ひよこ日記 第19節
86、ストリップダンス
ラテンダンスの次のストリップ小屋の踊りについては、正直言って、よく分からない。なぜなら本物の女優さんのしているストリップショーを見たことがないからだ。円形のステージでピンク色の光線を浴びて、エッチな踊りをして脱いでいくとか、脱いだ後にエッチな部分をお客に触られたり、写真を撮らせたり、お客とセックスしたりするとか、あとSMショー風のものや、何かのキャラクターを模倣したパロディーショー風のものもあり、お客を飽きさせないようにしてるとか、そんなふうな内容を情報通の華子から教えてもらった程度だ。でも、その華子もストリップ小屋の家の娘ではなく外部メディアなどから得た情報にすぎず、どこまで本当でどこから嘘なのかは訳が分からない。もちろん華子も本物のストリップショーなんて見たことはないのは同じだ。でも、華子の説明が本当なら、女子体操部のストリップダンスは、相当に子供向けにアレンジされていることになる。そのことを1週間前の部活後に話したことがある。すると、華子は面白がっていた。
「 そんなの、当たり前じゃん。うちら、裸教育されてるのは、アブノーマルかもしれない。でも、アブノーマルなのはそれだけで、ごく普通の女子中学生なんだよ。お金を取って、やってるプロの人と同じことをさせられる訳がないよ。もっとも、小6の裸教育なら、つい最近まではどこの小学校でもしてたから、彼女たちは卒業近くだと全員12才だよね、うちらは12才と13才の部員がほとんどなのらから、中学生ではあるけれど、年齢的には同じようなものなんだから、そう考えると案外ノーマルな教育かもしれない。アジアの南の方のなんとかいう国では、中高生くらいの女子でも学生の間は上半身は裸みたいだし、だから、アジア全体として考えると、うちらは案外ノーマルなただの教育なんだよ。ただのノーマルな教育中の素人の中学生が、プロの女優さんと同じことをしたら、そっちの方がびっくりなのれすぅ。きゃはは」
「それもそうか。確かに、セクシーで過激な踊りかもしれないけれど、踊るだけだもんね」
「ぎゃはは、そんなの当たり前なのだ。うちら中学生が、SMショーさせられたりしたら違法行為だよ。それに、素っ裸なだけでも恥ずかしいのに、アニメキャラクターの物真似してる場合か、そんなことさせられたら、幼稚園の運動会になっちゃうのら。保育園の運動会してるんじゃないから。それから、えーと、お客の目の前で手で性器を開いて写真撮影させるなんて、そんなこと女子中学生にさせると変態に育つから、させるわけないじゃん。裸教育で健康でいい子に育てると顧問は言ってるけど、エロい変態に育てるなんてミーティングで聞いたことないのら。そもそも無料で来てる野次馬に過剰なサービスしても誰も得しないじゃん。裏で顧問たちがカネもらってるなら話しは別だろうとおもうけどね。ましてや、女子中学生が踊りの後に、野次馬とセックスしてたら、女性の性解放が進み過ぎて変態の域なのら」
「中学生だから、性教育で習ったみたいに、あんな太い棒を体に入れるのは無理と思う。それもそうか」
「いやいや、裏ビデオでは可愛い女子中学生がセックスしたりとか、挿入中出しさせてるみたいだから、棒自体は中へは入るのラ。大抵は妊娠すると面倒くさいので膣外射精らしいけれどね。日本人はコンドームは嫌いみたいだし。もちろん処女膜が破れて処女でなくなってしまうし、場合によっては痛かったり出血するだろうけれどね。本番する能力はあるのら。ただ、モラルの問題と、幼女への性交は淫行と言って違法行為 というだけの話だよ。でも、つい最近までは、つい最近といっても昭和のころだけど、未成年を保護する条例すらなくて、テレクラで女子中学生と待ち合わせして、2~3万円払うと、女子中学生と堂々とセックスできたみたいだよ。だから、うちらが見物人とセックスしないのは出来ないからじゃなくて、モラルや法律の問題とか、ただでサービスしても意味ないからしないだけなのだ。そもそもただの踊りなのにセックスする踊りはないよ」
「そうか。確かに、中学生が自分の性器を見物客に触らせたり性交したりしてたら、踊りでなくて、変態ショーだもんね」
「しかし、まさか、中学生にもなって、こんな初歩的な質問されるとは、驚きなのれしたあ」
でも、確かにセックスはしないけれど、女子中学生の場合は最初から最後まで全裸とはいえ、全裸なのは同じなのだし、 お客の前でマタを拡げている時に写真撮影されてるのも同じと思う。もっとも、目の前で自分で開いて写真を撮らせるわけでないので、なんとなくボヤっと写ってる程度なのだろうけれど。でも、セックスも接触もなく、ひたすら踊りだけを見せるのも、ストイックな見世物な分、別の意味で逆に見物人の想像力を掻き立て興奮させる面があるのではないだろうか。それに中学生という圧倒的な若さもあるし。そうでないなら、雨の中、わざわざ傘まで差して見てるようなもんだろうか。
でも、全裸の裸教育をされてるなら、発表会のストリップダンスでは華子の言うように至近距離で性器写真を撮られることはないけれど、そういう写真を先生や生徒に撮影されて、知らないところで見られてしまうことくらいは覚悟しておいた方がいいと思う。学校の身体検査とは別の、部員の身体検査では記録用にと全裸写真を撮られているし(裸教育ではパンツ1枚やブルマ1枚の写真撮影をされる学校が多かったようだが、全裸でというのは、モアレ検査をするような一部の学校を除くと少なかったようだ。モアレ検査は脊椎側彎症の検査なのでブルマを下げないと検査できないので、面倒なので脱がせてやっていたところも多かったようだ。脱いだ方が正確に検査できるし、そちらが本来の検査でもあるようだ。そういう、こどもの裸のファイルを職員室の先生の机の上とかに保管していたので、「12才の子の胸などが写ってるのは、こどもが可哀想」だと反対意見をいうきれいごとの好きな先生もいたみたいだ。でも、もっと昔には健康優良児は上半身裸で新聞や冊子に写真を載せられていたんだから、友達でも誰でも12才の子の裸は見られていたことになるし、そう考えると職員室の机の上くらいなら仕方ないと思うのだ。