ひよこ日記 第22節
101、貸しホールの中で
原は後方でバレーボールを持って立ち、まるでマスゲーム中のボール運動のワンシーンの再現のような姿だったのに対して、ぼくはマスゲームでもしたことのないような、赤面ポーズだった。正座なら正座、人形の基本ポーズ(どっかり座って足を開く)なら基本ポーズで、割切ってしまいやすいポーズだからいいのだが、左足は正座なのに右足は開いているのだから、緊張したポーズなのか弛緩したポーズなのかどっちつかずだと思う。じゃあ、右足は開いてるから楽かというと、左足と右足の膝から下は平行にしているので独特な窮屈さがある。しかも正座だと性器の一部分しか見えないのだが、右足を開いていることで全部丸見えになってしまっている。これでは、わざわざ性器を見てもらうために右足だけ右方向にずらして座ってるようなポーズで、そういう意味が分かってしてるなら変態だし、意味が分からずしてるなら幼稚すぎるポーズだと思う。もっとも貸しホールに展示されてるんだから、人形と思われたなら変態も幼稚も何もなく、単にそういう姿に作られた人形というだけなので照れる意味もないのかもしれない。未熟な形の人形と思われるだけだ。しかし人形でないと思われた場合か、こんな赤面ポーズをしてる女の子は変態か幼稚かどちらかだと思う。もっとも、それは自発的にそういうポーズを選んだなら、そうだというだけで、こういうポーズを依頼されてしてるなら、素直な子というだけなので問題ないのだが、それでも≪させる方もさせる方だけど、素直にする方もする方だな…≫と内心嘲られたりすると、かなり恥ずかしいと思う。同じ性器丸出しの、男子でいうところのフリチン状態にされているにしても、バレーボールを持って立ってる原は健康的なポーズなのに比べて、ぼくのポーズは≪恥ずかしい格好をさせられてるな≫と思われそうなエッチなポーズだと思う。しかも、頭の後方に手のひらがあるので、普通にしていると見えないはずの脇の下も見えてる状態だ。これでは、≪うっふーん、わたしを全部見てくださいね≫と言ってるようなものだと思う。もし海とかに、全裸でこんなポーズをしてる少女がいたとしたら、自分を見せまくって喜んでる露出狂の変態少女に見えると思う。やることがないので、不真面目にも、そんなことを考えていたのだが、貸しホールに来客があったみたいで、料金を払ってるみたいだった。入り口で見たら僅か500円で入場できるだけでなく、団体だと格安で見れるようだ。500円なら、最初の少女の標本の見物だけで十分に元がとれてしまうと思う。全裸の女子小学生の標本を500円で見れるなら、エッチで面白いので興奮できるから、変態な見世物としては十分だと思う。そういえばスリラーのマイケルジャクソンが少年の標本を保有していたというけれど、オチンチンこそついているけれど、あんな標本みたいなものだったのだろうか。もっともワンコインなら最初の標本だけで十分だから麻衣たちは今日と明日だけなのかもしれないのだが。もっとも、麻衣が勝手に女子小学生と思ってるだけで、実際には死後にオチンチンを切り取られ改造された美少年の標本かもしれないし(顔がボーイッシュだった。でも、あんなに顔の可愛い男の子はいないと思う)、小学生に見えるだけで小学生でないのかもしれないし、日本人なのか中国人なのかすら分からない。ただ、エッチな標本で、見ていてやらしい目で見られるのは間違いないと思う。人形に見えるよりも、標本だと分かる方が、ずっと恥ずかしいと思う。人形なら単なる精巧な人工物にすぎないが、標本ならもともとは生きてうんこして生活してた普通のこどもだからだ。でも、入場した人がいるみたいなので、標本に同情してる場合ではなかった。人形になりきらないと、恥ずかしい女の子だと思われてしまうと思った。原は何も考えず既に人形化してるのだろうから、逆に割切りができてて何があっても平気だろうが、誰もいない展示会のせいで、ぼくはまだ普通の女の子のままだったので、大急ぎで表情などを白木をお手本にした「人形の顔」に変化させた。でも、それも本人が変化させたと思ってるだけで、どこまで人形化してるから分からなかった。≪やーん、この格好≫と思った。もっと別のポーズにしてもらえば良かったけれど、どんな事でも言われたことは負けずにするという女子体操部のルールなので、ポーズに文句を言うのは強い子でないと思う。
原があまりに静かで気配がないので、まるで麻衣が一人で展示されてる気分だ。それに、華子みたいに、いざとなったら助けてくれる子でなくて、ぼくの妹がいたらこんな風かなというような雰囲気の子なので、全く頼りにならない気がするのも心細い。どうやら、入場したのは若い大学生くらいの男女のカップルのようで、学食のカレーが美味しいの不味いのという話をしていた。最初はスポーツの原始的な原住民の踊りとか運動のパネルとかで、クロッツ走をさせられている小学生くらいの全裸少女の写真パネルも多数あったと思う。スポーツの展示とはいえ、どちらかというと、こどものスポーツの歴史に焦点を絞ってるみたいで、こどもが全裸でスポーツをさせられている写真も多くて、それはヨーロッパのヌーディスト運動の影響で全裸にさせられたこどもたちの運動の様子のようだった。全裸で運動させられたこどもは、麻衣たちだけでなく、たくさんいるということの分かる展示だと思う。男子はオチンチン丸見えで、女の子もワレメ丸見えでラジオ体操みたいなことをしていたり、全裸で野原を走っていたり、こどもの全裸を心地いいと思う人には魅力的な展示だと思う。変な意味でなく、実際に潔く真っ裸で運動する姿は清々しいと思うので。でも所詮は展示パネルなので、しかも小中学生の全裸なので、学食のカレーの味の方が重要な問題なんだろうと思った。
「キャー、何、これ」と女性の声がした。ここでカレーライスの話は終了したようだった。どうやら彼らは入り口付近の標本の前らしい。
「何って、模型には見えないから、標本だろ」
「標本って、本物の?」
「偽物の標本はないだろ。偽物なら模型だよ」
「このおチビちゃん、生きてたのかな?」
「生きてたから標本になれたんだろ」
「何歳くらいなのかな?」
「丸見えで普通に飾られてるんだから、こんなの低学年だろ」
「そうだよね、高学年とかの大きな子が、こんなふうに飾られていたら、さらしものだよね。まだ赤ちゃんだから丸見えで飾られてるんで」
「赤ちゃんではないけれど、姿は赤ちゃんと同じだから、赤ちゃんみたいなものかもしれないけれどね」
どうやら、少女の全裸を見慣れている麻衣の考えた標本の年齢よりも、彼らの考えている標本の年齢の方がはるかに低いようなことに驚いた。標本とはいえ、いきなり丸裸の女の子が飾られていたら(展示されていたら)、丸裸になるのは赤ちゃんだけという先入観から、心理的にかなり低年齢に見えてしまうものらしい。
「でもさ、この子、こんな標本にされて恥ずかしくないのかな。丸見えじゃん」
「死んでるんだから、恥ずかしくないだろ」
「そういう意味でなく、生きてるときに、死んだら素っ裸の標本にしますとか言われて、はいって返事したのかな?」
「そんなことは言われてないだろ。中国の法輪功とかの少女だと、無条件に死刑判決だから、殺されて標本にされたのではないかな」
「え、殺されたの? 自殺とか事故死とかでなくて?」
「おいおい、自殺や事故死なら、こんなに綺麗な死体のわけないだろ。多分、最初から標本にするために、体に傷をつけないように薬か何かで上手に殺したんだよ。それとも、生きたまま薬を注入されて標本になったとかかもしれないな」
「やだー、可哀想」
「反体制の人間はどんどん死刑にして標本工場で標本化してたみたいだから、これも、その多くの標本のうちの一体かもしれないし」
「そうなのかな。でも、こんな小さい子を殺すのかな?」
「妊婦を死刑にすると、胎児も死ぬから、ついでに胎児も標本にしてたくらいなんだから、こどもも標本にするさ。胎児の標本もけっこう出回ってるという話だし」
「うそー。そんな胎児の標本なんて見たことないけれど」
「そりゃあ、標本は独裁政権の資金源だから高い値段するんだろうから、そんなに簡単に500円では見れないだろうけれど、もっと値段の高い人体展とかなら見れるかもしれないさ。ここは、ローカルな安い人体展だから模型ばっかりみたいだけどね。あはは」
