、本当に体操着まであったし、残酷な姿にされてるだけに、かえって可愛いという気持ちも起きるのかもしれないし、あれこれ考えてしまうのはどうにもならないようだった。

 下り坂なので、歩きやすいけれど、男子に体を触られた。男子に肌が綺麗と誉めてもらった。女子は見てる方が恥ずかしいのか、あまり全裸のぼくを見ない子もいるようだった。逆に面白がって、ぼくを笑いながら見てる女子もいた。人体展なんだから、触ったり見たりするのも勉強と思うので、ぼくは触られても我慢した。その一方でぼくを見て、ズボンの前を押さえてる男子もいたので、ぼくはエッチな目でも見られていたと思う。エッチな想像する分は、可愛いと思ってほしいなと思った。

 バスに6年生が乗り込む時に握手をお願いされたので、《なんか、ぼくってアイドルみたい》と少し嬉しかった。みんなと握手して別れたけれど、握手を拒否する男子もいたし、「気持ち悪い」とぼくに言ってバスに乗り込む男子もいた。逆にぼくを抱きしめてからバスに乗り込む男子もいるなど、反応が千差万別なのには驚いた。いくら女のこどもでも、性器を丸出しにしてるんだから、赤ちゃんじゃないんだから、気持ち悪いと思う男子もいると思う。だから、怒ってバスに乗っていった男子には申し訳ないと思う。でも、こういう人体展なんだから、仕方ないと思うのだ。

 恥ずかしい全裸ガイドを終えて、一人で坂道を登った。そういえば、孤児というのは人間扱いをしてもらえず、すごく残酷に取り扱われると聞いたことがある。昭和時代に、オンチョウエンとかいう孤児院では、体罰で乾燥機に入れられて回されたとか、叱られて包丁で足を切られたとか、真冬の夜に池の中に入れられて反省させられたとか、長時間の袋詰めにされて吊るされたとか、高温の風呂に入れられて倒れたとか、そういうことがあったらしい。オンチョウエンでは児童が性的虐待もされてたという話だ。でも、そういうのは氷山の一角で、頭を鎌で殴られて血まみれにされたとか、バットで体を殴られて後遺症が残ったとか、徹底的に痛めつけられたという話は多くあるようだ。そういう孤児は好きだけ虐待していいという時代錯誤な感覚の大人が現在も教師をしていて、水野玲子が孤児だとしたら、オモチャ感覚で安全ピンを突き刺すくらいはするかもしれないな、と、坂道を登りながら思った。肛門への安全ピンも、されるこどもには泣きそうに辛いことだけれど、《孤児なんて人間じゃない》と思ってる大人なら、肛門を安全ピンで貫くくらいは遊び感覚というか、魚に串を刺しているのと何等変わらないだろう。そう考えるなら、やはり、水野は死体でなく、ただの女子中学生とかなんだろうか。麻衣のように裸教育されているのなら、全裸にされるくらいは別に不思議なことでないし、拒否するこどももいないと思う。そもそも脱がなければ裸教育にならないのだし、脱げば脱ぐほど強い子という競争になれば自発的に脱ぐ子すらいるだろう。

 エントランスホールに戻ると、再びパイプにまたがると真性の幼稚な子と思われかねないので、男子に体を触られて興奮してるので、本当はパイプにまたがって性的快感にぞくぞくしたいのを我慢して、大人しくパイプ椅子に座った。

 しばらく足を左右に絡ませるようにして座っていたら、主催者が戻ってきた。

 「あれ、その姿でガイドをしたの?」と主催者に質問されたので、「はい」と返事した。

 「ガイドは、去年もみんなセーラー服姿でガイドをしていたんだよ。聞いてなかったの?」

 「聞いてないです」

 「じゃあ、全裸で団体のガイドをしたんだね」

 「はい」

 「まあ、いいや、人体展なんだから。初の全裸ガイドだね。きみの人体を見て、小学生は勉強になったと思う。おつかれさん」

 「ありがとうございます」と赤面しながら答えた。

 主催者にセーラー服姿のままで良かったと教えられて、ようやく自分の間違いに気づいた。セーラー服姿のままで良かったと知り、恥ずかしさがこみあげてきた。

 来客がいないタイミングで、今度はぼくがガイド姿のまま展示台に上がった。ぼくが人形になる番のようだった。華子は休憩するとか言って、さっさと台の中に入ってしまった。昨日と同じポーズだけど、今度はぼく一人で展示されるので、赤面ポーズをするぼくの横に、白いバレーボールが置かれた。華子のように人間とバレて笑われても困るので、真剣に頑張ろうと思った。でも華子が人形でないとバレてしまったのは、ぼくが全裸ガイドをしてしまったせいもあると思う。ぼくが全裸でガイドをしてしまったせいで、《全裸の敷居は低いんだな》と小学生に思わせてしまい、《ガイドくらいでこんなに簡単に全裸にされるのなら、この展示物も人形でなく、普通の女の子が全裸にされてるだけなんでしょう》と思わせてしまったのだと思う。普通、全裸で女の子が展示される訳がないと思っているなら、華子くらいの演技力でも人形に見えなくもなかったと思う。しばらく台の中で華子は休憩していたが、今度は華子がガイドをすることになった。台から出ると、華子は指示通りセーラー服姿になった。でも実は華子らしい手抜きがあって、セーラー服のスカートの下はパンツを穿いていなかったし、上半身も直接セーラー服を着ただけだった。風でスカートが捲れると、ノーパンとバレてしまいそうだが、今日は風は無かった。セーラー服になった華子は「あたしは、マーみたいに全裸でガイドする度胸ないもん」とぼくを大笑いしてから、エントランスホールに消えていった。エントランスホールから、「さっきの女の子はスッポンポンだったけれど、あの子の趣味なのか?」という若い警備員の声がして、「そうです」という華子の声がした。「さっきの女の子はスッポンポンで、そこのパイプにまたがってるもんだから、びっくりしたよ」と、再び若い警備員の声がした。奥から麻衣のまたがるのを覗いていた警備員の声のようだ。「そうですか、それは驚きましたね。あの子は、パイプにまたがってオナニーするのが大好きなんです。運動会でも、こういうパイプに全裸でまたがって、人前でオナニーしてました。学校では幼稚っぽいと大評判でした」と華子が言っていた。「そうなのか。幼稚っぽい子だなあ…」と警備員の声と笑う声が聞えた。「そこのパイプで、お客がホールにいるのに、素っ裸でエビぞっていたぞ。オナニーで感じてたんだ。うはははは」「そういう子です。まだ、恥ずかしいって、あまり分かっていなくて」「ねんねちゃんなんだね」

 警備員が控室に戻ると静かになった。華子は気楽そうにしてる様子だが、来客が観察している僕は真剣そのものだった。全裸人形になりきっていたと思う。やはり、見るうちに可愛いと思ったらしくカメラを取り出して、ぼくの全裸写真を撮影していた。でも、顔だけの写真とか、性器だけの写真は撮られなかったので、裸教育ならこのくらいは普通と思った。ブルマ1枚の運動会をする学校の女子は、みんなブルマ1枚の写真を運動会でたくさん撮影されてしまうし、発表の時の姿を撮影されるのは仕方ないことだと思う。ブルマフェチの男の人にブルマ1枚姿をエッチな目で見られるかどうかは、運しだいだと思う。それと同じで、全裸写真を撮られることも、ある意味仕方ないと思う。そういう写真を撮られることも含めて裸教育で本人のためになるのだから、負けずに全裸写真を撮られるような女子が強い子なんだと思う。全裸でピースサインを出したりしてたので、ぼくは裸の恥ずかしさに負けていないと思う。


