ひよこ日記 第17節
76、ラテンダンス
軽いリズムに乗って楽しく踊る。それは素晴らしいと思う。でも、つい数秒前まで、惨めなこどもの全裸死体姿になりきって2分間も頑張ったのに、CDラジカセからラテン音楽が流れた途端に踊り狂ってるんだから、≪これって、どんだけー≫と、どこまで軽いノリなのか、その変わり身の早すぎるのが、幼稚なかんじで恥ずかしいと思った。でも、それだけでなく、軽いのはいいけれど、軽すぎて軽薄感が漂う踊りなのは、どんなものなんだろうか。≪普通なあ、いくら幼稚なこどもだからって、素っ裸になってるのに、オチンチン振り回すか。女の子だけど≫と、思った。足をがばっと開いた状態で、ワレメちゃんを前後させるなんて、まるで「おらおら、おまんこだぞー」と言ってるようなもので、粗野で軽薄なかんじがする。そのことが、ぼくの神経を逆なでするし、こんなこと、したくないよ、と本心では思ってる。でも、見てる人は、大笑いして喜んでいた。
「うわー、幼稚っぽいねえ」
「まだ、恥ずかしいって、分からないんだよ。だから、平気であんな恥ずかしいことできるんだよ」
「小さい子だから許されるんだろうな。大きな女の子がしたら、みんな引くと思うもんな。小さい子だから、可愛く見えるんだな」
お客の目の前で踊るように変更されたものだから、起き上がった瞬間にお客の前まで走っていったら、「わあ、近くで、おしっこのスジ見ると、小さい子でも、どきどきしちゃうね。見てる方が恥ずかしい感じ」とか、「うわあ、丸裸でこんなに近くまで来られると、やらしいなあ」とか、それだけで興奮されたのだ。それなのに、見物人の近くまで行った途端に踊りだして、おちゃんちゃんを見物客に突き出してるんだから、やってるぼくは、ぼくと全然違うぼくを演じてる気分だった。それに、やらしい腰つきをさせられることも、嫌悪感や抵抗があったのだ。ところが、軽薄で、バカで、軽いだけの踊りを強制的に人前でさせられてみて、≪こんな、恥ずかしいことを、本当にしてるぼくって、健気で可愛い子だな≫と、逆に自分がいい子に感じられて、恥ずかしさで目は潤んでしまうんだけど、とっても気持ちいいことに気づいた。あまり拒否感のない踊りをさせられても、ただ踊るだけになるんだけれど、拒否感のある嫌な踊り(つまり神経を逆撫でする踊りのような)を強要されると、嫌で仕方ないことをさせられてるはずなのに、それでも健気に従順に頑張る自分が可愛いなと興奮するのと、酷い事をさせられてる粗末に扱われてるという気がして、人前でぼくってこんなに酷いことさせられて可哀想とマゾみたいに興奮してしまうようだ。マゾでなくても、みんなマゾ的要素は持ってるので、酷いことを強制されてると思うのは、≪やーん、ぼくって可哀想すぎる≫と、興奮してしまうのかもしれない。興奮というより、快感と言う方が近いかもしれないほど、エッチで気持ちいい興奮だと思う。
人前で踊ってみて、初めて、変なことを強制されて素直に従うのは快感なんだ、ということを知ったと思う。でも、変なことをさせられて気持ちいいなんて変態少女だと思うので、あまり虐待まがいの強要に病みつきになってしまうと、白木みたいに生きたオモチャにされてしまうので、あまり虐待中毒にならないように注意しないとダメだな、と、思った。別に変態少女なら変態少女で、本人が気持ちいいなら、それでいい事なんだろうけれど、本物の変態少女にされてしまうと、酷いことをさせられて虐待されてないと精神の安定を損ねるような気がするのが怖いと思う。ずうっと中1でいられて、ずうっと変な踊りを強制されるなら、本人さえ満足なら変態でもマゾでも何にでもなればいいけれど、変なことが病みつきになったのに、年齢が大きくなったからと変なことも卒業させられたら、本人は欲求不満になり、それを解消できなくなることは目に見えてると思う。
とはいえ、今日だけは、目の前でぼくを見物されてるんだから、気持ちいいと感じている方が、恥ずかしいと思うような苦痛は少ないと思うので、快感を素直に甘受した方が良さそうだと思った。変態なことをさせられて快感があるなら、その快感はモルヒネの役割をはたしてくれて、苦痛を追い払ってくれるだろうから、病みつきになるとかならないとかを心配するより、とりあえずは受け入れる方が精神衛生に良さそうだと思った。
でも、踊れば踊るほど、もっともっと下品におちゃんちゃんを人前で振り回したくなり、≪やーん、このままでは変態少女になっちゃうーん≫と、変態行為を頭では拒絶してるのに、ぞくぞくする体がほしがってるみたいな変な状態になった。