「そっかー。でも、どうして、この子、女子なの? 男子とかなら裸でも元気がいいだけだけど、女子が裸だと恥ずかしいじゃん」
「たまたま標本が女子だったということじゃないのかな。こどもだから男子でも女子でも外見に大差ないから、どちらでもいいんだよ」
「でも、政府と考えが違うからって生きたこどもを標本にするのは酷くないかな?」
「そんなこと言うなら、北朝鮮なんかは、政治犯のこどもだと、無条件に強制収容所に入れられるから、こどもが反体制でなくても、殴り殺されたり犬に食われたりしてるみたいだぞ。小学生が学校で殴り殺されたとか、犬の訓練で噛み殺されたとか、そういう本を三省堂で読んだぞ」
「近所のジュンク堂でなくて?」
「うん、実家に帰省してる時に暇つぶしに読んだから」
どうやら、標本には飽きたらしく、こどもの健康な人体のコーナーを見ているようだ。男のこどもの全裸写真の横に、こどもの出来ている成分が書かれていて、実際にバケツの中に水や、釘など、成分の量に該当する物が並べられていた。模型やパネルで、こどもの仕組みや、成長の様子や、喜怒哀楽などの表情や、つまり色々と寄せ集められている印象で、最初のスポーツの歴史コーナーほどは整然としてなかった。そのこどもの人体コーナーのメインの展示が少女標本なのだから、そこを見てしまうと後は≪へえ≫という感想くらいしか起こらないらしく、どんどん歩いてきた。ちゃんと人形になりきれてるか、ぼくは緊張した。スポーツするこどもたちのコーナーの最後にぼくたちは飾られていて、パネルに遮られていて、まだ来客の姿は見えないけれど、だいぶ近くでパネルを見て話していた。日本の中学生くらいの女の子が、ふんどし1枚で相撲をさせられてる写真パネルが興奮したけれど、それは同年齢だから興奮しただけで、大人には≪チビッコが裸で相撲してる写真だな≫というだけなのかもしれない。あと、ブルマ1枚で裸教育をされている(相撲の授業で、しこをふんでいる姿)小学6年生の写真も、学校で小6くらいの子が全裸できおつけしている写真もあり、なんとなく麻衣たちの学校案内みたいなコーナーだなという気がした。だから、麻衣たちがバレーボール部の健康な女子として展示されるのも、展示内容には合っていると思う。でも、いくら展示内容に合っていても、どきどきしてしまうのは仕方ないと思う。自分としては最初のころの原と同等程度には人形らしく見えていると思う。あと、それをどう思うかは見る人次第だと思う。
来客が写真パネルのある衝立から出てきた。
「おおっ、すげー」
「キャー。きゃはは。何これ、バレーボール部の子たちなんだ」
「おっ。丸見え」
「でも、どうしてバレーボール部の子が全裸なの?」
「変態全裸バレーボール部なんだろ。ここ(台)に、説明が書いてあるよ。〔健康なバレーボール部の子どもの姿~健康な子どもの人形です〕だってさ。おお、バレーボール持って、頑張ってるんだ」
「後ろの子は、バレーボール部って分かるけど、前の子は変なポーズしてるよ。どうして?」
「だから、これが健康なこどもの体ですという見本なんだろ。全部見えるポーズにしてあるんだよ」
「これって、人形なの?」
「そりゃ、本物のこどもにやらせるわけにいかないだろ。それじゃあ虐待だよ」
「そっかー。でも、本物みたいだけど」
「本物みたいだから宣伝に書いて自慢してたんだろ。でも、可愛い顔してるなあ」
「そうだね。でもさ、おまんこの形が幼児みたいだよ。幼児なのにバレーボール部なの?」
「幼児ではないだろ。これは低学年の子の設定だよ。バレーボール部に燃えてるこどもの体操服の下は、こうなってますという展示なんだよ」
「なるほどー。つまり、生きたこどもでは、健康な体そのものは見れないから、人形で見せてるんだね」
「ピンポーン!」
「こういう小さな体で、泣いたり笑ったりしてバレーボールしてるってことなんだね」
「うん。そうだな。『わたしは、こんな小さい体で、先生にしごかれて、ビンタされたり、お尻をぶたれたりして、泣いたり、おしっこしたり、うんこしたりして生きてますー』っていう展示だな。かっこいいぞ、うはは」
「体操着姿の女の子を見るより、素っ裸の女の子の方が、どういう子か分かる気がする」
「そうだな。きっとお仕置きで、お浣腸とかされて、まだ悶えてます。そのくらいチビタンです、っていう幼稚っぽい顔してるよね」
「うん、そうだね。幼稚な顔してると思う。まだ、ねんねちゃんなんだ」
「ねんねちゃんというか、まだ何も分かってませんていう顔をしてるな」
「おまんこ見えてても、普通ってかんじするもん。赤ちゃんなんだ」
「そりゃあ、丸出しで展示してても普通なんだから、そういうこどもがモデルになってるということだよ」
「でも、この人形、クリトリスまで作ってあるんだ」
「あ、ほんとだ。精巧なんだろ。でも、ここまで作ってあると、やらしいなあ」
「見てて恥ずかしいね」
「写真撮っておこう。前の子だけでいいや。カメラ持っていた?」
「うん。はい、どうぞー」
「あ、このカメラか。新型カメラでメスの赤ちゃん撮りするぞー」
パシャ。パシャ。パシャ。
「顔撮るぞ」
パシャ。パシャ。
「クリトリス撮るぞー」
パシャ。パシャ。
たっぷりと麻衣の全裸写真と、顔写真と、性器写真(クリトリス写真?)を撮ると、どうやら満足したらしく、笑いながら残りの展示は素通りして展示場から出ていってしまった。前からも、横からも撮影されたので、家でじっくりと麻衣のすべての写った写真を見られてしまうと思った。≪ぼくって、全裸写真にされるために生まれてきたのかな≫と思い少しだけ涙ぐんでしまった。
102、死者と裸者
大学生のカップルの来客の後は、年配の静かな感じの人たちが何組か、静かな感じで特に騒ぐこともなく展示場を一回りしては出て行った。最初の大学生の時ほどは緊張しなかったけれど、人形に見えるように頑張ったと思う。数組が麻衣たちの前を通過した時に主催者が来て、「いつもは、もっと混雑してるのに、きょうは人が少なすぎるので、2人いるから交代でできるけれど、どうする? もっとも、交代で移動中を見られると困るので、1人はこの台の中で休憩ということになるのだが、窮屈でいいなら休憩できるぞ」と言うので、少し大学生に笑われて元気なかったぼくは「休憩したいです」と言ったら、「それなら、1時間休憩して、1時間後にバレーボール持ってる子と交代だ」と言われて、台を開けてくれた。台の中には二人のセーラー服と下着と靴下が入っているだけで空っぽで、炬燵の中に入るようなもので、ダンボール詰めでぎゅうぎゅうの小さな箱に入れられるのと比べると、広さは十分だった。全裸のまま、台の下にもぐりこんだ。窮屈と言われたけれど、手足を普通に曲げるだけで入れて、そんなに窮屈でもなかった。箱に入れられるというとダンボール詰めを思い出すので、それと比較するなら、普通の休憩スペースだった。もちろん台の中へ入れられるのは、備品扱いというか、粗末に扱われてるみたいで、多少は惨め感があったが、人形という設定なのでホールを歩いて移動中に目撃されるのはまずいので、仕方ないと思った。奥の左下と右下に直径3㎝ほどの穴があるので、中は真っ暗でもなくて、壁と台の隙間から差し込む光が穴から入ってくるので、目が慣れてくると脱いだ白いパンティーとかも普通に見えた。休憩中もやはり人は少なくて、平均すると5分に1回くらい来客があるかなという程度だった。原の衣類がちょうど顔の位置にあったので、原の衣類を枕替わりにして、原のパンツの上に顔を乗せて昼寝をした。原のパンツは清潔なようで何の匂いもしなかった。ホールそのものが暖かいので、うとうとしてるうちに眠ってしまったようで、起こされて休憩は終了した。原が今度は台の中へ入るのかなと思ったら、「わたし、ただ立ってるだけなので、休憩しなくて大丈夫ですから…」と言っていた。≪へえ、原って、結構頑張る子なんだな≫と思った。
再び、さっきと同じように、まず正座をしてから、脇の下が見えるようにした。それから、右足を右方向へずらした。右足をずらしている時に、≪わあ、やっぱり、かなりエッチなポーズだな≫と、自分の全裸でしてるポーズに赤面してしまいそうだった。≪こどもが、すごく変なことさせられてる≫と笑われそうな赤面ポーズだと思った。でも人形化は苦手なので、立ったまま人形化するのはぼくには荷が重いので、立ちポーズの方は原に任せて正解だと思った。ぼくのポーズは少し疲れやすいと思ったけれど、休憩して寝てしまったので、元気は一杯だった。