107、展示台の上の少女

 これまでは昨日は原の頑張りとかもあり、2人で展示されていたのに、今日は再び主催者がいなくなり、今度は華子がガイド役をすることになったので、ぼくが初めて1人で展示されることになった。2人展示なら、たった2人とはいえ、一応は複数だし、視線が僕だけに集中しない安心感があったのだが、1人だと展示台の上の少女はぼくだけなので、想像以上に緊張することも分かった。たった1人の静かそうな見物客に見られてるだけなのに、きちんと人形に見えてるかなとか、おならをしたり、恥ずかしい汁を出したりしたら大変だなとか、丸見え丸出しだけに、結構緊張するものがあった。やはり展示台の上に1人きりだと、こどもが台に乗せられて体と心をさらされてる感じで、不安というか緊張は強いと思う。でも、そんな不安や緊張が起こるのは、表面的に白木らから模倣して人形姿らしくしてるだけで、心の中から人形になりきってないせいかもしれない。昨日の原は、立ってるだけだからと、休憩はいらないと立ち続けていたが、1人だと緊張したかもしれないし、あるいは人形になりきる域に達していて、ただの人形なので人数は無関係だったのかもしれない。いずれにしても、1人で飾られる、自分だけを見られる、ということは、少なくとも普通の子なら緊張を強いられるのは間違いないと思う。入口付近の小さな展示台の中で朝からずうっと飾られ続けている少女は、恐らくは肛門深くに金属のピンを通されている残酷さからして剥製だと思うけれど、もしも生きた中1の少女とかだったなら、1人きりで照明に照られてるのだから緊張にも辛さにも負けない、相当に奇特な子としか言いようがなかった。それとも健気にも剥製になり切ってて感情すらなく、ガラスケースの中に納まってるんだろうか。上からしか見えないので、全身の状態はまるで不明だが、綺麗なこどもの肌だし、顔も可愛いけれど、あんなに深く安全ピンを刺されてるのだから、絶対に唇の辺りと頬に傷が残るだろうし、胸や、肛門にも、傷が残ると思う。小さな穴があいてるだけとはいえ、体内に金属を貫通させてるんだから、膿んだり、体に問題が起きる可能性もあると思う。もっとも、剥製なら、ただの物なので、例え手足を切断したとしても、《せっかくの綺麗な剥製が、もったいない》というだけなのかもしれないが。原が昨日、全然休憩しなかったのは、楽な立ちポーズだったせいもあるのだろうけれど、物扱いみたいで台の下に入るが嫌だったせいもあると思う。麻衣はまだ幼稚っぽいのか、狭い場所とか小さな箱とかに入りたがる面があるから、割と平気だったけれど、案外実は台の中を嫌っていただけだったのかもしれないと、ひとりでミホのポーズをとりながら思った。動かない人形替わりに呼ばれたとはいえ、実際にはガイドをしたり、主催者と話したり、坂道を歩いて6年生を見送ったりと、随分ぼくは動き回っている。それと比べると、麻衣たちの来る前から展示台の中でずうっと展示され続けている水野玲子は、びっくりするくらい我慢強いということになるのか、あるいは単なる物にすぎないのか、どちらかだ。主催者は剥製だよとしか言わないので真偽は不明だ。なにしろ麻衣たちを本物の人形ですと平然と来客に説明してる人なので、既に麻衣は主催者が嘘つきと知っているので、ますます剥製という言葉に信憑性が感じられないと思った。展示台の上の少女にされてはいるけれど、来客が目の前にいない時は、人形になっているとはいえず、単に同じポーズで我慢してるだけなので、剥製のこととか、華子のこととか、原のこととか、ついつい余分なことばかり考えてしまうようだった。《ぼくって、何も考えずに、じっとしてるのは苦手なのかな・・・》と思った。こどもは、じっとしていられないとか、すぐに動くとか、言われることがあるが、それに近いのかもしれない。

 でも、来客が来ると、神妙に人形になりきっていた。もちろん白木のように、完璧な人形の演技でないのは分かっていたが、真剣に頑張ったのは間違いないと思う。展示台の上で素っ裸で飾られてるんだから、せめて人形に見えなかろうと、真剣な姿は見てほしいと思った。すごく厳しくされて全裸にされても頑張れないようなダメな子と思われるのは嫌だった。

 20分くらいしたら、ようやく団体客が来たようだった。麻衣のように割と真剣というか、割と真面目にガイドをしてるというより、華子のガイドは明るくて元気が良く、自分で面白く説明して自分でうけてしまって「きゃはは」と笑いながら説明していた。後で、主催者から「去年のガイドをしてくれた子と違って、麻衣ちゃんも、華子ちゃんも、どちらも非常に上手だったと隊長が誉めていたよ」と言っていたくらいだから、説明そのものは、どちらも合格点だったのだろう。隊長というのは、麻衣がパイプでエビぞっていた時に、その姿を目撃した警備員が隊長らしかった。説明が上手というだけでなく、「パイプの上でエビぞることができるなんて、麻衣ちゃんはバランス感覚がいいんだね」と、パイプの上のことまで主催者に誉められてしまい赤面していたので、隊長はぼくのことを全部主催者に話してしまったんだろうと思う。主催者と顧問や副顧問は仲が良さそうだったので、ぼくが勝手にパイプの上で遊んでしまったことも先生に話されてしまうと思った。全裸でパイプにまたがってしまい、「ああん」とパイプの上で、気持ちいいからと、逆エビ状態にエビぞってしまった恥ずかしい子なので、先生に知られたら、間違いなくお仕置きされると思った。でも、それは身から出た錆なので、多分、体育館に全裸で1人で正座させられた後で、全裸で先生のひざの上で尻叩きされる程度だろうから、素直に体罰されて「ごめんなさい」と謝って許してもらうしかないと思った。体育館に全裸で正座して反省するのは涙は出てくるけれど、良い子になるのが自分でも分かるし、全裸の尻叩きも幼い幼児みたいでカッコ悪いと思うけれど、まだ体に直接教えられないと分からない年齢なので我慢するしかないと思う。やはり口で言われると反発したくなることもあるけれど、お尻をぶたれると、《ぼくが悪い子だった》と、思えるのだ。今回は、多分、顧問にも副顧問にもぼくが遊んでいたことは知られてしまうし、しかも全裸でパイプでエビぞっていたことも知られてしまうだろう。体罰はどうなるか分からないけれど、知られて恥ずかしいのは間違いないと思う。でも、今さら、どうなるものでもない。少しでも本物らしい人形になりきって、いい発表をして、その分をカバーしようと思った。

 華子の説明は内容としては正しいけれど、駄洒落を言ったり、親父ギャグみたいなことを言ったり、随分と真面目ぶっていた麻衣に比べて砕けた感じだった。いい意味で肩の力が抜けているので、思わぬ質問にも、麻衣ほどは緊張しないで、上手に返答してるみたいだった。団体は麻衣の時は甲高い声だったけれど、今日は声変わりしてるかんじで低い掠れたような声なので、中学3年生とか高校生くらいなのかなあ、と思った。男子の声も女子の声もするので、男子校とか女子校ではなさそうだった。もっとも、華子が麻衣よりも余裕があるのは、普通にセーラー服だからということもあると思う。麻衣みたいに全裸なら、いくら華子でも、そこまでの余裕はないと思う。華子はまるで人気バスガイドのノリで案内してるので、流石だなとは思ったけれど、ぼくもセーラー服を着たガイドなら、もう少し余裕があったと思う。全裸で緊張したこどもがガイドしてるみたいなぼくに比べ、本物のガイドみたいだった。でも、それにしても華子のガイドは面白がりすぎの面があると思う。

 剥製の前に来たらしい場合でも、華子ときたら、麻衣と全然違い、「あらららら、これは何でしょうか。変なものが置いてあるんで、びっくりですね」とか言って、盛り上げようとしてるので驚いた。「なんだ、この恥ずかしいエッチな物体は? ややや、これは女の子の剥製だっ! これにはハナもびっくりれすぅ」とか言っていた。「おっ、胸に直接名札を付けてるぞ。これは変態少女か」とか言ってるので、《おいおい大丈夫かよ》と聞いているこっちが不安にさせられた程だった。もっとも、こんな子だから、訳のわからない悲惨な裸教育の女子体操部でも面白がって楽しんでいる余裕があるのかもしれないが。「女の子がスッポンポンで胎児になりきってるぞ。これは男子諸君、必見、エッチさ満点ですぅ」と言いながら、華子自身もエッチで面白いと興奮して楽しんでいるのが分かった。「こんな、可愛い少女が、こんな、やらしい格好してて、いいのでしょうか? いいのれすぅ、ただの剥製ですから」とか、楽しんでる様子だった。しかし剥製の子は、本物の剥製なのか、白木以上に迫真の演技なのか知らないけれど、インパクトがあるのは確かだと思った。でも、本物にせよ、剥製にせよ、この子の名札と同じ名前のブルマを両手で持ってみんなに見せたのは、麻衣もやり過ぎだったという反省点だと思った。もし自分があの子の立場なら、ただでさえ恥ずかしい展示台の上のさらしもの状態なのに、さらに自分の穿いていたブルマまで見せられてしまったら、エッチな目で見られて当然なので、相当に惨めな気持ちになると思うのだ。

 

 「この剥製は本物なんですか?」

 「あなたは、どう思いますか?」

 「全然分かりません」

 「そうですね。ハナも剥製にしか見えないです。でも、これは生きてる普通の女の子です」

 「うそー」

 「ほら、ここの下に、この女の子のブルマーがありますよ。ほら、これがブルマーです。あら不思議、このブルマーの名前と体に付けた名札は同じ名前ですよ。しかも、このブルマーはとても自然に名前がかすれています。人工的にこんなふうに劣化させられません。ということは、この子の本物のブルマということですね」

 「普通に使い古したブルマですね」

 「そうなのです。ということは、本物のこどもの使ってたブルマと同じ名前ということは、この子の名札も本物です。この子の本名は水野玲子ちゃんという女の子です。女の子なのは、おちんちんが付いてないから、バレバレなのら。きゃははは」