きれいごとは自由だが、わざわざチビッコ写真を機密文書みたいに扱うのも変だと思う)、 それにぼくみたいに運動会のマスゲーム中に驚くほど鮮明な性器の写真を撮られてしまい、それを同級生みんなに販売されてしまった子もいるので、親や教師は知らないだけで、自分の露骨な部分の写真に赤面した女子もけっこういたのだろうなと思う。もちろん、ぼくは顔がたまたま可愛い子だったみたいで、そのため学校の男子に大人気だったので、新聞部の男子がむきになって写真撮影したためもあるのだろうけれど。でも、もろに中身まで、肛門や変なものまで丸出しの性器写真を男子に見られて、男子は「きれいだよ」とほめてくれたけど、かなり恥ずかしいのも事実だった。でも、そのくらいの覚悟がないなら、欠席してバレーボール部に移籍した方がいいと思うのだ。もっとも、ぼくなんかでは性格が大人しいので、バレーボール部だといじめられると思うので、それよりは写真を笑われる方がましかなと思うけれど。それに、まだ中1のこどもの時の写真なので、エッチなものが写っていても、幼児写真と同じで、可愛いだけ、微笑ましいだけだと思うのだ。結局、ぼくの性器写真は親にも教師にもバレないですんだみたいで、問題になることもなく、その後写真が、どうなったかは同級生の男子しか知らないと思う。 でも、みんな喜んで購入してたので、きっとぼくの体を見て、エッチなことを想像して喜んでいたんだと思う。≪へえ、これがチビのするところなんだ≫とか、絶対変なこと考えたと思う。
話を戻すと、この日の2回目のストリップダンスは、ストリップダンスと言いながら、最初から最後まで衣装がなくこどもらしく真っ裸なことは同じだったが、雨の影響で踊っている感覚は大違いだった。足だけ泥水の中なら余り差はないのだが、ストリップダンスの物真似だから仕方ないのだが、寝転んだりして踊るのが大変だった。これは水が冷たいという意味ではない。水温は低いとは思うが緊張してるので、それに最初からずぶ濡れなので、水中でも水上でも大差ないと思う。そうでなく、バンザイしてごろごろ転がるエッチシーンもあり、そうすると全身に(海のように砂まみれではないが)結構な数の砂粒が付着するので、体がざらざらして、自分の手で自分の体や性器を触った時の手触りが変わってしまうのだ。≪なんだ、そんな程度のことか≫と思われるかもしれないけれど、実際に自分の肌がすべすべ、ツルツルしてるのと、ざらざら、ザラザラしてるのでは、セクシー気分が全然違うのだ。1回目では滑らかな自分の肌に舞台の上の女優さん気分で、いいきになってたと思う。でも、2回目はザラザラした手や肌の感触に、泥遊びをする幼児みたいな、惨めな幼児なみの女子中生という感覚が強くなってしまって、ザラザラの体でセクシーポーズをきめても、≪ぼくって、変態女子中生かよ≫と、1回目の女優さん気分みたいな調子に乗ることは出来なかった。 むしろ、雨なのに性器の中まで砂で汚して遊んでいる保育園のジャリンコ感覚が強かった。それはそれで海水浴で砂まみれみたいで気持ちいいとも言えなくもないのだけれど、これは人前での発表なのだから、やはり≪女優さんだぞ≫みたいな高揚感が欲しいところだと思う。2回目は高揚感というよりも、地面に這いつくばって遊ぶ幼児と同じレベルの姿だと思う。それに全身がジャリンコ丸出しの砂まみれで、見てる人も≪うわ、女優さんみたいだな≫とか思ってくれるだろうか。せいぜい、幼児とか赤ちゃんを目の前で見てるような感覚に近いものだったのでは、と、思う。でも、きっちりエビぞったり、片足上げたり、マタを拡げたりして、ストリップダンスらしいポーズをきめて、可もなく不可もなくというかんじで、無難に踊りを終えたと思う。ただ1回目でエッチだったと噂を聞いたのか、学校を終えたらしい男子小学生(中学生もいたかもしれない)が見物に来てて、興奮されてしまい、少しだけ惨め気分だった。
「おっ、片足上げた。おっ、爪先伸ばしてる。おっ、やらしいとこ触った」とか、いちいち実況されるのも、惨めな子みたいで恥ずかしかった。止めてくれる大人もおらず、ぼくの姿に興奮して実況されまくりで、 次の技の直前には実況されるとドキドキしてしまった。
「こんな、やらしいもの見せられると、オチンチン立っちゃう」とか言ってる男子もいて、≪素っ裸でずぶ濡れで、エッチな目で見られて、ぼくって恥ずかしい子なのかなあ≫と、少し思ってしまった。
87、スパンキング・ダンス
尻叩きの踊りの頃になると、雨はかなり弱まっていたが、グランドは水浸しで、発表だからグランドにいるけれど、そうでないなら誰もこんな靴の汚れるだけの場所に入る人なんていないだろう。
そもそも雨が降ってて、みんな傘さしてるし、屋根のあるバスターミナルへ非難した人もいるほどだ。秋といっても陽射しもなく、肌寒い日なので、そもそもみんな厚着をしている。
そこにスッポンポンで服どころかパンツ1枚持たずに来て、雨の中で踊らされているんだから、しかも他の人からエッチな目で見られて頑張るのだから、厳しい中学校と言えると思う。正確には中学校が厳しいのでなく、部活の顧問が厳しいだけだが、中学校の部活が厳しいのは、背後で校長などが糸を引いてるんだから、中学校が厳しいのと変わらない。中学校が厳しいというのも不正確で、ある条件を満たさない子には中学校が厳しいというだけなのだが。つまり、親がクレームをつけてきそうな子が体操部に入部できる可能性はほぼないということだ。でも逆に父母会などで「先生、うちの子、煮るなり焼くなりしてください」とか、「子供が悪いときは、どんどん体罰してくださいね」とか、「子供をびしびし叩いてやってください」とかいう家なら、孤児とか特殊な事情がなくても、自然に体操部に入れられてしまうと思う。追加組の子の話を総合すると、親と考え方が違ったり、親と相性の悪い子ばかりだ。実際問題として、そういう家の子は、家庭のストレスから成績不振になりがちで、本人の能力以下の学校にしか進学できない場合が多く、将来が危ぶまれるから、体操部で精神修養させるというのは正解なのかもしれないが。でも、基本的には、親が子供に興味ないか、親が子供を叩いてくれとか言ってるような家庭の子供でないと女子体操部員になるのは問題あると思う。なにしろ、最後の踊りは、子供が自分で自分の尻を真っ赤になるほど叩かされるのだから。真っ赤にする必要はないけれど、大きな尻を叩く音がしない子は反省させられることになるのだから、大きな音がするほど尻を叩けば、尻が真っ赤になるのは当然だと思う。部員全員が右のお尻を真っ赤にされるのだから、体罰と実質同じで、それでも問題ない子が部員をしてるということになる。普通は自分で自分の尻をぶたされるのは、そうとう悪い子で、口で叱るくらいでは反省が不十分だから、お尻をぶたされるのだと思う。でも、今回の発表では、悪い子でもないのに尻叩きをさせられて、それを大勢に見られるのだから、まるで体罰されてるこどもの姿を見られてるみたいでエッチだなと思った。でも、そういうどこか自虐的な内容の発表だから、本当にさせられると興奮するのかもしれないなと思った。