ぼくが台の上でポーズをきめると、主催者は行ってしまい、原とぼくだけがホールに残された。
5分くらいすると、急にホールの入り口付近が賑やかになった。高い声から小学生の団体が来たと分かった。≪うわ、来た。あの子たち全員にぼくの赤面ポーズを見られてしまうんだ…≫と思うと、恥ずかしさと興奮で、少し緊張した。でも、負けずに、すぐに人形になりきった。原の方は、見物人の有無に無関係にずっと人形化してるようで、後方に人の気配はなくて、1人で赤面ポーズを続けてるような感覚だ。≪小学生なんかに、こんな刺激の強いもの見せるのって、教育に悪くないのかな≫と、少しだけ思った。
警備員は駐車場の辺りとか、外を周回してるだけで、ホール内へは入ってこなかった。でも、警備員が変な人が侵入しないように見ててくれるので、こうして安心して赤面ポーズをしていられるんだと思う。もっとも運動会の時は不特定多数の人が入ってきて、そこで平気で全裸になっていたほどなので、小さなこどもが全裸になっても、現実にはたいして危険(襲われるとか、レイプされるとか)はないと思う。でも、さらに安全ということで、そういう不安はないんだけど、≪ぼくのこと、どんな風に見られるのかな? ちゃんと可愛いと思ってもらえるかな…≫と、見栄えのことや人形に見えるかが不安だった。大学生は適当に見てただけなので、ぼくは人形と思われたけれど、大勢の人前でちゃんと人形に見えるかなと、少し不安だった。それから、もっとシンプルに、大勢の小学生が通る場所に、全裸でいなくてはいけないという赤面さも緊張に拍車をかけた。1クラス全員とか学年全員とかなんだろうが、 随分と人数が多いことが入り口付近の声から分かった。団体客の場合は簡単に主催者がガイドをするみたいで、入り口付近のこどものスポーツの歴史のコーナーで、古代のスポーツや祭典やこどもの生贄とかについて説明していた。主催者が「神に生贄を捧げて村の幸福をお願いしていたんですよ。ほら、この高い場所から池の中へ、生贄のこどもが投げ込まれていました。もちろんこどもは溺れて死んでしまいます。でも村人が幸福になるからと、生贄に選ばれたこどもは嬉しかったんですね。…さて、こちらの写真は、生贄の台で、この台の上で、生贄のこどもは生きたまま心臓を取り出されていました。もちろん痛かったでしょうが、生贄になるのは名誉なことなので、嬉しかったと思いますよ」と、案外適当に説明をしているのが聞こえた。麻衣が暗記した内容と大体同じだったけれど、だいぶ脚色してるような気がした。随分気楽なガイドだと思った。「ストラビンスキーの有名な管弦楽団春の祭典は、生贄のこどもが踊りを披露した後で、生贄として殺されるというバレエ音楽です。大昔には、大勢の見物客の前で美少女が全裸で踊ってから生贄にされていたのかもしれません。つまり、自分の生き生きした踊る姿と、殺されてしまい死体にされた姿の両方を見てもらったということですね」と、白木が喜びそうな説明をしていた。別の写真パネルでは、「こちらは生きているドイツ人のこどもで、こちらは人体実験をされて殺されたこどもです。こんな元気にポーズをしてるこどもが、こんな惨めな全裸死体にされてしまうのですから、こんな辛いことを頑張りぬいたこどももいたということです。生きてるこどもは中学生くらいに見えるのに、殺されてるこどもは小さな人形のようにしか見えません。こんな姿にされるまで頑張ったのだから立派ですね」とか言ってるのも聞こえた。最初の方のパネルは割と無秩序にこどもの生と死を扱ったパネルで、その先に古代スポーツの写真があり、そこで女子小学生から「どうして、この女の子たちは服を着ないで走ってるんですか?」と質問をされていた。全裸にされた6年生くらいの女子たちが、重いものを担いで走ってる写真だった。「あ。これはね、クロッツ走といいます。マラソンだと、みんな短パンとノースリーブで走りますよね。それが、マラソンの服装だからです。でも、クロッツ走は服を着ないで走ります。それはクロッツ走の服装なんですよ。マラソンはタイムを競いますが、クロッツ走は苦しさを競います。苦しめば苦しむほど立派な女の子なのです。だから、空腹にされて、素っ裸にされて、さらに重いものを担がされて、土砂降りの雨の中とか、高温の道とかを走らされるんです。お祭りで事故死することがあるでしょ。木に乗って山を下ったりとか、牛に追いかけられたりとかの危険なお祭りもある。それと同じでクロッツ走も、苦しくても必死に頑張るので、死んでしまうこどももいます。この写真の全裸のこどもはみんな苦しそうだけど、みんな熱射病の状態で走ってるので、しかも走り終わるまでは誰も助けてくれないので、何人も死んでしまいました。でも、死んでしまった子たちが、この日の一等賞なんですよ。こどもを埋めた後で、楽しい村の宴会で、かっこよかったと、誉めてもらえます。だから、死んだこどもがクロッツ走の勇者なんですね」と、再び適当に脚色して説明をしていた。
標本の場所では「これって、本物なんですか?」と男子小学生が訊いていた。一番ショッキングな展示物だけに気になるらしい。すると、「もちろん本物の女の子の標本です。ただの標本なので、よく観察して、女の子の体がどうなっているのか見ておいてください。性教育で習うかもしれませんが、図ではなく、実物を見るのが一番勉強になります」と主催者が説明してるのが聞こえた。入り口付近は出口付近と割と近いので、声がよく聞こえた。「男子は、よく標本を見ておけ。クラスの女子は誰も見せてくれないぞ」と笑いながら男性教師が言うのが聞えた。「当たり前でしょ、エッチー」と女子の笑い声がした。「丸見えで可哀想」という女子の声がして、その後、「こんなの標本じゃん」という男の子の声がした。エッチな全裸標本にされるために生まれてきたみたいなもので、さらしもので可哀想というのは当たってるけれど、所詮はただの標本なので感情はなく、物でしかなく、男子の言うことも当たってると思う。単なる物なので、虫の標本とか、押し花が飾られてるのと大差ない。たまたま女子小学生の標本というだけだ。でも、美少年みたいなこどもの姿なので、物として見ても可愛いし、見応えはあると思う。
その後は割とスムーズに進んでくるので、≪わあ、いよいよ、ぼくの展示を見てもらう番だ≫と、嬉しさと恥ずかしさの入り混じった気持ちだった。隣のパネルを見ていたようだが、先に出てきた少年がぼくを見て、「おっ、すげえ、女が真っ裸になってるー」と大きな声で言われてしまいドキドキした。「うっそー」とか言って、数人の男子も衝立の陰から出てきて、「わ、本当だった。すげえ、丸見え」と笑われてしまった。少年の顔の表情から、思い切りエッチな目で見られてるのが分かった。でも、我慢するしかなかった。
その後、ぞろぞろと3年生くらいの男子や女子が出てきて、みんなに見られた。全裸発表だから仕方ないけれど、近くから隅々まで体や顔や肌を見られてしまうのはエッチだなと思った。「肌の艶といい、目の輝きといい、幼児のままの性器や肛門といい、部員のなかで一等賞の女の子だな」と校長先生に誉められていたので、外見には自信はあったけれど、全部見られるのは嬉しさと恥ずかしさの気持ちです。それに、人形に見えてるか、自信がないのもドキドキする原因と思った。
「これ、人形なんですか?」と女子が訊いていた。
「人形だよ」と主催者が答えていた。
「こんなに本物みたいなのに、人形なのかな?」
「本物みたいな人形なんだね。体育でバレーボールしてる女の子の体操着の下はどうなっているのか、男子は興味あるだろ。よく、男子は見ておきなさい。クラスの女の子は誰も全裸でバレーボールをしてくれないぞ」と主催者が言うと、「エッチー」と女子から笑い声が起こった。「体操服脱いでバレボールしてたら、変態少女だよ。そんな恥ずかしいこと、できるかー」と女子が言うと、再び笑いが起こった。
「わはは。バレーボールは服を着てしないと、惨めな子になってしまうな。だから、男の子も女の子も、スッポンポンの丸見え人形を、じっくり見て、体操服の下はこんな風だと、よく見ておきなさい」と先生らしい男性も笑っていた。そして数枚、ぼくの全裸写真を撮られた。
「でも、これって、本物の女の子だよ」と言う女子がいて、ドキッとした。