 《ちょっと、ラーのやつ悪乗りしすぎだよ》と、思ったけれど、謎が解明されていくような爽快感があった。ブルマが台の下にあると知っているのは、昨日原から聞いたか、ぼくのガイドを聞いていたか、その両方なのかは分からないけれど、はっきりと生きたこどもと断定してしまうこととか、ブルマや少女の生殖器をあっけらかんと話してるのが、面白ければそれでいい華子らしいなあと思った。華子は全く剥製とは思ってないみたいだった。それに、こんな風に本当に剥製にされた子が飾られてるとしたら逆に残酷すぎなので、それを緩和するためにあんな風に話していると言えなくもないと思った。麻衣と華子のせいで、ブルマをみんなに見せられて、二倍恥ずかしい展示物にされている少女だな、と少し赤面させられた。でも、ぼくも全裸発表させられてるのだから、剥製ほど悲惨でない格好にしても、あまり他人の心配をしている場合でもなかった。爽快にこどもの芝居と断定されたせいか、みんな面白がってる様子だったが、エッチではあるけれど、謎はなくなってしまったので、剥製から次のコーナーへ移動するのは早かったと思う。麻衣はあれこれ質問されて、全裸で困りまくり、おたおた説明していたので、見てる方が納得がいかず、長びいてしまったのだと思う。少なくとも要領の良さでは、麻衣よりも今回も一枚上手だなとぼくは思った。

 後はぼくと同じで、華子はどんどん説明して、どんどん進んでいるというかんじだった。《そろそろ人形にならないとダメだな》と、団体の前に一般客は誰もいない様子だったが、気合を入れて白木の表情などをコピーしながら人形化した。白木化したというか、血液の流れがオモチャ化して、ぼくの体がオモチャに変わっていくのが分かった。人間だったぼくが、物みたいになっていく感覚で、軽くて小さな人形という名の玩具になっていくのが、恥ずかしさと興奮の気持ちだった。エッチなことをさせられてるのだろうけれど、裸教育の試練の一つなので、みんなの玩具になりきろうと思った。最後に思考を停止させて、日本語も英語も1字も頭に思い浮かべることを自分に禁じた。展示台の上にいるのは玩具にされたぼくだった。

 「あらららら、これは、何でしょうか?」と、ぼくの場所まで来た華子のガイドが剥製と同じ調子で言っていた。

 「こんなところに、エッチなものが飾られていますよ。なんて、エッチな格好なんだー。ほらほら、見て見て、男子は大興奮れすよ」

 そうしたら、普通は「本物なんですか?」とか「人形ですか?」とか言われるだろうな、とぼくは思っていた。そうしたら、「すっごく可愛い」「可愛い子」と真っ先に言われてしまい、嬉しかったけれど、ないのかなと、《人形化してオモチャというか物になりきってるのに、人形には見えてないのかな》と、少しショックだった。もちろん文字でそう思った訳でないのだが。「目が輝いてる」「肌がきれい」とか、言われてるけれど、誰も人形とは言わない。そのうえ、「おしっこの出口見せてるよ」とか、「見てほしいのかな」とか言われて、興味がそちら方向に移ったようだ。でも、「ピンクできれい」と言ってくれた男子もいて、午前中にぼくの性器を気持ち悪いと小6男子に叱られていたので、ピンクできれいと誉めてもらって、すこし落ち込んでいた気分が挽回したと思う。たっぷりと、全身や顔を見られて、それから、高校生なのかカメラを持っていて、ぼくの写真も撮られて、それからようやく、「これって、人形なんですか?」という質問を女子がしていた。可愛いなら人形でも人間でもどちらでもいいのだろうか。ところが、そこから先は、華子は剥製と正反対のことを言いだした。ぼくが最初から人形と思われにくかったのは、剥製を生きてる子と断定してしまったせいだろうけれど、それは全裸でガイドすることで、華子を人形と見えにくくした僕とおあいこだと思った。

 「これは、正真正銘の人形です。人間そっくりですが、ただの物で、命は宿っていなああああいです」と、華子が断定していた。おかげで、かえってぼくは緊張した。正真正銘の人形に見えてくれれば主催者も喜ぶだろうし最高なのだが、なかなか難しそうだった。白木くらいの素質があるなら、ただの玩具にしか見えないのに、と思った。でも生きた女の子が人形と思われるのも、結構恥ずかしいものがあると思った。

 「えー、こんなに可愛いのに人形なのかな?」

 「はい、人形れす。こんな可愛い人間が実際にいる訳がないのら」と、華子の説明に説得力がなかった。でも、「それもそうか」と言う男子もいて、本当かよという感じがした。「確かにこんな美少女がいたら、俺は恋をしてしまうな」とか言う男子がいて、女子に「エッチ」とか「そんなに丸出しが好きか」とか冷やかされていた。

 「これは、バレボール部の部活中の少女という設定の人形です」

 「バレーボール部の女子ならブルマでないんですか? どうして全裸で部活してるんですか?」 

 「部活中の女子を男子に見せるために全裸にはできないから、かわりに人形で再現してあるんです。部活中のバレーボール部の女子のブルマの下は、こうなってるんですよ、男子必見ですぅ」

 「ま、確かに生きた女の子が、ここまでしないだろうから、人形だろうな」

 「え、これ人間だよ」

 「人形だよ」

 やはり、麻衣の人形姿では半信半疑になるレベルらしかった。夏なら尿道に管を通して自動で放尿できる状態にして水を飲ませてから展示することで少女の脱水症状を防止してるという主催者の話だったので、夏の人形役の少女は性器というか菅が見えないポーズなのだろうが、夏でないので菅はぼくに取り付けられていないので、逆に堂々と丸出しにしてるようなポーズが選ばれているのだろうな、と後で思った。人形の真偽論争が続く中、さっさと次の展示の説明を華子が始めたので、やはり華子は要領がいいというか、頭はいいなと思った。麻衣なら、おたおたと本物だと説明を続けていたかもしれない。大勢なので、後ろの方で説明中によく見えなかった男子とかが台の近くに来てぼくを観察してるくらいで、多くは先に進んでしまった。ぼくは正座で片足だけ横に開いた姿で、頭の後方に両手を当ててじっとしていた。隣のパネルの奥の方から、華子の説明する声が聞えた。先生はガイドがいるので手抜きしてバスで待っているらしく、高校生ばかりで先生らしい人はないけれど、控室に隊長もいるし不安はなかった。

 ところが、ぼくの展示された台の近くの人数が減り、女子が一人もいなくなった時に、けっこうカッコいい男子に頬を触られた。

 「お前、エッチな物に触るなよ。やらしいだろ」と友達が言っていたが、その男子は無視して、ぼくの頬を何度も両手で挟むように擦ると、そのままぼくの脇の下を触った。《えっ》と思う間もなく、両方の乳首を掴まれて、少し引っ張られた。

 「お前、どこに触ってるんだ」という友達の声がしたけれど、すでにぼくの頭は真っ白だった。まさか、手で触られるとは思わなかったので。乳首の後、両手で体を触られて、両手で挟むみたいに体の肌に触られて、そのまま手をのばして、ぼくのオシッコのスジにも触られてしまった。そして、ぼくの肛門を指で押さえながらキスをした。ぼくの食べ物の入口と出口の両方を男子に体感されてしまったとショッキングだった。全裸でレイプしてくださいとお願いしてるかのような惨めな姿ではあるけれど、人体博の真面目な展示物なのだから、恥ずかしいことをするのはエッチだと思う。でも、男子に妊娠させられた訳でも、体を傷つけられたわけでもないし、触られただけなので、《ぼくのこと、可愛いと思ってくれるならいいかな》と許せる範囲だった。許せる範囲なんだけれど、口付けまでされてしまいショックだったのは事実だった。でも、こんな格好を見せてるんだから、我慢しろというのも可哀想だし、先生や隊長には言わないで黙っておこうと思った。怪我したりとか、おちんちんを入れられたわけじゃないんだし。もう華子も行ってしまったし、ぼくに触った男子とその友人だけなので、数人だけの秘密にすれば誰も叱られないと思う。見ていた友達も興奮したらしく、ぼくを一瞬だけ抱きしめた後、ぼくのオシッコのスジに触って、そのまま行ってしまった。

 全員がエントランスホールに消えたあと、男子の手で、ぼくに触られた感覚が残っていた。男子はぼくの感触を楽しんで、一生の思い出になったのか、すぐに忘れてしまったかは分からない。でも去り際に、ぼくの全裸写真を撮影してから去っていったので、きっとぼくの感触も含めて、男子のオナペットにはされたと思う。男子には体温があるので生きたこどもとバレてしまったけれど、きっと、可愛いこどもと思われたと思う。先生や警備員に言うのは簡単だけど、それをすると、可愛い子という印象を裏切ることになるのが嫌だなと思った。

 見送りを終えた華子が戻ってきて、再び隊長と話していた。

 「剥製を、生きてるこどもって、みんなにバラシてしまったのですぅ。きゃはは」とエントランスホールで華子は隊長にバラシていた。「台の下の玲子ちゃんのブルマを見せて、ほらほら、生きてる子ですよ、と説明したら、みんな驚いて目を丸くしてましたよー」と自慢そうに言っている。ところが、隊長が「そうそう、あれは実は普通のこどもで、マジック(手品)で安全ピンが体に刺されてるように見えているだけなんだ。実際は刺さっていないんだよ」と答えてくれると全部の疑問が氷解するところだったのだが、答えは違っていた。