「おっこ、ほい、ほい、ほい」という女子中学生の可愛い声と、「パシ、パシ、パシ」という女子中学生のお尻の肌の音が、グランドに響いた。つまり、見物人の耳には「おっこ、ほい、パシ、ほい、パシ、ほい、パシ」と聞こえることになる。この尻叩きの踊りだけ、後に単独で一度だけ発表したことがあるが、その時は「おっこ、ほい」が、「おっこ、はい」に直されたが、それは「ほい」だと投げやりに聞こえるとか、生意気に聞こえるとかいう理由によるものらしかった。発表相手がこどもだったので、教育的にホイでは良くないということでハイにしたらしい。でも、その後の練習では「ほい」とは、お尻をホイッと持ち上げる意味だからと、ホイに戻された。
こどもが運動会などで、砂まみれになるのは、組体操や集団体操で普通のことだと思う。だから、現在、全身に砂粒が付いてることは、そして肌が砂で汚れてることは普通と思う。ただ、1回目のように乾いた砂なら、余り気にならないのだが、2回目は泥水だらけの汚れた体なので、砂粒でザラザラした濡れた体で、ホイッとお尻を持ち上げて尻叩きをするのは、こどもなら普通のこととはいえ、惨め感があった。まるで泥水に放り捨てられた子が、体罰させられてるみたいに見える気がした。馬飛びの姿勢で尻叩きするので、まさに体罰されるこどもそのものだが、自分の恥ずかしい姿を見られてると思うと、やはり興奮するし、いい子になりきってるという快感のようなものがあるみたいだ。それは晴れていても、雨でも同じと思う。お尻を叩き始めた頃は、惨め感の方が強かったのだが、どんどん痺れるような快感の方が強くなっていき、最後ごろは夢中でお尻を叩いてる感じだった。
人前で自分で自分の尻を叩くのは、性的快感みたいなものもあるようで、思わず「やーん」と言いそうになったけれど、こんな事で感じてると思われると変態と思われると困るので、我慢して「やーん」とは言わずに頑張った。
小学生が面白がって、尻叩きの真似をしていた。やはり男子小学生が見てもエッチで変態で面白いのだと思う。お尻を叩く大きな音がするのも、エッチで面白いのかもしれない。女子中学生は腕力が成人男性などと比べると弱いので、力一杯自分で尻を叩いても、身体に致命的なダメージとなることはなく、せいぜい数日間、お尻が痛くて歩きにくくなる程度である。以前は小学生もさせられてたようだし、強い子に育つと思うので、どんどん裸教育に取り入れられたのは理解できると思う。体罰でお尻を叩かれると痛いし、ダメージも残り、体罰後もお尻が痛いのを感じてることになる。それは叩かれても、叩かされても同じことだけれど、やはり女の子はお尻をぶたれた方がいい子に育つと思う。鼓膜が破れる危険と紙一重のビンタとか、脳内出血の恐れもゼロでない頭部への拳骨は、体罰としてはどうかと思う。でも、比較的安全な体罰まで全否定するのも変かなと思う。
今年は、「おっこ、ほい」で終わりで、去年までのクライマックスの「おっこ、ほい、じゃん」がなくなったそうなので、その所為かもっと尻を強烈に叩きたいという欲望が起こったところで踊り終了という物足りなさがあった。去年まではジャンプして、「おっこ、ほい、じゃん、パシッ」と気持ち良く尻を叩けて、どうせさせられるのなら、そこまでさせられる方がスッキリして良かったのではと思う。でも、そうすると、お尻が痛すぎて、真っ直ぐに歩けなくなるというのだから仕方ないことだと思う。中学生活は部活だけではないのだ。部活半分、授業半分だと思うのだ。だから、他の授業に影響が出るほどするのは、やりすぎだと思う。
最後の踊りが終了して、右側のお尻を真っ赤にした女子たちが集合した時に、「全員、右のお尻を赤くして頑張った」という、集団欲が満たされるというか、みんなが同じことをさせられた喜びがあり、全員で「えいえいおー」とかできたらいいなと思った。
お尻は痛くなったが、最初に心配したほどには痛くならず、これなら歩いて中学から家まで帰れそうだと思った。ここから中学まではバスなので、歩けるかどうかは余り関係ないと思った。もちろんバスまで歩けないようなら問題があると思うけれど。
でも、全裸で、「おっこ、ほい」をする快感は、させられた女子にしか分からないと思う。男子はどうかは分からないけれど、女子には気持ちいい技だと思うのだ。大きな快感があったのだから、お尻が痛いのは仕方ないと思う。それにお尻が発表後に痛いのも、いい子になった証なので、ある意味、気持ちいいと思う。(つづく)
88、集合と離散
ミーティングするからと、最後の踊りの後、コンテナの前に全員集合させられた。部活は体育でないので体育すわりでなく正座と決まっていたので、泥水の水溜まりの上に正座をした。ぼくの右足のかかとあたりに小石があったので、少しだけ石の左へずれて座った。1度目と違って集中力不足だったと、叱られた。「中には集中できてた子もいたけれど、注意力散漫でやってるだけで真剣さの足りない子もいた」という話だった。「自分で2回目が1回目よりダメだったと思ってる子は手を上げてみろ」と言われて、追加組というか残留組の女子や、初期メンバー数名が手を上げた。ぼくは1度目も2度目もそれなりに集中して頑張ったので、手は上げなかった。
「手を上げた子は、前に出てこい」と言われていた。それから手を上げてない葵も呼び出されていた。