「人形だよ」
「でもー」
「人形じゃん」
男子に性器に触られた。
「あ、人形には手を触れないでくださいね」とガイドの主催者が注意していた。「でも、ただの人形なので、好きなだけ観察して、女の子の体はこうなっているという勉強にしてくださいね」
触った男子は興奮した表情で、「すげえエッチな部分に触った」と興奮していた。
「やだ、どこに触ってるの、変態かー」
「オシッコの出口にさわるなよ。やらしい」
「手にオシッコが付くよ」
「人形なのに、付くかよ」
「やだ、オシッコのスジ、くっきり」
「なんか、可愛いスジー。幼稚園の子の人形ですか?」
「これは、きみたちと同じ3年生の子の人形だよ」
「へー、うそ。幼稚っぽい子」
「おしっこ丸出し惨めな子」
「みじめー」
「きゃはは」
たっぷり笑われて、どれ、と、先生にオシッコの部分の写真も撮られてしまった。
小学生たちの団体が出口から出ていき、麻衣たちだけが残されると、≪ぼくって惨めな子なのかな≫とさすがに元気を失い、涙ぐんでしまった。≪ぼくの、おしっこの出口を見せる発表なのかな≫と全裸で思った。
103、展示終了
閉館時間となり、ぼくの展示は終了となり、物入れ兼休憩室の台の扉を開けてセーラー服を着た。結局、小学生の団体が恥ずかしさとか興奮のピークで、団体が去ってしまうと、団体来館前の頃の半分くらいしか見物客は来ないので、時々興味深そうに見られるだけで、あとは原とぼくの2人きりだったので、物寂しい感じで、閉館時間になって良かったと思った。しかし外へ出たが、誰も迎えの先生がいないので、敷地の舗装された坂道を下った広い駐車場のところで、迎えのくるのを待った。駐車場や坂道を中心に警備していた警備員も帰ってしまい、ほとんど車の通らない道は物寂しい感じだった。どこもかしこも物寂しい夕暮れだった。そんなに物寂しいのは、やはり大勢の団体客から熱い視線でぼくを見てもらった高揚感の反動と言えなくもない気がした。
「センセ、遅いね。建物で待っていてくれると思ったら、そうでないんだもの。原ちゃんは、疲れた?」
「んーん」と、原は横に首を振った。
「結局、ここで人気なのは、あの美少年みたいな剥製と、ぼくたちだけだったね」
「剥製じゃないよ」
「え?」と、意味が分からない気がした。「剥製じゃないって、どういう意味なの?」
「剥製のふりをしているだけで、普通の生きてるこどもだよ」
「うそー。そんなことないよ、微動もしてないし、まるで生気がないもの」
「それは、あたしたちが人の気配を消して人形に化けてるのと同じで、あの子は生気を消してるんだよ」
「そんなこと出来るのかな」
「さあ。でも、やってたもの」
「どこで、生きてると分かったの?」
「だって展示ケースの下に体操着があったよ。あたしらが、台の中にセーラー服を入れたのと同じで、ケースの下の隙間に体操着を入れたんだよ」
「ええっ、でも、もともと、こども関連の展示ばかりだからこどもの体操着くらいあっても変ではないよ。本人のものなのかな」
「さあ」
「それでは、絶対に剥製でない証拠にはならないよ」
「それも、そっか」
「やっぱり、剥製だと思う。耳とか鼻に綿を詰めてあったし、死体なんだよ」
「綿くらい誰でも詰められるよ」
「うーん。それもそうか。でも、ガイドしてる主催者さんが、剥製だと言っていたから、やはり剥製なんだよ」
「そんなこと言うなら、あたしたちのことガイドさんは、本物の人形だと言っていたよね」
「あ、そうか…」
「それにゆっくり呼吸していると、息をしていても分からないもの」
「でも、肌が白かったよ」
「そんなのシッカロールを塗れば、誰でも真っ白くなるよ」
「ええっ。そんなもの、わざわざ塗るかな?」
「そういう役割なら塗るんじゃないの。あたしたちが、全部脱ぐ役割なのと同じだよ」
そんな事を話していたら、今度は白いランボの車が来て、ぼくたちの前で停車し、車の後部トランクが少し開いた。黙ってぼくがトランクを大きく開くと、原がトランクに入った。ぼくも中に入ると、ランボが後部に来て「閉めるぞ」と言うので、「はい」と二人同時に返事をした。行きは待遇が良くて車内だったが、帰りはトランクの中に入れられて粗末な扱いだったけれど、車内に別の女の子が乗っていたので仕方ないと思った。ぼくたちに聞かれたくない話があったのかもしれないし、物扱いはトレーニングを兼ねてるのかもしれない。トランクの中で、ぼくは原と抱き合うように密着していた。トランクに何か積まれていたので、スペースがなくて、原と密着するしかない状況だった。ゴルフバッグだったのか、別の物なのか暗いので分からないけれど、原と抱き合うと原の体の柔らかさとか温かさが伝わってきて、本当にこどもなので気持ち悪いとは思わないけれど、レズみたいだなと変な気持ちだった。トランク内はゴムの匂いと、こどもの匂いがした。
長い時間、揺れに耐えて学校に到着したら、もう薄暗くなっていた。
「おつかれさん」とランボがトランクから軽々とぼくを抱き上げて出してくれた。原も抱き上げられていた。
「お前ら、疲れたか?」
「んーん」
「いいえ」
「そうか、それは良かった」
車を見ると、さっきの女の子はいなかった。
「車にいたのは誰なんですか?」
「あ、あれは友達のところの女の子だ。途中で家のそばで下したけれどね」
「あの質問ですが」
「どうした麻衣」
「人体博覧会のホールに、ガラスケースの中に剥製があったんですが、あれって本物の剥製なのか、生きたこどもなのか、どちらですか?」
「さあ、それは聞いてないな。昨年はそんな展示はなかったから、大金持ちだから剥製を借りたのかもしれないな」
「へえ、そうなんですか」
「人形役のこどもを貸してくれと頼まれたけれど、剥製の話は初耳だ。だから、恐らく剥製だろ。明日も頑張ってくれよ」
「はい」
原とは帰る方角が違うので、校門を出ると、一人で家路についた。結局、原に投げかけられた謎は謎のままだった。もし剥製だとしたら、悲惨な人生だったこどもだろうし、もし生きたこどもだとしたら、物凄く真剣に頑張ってたんだと思う。どちらにしても、少し残酷で可哀想だなと思った。
明日は原と一緒か、それとも華子と一緒かは分からない。それに、華子は仮病かもしれないし、単にやりたくないと思ってるなら、明日も仮病を使うだろうな、と思った。原は質問したり、話をするとハキハキと答えてくれるし、元気もあるんだけれど、白木ほどではないけれど、どこか受動的で洗脳されて本当に人形化されてる面もあると思う。受動的で大人しい妹みたいな原よりも、何を言い出すか分からない華子の方が面白いし対等な感じで話せるのがいいと思う。原とかだと年下の子と話してるみたいな感覚が付きまとうと思った。でも、ホールでボールを手に人形化している原は、女の子の目から見ても、とても可愛いと思った。普段は、あまり可愛いと思わないのに、ホールではあんなに可愛い姿に見えたのだから、原は体操着姿よりは全裸の方が可愛らしく見えるタイプなのだと分かった。そういうタイプの子は、なるべく全裸にしてあげた方が本人も嬉しいと思う。麻衣が体操着姿が好きなのは、体操着だと一番可愛く見えると思ってるからだ。人それぞれで、何が似合うかは、体型とか顔立ちによるのだと思う。
104、人体展の展示物
翌日、華子は元気で、「昨日は発表に行けなくて残念だった。今日は行きたくなったのら。でも、どうして昨日は体調が悪かったのかなあ。きっと、原が『あたしも人形になってみたいな…』と言っていたせいかもしれないのれすぅ」と通学路で言っているので、≪あ、ラーのやつ、やっぱり仮病だったんだ≫と思った。
「で、きょうは、行くの?」
「もちろんだよ。2日もマー(麻衣のことを、たまに華子はマーと言う)を放っておけないのれすぅ」
「よかった。1日は長いから、少し心配だったんだ」
「うん、原は自分のことでいつも一生懸命なので、あまり他の子のことを考える余裕はなさそうなのだ」
今日は、ランボの車で行くことになった。ランボの車をランボルギーニと洒落で言ってる子もいるが、ただのカローラだ。しかも、白くてありふれている。
「帰りはトランクだけど、行きは到着前に疲れてしまうと発表に支障があるから、後部座席に座れ」と顧問が言うので、「ハナ、景色見たいから前に座りたい」とか華子が言いだした。