 「俺は早朝の暗いうちに来ていて、真っ暗なエントランスホールと展示ホールに小さな夜間用照明を点けたんだ。その時点で、あの剥製の展示物はガラスの中に飾られていたぞ。ガラスの中で丸くなってるこどもが見えた。ということは、昨夜の施錠前に主催者とか数人で展示物を移動させていた時点で入れられたことになる。その後はずっと無人で、内部は真っ暗なんだ。もちろん、その玲子というのとは話したこともないんだがな・・・」

 「でも、ブルマがありましたよ」

 「ああ、ブルマも名札も正真正銘の本人の物だとは主催者が言っていたよ。ブルマを着用してる運動会の写真も見たから本人のものなのは間違いない。ただ俺らは小さな会社の経営者兼ガードマンだから、お金を出してもらっているのに、あれこれ質問するのはご法度で、結局は主催者の意向通りなんだよ。主催者が剥製一体を飾っていたと言えば、まあ、そうですかと答える以外にないし、あれこれ訊けないからな」

 「ええっ! 昨夜から、あそこに入れられてるんですかー」と、華子が驚いていた。

 「じゃあ、トイレとか、どうしてるんだろう」と、華子にしては、まともなことを言っていると思って、人形姿のまま聞いていた。二人の声が大きいのと、静かなエントランスホールで、しかも建物が鉄筋のうえ周囲が静かなので、話し声は全部麻衣のところまで筒抜けだった。単に控室に入られてしまうと中で何を言ってるのか、まるで聞こえないだけで、エントランスホールでの話はよく聞こえた。

 「トイレって真っ暗で行けないだろ。朝、少し観察したけれど、肛門を安全ピンで塞いであるから、うんこは昨夜からしてないのは間違いない。それに、あの展示台はねじ止め式なので、簡単に開閉はできないぞ。でも、金属は濡れていないようだから、我慢するには時間が長すぎるぞ。生きててくれるなら、可愛いこどもなので最高だけど、この扱いは物扱いだし、剥製なんじゃなかな」

 「ええっ、そうなんですね。なんか怪しいところはなかったですか?」

 「怪しいもなにも、ずうっと胎児姿のまま、というだけ。5分とか10分なら我慢するこどももいるかもしれないけれど、俺たちが寝てる間も、ずうっと狭い展示台の中で胎児姿をしてたとしか思えない。手足を針金で固定されてるし、へその少し下にも針金が巻かれていて、その針金で台と固定されていたからな。あれでは、真っ暗だからと、動こうにも動けないだろ」

 台に針金で固定されていたとは知らなかった。隊長は零細企業の経営者らしく真面目そうで、主催者のような金持ちのボンボン風ではないので、言ってることは多分本当なんだろうなと思った。生きた女の子に胎児姿をさせたうえに針金で縛ったまま一晩放置するだろうか、それでは少女虐待そのものではないか。ぼくたちみたいに、モデルの女の子が来てくれて嬉しいみたいな人間扱いならいいけれど、昨夜からねじ止め式で中からは開かないガラスケースの中に固定されているのでは、非人間的扱いというか、隊長の言う通り「物扱い」されてるだけの子ということになる。

 「それから、昨日置かれていた少女の剥製が消えているんだ。倉庫とか会議室は主催者は借りていないし、どこに置いてるんだろうか」

 「え、そうなんですか。どういう少女なんですか?」

 「それが、今日の剥製の少女とそっくりなんだ。まるでドッペルゲンガーみたいに似ている。でも剥製なら変形できないはずだしな」

 「それは、不思議ですね。でも、あたしたちが台の下で休憩するみたいに、台の下ということはないですか?」

 「そんなものはないよ。だから、体操着を台の下の隙間に押し込んでるくらいなんだから。それから、台の下の隙間と剥製の置かれている金属板の間はどうなっているかというと、バケツを1個置けるくらいの空間しかない。夏はバケツを置いて、そこに女の子の体とバケツを左右の隠れた隙間を通して管を接続して、トイレに行かなくても困らないようにして展示したことはある。だから、実は隙間があって窒息することもないし、放尿もできるんだけど、今回はそんな管は付いてないし、手足は針金で縛って放りっぱなしだし、体に巻いてあるのは有刺鉄線だし、あれで生きた女の子だとしたら、魔法か、マジックだよな。だから、あれは残念ながら、本当に剥製にされた哀れな女児だな」と、隊長は断定していた。その時に主催者が戻ってきて、誰もいないので大丈夫ということなのか、すぐに華子と主催者が麻衣のいる台の所へ来て、それから華子が急いで全裸になり、ぼくの後方でポーズをきめていた。主催者は華子が無事に展示台に戻り安心したのか、「それでは、ぼくは帰るから、あとは、しっかりお願いしますよ」と優しく声をかけてくれると、さっさと行ってしまった。今度は駐車場に外車を停車させてきたようで、静かに坂を下ってったようだった。


 108、華子と共に展示

 やはり、ぼくと華子が手をつないで歩いてるだけで注目を浴びるみたいなのと同じで、ぼく単独で飾られるよりは、華子と共に飾られる方がインパクトがあるようだった。その証拠に見に来た人の多くは「かわいいわね」「かわいいチビッコね、幼稚園かしら」とか言ってて、人形か人かという興味以前に可愛いという方に目がいくようだった。見物者との身長比較のできにくい台の上で、ワレメも丸出しの幼稚さなので、心理的にとても小さく見えてしまうらしく、幼児と本気で勘違いされるのにも驚いた。幼児なら全裸でも社会通念的には普通なので、人形でも人でも文句を言う見物客がいないのは納得だった。運動会の時と同じで、幼児が素っ裸にされてるんだというふうに見えてるものだから、全裸にたいして見物客の方も抵抗感は皆無のようだった。そのくらい、清潔で幼く見えていたのだと思う。幼児に勘違いされることには、大興奮でどきどきするだけで、大きい子なのに勘違いされて腹立たしいとかいうことは全然なく、ただ嬉しいのと赤面してるのとで、どきどきするだけだった。やはり、どう見えるかは2人のトータルで決まるのだと思う。原の時も、華子と共にいる今日ほどでもないが、幼児と勘違いされたけれど、その一方で「よく出来た人形だね」「特注の高価な人形なんじゃないの」とかいう風に、人形に見えることに関心が集まった。それだけに、本物の人形に見えるように緊張もしたし、頑張ったと思う。ところが今日は、もう色々な出来事があり開き直ってしまったせいか、昨日ほどは人形に見えるかどうかで緊張しなくなった。見てる方も「可愛い」「愛嬌がある」「家にも1個ほしい」「さみしいから家にも買いたい」「ワレメが丸見えで可愛い」みたいなことを言う人が多く、あまり人形かどうかを話する人は少なかった。ワレメ丸見えと言われても、「濡れていたら恥ずかしいけれど、おしっこが付いてないなら、割れてるだけだからエッチでない」と教えられていたので《見えても恥ずかしくないんだ》と素直に当時は思っていたし、紙でよくふいて清潔にしてたので、《保育園の子と同じ姿にされてるだけだから・・・》と案外平気だった。色々な丸見えの発表で慣れてきてるせいもあったと思うけれど。

 主催者が去った後は、大きな団体はいないようだった。ただ、小さな団体というか、どこかの小さな学習塾の先生なのか、10名ほどのこどもを連れて見物をしてるということがある程度だった。どうやら、こどもの性教育に人体展はいいと思ってこどもを連れてきたらしく、こどもが「うわ、胸に名札直接付けられてる残酷」とか剥製を見て言っていても、「女の子の全裸は、昭和時代と違い、(公園の池などで)見ることができないから、よく見ておきなさい」とか言ってるだけだった。「昭和時代には、小6とか、中1くらいでも、外見の幼い女の子なら公園で全裸で遊んでいたのに、プールとかでも平気で全裸になってた中学生までいたのに、時代が変わったなあ」とか言ってぼやいていたので、副顧問とかと同年齢の人だろうなと思った。全裸だと幼く見えるので、幼児がプールサイドで全裸になってると思って無視していたうちの何割かは外見の幼い高学年とか中学生だったのだろうな、と思う。知ってる子だから、中学生だと分かるだけで、普通は分からないと思う。副顧問の話では、昔は男子はダメだけど、女子には全裸特権があって、毛の生えてない女の子なら、いつでもどこでも全裸になっていい時代があったということだ。現在の中国では全裸で物乞いしたり、全裸でスーパーで買い物したり、全裸で外にいる幼稚な子もいるようだが、物乞いするほど惨めな子はいないにせよ、過去の日本も似たような状況だったと言えそうだ。副顧問もスーパーに全裸で入ってきた小学生を見たことがあるとミーティングで話していたし、その話が嘘とは思えないので、昔の女子は全裸特権があったのだろう。でも、今は平成時代で、時代が違い、社会通念としては性器丸出しでも許されるのは、赤ちゃんと幼児だけになってしまった。毛の生えてない女のこどもなら全裸で丸出しの許された時代からは、様変わりしてしまっている。それだけに人体展は性教育にいいからと思う大人がいるのもなるほどと思う。麻衣や華子が全裸にされてても許されるのは、裸教育の盛んな地域の中でも、特に裸教育が既得権益みたいになってる地域だから、教育目的でならこどもを全裸にすることが黙認されているだけなのだと思う。町の中心のホテル前や駅前で全裸で物乞いする、初等中学の全裸の女子を見ようと、わざわざクルーズ船で中国に行く人がいるくらいなので、こどもの性教育だけでなく女子中学生の体に興味のある大人にも人体展は手頃にこどもを見れるという意味ではいいと思う。剥製で興奮した男子たちに(女の子もいるようだが)、こどもの人体の仕組みのコーナーで、女の子の体の仕組みを先生らしい大人が説明してるのが聞えた。次第に近づいてきたので、きちんとポーズを整えて、人形になりきるように意識を集中した。