「顔を動かすと鼓膜が破れることがあるから、自分が大事なら絶対に顔を動かすな。全員、きおつけ」と言われた。≪往復ビンタされるのかな≫と思って見ていたら、副顧問のしたのは、単なるビンタだった。1人1発ずつだった。でも、大男なので、足元がぬかるんでいる所為とか踊った直後で疲れていて足元がふらついてる子が多い所為かは分からないが、ビンタされると中学生なのに、幼児か低学年の子が大人に本気でビンタされた時のように吹き飛んでしまっていた。吹っ飛ばされて水の中に倒れてしまうということだが、もう体重も(幼児などと比べて)軽くもない女子中学生を、軽々と吹き飛ばしてしまう副顧問のパワーをかっこいいなあと思った。ビンタの子は、頑張らないのが悪いと思った。特に追加組は部員にもぼくにも文句や悪口を言ってくることが多く、そのくせ部活はおざなり(というか、いやいや)なので、≪やはり、今回もか…≫と余り体罰に同情は起きなかった。頑張ったのにビンタされることもあるので、そういう場合は可哀想と思うけれど、今回は論外と思う。せっかく真剣にやってる子もいるのに、だらだらやられたのでは、見栄えが悪くなり、全体の印象も真剣さの不足したもののような印象にされてしまうと思う。葵は雨の日や、泥水が嫌いなので≪やっぱり、手抜きしたか≫という感想しか起きなかった。追加組の1人は体が小さめ(ぼくといい勝負)なので、特に派手に吹き飛ばされた。でも仮にその子が親に「体罰された」と訴えても、親が先生に体罰するようにお願いしてるような家庭なので、「いいじゃない」と言われて終わりだと思う。
「わあ、出来が悪いと叱られてるよ」
「可哀想に」などと、見物していた野次馬の下馬評が聞えた。
でも、単純に可哀想というより、真剣にしない子が悪いと思う。白木みたいに命がけで頑張るのはやり過ぎだと思うけれど、普通程度には頑張るべきだと思う。ただ、今回の発表はノーガードで倒れるのが緊張を強いられるので、それが終わった後は、どうしても気が緩みやすい傾向にあるとは思ったので同情の余地はあると思う。気持ち良くこどもが吹き飛ばされていくのを見て、≪これなら、次回からは普通にやりそうかな≫と思った。副顧問の体罰は、いつもは尻叩きなのだけれど、スパンキングダンスの後なので、みんなお尻が真っ赤なので、そのうえ更にお尻叩きをすると、ダメージが大きくなりすぎて歩けなくなるということでビンタに切り替えたということなのだと思う。単純な体罰でもこまめな気配りがあるのである。ダメな子の体罰が終わると、簡単に今日の発表の総合評価をしてくれた。昨年よりは上手ということだ。ただ、どういう訳かノーガードで倒れる技が下手すぎると言っていた。去年は全員スパっと上手に倒れたということだ。今年は追加組がいることや、あまり運動神経の良くない子も混ざってるので、やる前にびびってしまい、こういう結果になったのかもしれないが、素直に言われた通りに「ただ倒れるだけ」にしたら、運動神経なんて必要なく、全員がパタンと倒れられたと思う。やはり、まだメンタル面が弱いというか、完全には洗脳されてない子が去年よりは多いということなのだと思う。 「去年は大人しく静かで諦めたように部活をしてる子が多かったけれど、今年の子は個性的でみんなバラバラ」と、白木が言っていたことがあり、そういうことも関係してるのかもしれない。
「さあ、体罰された子はダメな子でなく、次回からいい子になればいい。簡単なことだ。そうすれば体罰されることもない。それから、今年はクライマックスを省略したおかげで、みんな普通には歩けるようだ。それは、いい事だと思う。ここへ集合する時、お尻に手を当ててた子もいたが、痛いのはみんな同じだ。だから痛いのは我慢して、バスに乗るまでは、お尻を触らないこと。この後は、自由発表があるけれど、まともに歩けない子は免除にするつもりだったが、全員が普通に歩けるようなので、全員に自由発表をしてもらう。小雨になったというか、もう、ほとんど降っていないので、バスターミナルへ避難していた人も戻ってきたようだ。何を発表するかは、めいめいもう決まってると思う。見てくれる人を、自分で探して、最後に見てくれたお礼を言うこと。ハンドマイクで集合の合図があるまで、自由発表を続けて、これまでの成果を見てもらいなさい」
「はいっ」
「それでは、全員、起立」と言われ、再び立ち上がった。やはり右のお尻が痛いと思った。でも、手で触らず我慢した。1回目の後と違い2回目の後は小学生くらいの子が増えた気がするので、笑われたり馬鹿にされたりしそうな気がしたけれど、頑張るしかないと思った。
ミーティング終了時点ではほとんど雨は降っていなかった。ぽつぽつぽつと、小雨の小さな雨粒が体の肌に当たる程度だった。
「発表の前に、みんなに気合を入れる意味で、蛙逆立ちをしてもらう。よーい、始め」と言われた。
突然言われたけれど、すぐに蛙逆立ち姿になった。全員が一斉に蛙逆立ち姿になると、見物人から「可愛い」と言われた。幼稚っぽく見える技なので、それを素っ裸でしていれば、赤ちゃんみたいで可愛いと思うのは納得だと思う。全員一斉の蛙逆立ちは本当に幼児みたいに見えるようで、可愛いのか写真をたくさん撮られたと思う。もちろん撮るのを見たというよりも、シャッター音を聞いただけなのだが。実際には踊りの後だし、体の肌が雨で濡れているので、蛙逆立ちするのは大変だったが、体重が軽いのと見物人がいるので気合が入ったのか、40秒ほどの蛙逆立ちを頑張れた。
「やめ」
「はいっ」
「別れ」
みんな一斉にコンテナから周囲に広がった。コンテナ付近は水深があるので、コンテナ付近で自由発表をするよりは、コンテナの反対方向で自由発表をする方が楽そうだった。それに、人が適度な場所の方が、お願いが簡単そうだった。お願いするのは恥ずかしいけれど、頑張るしかないと思った。踊りの発表終了直後よりは人は減っていたが、昨年度より多い人出と言うだけあり、自由発表が困難というほど人が少ないわけでもなかった。
89、自由発表
「別れ」でみんなが走ったので、ぼくも走ろうとした。
「待つのら、くぼ。くぼは、ぼくと一緒に発表するのら」と、ぼくの左手をつかんで華子が妙なことを言うので焦ってしまった。目の前には副顧問が女子生徒たちを見張ってるからだ。
「ええっ?」
「ええじゃなくて、2人で発表するのら」
「そんなのいいの? 立ち話いいの?」と、ぼくたちまでビンタされたらたまらないので焦って訊いた。
「人数の指定はないし、会話禁止の指示はないし、自由に発表するだけなのだ。ねえ、センセ」
「おっ、華子、ミーティングの話をよく聞いていたな。えらいぞ」と、なぜか逆に華子は褒められて副顧問に頭を撫でられてるではないか!