「いいぞ」と言われて華子は前席に乗り込んでいた。麻衣は景色を見るのは好きだったが、今日の発表のことで頭が一杯で、景色を楽しむだけの余裕はなさそうだった。また、小学生とかに笑われて、惨めな人形と思われるのかな、などと考えると少し元気がなかった。昨日の小学生に嘲られたのが、落ち込んでいる原因なのだけれど、落ち込んで自分発表する訳にもいかないので、元気を出さないといけないなと後席で思った。丸出し人形になるんだから、エッチな目で見られたり、赤面人形と嘲りをうけることもあるけれど、それに負けたら強い子に成長できないと思った。昨日のトランクの中は狭くて窮屈だったけれど、セーラー服を着ているとはいえ、原と密着して長時間閉じ込められたので、原の可愛らしさとか安心感みたいなものは実感できた。でも、今日は後部座席に1人なので、少し物足りたい感じがしたけれど、華子と一緒なので、不安が和らいでいる気がした。さすがに貸しホールが近づいてくると、≪また、全裸のさらしものになるんだな…≫と考えると、落ち着かない気分になり、恥ずかしいなあと思った。
到着して、すぐに、「こどもの人体のコーナーにある剥製って、本物なんですか?」と主催者に尋ねてみた。すると、「本物だよ。本物の剥製に見えたでしょ?」と訊かれたので、「はい、どう見ても本物の剥製に見えましたが」と麻衣が答えると、「あれは中国の初級中学の健康な少女の剥製だよ」と言われて、「へえ」と、それで納得をした。「健康なのに、剥製になったんですか?」と訊くと、「健康なこどもを剥製にするから価値があるんだよ。生きたまま薬を元気な子の体内に入れていくと、全身プラスチック製のかっこいい人形に生まれ変われるんだよ」と、教えられた。9時開館なので、まだ時間があった。展示される台の前で、華子は台の使い方などを聞いていた。台はロッカーと休憩所を兼ねてると習っていた。
「まだ始まるまで15分ほどあるので、剥製を見てきていいですか?」
「いいよ。でも5分前には台の前に待機して、服は台に収納して、開館の君が代の音楽と同時に人形になってくださいね。それから、先にトイレへ行っておいてください。あと、今朝は水を飲んでいないですね」
「はい、副顧問に言われてるので。それにお腹が膨らむからダメと言われてるので、朝食も控えました」
「それなら安心だ。夏と違い気温が低いので水分不足の心配より、したくなるのが心配だから。夏なら展示前に看護婦さんに尿道に管を入れてもらって、自動でおしっこが出るようにしてもらうので、水を飲み放題でもいいんだけど、今回は管を入れるわけでないから水は厳禁かな」
「そうですね。じゃあ、見てきます」
華子は白いボールを手に、セーラー服姿のまま、昨日の原のポーズを教えてもらっていた。ぼくは一度出口から小さなエントランスホールに出てから、廊下を少し歩いて、再び入口から展示ホールに入った。入り口近くのスポーツの歴史のコーナーにある、クロッツ走をさせられる小学生くらいの全裸少女の写真を少し見て、≪夏にタイヤを持って走らされただけでも、息があがるし、重いし、死ぬほど辛かったんだから、この子たちは《こんなに辛いなら、いっそのこと殺してほしい》とか思いながら走ってるんだろうな≫と思った。中学生か高校生くらいの丸裸にされた女子が、大勢で悲壮な苦悶にみちた表情で重い樽を担がされて走ってる写真を見て、≪見てる方は残酷でエッチで面白いだろうけれど、してる方は何人か倒れたんだろうな…≫と思った。死んでしまうかもしれない競技に参加するのは勇気があると思った。競技のたびに死んでしまってお別れになった子がいるんだろうけれど、日本の運動会のピラミッドなどの組体操でさえ事故で昭和44年以降に7人もこどもが死んでるみたいなので、何事にも犠牲はつきもので頻度が違うだけかなと思った。クロッツ走は実際に夏合宿でぼくたちもさせられたので興味はあったが、残り9分ほどしか自由時間がないので、少し見ただけですぐに剥製の場所へ行った。
≪あれっ?≫と驚いたのは、昨日のガラスケースは別の場所に移動されていて、こどもを手術する時の麻酔や手術道具とかの展示で、北朝鮮のこどもが麻酔なしで盲腸の手術をされているという本からの抜粋のコピーなどがパネルに飾られていた。昨日のガラスケースの場所には、小さな展示台が置かれていて、仰向けに寝た胎児のように体を小さく丸めている剥製が置かれていた。上からはガラス越しに剥製が見えるが、横方向からは台に邪魔されて見えなかった。≪え、どうして胎児姿に変わったの? 別の剥製なのかな?≫と思った。入れられてるスペースが狭いためか、胎児姿にされてるせいか、昨日よりもちっぽけな姿に見えたが、昨日の女の子のように見えた。顔は昨日の子にそっくりだったのだ。そうだとすると、この子は裸教育されている別の小学校のこどもなのかもしれないし、そういう子をモデル事務所から借りてきただけなのかな、とも思った。昨日と同じポーズなら、主催者の剥製という言葉を信じたと思うけれど、ポーズが全然違うので剥製という説明が半信半疑になってしまった。しかし、主催者に真偽を確かめる時間的余裕はなさそうだった。
胎児姿にされている全裸少女は、両足の太股を腹に付けていて、足の指先は丸めていて、女の子の性器は無毛だった。でも性器はピッタリと閉じていて中身までは見えなかった。エッチだけど、陰核まで丸見えになってた麻衣たちよりは、ましな格好かなと思った。でも、大きい子なのに、胎児姿にされてるのは恥ずかしいなと思った。肌の感じは白っぽくて剥製に見えた。生きてるのか死体なのかは、展示台のガラスの下なので謎のままだった。でも、よく観察すると、展示台の胎児姿の子の置かれている小さなスペースには、麻衣が休憩室がわりに利用した台の中のように空気穴らしいものはどこにもなかった。ガラスがはめられた狭いスペースで空気穴もないと生きてるなら窒息してしまうはずだ。展示台の左右に細いスリットのような隙間があるが、単なる台のガタのような気がする。それから、麻衣たちの展示される台は白いカーペットのようなものが敷かれていて、その上に全裸展示されるので、カーペットが敷かれてる分は人間扱いというか、展示されるこどもへの配慮があると思うのだが、この剥製の展示台は何も敷かれておらず、台はステンレスのようなかんじで、そのステンレスのような金属の上に直接胎児姿で置かれているだけだった。もし生きたこどもなら、こんな金属の上に直接置くかな、と少し考えた。いずれにしても、麻衣たちより、狭いし金属の上だし、はるかに待遇は悪いのは事実だった。それに、台の中には15ワットの蛍光灯が入っていて、顔付近なので、生きたこどもなら眩しいと思う。中からは外はほとんど見えないと思う。こどもの手足からガラスまでは5㎝ほどしかないし、左右は正方形なので十分広いが少女の頭とか丸めている爪先は台のサイズすれすれくらいだった。剥製であるなら残酷ということもないのだけれど、両手と両足は針金で縛られていた。もし生きたこどもなら、こんな風に縛られていたら、トイレへ行くことも休憩することもできないと思う。もし生きたこどもなら、かなり粗末な扱いで、待遇悪すぎだと思う。そう考えると、やはり剥製なんだろうか。でも、やはり昨日の美少年みたいな少女に見えるし、心理的に小さく見えてるだけで、体のサイズも似ていると思う。昨日の少女なら、プラスチック化した剥製なのに姿勢を変えられるわけはなく、やはり生きた女の子の展示ということになる。どう見ても昨日の少女だという気がするのだ。