 「おっ、すげえ」と麻衣たちを見た6年生くらいの男子が驚嘆の声を出していた。昔の子なら自分と同じ学校の女子の全裸を公園で毎日うんざりするほど見てるから、麻衣たちなんかを見ても《またかよ・・・》という程度の関心しか示さないと思うけれど、今の子はそういう経験が皆無なので、全裸の女の子というだけでも希少価値があり興奮できるんだなと思った。もっとも、こういう女子の裸教育自体が、法律が厳しくなった途端に無くなり、現在では麻衣の通った厳しい小学校ですら、上半身裸になって体操するのは男子だけになってしまった。少し昔は女子までブルマ1枚にされて運動会してたんだよ、親と一緒にブルマ1枚でお昼ご飯だったんだよと言っても、信じる男子はもういないだろう。なんでも、現在では身体検査まで半袖シャツを着たままらしい。それで、ちゃんと体重が測れるんだろうか。過保護にもほどがあると思う。極端にこどもが厳しくされた過去の時代から、極端に甘い時代に転換されたのだから、厳しくされてる女子を見せるには人体展とかの特殊な見世物に頼るしかないのも事実なのだろう。

 原と共に展示された時と違い、人形だと半信半疑で見られてるという気がしたのは、その通りで、「これ、人形? 人?」と不思議そうに男子が尋ねていた。ただ、ここから先は半信半疑のまま終わることがほとんどで、仮に人と思われても幼児かそれに準じたチビスケと思われるだけなので、別段の問題もなかった。ただ、ここまでは明確に人だと見抜いた人もおらず、平和な展示物になりきることができた。

 ところが今回は少し違っていた。質問された先生らしい大人は、「低学年の女の子を忠実に再現した人形の展示と広告されてたけれど、間に合わなかったんだね。代わりに普通の生きた低学年の女の子を展示してるみたいだね」と、一発で人形でないと見抜かれてしまったのだ。原だと、半信半疑だったのだろうが、華子だから、こういうこともあるのだろう。

 「ええっ、これ人形でなくて、人なの?」と男子が興奮してるのが分かった。

 「そうだ。生きてるんだから、人形の訳ないだろ」と、先生の方はすましたものだった。

 「わたしたち、小学校の鉄棒で、ちょっとスカートがめくれて、パンツが見えるだけでも『女の子なのに、恥ずかしいでしょ』と女の先生に注意されるのに、こんなふうに女の子が丸裸にされてて、いいんですか?」と小6らしい女子が質問をしていた。麻衣よりも身長が高そうなので、6年だろうと思った。麻衣たちと違い普通に育てられてるせいか、確かにスカートがめくれたら恥ずかしいという程度には大人っぽく見えた。「パンチラというよりも、ズバリそのものが丸見えなんですが」と言って、自分の言葉に興奮したのか大笑いしていた。

 逆に生きた女の子と知り、赤面してしまい麻衣たちを全然見ないで次の展示まで急いで通り過ぎた初心な女子もいたけれど。

 でも、男子全員と大笑いしてる女子は相変わらず麻衣たちの展示を見ていた。麻衣の写真とかを見られているなら、展示ホールにぼくの全裸写真を飾られたこともあるので、自分じゃない子の全裸写真が飾られてるんだと想像することで案外平気だったが、自分そのものの全裸が飾られている状況では、そんな都合のいい想像をすることは困難だった。ただ、さっきまでは《麻衣じゃないもん。麻衣そっくりの人形が展示されてるだけなんだもん》と想像することで近くから体や顔を見られてしまう恥ずかしさからは若干は逃れられていたのだが、はっきり人と断定されてしまうと、そういう想像をすることも困難だった。なまの麻衣が展示されてるだけみたいな感覚がした。

 「意味なく女の子がパンチラしてたら恥ずかしいけれど、これは女の子の体を見せるために丸見えになってるんだから普通ですよ」と先生がすまして答えていた。「それに、きみたち大きな子と違い、まだ小さい子たちだから、大丈夫なんですよ」

 「そりゃあ、わたしが、6年なのに、こんな格好したら大変態だよ。こんな恥ずかしい格好になれるか」と女の子は笑っていた。

 「チビッコの特権だな。こういう綺麗で、幼稚な性器でないとダメだから、6年生では無理だな」

 「当たり前だよ」と女の子は笑い続けていた。

 「お前の裸なんか、気持ち悪くて見れるかよ」と男子が笑っている女の子に言っていた。「悪かったね」と女子が言い返していた。

 「チビッコは、かわいいなあ」と先生が言うと、「可愛い。連れて帰りたい」と、男子まで言うので、人形でないとバレてるだけに赤面してしまった。「おしっこのスジを丸出しにできるくらい可愛い子って、いいなあ」と男子が言うと、「エッチー」と女子が言っていた。

 「あのお、この子たち、恥ずかしくないんですか?」

 「まだ低学年だから恥ずかしくないだろ。それにモデル事務所とかの子なら、そういう情操教育してあるから大丈夫なんだね」と先生は言いながら、麻衣の肌に少し触った。触ったといっても、脇の下から胸あたりまで一度撫でただけなのだが。

 「いい子だね。うちのところに、こんな可愛い子はいないから、びっくりだね」

 「悪かったわね」と女子がふくれる顔をしてみせていた。

 「どちらも可愛い低学年の子で、まだ、おねしょしていそうなのが、いいね」

 「おねしょしてるのかな?」

 「低学年ならするだろ」

 丸見えのせいか、どうしてもオシッコとかの話になるのは仕方ないと思う。ただ、今回の展示は肛門までは見えていないので、うんことかの話まではされずに済んだようだ。実際に出口が見えてしまえば、そういう想像をされたり、そういう話をされてしまうのは仕方ないと思う。でも、それに我慢できるのが強い子だと思うのだ。

 「昭和時代と違って、きみたちがナマの女の子の全裸姿を見れるのは、これが最初で最後かもしれないから、よく見ておきなさい。法律がどんどん厳しくなり解釈もどんどん厳しくなるばかりなので、そのうちに、こういう低学年とか幼稚園の子の全裸も禁止になるかもしれないぞ」

 「そういえば、近所の保育園、短パンはいて泥遊びしてました」と女子が言っていた。

 「まあ、先生のころの保育園は男子も女子も素っ裸で遠足へ行ったものだが」

 「えーっ、それ本当ですか?」と男子が驚いていた。

 「本当だよ。全裸にリュックサックしょって遠足で、そのまま全裸でバスをおりて海岸で遊んだり、全裸で登山したんだよ」

 「ひえーっ」と女子が話をきいて笑っていた。その女子は麻衣たちが素っ裸で幼稚っぽくて面白いらしく、麻衣の全身をくまなく見ていた。

 「こういうスッポンポンのこどもを見ると、保育園時代を思い出すなあ。こんな風だったなあ」

 先生は懐かしさからか、男子はエッチな気持ちからか、なかなか立ち去ろうとせず、急いで通過した女子は既にエントランスホールに出てしまったようで、「みんな、早く行こうよ」という声が展示ホールの外からした。

 その声に、ようやく男女と先生は麻衣たちの展示から移動して隣のパネルコーナーに移動していたが、それでもまだ麻衣のことを「可愛いな」とか言って見ている男子がいて、「おまえなあ。いつまで見てるんだー」と、他の男子に言われていた。そんなにむきになって見てくれたので、少し嬉しい気分だった。同じ6年生でも「気持ち悪い」と怒っていた男子も団体客でいたので、全員がとりあえず喜んで満足してくれたので嬉しかった。

 全員が、エントランスホールへ出てしまうと、後ろの華子が「あーあ。うちら、バレちゃったね。きゃはは」とバカウケして笑わってるので、この調子ではバレるわけだな、と、思った。

 その後は個人客や、数人の小さな集団程度で、自分と同年齢くらいの男女に観察される恥ずかしさはなかった。やはり、大人に見られるよりは同年齢の男女に見られる方がエッチな気がして、どきどきするというか興奮すると思った。大人に見られても興奮はするけれど、それは小児科で大人の先生に体を見られてるのと気分的には大差なく、こどもなので大人に見てもらうことは同年齢に見てもらうよりは普通のことの気がするのだった。