「そうなんだ」と、あまりの展開に意表をつかれた。
華子の余裕というか要領の良さには驚くべきものがあったが、自由発表なのだから何でも自由だと柔軟に考える発想も麻衣にはないものだった。麻衣は当たり障りの無さそうな中年の人に、上手に頼んで蛙逆立ちの技でも見せて、うまく自由発表をやりすごす計画だったのだ。
「先生、じゃあ、頑張っていってきまーす」
「しっかり、楽しんでこい」
「はい」
それから、他の子より出発で遅れを取ったので、華子の手をとってコンテナの反対の方角へと走った。他の子は1人で発表してるのに、急に2人で発表することになり、予定が狂った気がしていたが、ちょっとぼくの方が自由発表ということで緊張しすぎというか、テンションが上がり過ぎだった気がした。むしろ、自由発表なんだから、自由なんだから気楽にやろうという華子の方が理にかなってる気もした。適当な人が2人ほどいた。
「あ、おばちゃん。2人でアニメソング歌うから、聴いてよ」と勝手にどんどん華子が話を進めていく。
「あら、かわいい子たちねえ。いいわよ。歌を聴けるならモアベターだわ」
「はーい。歌いまーす。クボはボクの真似をして踊ってね」
「うん、わかった。みなさーん、さいごまで見てください」
それで、歌を2人で歌っていたら、「この子たち、可愛い」と、頼んでない人がどんどん集まってきてしまい、歌唱力を披露するなんてアイドルみたいで気分いい反面、≪素っ裸で、ワレメちゃん丸見えで歌うアイドルなんているか?≫と逆に赤面な面もある展開となってしまった。可愛いとおばちゃんが言うのは当然で、ぼくも華子も、2人で歩くと可愛い子のペアで目立つらしく、道路でもスーパーでも「可愛い」と言われたり、眺められたりするのは日常茶飯事で、まず他の女子部員でぼくと華子のペアに可愛らしさで勝てる子はいないと思うのだ。ぼくは少年みたいで元気でツンとしたかんじだし、華子は優しくてあたたかい女の子らしい雰囲気なので、二人で歩くと目立つことは以前から自覚はしていたのだ。しかし、いきなりお願いして、いきなり簡単にオッケーされてしまうと、≪ぼくのお願いをきいて、自由発表を見てくれる人なんているのかな≫と昨夜あたりから不安がっていたのは何だったのだろうと、かえって拍子抜けした気分だった。でも、無事に願いが届いて何よりだった。それよりも、どんどんアイドルみたいに人が集まってしまって、こりゃなんなんだ、と逆に見てくれる人が多すぎではないかと、そんな心配すらしてしまうほどだった。他の子は、頼みが通じる子も通じない子もいるみたいで、既に体操部で習った柔軟体操の技を見せてエビぞってる子もいたけれど、逆にまだ見物人にお願いしてる子もいて、どんどん麻衣たちの所に人が集まるので、焦ってしまい土下座して頼んでる部員までいた。
歌が1曲終わったところで、ぼくは不安を華子にぶつけてみた。
「ねえ、ラーちゃん。体操部の発表なのに、歌でもいいのかな?」
「自由なのラ」と、当然という顔の華子なので、もうそれ以上は訊かないで、なるようになれという気分で歌謡ショーを続けることにした。華子と違い、あまりテレビを見ない麻衣は、たまにアニメを見る程度だったので、歌詞は適当に歌っていた。華子はアニメ見て、パンを食べながら、キャハハハと笑うのが大好きなので、歌詞も正確だし、踊りも自分で考えたものなのか、面白い振り付けだった。簡単に手を前に出したり、横に出したり、ぐるっと回ったりと、保育園のお遊戯に近いものだった。≪こんなんで、いいのかな・・・≫とぼくは思ったけれど、それが可愛いと大評判だった。
小学生たちまで見に来て、「かっこいい」「かわいい」「恥ずかしい」とみんなで大騒ぎをしていた。
そりゃあ普段、普通に子供服姿で2人で歩いてるだけでも「可愛い」と道路を通行中の人が振り返るほどなので、その2人が真っ裸になって、お遊戯みたいにアニメソングを歌いまくってるんだから、「可愛い」という意味では幼児みたいで滅茶苦茶に可愛いだろうな、と自分でも思った。でも、アイドルじゃあるまいし、こんなに人が集まるとは驚きだった。
「こどもは可愛い」と一般論では言うけれど、現実論としては可愛い子供もいれば、あまり可愛くない子供もいる。可愛い子供でも、滅茶苦茶に可愛いこどももいれば、そこそこのこどももいるし、少しだけのこどももいる。やはり、どうせ見るなら少しでも可愛い子を見ようと、人々がこどもを選別してしまうのはグランドの自由発表とはいえ、仕方ないのかもしれなかった。ふと見ると、副顧問まで遠くから見てて、ぼくと華子の様子にバカうけしてる様子だった。
スッポンポンでワレメちゃんをフリフリして踊ってるのは幼稚園の子みたいな気分だったけれど、華子は幼児時代にこういう似たような経験があるのだろうけれど、ぼくの通った幼稚園は裸保育でなかったので、そもそも幼児でもこんな赤面な姿で人前で歌った経験はなかった。だから、もし自分が幼児で、もし裸保育の保育園とかのこどもなら、こんな体験をするのかな、というような気がしただけなのだが。
「はーい、リクエスト曲とか、ありますかー?」と、華子は、ますますエスカレーション状態だし、盛り上がり感がアイドルみたいで、リクエストしてくる小学生もいて、さらに幼稚さ爆発で、歌って踊れる女子中学生になっていたと思う。
4曲目に突入かという時に、「全員集合」と合図があり。
「みなさん、ありがとうございましたー。きゃはは」
「ありがとうございましたー」と言って、走ってコンテナの所に戻った。「面白かったのら」とニコニコ顔で2人は戻ったのだが、そうしたら、他の部員たちが疲れたような悲壮な顔をしてきおつけしていて、すぐに麻衣たちも、きおつけした。
「ちゃんと発表できたか? 発表できてない子はいないな?」
「土下座したけど、断られました」と残留組の部員がブスッと言った。