ただ、それでも、なおも剥製かなと思ってしまったのは、胸に「6-2水野玲子」という名札を付けてあったことだ。透明なビニール袋の中に赤いビニールがあり、そこに白い書くスペースがある、小学生なら普通に付けてるような名札が全裸の体に付けられていたからだ。服の上から名札を付けるのなら普通なのだが、このこどもは全裸なのだ。乳首の左右から直接少女の乳首付近に安全ピンが刺されていて、本当に安全ピンが刺されたらしく、安全ピンの刺し通されている部分の皮膚が盛り上がっていた。もし生きてるこどもに、いくら剥製の真似だからと、こんな安全ピンのついた名札を付けさせるのは可哀想すぎると思う。痛いだろうし、乳首の下を刺し通されるのは残酷な気がする。名前が本名なら、さらにエッチで可哀想な気がする。それから、ダメ押しみたいに、唇にも安全ピンが刺されていた。しかも、大きな安全ピンで唇というよりは、頬を刺し貫いているのだ。唇付近で安全ピンは止められていて、いくら剥製らしく見せるためだとしても、ここまで酷いことを生きた少女にするだろうか。全裸で胎児姿にされて、手足を針金で縛られたうえ、安全ピンの名札を乳首に直接付けられて、口にも安全ピンを刺し通されて、金属の上に乗せられて蛍光灯に照られてるんだ。生きた女の子だとしたら、ただの惨めな子だと思う。しかも、学年とクラスと名前まで出されてるんだから、本人の名札なら可哀想すぎだ。それに頭が手前ならいいのだが、頭が奥なので、未熟な性器だけでなく肛門も見えている。この格好で、もし、ここまでぼくがさせられるとしたら、華子みたいに仮病を使って休むと思う。もし、これが生きたこどもとしたら、物凄く素直で健気なこどもなのは間違いないと思う。大人に従順な白木なら、安全ピンを刺され、縛られても我慢するかもしれないが、他の部員なら≪バレーボール部でいいや。もう体操部は止めよう≫と思うであろう悲惨なレベルだと思う。外見的には生きた子(昨日の子)だろうだけど、周辺の状況からすると剥製としか思えない、というのが結論だった。6年生にもなって肛門を見せて辛い胎児姿になりきるんだから、白木みたいに完全に洗脳されてて残酷に扱われるのが大好きな子なのかもしれない。
結局、わざわざ剥製の場所まで足を運んだのに、どちらか分からないまま自分の展示台まで戻った。華子は近くのパネルを見ただけのようで、「つまらない展示ばかりなのだ」と言っていた。華子は剥製には興味ないと言っていた。時計を見ると5分前くらいになっていた。秒針はないけれど、出入り口付近の高い天井付近の壁に取り付けられた大きな時計では、5分を切っているみたいに見えた。
「そろそろ人形にならなくちゃ」
「そうだね。きゃはは。でも、立ってボールを持ってるだけなので、意外に楽なポーズなのら」
台の上に白いバレーボールが1個置かれていた。ただ、昨日は真っ白いバレーボールだったが、今日のは少し汚れたかんじのバレーボールだった。昨日のバレーボールはこどものスポーツコーナーに移動したのかもしれない。
台の扉を開けて、セーラー服を入れようとした時に、少しだけ急いだ雰囲気で主催者の男が来て、「仕事で行かないといけないので、ガイドがいないんだ。ガイドは麻衣ちゃんは昨日聞いていたよね?」
「はい、人形中に聞こえてきました」
「じゃあ、ガイドを頼む。まあ、僕のような、あんな感じで適当でいいから説明をして、質問されたら答えてほしい。麻衣ちゃんはテキスト丸暗記テストで満点だったということだから、適任だと思う。どうしても答えられない質問には、ユーモアで誤魔化せばいいから。小学6年生の団体が20分後に来るから、エントランスホールにパイプ椅子が1個置いてあるから、そこに座って待機していてほしい。バスが来たら、警備員が教えてくれるから、すぐに駐車場まで移動して、出迎えてほしい。そして、ガイドとして展示ホールをゆっくりと一周したら、団体の帰りのバスが見えなくなるまで見送りをしてほしい。人形役は普段はいないくらいだから、華子ちゃん1人で大丈夫だから。バスを見送ったら、再びパイプ椅子で待機してほしい。一人で台に戻ると、人形でないとバレてしまいやすいから、ここへ僕が戻ってきて確認してから元の台に戻すから」
「はい」
「できるね?」
「もちろんです」
「警備員が一番確実かもしれないが、駐車場管理ばかりで知識がないから。頼めるのは麻衣ちゃんだけだ。前回はテキストがいい加減で、ほとんど質問に答えられなかったと知り、今回は大量に文献をコピーしてテキストを作成したので、あれで満点なら何の問題もなく答えられるはずだから」
「はい」
「期待してるよ」と言うと、大急ぎで主催者は出ていった。駐車場でなく展示ホールの前に自分の車を置いていたらしく、アメ車のような荒々しい大排気量V8エンジンのようなエキゾーストノートを残して、坂道を下って行ったようだった。
「とりあえず、脱がないと、間に合わないのラ」と華子が脱ぎだしたので、ぼくも急いで全裸になってセーラー服やパンツを台の下に入れた。「ずっと1日中、全裸発表だから、じっくりと大勢に見てもらえ」と顧問から言われていたので、≪一日中素っ裸で人形になりきるぞ≫と思っていたら、人形だけでなくガイドもしないとダメなのだと知り、少し驚いた。でもガイドも発表のうちなので、頑張るしかないと思った。でも、昨日、主催者のガイドの言うことが適当な内容でいい加減と分かったほどだったので、あんな程度の説明でいいならば、まあ大丈夫だろうと思った。小さな靴下も脱いで、全部台の中に放り込み、台を閉めた。ガチャという金庫の閉まるような音がした。同じ全裸発表なら、ガイドより人形の方が恥ずかしくないと思ったけれど、大勢の前で全裸でいるのは秋の運動会で慣れているので、≪まあ、あんな感じなんだろうな…≫と思った。靴は、ここには靴入れがないので、ランボの車の後部座席に置いてきたので、ランボが夕方迎えに来てくれるまでは、ここには無かった。靴下で、綺麗な舗装道路と綺麗な床の上を歩いてきたので、靴下を台に収納してしまうと、裸足だった。素足に素っ裸で、要するにスッポンポンで、エントランスホールに出た。入り口付近に入場券の自販機があり、「入場券を購入してから、展示をご覧ください」と貼り紙がしてあるのが見えた。エントランスホールには誰もいないし、もちろん開館前なので客もいなかった。エントランスホールの片隅の風景画の飾られた壁の前にパイプ椅子が置かれていたので、≪あ、あれだ≫と思い無人のエントランスホールの椅子に座った。素っ裸だったけれど、手で前を隠すようにして座っていて、秘密の部分は見えないので、ブルマ1枚とかで座っているのと大差なくて、気楽に足をバタバタさせたり、足を曲げ伸ばししたりして緊張を解きほぐした。同じ全裸でも、自由で気楽という気分で、狭い展示台のケースの中に入れられて、針金で縛られて窮屈に体を丸めているこどもと比べると、雲泥の差だと思った。もちろん、それは生きてるこどもと考えた場合で、剥製なら感情も意識もない単なる展示物にすぎず、可哀想も不自由も何もなく「物」というだけなのだが。
開園時間になり、奥の職員通路でなく、出入口のドアを警備員が全開にしていた。そのとき、なぜか麻衣の方を見て、≪あれっ≫という感じで、少し考えている様子だったが、時計を見てから、すぐに駐車場の方へと行ってしまった。麻衣はなぜ警備員が不思議そうに麻衣を見ていたのか分からなかったけれど、多分、呼びに行く女の子を確認していたんだろうな、と思った。出入口付近に小部屋があり、控えの警備員がいるのだろうけれど、壁が分厚いせいか、ドアが閉められていて、声は聞こえなかった。警備員が坂を下っていくのが見えた後は、再び無人だった。それでも5分ほどしたら、何人か来客があり、入場券を購入していた。その後、素っ裸なので気になるらしく麻衣の方を見てから、入口からホールに入っていった。ホール内は写真パネルくらいしかないので、貴重なものはガラスケース内部なので、警備してなくても盗難とかはないという話をランボがしていたのを思い出した。来客が麻衣を見ても、展示物になってるわけでなく待機してるだけなので気楽だった。こどもには30分くらいパイプ椅子にじっとしているのは、かなり大変だった。展示物として発表中なら、発表中だという割切りがあるから時間が長くても平気だけど、待機中は自由時間みたいなものなので、退屈だったので、我慢できずに小さなエレベーターの前に設置された鉄パイプにまたがってしまった。いけないことかもしれないけれど、お客はホールの中だし、誰もいないエントランスホールなので、こっそり、またがってしまったのだ。全裸でパイプにまたがると、やっぱり、エッチで気持ちいいので≪こんなところで、ぼくは何をしてるんだろう…≫と思いながらも、思わず「ヤーン」と言ってしまった。ぼくは、恥ずかしい性的快感のために、展示会のエントランスホールのパイプにまたがってしまうほど幼稚っぽいこどもです。そんなぼくの幼稚な顔を見てください(下)。幼稚っぽくて、がっかりしましたか? ぼくは、ガイドをお願いされて、スッポンポンでパイプにまたがって喜んでる、幼稚な赤ちゃんです。おしっこくさいですか? そんな恥ずかしいぼくの顔を見てください。こんな幼稚な顔で、性器を丸出しにしてた、恥ずかしい子です!