 ただ、男性客のなかに「おまえ、こんな姿になるなよ。恥ずかしくないのか。惨めなやつだな」と、日頃のストレスが溜まっているのか、たっぷり悪口を言って帰った人もいて、それには少し疲れた気分だった。そんなにこどもの姿を見たくないなら、こどもの人体展なんて最初から来なければいいだけなのに、どうして来たのだろうと思った。もし悪口を言う目的で来たなら、少し趣味が悪いと思う。ストレス発散したいなら、バッティングセンターに行くとか、酒を飲むとか他の方法にすべきで、こどもの八つ当たりするのは趣味悪いし、まして素っ裸で恥ずかしい格好で裸教育に耐えてるだけのこどもに、ストレスをぶつけるのは大人としてはカッコ悪いなあと思う。


 109、帰路

 時間通りに顧問がカローラで迎えに来た。ぼくはランボは怖そうに振舞ってるだけで、本当は怖くないと知ってるので、無茶なことも言うけれど、華子は要領がいい分は多少怖がってる面もあるようで、ランボへの質問などは控え目だった。でも、今日の華子は猛烈に訊きたいことがあるみたいで、いつもほどはランボに遠慮がなかった。もっとも、団体客がもう来ないと分かるや、さっさと帰ってしまった主催者に訊く方法がないので、ランボにやむなく訊いてるだけなのかもしれないが。

 閉館時間の蛍の光が流れて、入場券の券売機も電源を落としてから、隊長がエントランスホールへの出口付近で、「今日は終了だよ。出演者はご苦労さん」と言っていた。そして、そのまま控室に引っ込んでしまった。それで二人は展示台から下りて、台を力づくで開けて、中からパンツを取り出した。その時、ランボが展示ホールに入ってきて、パンティーを穿いている麻衣や華子に「よし、帰るぞ」と言った。

 そこで、ぼくは急いでセーラー服を着たのだが、華子はぼくほどは急がずに着替えながら、「質問していいですか?」と言っていた。ランボは無言のまま、首を縦に一度動かした。

 「あのお、ここに剥製が飾ってあるんですが、あれって、本物の剥製なんですか?」

 「なんだ、そんなことか。入り口付近の展示台のことだろ」

 「そうです」

 「あれ、警備員とか主催者に訊かなかったのか。ここの、まともな展示らしいものは、この展示台と、あの剥製台だけなのにな」

 「聞いたんですが、主催者も、隊長も剥製みたいなことしか言わないのれす。だから、ハナは変だなと疑問に思って」

 「なあんだ。そりゃあ、主催者は本物としか言わないよ。お前らも人形としか言わないだろ。あの人は無難なことしか言わないからな」

 「警備員もですか?」

 「警備員は見たままのことを言うだろ?」

 「まあ、そうなんですが…」

 「分かった、教えてやるよ。あの台は、狭いしガラスで囲まれている。内部は横方向は金属に覆われていて、上方向からガラス越しにしか見えないが、横方向にも内側にはガラスがあり、ガラスの箱の中に入れられてるように見えるだろ」

 「はい」

 「そして、下は金属だし、常識的には、そんな場所に閉じ込められたら窒息死するのが当然に見える。そこが、展示台の中のこどもを剥製らしく見せる工夫らしいんだ。実は左右の隙間から空気が入るし、こどもの体の下に直径1㎝くらいの穴がいくつも開いていて、中でも普通に呼吸できるんだ。だから、夏も剥製役のこどもが入れられていたんだ」

 「へえ」と、華子は興味津々だった。華子ほどでもないがぼくも気になっていたので、着替え中にしっかり聞いていたのだが。

 「でも、もちろん、まだ華子とか麻衣では剥製役は無理だ。上部のガラスをねじ止め式で固定しているので、一度入れられると、簡単にこどもを出し入れできないんだ。だから、朝、こどもの尿道に尿道留置カテーテルを入れてから、展示するんだ。もちろん尿道留置カテーテルで感染症になるリスクがあるけれど、長時間トイレに行けないから仕方ない。でも、感染症のリスクが高くならないように、展示は1日だけだ。それで、飾られた女子中学生のオシッコがパイプを通って自動的に下のバケツに溜まるようになってるんだ。だから、開館前に入れられた子供が、ガラスケースから出されるのは閉館後ということになる。あんな狭いガラスケースの中で、ずっと同じポーズをして、微動もできないんだから、ダンボール詰めくらいで苦しがってるお前らには、まだ無理だな。ダンボール詰めがこどものお遊びに思えるほど強い子に成長してからでないと、剥製役なんて無理だな」

 「じゃあ、やっぱり、あの展示台の中身は本物の人間なんですか?」

 「もちろん。夏の展示では、普通の裸教育の中学生が入れられてたよ」

 「ふうん。でも、ハナが納得いかないのは、今日の女の子が尿道カテーテルなんてものを付けてないから、それに、ずうっとケースの中だし、だから不思議なんですよ」

 「冬だから、前日から水分を採らないなら、喉は猛烈に乾くだろうけれど、トイレには行きたくならないだろ」

 「でも、今日の女の子は昨夜から、入ってるんですよ!」

 「あれ、それは変だな。昨夜から今までトイレなしというのは考えにくいな。胎児姿だったんだろ」

 「はい、そうなんですが」

 「それなら、見えにくいように、女性器の下の方からパイプを出してるだけなんだよ。女の子の顔とか体は、頭上付近のピンク色の蛍光灯で明るく照らされていて胡麻化しようがないけれど、お尻の辺りは薄暗いから細いパイプくらいは誤魔化せる」

 《なるほど、そういえば、最初、安全ピンが見えなかったな》と、麻衣は思った。麻衣が着替え終わると、ようやく華子が急ぎだして、黙って着替えてから、3人はエントランスホールへと歩いた。

 「お疲れ様」と隊長でない普通の警備員が敬礼をしていた。ランボは軍隊式にサッと敬礼したのだが、あまりにカッコいいので《うわ、傭兵みたい》とぼくは思ったほどだった。なんとなく敬礼に慣れているように見えた。

 坂道を下りながら、今度は要領のいい華子は質問の角度を変えてきた。

 「あの、水野玲子という子は知ってますか。今日の剥製してた子の名前です。ハナは、展示中の子の体操服にも、名札にも、水野玲子と書かれていたのを見たのですが」

 「ああ、あいつか。あいつは、去年小6だけど、合同発表会に出ていたな。ほとんど中1だけど、素質のある子だと小6とか中2でも発表会で発表させられるから。それなら、剥製に見えて当然だ。あいつは白木より従順だし、原よりも我慢強いぞ。だから、人体展の展示物とか合同発表会の操り人形にされるために生まれてきたような子だから」

 「中国へ転校したんですか?」

 「それは知らないな」

 「水野玲子は中国で剥製にされたそうなんですが」

 「それは大袈裟な嘘をついたもんだな。あいつがブルマ姿で運動場を走り回ってるのを見たが、健康そのもので、病死したりするような体の弱い子でないぞ。よく頑張るから、抱っこしてやったら、凄く喜んでいたが、それ以来見てないな・・・」

 剥製かどうかは別にして、どうやら水野玲子というのは本名らしいことは分かった。ガラスごしで見えにくいのを利用して、たくみに体とバケツが細い管でつながれているのかもしれないと思った。原より我慢強いなら、夏ほどは水分が皮膚から蒸発しないので、小さな台の中で24時間頑張るくらいはしそうな気がした。でも無造作に針金で縛られてるのは、可哀想な気がした。体にいたっては有刺鉄線で台に固定されてるという話なので、傷跡が残りそうだし、痛いなんてものではないだろう。安全ピンもむごい刺し方だし、特にお尻の安全ピンは少女虐待だと思う。鼻とか耳は綿を詰めるだけで苦しくないにしても、時間が長すぎると思う。今、坂道を下ってるのだが、水野玲子はまだ無人の展示台の中にいるのだ。しかも、警備員も来客用のドアを閉めて帰る準備をしていたし、主催者も帰ってしまったし、あの子はいつ展示台から出してもらええうのだろうか。生身の女の子なら、時間が長すぎる気がした。もっとも合宿で体育館に全裸で24時間正座して反省させられたこともあり、何も食べられず、何も飲めず、おしっこは仕方なく多少は垂れ流していたので、女子全員がオシッコを見られながら耐えたことがあり、だから剥製の展示が絶対に有り得ないほど長時間というわけでもないと思った。どうやら、華子は我慢強い生きた女の子と思ったらしかったが、麻衣は正反対に剥製そのものの気がした。主催者が来館者のお客をだますのは分かる。本物か偽物か分からないと、どちらか見たいので、今度こそ見抜くぞとリピーターになるからだ。でも、わざわざ警備員とか関係者までだますのは意味が分からない。敵を欺くにはまず味方からとは言うが、この程度の田舎の小さな展示会で、そこまでむきになって関係者まで欺く理由なんて、どこにもない気がするからだ。