「あたしもなのだ。みんな麻衣と華子の所へ行ってしまうんだもん。頼む人がいなかったのだ」と葵がぼやいていた。葵はビンタされて、むくれていたので、ムッとした顔でお願いされても、≪何、この子?≫となってしまったんだと思う。あれだけビンタされれば、笑顔になる方が難しいだろうが。その反対に華子はにこにこにこにこと、これでもかというほど笑顔でフレンドリーで、中学生アイドル的なものがあったと思う。どちらを見るか選べと言われると、それでも葵を選ぶ人はかなり屈折しているとぼくでも思うのだ。
「理由は訊いてないぞ。今日、指示通り発表できなかった子は、学校に戻ってから体育館のコンクリートの上に体罰正座(全裸で正座して反省すること)1時間だ。きちんと1時間頑張れば、帰宅だし、それでもダメならお仕置きだ」
「えーっ」と葵は不満そうだった。
「それにひきかえ、華子と麻衣は、大活躍だったな。特に麻衣は、運動会でも大活躍だったから、きっと小発表会でも大活躍してくれると先生は信じていたぞ。期待通りの大活躍。あっぱれだ。ご褒美に帰りのバスで、華子と麻衣は抱っこしてやるぞ」
「きゃはは」と華子は面白がっていたが、ぼくは抱っこしてもらえるのは少し嬉しいと思った。
「さっき、ミーティングしたので、ミーティングはなしだ。すぐにバスに乗りなさい」
全員が幼児バスに乗り込むと、社会科の先生がいて、「さあ、少し時間オーバーしてるから、さっさと帰るぞ」と言っていた。運転は社会科の先生がしてくれるみたいだった。小さな椅子に副顧問はドカッと座ると、「華子、麻衣、俺の膝に座れ」と言われた。みんな乗ると座席数が少ないので、ひざの上に座ることになる子も多いのだけれど、まさか副顧問の膝に座れると思わなかったので意外性があった。ドアはすぐ閉まり、バスは走り出した。麻衣は右足に、華子は左足に座った。
「こら、華子、麻衣、向きが逆だ、それでは抱っこしてやれないぞ」と言われ、≪えーっ≫と思ったけれど、先生の足にまたがるように座ると、2人同時に抱きしめられてしまった。≪うわー、素っ裸で恥ずかしいから目立ちたくないと思っていたのに、結局、きょうも大活躍してしまったんだ≫と、強く抱きしめられて実感することができた。そうしたら、他の女子が「ふん、可愛いから、人気あるだけ」「いつも全裸で大活躍なんて、恥ずかしいだけ」とか、ぶつぶつ言ってる声がした。
「いつまで、抱っこしてくれるんですか?」と華子が面白がって訊いていた。
「ずうっと抱っこしてやりたいが、学校に到着するまでだな」と副顧問は言っていた。
バスが学校に到着すると、キーを預かっていたらしく、社会科の先生がランボの車のトランクを開けて、中から袋を出していた。ブルマには大きな名札の布が張り付いているので、袋の体操着が誰のものかは迷うことはなかった。やはり、ブルマに名札を付けてあるのは、ちゃんと意味があるのだなと思った。半袖シャツの方は裏地に名前を記入する部分があり、全員が記入してあるので、少し手間はかかるが迷うことなく無事に手元へ戻った。
体操着姿になっていると、自由発表で失敗した子が体罰正座をさせられていて、正座してる子の前に体操着が置かれていた。今日は女子体操部以外の生徒は既に誰もいないので、体罰正座でも恥ずかしくはなさそうだった。でも風があり、寒そうだった。最初から素っ裸なので、脱ぐ手間は省けただろうけれど、まだ右のお尻が痛いだろうに、さらに正座というのは大変そうだった。
「ねえ、面白かったね」と帰り道で華子が言った。
「好きな曲をカラオケみたいに歌いまくりだから、面白いけど、あれで良かったのかな」
「良かったも悪かったも、先生が大喜びしてたんだから、悪くないないのら。悪ければ怒ってるはずなのラ」
「それも、そうだね」と、真剣さの不足した、楽しいだけの発表だったので少し気になっていたが、ようやく安心した。
「副顧問があたしたちの大活躍をランボにも伝えておくって言っていたから、よほどいい発表だったんだよ」
「まあ、見てる人は喜んでたけどね」
いよいよ夜の帳が迫っているのか、周囲は薄暗く寒い。その通学路を途中で華子と別れ、≪わあ、また、大活躍しちゃった。また校長先生に何か言われるぞ…≫とか思いながら、せっせと帰った。
90、小発表会後の憩い
小発表会が終わり、とりあえず、しばらくは発表会はなさそうだった。
しかし、一度全裸発表をしてしまうと、≪この子は全裸にしてもいい子≫と見えないレッテル貼りがなされてしまうのだと思う。それまでは、部活で叱られる時などの、ごく限られた場面でだけブルマをとらされたが、運動会で全裸マスゲームをした後は、どこでも随分簡単に素っ裸にされるようになったと思う。普通の中学生なら、女の子だから常識的に脱がされないような場所でも、平気で素っ裸になるように言われて、≪全裸にしてもいい子と、思われてるんだな≫と、軽い子と思われてるみたいで赤面な気分がしてしまう。でも、本人の意思に無関係に変な場所でも裸にされるこどもだから裸教育児なのであって、更衣室とか部室で脱いでいても、それは普通の子だと思うので、裸教育児でも何でもない。だから変と思う方が変なのかなと、自分の感覚も徐々にくるってきているような気がしてしまう。裸教育児なのだから、裸教育されるのは当然で、その裸教育とは、脱いで教育をうけることなのだ。だからブルマ1枚とか素っ裸とかパンツ1枚とかの違いこそあれ、裸教育中のこどもは、みんな脱いで頑張るのは当然のことではある。それは分かっているのだが、それにしても、あまりにも頻繁に、あまりにも簡単に服を脱ぐように言われるので、≪うーん≫と思ってしまうことがあるということなのだ。
それに発表会がないというのは、「大きな発表会」がないという意味であって、小さな発表会というか、単に裸になって見てもらうようなことは多かったと思う。合宿とかで、こども虐待のようなメンタルトレーニングが日替わりのように手を変え品を変え連日行われたように、運動会後は手を変え品を変え頻繁にちょっとしたことで全裸にされたと思う。普通のこどもでは、有り得ないことだけに、やはり本気で裸教育児扱いをされていたのだと思う。それは、レッテル貼りをされたという言い方もできるし、単に簡単に脱がせることのできるこどもだから利用価値ができたということかもしれない。