105、出迎え
麻衣は小6の団体のバスが来たら、外の駐車場などを巡回している人が迎えにきてくれると思い、外に警備員の足音がしたら幼稚っぽくパイプにまたがってる状態から戻ればいいや、と、思っていた。硬いかなり底の厚いを靴を警備員は履いてるので、コンクリートの道路にカツンカツンと響くので、警備員の出入口に現れる10秒前には気付くと思った。足音に気づいてから、パイプ椅子にもどって《大人なんだぞ》という顔をして、澄ましていればいいと思った。来客はすでにホールに入りバックしてくるとも思えないし、エントランスホールの一番奥の隅っこなので、仮にパイプの上にぼくがいるのが見えても、あまり目立たないので気にしないと思った。一応は、話し声が出口付近で大きくなったらパイプ椅子に戻ろうと思った。それから来客があっても1人で来ることは少なく、カップルとか夫婦とか兄弟姉妹とか親子みたいなかんじで来るので、大抵は外で話し声がするので、《人の気配がしてからパイプ椅子に戻ればいいや》と考えていた。そのくらい、エレベーター前の金属パイプが気に入ってしまった。エレベーターの前に、長さは1メートルほどしかないパイプなのだが、ぼくが跨ると爪先立ちになる高さで、適度にマタに圧力がかかるのと、くら寿司の出入口のスロープのパイプとかよりも微妙に細くて、幼稚っぽいぼくのマタに食い込んでくる感覚なのが、性的快感があるというか、疑似オナニーみたいで、エッチで「やーん」と爪先が浮いてしまいそうになるほど気持ちいいと思った。真面目なエントランスホールで全裸で細いパイプに跨っているという《いけないことをしてるんだ》という思いみたいなものも興奮の原因かもしれないし、いつ警備員が呼びに来るかもしれないという微妙な緊張感(見られたら、確実に単なる幼児なみの子と思われると思う)も、それからお客が出入りする場所で人に見られかねない緊張も、興奮の原因なのかもしれない。監視カメラがホールの方向を向いてるので、恐らく映ってないと思うけれど、こんなに気持ちいいのだから、映っていたらそれはそれで仕方ないことだと思った。画像を見た警備員に笑われるくらいだろう。ホールの方を見ながらパイプにまたがってたんだけど、それは、その方が出入口付近やエントランスホール全体が見えるからだった。気配が分かり易いから安心感があるということなのだ。でも、パイプは平らではなく、少しだけ傾斜があり、エレベータのある奥の方が高く、手前は低くなっていた。ちょうどパイプの中央にまたがって遊んでいたのだが、そこだと爪先立ちになるけれど、手前にまたがると足の裏が全部接地するし、逆にエレベーターすれすれの場所でまたがると、足が届かないということなのだ。だから、爪先立ちになるパイプの中央が一番、エッチで快感だと思った。でも、エレベータの反対方向を見てパイプにまたがっていると、安心だけど、パイプに自分の肛門ばかりが密着するかんじで(パイプに肛門をくっつけて喜んでる幼稚っぽい子で、がっかりですか?)、だからエレベータ方向を見てまたがると気持ちよさそうだった。最初は、待機はしてるけれど発表時間中なのも事実なので、あまり不真面目な姿を人に見られるわけにはいかないからと、エレベータの反対方向に顔を向けていたのだけど、次第に慣れてくると、より強い刺激を求めてしまって、エレベータの方を向いて、ぎりぎり爪先立ちできる一番奥でまたがってしまった。そうしたら、オシッコのスジがヒンヤリして、ワレメちゃんがパイプを挟むようなかんじで、エッチすぎる自分の姿に興奮してしまった。女子中学生が素っ裸ですることではないのかもしれないけれど、実際に気持ちいいんだから、誘惑に勝てないのだから仕方ないと思う。それに待機中の自由時間なんだから、少しくらいは幼稚な子でもいいやと思うし。でも、運動会でも全裸で体育館のスロープにまたがってしまい学校に知れ渡ってしまったので、今回は絶対に人に見られないでおこうと思った。これ以上幼稚と思われたら、学校でいじめられたり、幼児扱いされかねないと思う。でも、パイプの細すぎる鉄棒だと体重が軽いとはいえ、やはり股に圧力がかかりすぎて、体罰とかでまたがらされるくらいで、あまり気持ち良くないと思う。体育館のスロープは適度で快感だけど、少しだけ太いので刺激が少ない。ここのは、その中間的なので、細い棒にまたがるエッチさ(食い込んでくるかんじ)と、圧力が強すぎない気持ち良さと、両方の良い面があると思う。しかも、体育館よりも、はっきりした傾斜なのも体重が前後不均衡でエッチだと思う。くら寿司もいいけれど、ここの展示ホールもいいな、と思った。
「バス来たよ」と、小さな控室の突然ドアが開いて、警備員にバスが来たと教えられた。パイプにまたがって、《やーん…》とつま先立ちでエビぞっていた時に突然言われたので、驚いた。
「はい、ありがとうございます」と、《しまったー》と照れながら、セクシーにエビぞったまま答えた。
「おっ、スーパー元気なチビスケだな。かっこいいぞ」と警備員に笑われた。奥から、もう一人も覗いて、ぼくのパイプの上で性的に感じてるところを見られてしまった。どうやら、警備員は徒歩で教えてくれるのではなく、無線装置で連絡を取り合っているようだ。白昼の死角だった。
変な姿を見られてしまったので、照れ隠しに「とぅー」と言ってパイプから降りた。
「チビッコだと、椅子よりも、棒の上の方がいいんだ」
「まさか、素っ裸で棒にしがみついてるとは思わなかった。うはは。真っ裸で抱き着いてて大丈夫なのか?」と、奥の警備員にまで笑われてしまった。誰にも見られてないと思っていたら、2人に見られてしまった。
「言ってきまーす」とバスを迎えにエントランスホールを横切った。
「棒に抱き着いてて、そのまま真っ裸でお出迎えとは、元気なチビスケだな。スリッパ貸そうか?」
「いいえ、大丈夫です」と返事して、そのまま出入口から出た。赤面な姿を見せたうえに、余計な手間をかけさせたくなかった。
そのまま舗装された滑らかなコンクリートの舗装の坂道を下った。坂道だからか、何も落ちておらず、素足でも安心で、足が痛いとか、足に何かが刺さるとかいう心配は全くなく、むしろ素足でコンクリートに触れるのが心地良いと思った。全裸発表は、秋の運動会で《ぼくなら幼く見えるから大丈夫》と自信もあったし、大勢の人がいても別に何かされるわけでもないと分かった。《部活のただの発表なんだから、恥ずかしくないもん》と自分に言い聞かせた。やはり、運動会で慣れてるとはいえ、いざ全裸でお出迎えということになると緊張は隠せないかんじだった。パイプにまたがっていたのも、全裸でお出迎えをする緊張を忘れたいという深層心理もあったのかもしれないと思う。
坂道を下りながら《まだ去年まではブルマ1枚で学校生活してたチビッコだし、もちろん学校で少しオシッコするだけでも全裸だったし、それと同じことなんだもん》と自分に言い聞かせた。さらに、《去年まではブルマ1枚の裸教育のチビッコだったけど、4月からは厳しい裸教育になったからブルマを穿けなくなっただけだもん》とさらに自分を励まして坂道を下った。丸見えとか全裸と思うからエッチなだけで、ブルマ1枚のぼくが、厳しい裸教育なので、ブルマなしにされてるだけと思うなら、厳しさに耐えてる子というだけで、僅かブルマ1枚の小さな差だと思った。実際、体に食い込んでくる小さなブルマ1枚でも、素っ裸でも、そんなに差はないと思う。数十グラムの差でしかない。途中で黙って警備員とすれ違ったが、やはり小さな無線機を持っていた。《まあ、いいや。待機中に遊んでいたとバレたから、あとで顧問に尻叩きされればいいだけだ》と思った。