 車のトランクに積まれて帰るのかと思ったら、そうでなくて、普通に後部座席に座るように言われてラッキーだったと思う。トランクだと、麻衣の今日の展示場での様子の何を聞き何を知ってるか全然分からないまま中学校に到着してしまうからだ。勝手に待機中にパイプで遊んでしまったので(オナニーではない。多少、気持ちいいと思ったけれど)、それも不安だと思った。

 「今日は、麻衣は大活躍したんだってな。団体客の小学生たちをセーラー服でなく自発的に真っ裸で案内したそうじゃないか。そうなんだろ」

 「はい。恥ずかしかったです」と言いながら、《わあ、バレてる》と思った。華子が横で笑いを噛み殺していた。

 「自発的に全裸になれたのだから、恥ずかしくはないだろ。大活躍だな、かっこいいぞ」

 「はい、ありがとうございます」

 「でも待機時間中に、大勢の人の出入りするエントランスホールで、エレベーターのパイプを利用して、全裸でオナニーしてたそうだな。警備員の見てる前で、オナニー続けていたそうじゃないか」

 「してました」と言ったけれど、別に跨りたかっただけで、オナニー目的でないし、時間も警備員の前でエビ状態に反り返っていたのは5秒程度だと思う。あまりにパイプの上でエビぞるのか生理的快感があり、見られてもすぐには止められなかったのだ。

 「全裸で団体を案内できたのは、自発的に全裸になれとミーティングで言ってることを本当に実行したこどもということなので立派な裸教育児だと思うぞ。全裸でガイドして自分も見てもらうのは、それなりにはカッコいいと思う。しかし、待機中に丸見えの場所でオナニーしてエビぞるのは、幼稚っぽいし、変態中学生と言われても仕方ないな」

 「ごめんなさい」

 「変態とか幼稚なのは、そういうこどもなら仕方ないことだ。でも、パイプ椅子で待機するように指示されていたのに、その指示を無視して、ただのパイプの上へ行ってしまうのは、素直さが足りないということだ」

 「指示通りにしようとしたけれど、我慢できなかったんです」

 「我慢できないほど、エビぞりたかったんか?」

 「はい」

 「してしまったことは仕方ない。でも、それは体罰も覚悟の上でエビぞってしまったんだな?」

 「はい、そうです」

 「分かった。しかし、今日は残念ながら、学校で体罰している時間もないし、体育館も既に施錠されてるはずだ。だから、車の中で体罰をする」

 「はい」と、体罰そのものは覚悟はしていたので、素直に返事をした。

 「後部座席で裸になってから、前の座席に座れ」と言われたので、後部座席で全裸になった。そして信号で停車中に、シートとシートの隙間から前席へと移動した。服は後部座席で、体は前部座席で、こういうのを(いじめとかなら)「解剖」とかいうのだろうか。よくいじめで男子中学生が解剖されてる(素っ裸にされてる)とかいう話は聞くが、まだ、そういう酷いいじめは見たことがない。でも、この時、体と服とかが別々の場所にあるので、なんとなく「解剖」という言葉を思い出してしまった。洋服を脱がされたまま、いじめられてる男子はこんな気持ちなのだろうか。でも、麻衣のはいじめではなく、裸教育で麻衣自身のためにしてくれていることなので、恥ずかしくても痛くても我慢する心(気持ち)だった。

 「走行中は危険で体罰できないから、信号が赤で停車中は、ハンドルの横にお尻を突き出しなさい」とか言われたので、仕事の片手間に尻叩きされる惨めな幼児みたいで赤面だったが、するしかない立場だったので、赤信号の時に顧問の方へと、ぼくのお尻を突き出した。

 「それでは、お尻を突き出したことにならないぞ」と叱られた。恥ずかしかったので、あまりオモチャっぽい子にならないように、片足だけシートに乗せて、お尻をハンドルの方に近づけたかんじだった。車が青信号で動き出したので、元通り、シートに座った。

 「今度、赤信号になったら、シフトレバーのあたりにボックスがあるだろ。シートとシートの境目のボックスのことだ。そのボックスに両手をついて蛙逆立ちをしなさい。そうすれば、しっかりとお尻を突き出せるから」と、こどもにとっても、かなり赤面な体罰姿を指示されてしまった。こどもだから、恥ずかしいも恥ずかしくないもなく、ただのチビッコらしい体罰というだけのことだが、実際に恥ずかしい気分だし、どきどきするし、目が潤んでしまった。しばらく信号もなく、山道を麓までカーブしながら下っていたが、下り切ったところに信号機があり、どきっとした。あそこで赤面な姿をするんだと思うと、どっきりしたけれど、でも、偶然に赤信号にならずに通過することができた。まだ周囲は明るく、外から車内は見えるだろうから、体罰中の姿を見られてしまうかもしれないけれど、それは仕方ないと思った。少し走ると、こどもが横断歩道の押しボタン信号機を押していた。《わ、やばいな》と思ったら、やはり車が通過しないうちに赤信号になり、カローラが横断歩道前に停車してしまい、こどもが横断を始めた。

 麻衣は「やー、はいっ」と気合を入れて(声を出して、威勢をつけて)、ボックスの上に両手を置いて、ボックスの上で、ランボにお尻を突き出すようにして、蛙逆立ちをした。頭を前部座席のシートに密着させていたので、きちんと、お尻は高く上がっていたと思う。ランボは右手でハンドルを持ったまま、左手でぼくのお尻をパンパシと叩いた。大男で腕力が強いので、片手でぶたれるだけでも、両方のお尻に十分な痛みが走った。信号が変わり、ぼくのお尻が邪魔だったようで、股を持たれてシートの方へと、股を持ち上げるように押された。ぼくは前転するように1回転して、自分のシートで逆さまになっていた。まるで、オモチャの子のような尻叩き姿なので、華子が面白がっているのが見えた。

 次の信号は5分ほども先だったが、大きな道路の交差点なので、さっきの横断歩道よりは赤信号の時間が長そうだった。

 赤信号だったので、さっとボックスの上へ移動して、頭をシートに着けた蛙逆立ち姿になった。そうしたら、「息め」と言われたので、恥ずかしいけど、目に涙を浮かべながら息んだら、少し肛門が開いたと思う。そうしたら、本当にお尻に浣腸を刺されてしまった。イチジク浣腸なので、車内でも水浸しになる心配はないのが救いだったが、そのまま恥ずかしい生きてる実感のするような感覚と共に、浣腸液を体内に入れられた。体罰でお浣腸くらいは、女の子ならありがちなことかもしれないけれど、蛙逆立ち姿でお浣腸されるのは幼児みたいで、オモチャみたいで、目が涙で一杯になった。シートの上に顎を乗せるみたいに前を見ると、目から頬へと涙が流れた。《負けずに全裸浣腸蛙にされてて、先生、ぼくって、カッコいい子ですか?》と思いながら、《もう泣かないぞ》と、思った。

 「先生、一匹の全裸浣腸蛙になりきります」と、先生の目を見て言った。

 「カッコいいぞ」と、イチジク浣腸を肛門に刺したまま、誉められた。

 「よし、全裸浣腸蛙に痛みを与えるから、全身で耐えろ」

 「はいっ」

 その後は、浣腸を肛門に刺したまま、抜いてもらえずに、強くお尻を叩かれた。全身の痛みにぼくは耐えた。強い子だったと思う。

 そして、ようやく、信号が変わりそうなのか、イチジク浣腸を肛門から引き抜かれて、「おっ、お浣腸に、クボタの汁が付いてるぞ。カッコいいぞ」と言われたので、「はい」と返事をした。こどもだったので、負けないぞという勝気な心だけだったと思う。

 そして、今度は余裕があり、普通に自分のシートに戻った。自分の性器が濡れてるのが分かった。そして数分後、再び赤信号だった。

 全裸蛙になると、「肛門を開け」と言われた。朝、うんこは前部出してから人形になったので、うんこはないと思うけれど、全裸浣腸蛙にされたので、便意があるので、それなのに肛門を開けと言われたのは泣きそうだった。こんな車内で体の中身を出してしまったら、華子が見てるだけに、学校の笑い者だと思った。でも、するしかないので、負けずにぼくは肛門を開いた。ちゃんと、先生の前で、全裸肛門蛙になりきったと思う。体操着は着てるけれど、僕のかっこいい蛙逆立ち姿を見てください(下の写真)。こんな姿で肛門を拡げてたスケです。

 肛門は開けたけれど、お尻から浣腸液とぼくの汁が出てしまったみたいで、車をふく布で、ランボにお尻を拭かれてしまった。汚いものを出してしまい、恥ずかしさと惨めさの気持ちで、お尻を拭かれた。「久保田のうんこ汁で、汚れた布だ。お前の涙と汗とうんこ汁で反省したのだから、いい子になれたか?」と訊かれたので、「はい」と大きい声で返事できて強いだと思います。ぼくは、こんな幼稚っぽい子です。幻滅しましたか。がっかりですよね。でも、幼児なみの「ひっしっ子」になったのは、自分のためと思います。先生ありがとうございました! 一匹の赤面なメスにされたけど、ぼくのメスの生殖器も開いた肛門の大きさも、みんな大人に見せて、全身で耐えたけど、体に直接教えられないと成長しない未熟な子だし、体やぼくそのものは全部見られても、負けてしまう心を見られてないのだから、恥ずかしくないと思います。