小発表会で大活躍だったことは、すでに顧問も校長も知っていた。というか、学校の伝説になっていた。スッポンポンでアニメソングの歌謡ショーをしたと、全裸アイドルみたいだったと、みんな知っていた。目立っても恥ずかしいだけなのに、どうしてこんなことになったのか、華子に巻き込まれたぼくのせいなのかもしれないが、それにしても全裸で歌って踊れる女子中学生ということが、「軽い子」とみんなには面白かったようだ。
小発表会の疲れも右のお尻の痛みも回復し、元気に登校していたら、校長室にぼくと華子が呼び出された。
「自由発表で、爆発的大人気だったそうだな。ぜひ、校長や来賓にも見せてくれ」と言われ、≪えーっ、ここで…≫と思ったけれど、やるしかなさそうだった。体操着から全裸になるのは裸教育の部活動の延長みたいな感覚なので余り抵抗感はないんだけど、人前でセーラー服から全裸に脱ぐのは恥ずかしい気がしたので、ソファーの後ろに少し隠れるようにして全部脱いでから、校長と2人の来賓の前でアニメソングを歌った。
「場所が狭いので踊らなくてもいいよ」と言われたので、踊りはなしで全裸で歌だけ歌って、「かっこいいぞ」と誉められて教室へ戻った。…まあ、そんなふうに、これは一例にすぎないのだが、気楽に全裸にされるようになったと、肌で感じさせられた。
一方、部活の方も全裸になったのかというと、そうではなく相変わらずブルマ1枚という姿のままだった。それは練習まで全裸にするのは可哀想という配慮からではなく、いつも全裸だと本番の発表での緊張感がなくなるからダメなのだという話だった。裸に慣れ過ぎてしまい、新鮮さがない本番になるのが問題という話だ。何でも慣れることは一般的にはいいことなはずなのだが、全裸発表の場合、あくまでも観客からは「幼児とか低学年と同じような性器」に見える必要があり、中学生がそんなふうに見えるためには恥毛を剃るだけではダメで、緊張感で小さく縮み上がることが必要なので、慣れ過ぎるのは問題があるということだ。あくまでも本番の緊張感のために全裸にしないだけで、可哀想だからとか、そういう部員のための理由で脱がさないというわけではないのだ。それは顧問がそう言っていたので間違いがないことだ。「気持ちも顔も幼児並みになるだけでなく、性器も幼児並みにならないとダメだよ」と言われているので、やはり自分でも緊張は必要だと思った。
そんな訳でブルマで部活をしていて、どこかへ呼ばれて全裸になるとか、セーラー服でいる時に呼ばれて全裸になるというパターンが多く、最初から全裸でそのまま呼び出されたなんていうのは運動会の日くらいだったと思う。運動会では中学生たちの中に、特別参加で小さい子が混ざっていて、その小さい子が裸保育されている子というイメージだったようだ。だから、そもそも中学生とは思われておらず、どこかの幼児か低学年が混ざってると思われていたのだろう。それに、女子中学生が素っ裸になるということを知って、ヌード撮影会とかストリップ小屋のヌードモデルみたいな豊満な女子を期待して来ていた人もいたみたいだが、実際に見てみると幼児と大差なく、少し体の大きいだけの幼児を見ているようなものと分かり、がっかりした人もいたみたいだ。しかし、そもそも顧問の方針からして、中学生を幼児のような体と心に改造するということなので、無駄な期待だったと言うしかない。「こどもだから全裸でもいい」という発想の延長から全裸にしているのだから、こどもに見えないことには全裸発表なんてさせられるわけもなく、少し考えれば≪それも、そうか≫と分かりそうなものだ。結局、小さく、痩せてて、幼児みたいに見える女子たちに、失望した人は、すぐに運動会を去ってストリップ小屋とかへ行ったのだろうから、それはそれでいいと思う。でも、幼児が可愛いから好きという人には、運動会は最高の見世物だったと思う。部員は全員が、一人もデブも不細工もいなかったので、可愛いのは間違いない。しかも1日全裸でも違和感がないくらい幼く見える。みんなバンザイすると、あばら骨が見えるほど痩せてるし、麻衣などは部員の中では痩せてない方だったと思う。しかも小さく、体重も軽い。そのうえ発表前には、さらに食事制限をされて体重を軽くされたのだから、幼児みたいに見えても不思議はないと思う。
つまり、ずうっと全裸でも支障がないのは実証済みなのだ。だから部活がずうっと全裸でも問題なんてないのだが、本番でより幼く見せるために、あえて普段はブルマ1枚までにしてるということになる。でも、実はそんな単純なことが効果的で、いつもはブルマ1枚だからこそ、ブルマを脱がされる日は緊張するし、実際にどきどきしてしまうのだから、まさに顧問の作戦通りにされていると思う。まるで顧問の生きたオモチャみたいだが、実際に「生きたオモチャになりきれ。それが強い子だ」と教えられているので、オモチャみたいにされると≪強い子なんだ≫と嬉しかったり、集団欲が満たされたり、誉められたりで、逆に嬉しい気持ちになるようだ。オモチャの子みたいな発表だと、逆に気持ち良くて、もっとさせられたいと思うようだ。しかし、その一方、自由に何かしろと言われると困惑するようになったと思う。だから、華子が自由気ままで頭がいいという面も事実だろうけれど、部員の多くが自由を奪われることに慣れ過ぎていたことも、小発表会で華子とぼくと、その他で大差となった理由だと思う。