坂道の途中で左にカーブしていて建物の影で見えなかった駐車場が見えた。自家用車なら10台は停められそうだが、大きな観光バスなので3台分くらいは使ってるかんじで、狭そうにバックしているのが見えた。普通に歩いて駐車場まで下りたら、ちょうどバスが停止してバスのドアが開いたところだった。笛をふいていたバスガイドさんが、ぼくの方を見て笑っていた。少し離れて坂の途中で見ていた警備員は黙って坂を登っていった。交代の時間らしい。
ドアから先生が降りてきたので、「おはようございます! わたしが人体展のガイドをします」と言って、お辞儀をした。そうしたら、こどもがガイドをするのだと知らされていなかったのか、「え、きみがガイド?」と目を丸くされた。仕方なく「はい」と返事した。
「あっ、そうなんだ。ああ、人体展だから、ガイドもそういう姿なのかな… きみ、恥ずかしくはないよね?」と言われたので、《この先生は人体展は初めてなのかな?》と不思議に思ったけれど、「はい、平気です。こういう教育ですから」と答えた。「それなら、いいけれど」と先生は言ってバスから降りてきた。「みんなも降りてこい」と先生がドアの中に向かって行っていた。《遠足なのか社会見学のついでなのかは知らないけれど、こんなこどもの全裸写真ばかりな人体展なんかを見学するなんてことは、裸教育の小学校で、短パン1枚とかなのかな?…》と、勝手に想像していたが、ドアから降りてくる6年生男女を見ると、ごく普通の学校のようで、裸の子は一人もいなかった。体操着の短パンの男子もいたけれど、上半身は体操着ではなく、ごく普通の洋服姿だった。最初に降りてきて、目を丸くしてぼくを見てた男子が、短パンのオチンチンの辺りを手で押さえていたので《あれ、バス移動が長いからお手洗いに行きたいのかな。お手洗いも案内してあげた方がいいな…》と思ったけれど、そうでなくて麻衣の全裸姿を見て、オチンチンが立ってしまったので、それが恥ずかしいので手で隠してるだけと分かった。なぜなら、短パンの前が少し膨らんでるのが見えたからだ。男子は短パンを隠せるけれど、ぼくは体を隠すのは禁止なので、丸見えで頑張るしかないと思った。
ぞろぞろ6年生が大勢降りてきて、何か言うのかと思ったら、みんなぼくの姿を見てるだけだった。ところが、みんなは、ぼくが性器を丸見えにしてるのに興奮してたみたいで、一人の女の子が「やだ、クッキリ」と思ってることを口にしたら、どっと笑われてしまった。
「みんな、ガイドしてくれる子なんだから、笑ったらダメだよ。ちゃんとガイドさんの話を聞こうね」と先生が言っていた。
「それでは、案内します。こっちへ、どうぞー」と両手を使って坂の上を指し示した。6年生たちと一緒に坂道を登った。坂道だと身長の比較が難しいので全裸だと心理的にとても小さく幼く見えるようで、「あんなチビちゃんがガイドできるのかな」とか「低学年なの?」とか「まだ、恥ずかしいって分からないんじゃない」とか言われていた。言われるのは運動会などで慣れてるので我慢できるけれど、男子に坂道で後ろを歩いてた男子から、お尻を触られてしまい、思わず「いやーん」と、ちょっとエッチな声を出してしまったので、自分でも恥ずかしかった。だって、後ろの男子は、ぼくのお尻でなくて、お尻の谷間を触ったのだからエッチだと思う。お尻の山の方なら、変な声は出さなかったと思う。
「女の肛門、触っちゃったぜ」と男子は自慢していた。すると女子が「エッチー」「変態」と男子に言っていた。でも女子まで、ぼくの全裸をエッチな目で見てたようで、「すごいね」「恥ずかしいね」「かっこいいね」などと、ぼくのことを話していた。広い青空の見える坂道で、全員が洋服を着ているのに、ぼく1人だけが真っ裸というのは初めての経験だったが、さすがに6年生全員がしっかりと洋服姿なので、ぼくだけ真っ裸で素足で丸出しでいいのかなと、少し心細い気がした。ぼくと同じくらいの年齢の男女に、真っ裸を笑われながらガイドするのは赤面だけど、今はガイドはぼくしかいないので頑張るしかないと思った。ぼくの前方を歩いてる人は僅かで、ほとんどは後方からついてきてるので、多分、ぼくのお尻を見て興奮してる男子とかもいたのかもしれない。坂道の上を歩いてるので、お尻の穴の辺りも見えてると思うけれど、清潔で綺麗にしてるから、見えても清潔なこどものお尻の穴というだけでエッチでないと思った。全裸といっても、所詮はこどものしてることだし、小さい子が池で全裸で遊んでるようなものだと思う。出入口付近だけは少し急いで先回りして、再び「こっちへ、どうぞー」と両手で手招きをした。
「入口は廊下から入れます」と入口まで案内した。最初のスポーツコーナーでは、色々な質問をされたけれど、テキストを丸暗記してるので説明は余裕綽々だったし、言っている年号や地名まで正確だったと思う。ただ相手が6年生だけに予想外の質問をされることがあり、それはテキストに載ってない内容なので説明は大変だった。クロッツ走の写真パネルの前では、大きな子なのに全裸にされてて恥ずかしくないのかとか、大きな子が素直に全裸になるのかとか、あまりテキストとは無関係な質問が多かった。仕方ないので、短めに、「クロッツ走は全裸なので、恥ずかしいです」とか、「はい、みんな素直に全裸になります。そういう風に教育されるので」と答えた。先生は何も言わず、児童の後ろからついてきていた。いつまでも質問攻めにされると先へ進めないので、「それでは、クロッツ走の最後の質問をどうぞー」と言うと、「クロッツ走の子が恥ずかしいのは分かったけれど、あなたは変態な丸裸でガイドしてて恥ずかしくないんですか? 女性器って人に見せるものでないと思うんですけど」と意地悪そうな質問をされた。「ぼくは、やってることは変態な恥ずかしいガイドだと思います。はい、見せるものでないものを丸見えにされる教育を受けて頑張ってます」と答えた。すると、さらに「変な部分は気持ち悪いから隠しておかないとダメなんじゃないんですか」と言われたので、ちょっと泣きそうになったら、「おいおい、こんな可愛い美少女に気持ち悪いなんて言う奴がいるか!」と先生が言ったので、その子は黙ってしまった。「幼稚園の子みたいに、割れてるだけなんだから、いちいち文句言うなよ」と言われて「はーい」と不機嫌そうだった。みんな服を着てるのに1人だけ全裸なのだから、見下したりバカにしたくなる気持ちも分かるし、変な部分を丸出しにしてバカみたいと思う気持ちも分かると思った。でも、はっきり女性器と言われてしまうと、まるで「大きな子がオチンチン丸出しにして」と男子中学生が馬鹿にされてるのと同じで、はしたない姿だなと、それは納得させられた。
大勢で全裸マスゲームをしている女子の写真パネルもあり、実際にさせられた経験があるから麻衣には普通のマスゲーム中のこどもというだけなのだが、そういう経験のない6年生たちにはショッキングな写真のようだった。
「どうして、全員、全裸なんですか?」とまたテキストにない事を質問されたが、ヌードが流行した時期があったこととかもテキストには書かれていたので、そういう影響なんだろうと答えておいた。昨日は主催者のガイドをいい加減だなと思ったけれど、自分がやってみると質問が滅茶苦茶なので、答えもどうしてもいい加減になってしまうことが分かった。
男女の目の前で説明してるので、説明中に男子にぼくの性器にも触られてしまった。女性器が気持ち悪いのなら、触らないとか、余り見なければいいのだが、実際にはエッチな目で見て喜んでる子もいるのだと思った。喜ぶ人も、嫌がる人もいるけれど、嫌がる人には少しだけ我慢してもらって、喜ぶ人にはぼくでいいなら触って女の子の体を知ってほしいと思った。女性器は女の子の大きな特徴の一つなので、それを見てもらわないことには、全裸発表の意味もないと思うのだ。全裸はさせられる子の裸教育のためでもあり、見る子の性教育のためでもあるのだと思うから…
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