 110、学校での評判

 薄暗い夕方に中学に到着したのだが、水野玲子はどうしてるのかなと思った。やはり、合同発表会の後、剥製にされてしまったのだろうか。剥製ならまだあそこにいるはずだと思う。

 その日は何事もなく帰宅したのだが、翌日に学校へ行くと、黒板にこどものエビぞってる絵が描かれていて「今度は展示場でオナニーのチビ」と説明書きがされていた。こどもっぽい悪戯だなと、大勢に見られる前に消したのだが、みんなぼくがパイプにまたがっていたと知っていたのには驚いた。

 「どうして、知ってるの?」と女子に尋ねたところ、「ハナちゃんに聞いたよ」と答えていた。《うわ、ラーのやつ、秘密にするつもりだったのに・・・ 昨日、パンでも御馳走して口止めしておくべきだったな》と思ったが、既に手遅れだった。

 しかも、午後から部活に行ったら、ミーティングで副顧問のジャイアンが「みんな少しだらけているな。久保田を見習え。なんせ、きのうは、人形発表に行った久保田が大活躍したんだぞ。知ってるか?」と言うので、葵が妙にさめていて「パイプにまたがり、オナニーしてたって、みんな知ってるけど、そんなのは頑張ったということにならないと思います」とか言って、ブツブツ言っていた。「それも、人の通るエントランスで全裸オナニーなんて、変態かよ」とか言ってるので、《きょうは葵は妙に機嫌悪いな》と思ったら、よく見るとブルマを忘れてきたらしく、パンツで部活に参加していた。体操着を忘れたら下着で参加することと言われてるので、麻衣もパンティーで部活をしたことがあるけれど、ブルマが下着っぽいのか、ブルマでもパンツでも大差なくて、そんなに不機嫌になるほどでもないのにと思った。でも、葵は部活の途中でも「パンツでは恥ずかしいのだ」とブツブツ言っていたので、麻衣と違いかなり下着で部活をするのには抵抗感があるのだと思う。完全に脱いでしまえば、逆にそういう練習なんだと割り切れるのだろうけれど、中途半端なうえ下着は恥ずかしいという先入観が強いのだろう。

 「そうだな、パイプで変態なことをしていたのは先生も聞いた。でも、そのそのことでなく、6年生の団体の来館者を、久保田は全裸でガイドしたんだぞ。自分の年齢と同じようなこどもの中で、一人だけ全裸で頑張るなんて、強い心がないと出来ないことだな」と副顧問が言った。

 「ウッソー」などと、みんなは驚いていた。華子はパイプの上のオナニーは面白がって(実際はまたがって遊んでいただけでオナニーではない。少し気持ちいいとは思ったけれど、それは細くてヒンヤリしたパイプにまたがれば、誰しも思うと思う)いたけれど、全裸でガイドをしたのは元気がいいだけで普通と思ったらしく、誰にも話そうとしなかったようだ。みんなにエビぞり情報は早く広まった割には、午後になっても誰も全裸ガイドのことは知らないので違いに驚いた。

 「全裸で6年生を案内したんですか?」

 「そうだよ」

 「男子もいたんですか?」

 「男女ともいたよ」

 「すごいー」と、自分も全裸にされることくらいあるのに、部員が驚いていた。

 「みんなも自発的に素っ裸になって頑張って久保田をお手本にして、しっかり頑張るように」

 「はーい」

 ミーティングでは最初の挨拶と最後の挨拶は真剣にさせられるが、ミーティング中は割と自由に発言できたので、おかげでぼくの全裸ガイドのことは部員に知られてしまい、翌日には「全裸ガイド伝説」「全裸エビぞり伝説」となり、全校で知られてしまった。ぼくは既に体育館のスロープで人前で全裸オナニーしていたと知れ渡っていたので、エントランスで全裸オナニーしてたという話を聞いても《またー》と思うだけみたいで、誰も《本当にしたのか?》とか疑ってくれないので、学校じゅうの伝説にされてしまった。もともとぼくは学校では、顔が可愛いとか、幼稚で面白いとか言われてプチ・アイドル化していたので、学校では人気があり、ぼくの噂が広まること風の如しだった。

 ミーティング終了後は、2メートル感覚で4列に並んだあと、きおつけして、だらけていることを反省させられた。ブルマ1枚できおつけして反省してると、小学生気分がして、《小6のころは、こんなことあったなあ≫と思った。叱られて小学校の体育館の裏にブルマ1枚とか素っ裸で立たされたことを思い出した。きおつけは5分ほどで、その後は普通にマスゲームの訓練(きちんとシンクロして動く練習)だった。その日は、秘密もバレてしまったけれど、誉められもしたので、気分爽快だったと思う。

 そこまでは、まあ想像してた通りの展開だったのだが、校長まで小耳に挟んだようで「またまた展示場でも大活躍したんだってね。すごいなー」と誉めてくれて、「ご褒美に放課後に校長室に1時間だけ久保田の人形姿を飾ってやる」と言われた。既に部室で体操着に着替えていたので、身軽に校長についていった。校長室に飾られるのは名誉なことだけど、でも、来客がある日らしいので少し赤面だったけれど、せっかくのご褒美なのだから飾らせてもらおうと、校長室のマホガニーの台の上で、ミホ姿になった。展示会では結局はガイド以外はミホ姿を見せただけだったので、そのポーズくらいしか思い浮かばなかった。「おっ、かっこいいポーズだぞ」と麻衣の人形姿の赤面ポーズをほめてくれた。校長が入ってきた顧問に「今日は麻衣ちゃんを借りるぞ」と言うと、ちらっとぼくを見てから「はい、自由に使ってください」と言って部活へ行ってしまった。ぼくの体操着は台の下の隙間に隠したので、隠し方が水野玲子と同じだなと思った。

 綺麗な台の上でポーズを決めると、ちゃんとした立派な人形という気分がした。台が立派だかからかもしれないけれど、立派な全裸人形になった気分だった。まだ来客が来ないからと、ケーキとジュースを出してくれたので、素っ裸のまま台の上で食べた。ご褒美とはいえ、待遇いいなあと思った。勘違いでしただけだけれど、全裸ガイドをした甲斐があったと思った。ケーキを食べたら、再び人形に戻ったら、校長が眺めていて、口にケーキが付いていたらしく、ティッシュで口をふいてくれた。ついでに、オシッコの出口もティッシュで拭いてくれたので、ちゃんと綺麗に拭いてあるから拭かなくても大丈夫なのに、と思った。でも、黙って人形姿をしていた。人形姿は、練習では今一歩こつが分からない気がしたが、展示会で2日間も練習したようなものだし、大勢に見られる緊張感の中で頑張ったので、だいぶコツがつかめてきた気がしていた。この日の校長室にご褒美でぼくを飾ってもらった時も、展示会前よりは、はるかに上手に人形化していたと思う。「本物の人形みたいだな。可愛いなあ」とぼくをしばらく眺めてから校長が言った。少ししたら来客があり、数人がバタバタと校長室に入ってきた。

 「おっ、凄いですね。これ、本物の人形なんですか?」

 「もちろん、本物の人形だよ」と校長が言っていた。

 「可愛い顔に作ってあるな」

 「随分、恥ずかしいところまで忠実に再現してあるんですね」

 「エッチだけど、かわいいなあ」と、みんなで興味を示してくれた後は、麻衣は無視して、みんなで雑談をしていた。麻衣は緊張してたし、微動もしないで人形になりきれたと思う。みんなのくつろぎを邪魔しないように、可愛い人形になりきったと思う。みんなに可愛い姿を見てもらえたので、それに疲れない程度の1時間ほどだったので、ご褒美に大満足だった。

 来客が帰ると、だいたい1時間くらい経過していて、校長がぼくの体操着を着せてくれた。まだ甘えたい年頃なので、半袖シャツとかブルマを着せてもらうのは嬉しい気持ちだった。男子とか見てたら「甘えん坊」とかって悪口を言われるのだろうが、校長室なので甘えても安心だった。ブルマを、ぎゅうっと引っ張り上げてくれたので、自分で穿くのと違って、股に食い込むブルマの感触が気持ちいいと思った。

 この日はご褒美で部活は休みになったけれど、あとは数日間は普通の部活だった。数日後に再び、あの貸しホールの人体展に行くことになるとは思っていなかったので意外性があった。

i MAI me (愛 麻衣 みい) ~裸教育児の久保田麻衣小学生物語

小学生時代の麻衣を物語風に脚色して連載風に不連続で投稿するブログです。ぜひ愛読者になってください。基本はノンフィクションですが、物語なので面白く脚色されています。ごく普通の6年生の女子小学生(わたし)が、裸教育の小学校に入れられてブルマ1枚にされて学校生活をし、最後にはバレーボール1個を持って半泣きの全裸マスゲームをさせられるまでの日々を日記風に描いたものです。おもしろエッチなので、ぜひ見てね。

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