吉田は死んだけれど、「死んじゃったな」と顧問らから笑いながら言われてるのを見て、吉田が凄い軽い命みたいで、≪やだ、吉田、かっこいいな≫と思った女子もいたのは事実と思う。特に白木とかは、絶対にそう思っていたと思う。死んでしまうことを笑われてしまうことも含めて、手軽な命というかんじで、部員は手軽に弄ばれてるかんじが強いけれど、そういうのが好きな子には病みつきになる部活だと思う。ある意味、麻薬性があるのだとおもう。どんどん洗脳されていき、本人の意思に反して、どんどん変なことをさせられて喜ぶ子に改造されていくということだと思う。でも、時間的に改造時間の不足気味の追加組は暴力で屈服されられてるから、いざ本番の発表では反旗を翻して欠席してしまい、スポコンのバレーボール部送りにされてるということなんだと思う。もっとも、スポコンとかバレーボールが好きなら、利口な転身と言えなくもないけれど。
マスゲームに必要な技は、運動会までに全部教えられたかんじで、もちろん体操選手のように高難度な技なんてないのだが、柔軟性の要求される技や(それでも体育の厳しい小学校レベルの柔軟性が求められるだけで、中国雑技団の少女のような極端な柔軟性は必要ない)、筋力の要求される技は(蛙逆立ち1分など)、練習しないと難しいと思う。そんなわけで、技の習得も終わってしまったので、小発表会後は、技の練習もなく、体力づくりのサーキットトレーニングもなく、要するに基礎練習は全部終わってしまったかんじだった。その分は、恥ずかしさに負けない訓練とか、精神面の訓練に重点が置かれるようになったと思う。それから、マスゲームで一糸乱れぬ動きをする訓練とかも、マスゲーム終了後は逆に増えたと思う。要するに校内の発表だったので、全裸に負けずにそれなりに体操すれば合格ということだったのだろう。一度も本格的なマスゲームをしたこともないこどもに、多くを要求しても無理だと分かっていたのだろう。体操着では普通にシンクロした動きでも、全裸だとシンクロしなくなるものなのだ。それは様々な要因があるのだが、実際にシンクロしにくくなるのは事実なのだから仕方ない。ところが、冬の合同発表会は、校内ではなく、校外で見世物としてマスゲームをするのだから、観客が納得するような美しいシンクロした動きでないと見世物にならないということなんだと思う。それに他の学校のこどもが整った動きをしてるのに、麻衣の中学だけが乱れた動きをしているのも問題ということなのかもしれない。いずれにしても、マスゲームの技そのものは簡単でも、全員が一斉に寸分の狂いもなく動くというのは別の話で、それは相当難しいということなのだと思う。
でも、練習を重ねると、やってる本人の方が気持ち悪いくらいに、みんなの動きがロボットみたいにシンクロした動きになってきた。そりゃあ、毎日毎日させられていれば、上達しない方が変ともいえるが、運動会では整列が綺麗に整っていたくらいというレベルだったのが、全員が同じ棒に吊るされた操り人形のレベルになってきたのだから、大変な上達だと思う。四つん這いになり、右足を高く上げる「犬のオシッコ」という技でも、きれいに整然とした動きになるまで、何十回もしたのだから、シンクロした動きになって当然だと思う。
でも、単純な繰り返しの練習でも、次第に上達してくることも分かるし、きれいに整ってると≪いい子にされてる≫という感覚が強くなり集団欲が満たされるので、可哀想に思えるような繰り返しの練習であっても、もっとさせられたいという気持ちは強くなってくるので、案外頑張れるものである。
みんな同じ練習だったけれど、数日間だけ、ぼくと数名の女子だけ別の練習をさせられたことがある。幼児の喜びそうな、中学生には幼稚すぎる玩具が与えらえて、それを使って幼児になりきって本当に喜んで遊ぶように言われた。もともと、ぼくは幼稚園児に戻りたいと思ってるような子だったので、幼児用の玩具を与えられて遊ぶように言われて、普段のマスゲーム練習よりも、むしろ楽しく部活ができたと思う。他の子は、かなり嫌がってやっている様子で、普通のマスゲームの練習に戻してほしい様子だった。どうして数名だけが、こんな奇妙な幼児ごっこみたいな練習をさせられたのか、数日後までは意味不明だった。でも、次第に、先生にオモチャを与えられると、キャッキャと喜ぶようになり、オモチャを取り上げられると泣きそうになるようになってきたと思う。ひたすら幼児の真似をしていると、幼児退行する面もあるのかもしれないし、心の形が幼児と似てくるのかもしれない。幼児の玩具を楽しいと思えるには、心も幼児のような心にならないと難しい。赤ちゃんみたいに、おしゃぶりを銜えさせられて、それを心から嬉しく思うようになるように繰り返し練習させられた。最初はおしゃぶりを銜えてるだけなのに、次第に銜えることに嬉しさが感じられてきて、一歩一歩幼児の心に近づいていけたと思う。こんなことをさせられるのは幼稚っぽくて恥ずかしいけれど、どんなことでもする約束なので頑張った。ブルマをとらされて、素っ裸でおしゃぶりを銜えさせられて、そのまま転がって、新聞紙の敷かれた上にオシッコをするように言われたのが、一番ショッキングな練習だった。その姿は女子中学生というより、乳児そのものだった。
ぼくの番になり、ブルマを脱がされて、真っ裸にされてから、しゃがんだ。そうしたら先生におしゃぶりを口に押し込まれて、嬉しさと恥ずかしさで目が涙で一杯になり、そのまま新聞紙の上へ転がって、マタを開いた。それでオシッコするには、女子中学生のプライドは捨てねばならず(赤ちゃんになりきらないとオシッコが出てこない)、涙で前が見えなくなりながら、顔を泣きそうな幼児のように歪ませて、拡げたマタから本当にオシッコを出した! 赤ちゃんにされた、惨めさと、恥ずかしさと、嬉しさの気持ちです。それで、先生に体育館の雑巾で、マタに付着してるオシッコを拭きとられて、お尻をポンを叩かれて終了したのだけど、文字通り赤ちゃんになりきったと思う。
「かっこいいぞ」と先生に誉められて、「ありがとうございました」と言い、自分の番が終わった。全員がさせられたなら納得なのだが、どうして数名だけが、こんな特別恥ずかしい練習をさせられたのか不思議だった。白木もオシッコを終えて、先生に乳児みたいに、マタを拭かれていた。
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