ところが、3度目の踊りの繰り返しのところで妙なことが起きた。ぼくの近くでラテンダンスをしていた少女が、突然、マタを開いたまま、後方へ倒れてしまったのだ。あれ、どうしたのかな、と思った。誰かなと思うと、吉田だった。吉田は別に病弱でもなく、心臓が悪いとか、どこかが悪いとかいう持病もないはずだ。こんなに秋風が涼しいのに、いくら汗ばむ踊りだからって熱射病とは思えなかった。≪きっと、貧血だな≫と思った。とりあえず、「発表中は何が起きても踊りを続ける事」と言われてるので、倒れている吉田を横目に踊り続けた。6分くらいの踊りなので、3度目の繰り返しで倒れたということは、あとラテンダンスは2分未満ということだ。しかし30秒くらい経っても吉田は起き上がらず、さっきまで元気にマタを突き出していただけに奇妙に思った。副顧問が駆けてきて、片手で軽々と吉田を小脇に抱えて持つと、コンテナの方向へ運び去った。でも、このまま吉田は戻ってくることはなかった。校医は原因不明の脳内出血と診断書に書いたそうだが、実際の死因は不明のようだ。時々、部員が亡くなるという噂は本当だったのかもしれないし、たまたま吉田が突然死しただけなのかもしれない。変な踊りが全部終了した時に救急車が来たので、その時、ようやく軽い貧血でなかったんだな、と思った。「ノーガードで倒れる時に、頭を強打したのかな、運がないな」と後日副顧問が言っていた。「変な踊りで死んだんだよ」と、部員は葬式の後で噂していた。一方、吉田を広場から運び出した副顧問は「女が一人死んだだけ。仕方ないこと」と冷静だった。
吉田が運び去られて、しばらくて、連鎖反応のように葵が倒れたが、単なる貧血か何かだったみたいで、倒れてから10秒くらいで起き上がっていた。2人もバタバタと倒れられると、落ち着かない気分にさせられたが、ぼくは見かけに反して丈夫だったみたいで、最後まで貧血も何も起きなかった。やはり無茶苦茶に緊張するのと、激しい踊りに体力を使うのとで、例年急に気持ち悪くなったり、急に体調が悪化することは、全裸発表では時々あるみたいだった。こどもの体や心に無理させてる発表なので、たまに無理に耐えきれなくなるこどもが倒れるのは仕方ないと思う。倒れるのは可哀想だけど、それも裸教育のうちなのだと思う。女の子を限界まで苦しめるクロッツ走のように、高い確率で倒れるわけではなく、それに体育の授業でも高温の日には女子がバタバタと倒れたことがあったので、裸教育の発表だけが特別に倒れやすいということでもないと思う。
最初は嫌いだったラテンダンスだったが、途中から快感に変わったので、ラテンダンスにも肯定的な評価が出来るようになった。ようやく3度目の繰り返しが終わると、今度は運動場に仰向きになって、体を小さく丸めて両手で脚を抱えた。頭を両足のひざに密着させて、つぎの音楽が鳴るのを待った。すると、5秒ほどして、タブーの音楽が聞えてきた。
77、タブー
ここまでで、よく失禁の話が出てくるが、若い男の人だと外部からの衝撃くらいで失禁はありえないので、話を面白く脚色してると思うかもしれないが、そんなことはない。やはり女性は尿道が短いのと、精神的な緊張に対するストレスに弱く、みんなではないが、実際に部員はけっこう失禁していた。下の写真は新体操を発表中の大学生だが、大学生くらいであっても、ちょっとしたことで漏らしてしまうことはあり、おしっこでレオタードが濡れていることが分かる。微量だったので、発表には影響しなかったのは幸いであるが。
この日も、体罰はまだないにかかわらず、タブーの踊りの冒頭で、ふと白木を見るともなく見ると、失禁してワレメの部分が濡れてるのが分かった。やはり「変な踊り」は、簡単そうにみえて、かなり変な内容なので精神的な動揺や変化も大きく、初めて全部通して体験させられてる途中で、思わぬハプニングもあるのかもしれない。でも、ビンタされたわけでもないし、ノーガードで倒れるのには何度もやってて慣れてるはずなのに、どこで漏らしたんだろうと、手で足をかかえて丸くなりながら思った。仰向きに手で足を抱えて小さくなるが、途中でイントロが流れたら自由に向きを変えていいことになったので、丸くなりながら右方向に転がったら、体を丸めている白木の足の隙間から性器が見えたのだ。でも、他人の失敗に同情してる余裕はなかった。イントロは短く、すぐにテーマ(主題)が流れて体をゆっくりと伸ばしダンス開始だったからだ。組体操のように二人一組とか数人一組ではないので、突如麻衣の隣にいた吉田が「変な踊り」から脱落したが、単にスペースが広くなっただけで、全体への影響は感じられなかった。こういうハプニングがあっても困らないように、ペアで踊るとかペアで絡む部分を避けているのかもしれない。≪ちょっと貧血か寝不足で倒れただけだろう≫と、常識的に軽く症状を考えただけで、テーマ音楽に合わせてストリップダンスを踊り始めるころには、ぼくは吉田のことは忘れていたと思う。細かく指導されて、ほぼ動きは体で覚えてるとはいえ、教えられた通りにするのは、大変なので、他のことを考えてる余裕は少なかった。
こちらは意味も分からずに、教えられた通りに演じてるだけなのだが、教えられた動きは実はかなりセクシーな動きのようだ。近くで見てる男の人が「おおっ、スゲー」とか「むっちゃ、いやらしい」とか興奮しているので、相当にセクシーな動きをさせられてるんだなと、ようやく理解できた。大人の動きの模倣なのだろうが、それぞれの動きにどういう性的な意味があるかなんて、小学校を卒業したばかりのこどもに分かるわけもなく、ただの体操気分で教えられた通りに動いていただけなのに、「めっちゃセクシー」とか「チビッコとは思えないエロさ」とか言われてしまい、ダンスをしてる方は何の興奮もないまま、周囲を興奮の渦に巻き込んだという意味では特筆すべき踊りだった。でも、両手で右足を3回擦るところや、手で自分の体全体を触るところは、お風呂で体を洗ってるみたいで気持ち良く、≪これが、大人の官能かしら≫なんて思いながら踊っていた。でも両手で性器のスジを擦るところは、≪なんか、メンタルトレーニングみたいだなあ≫とは思ったけれど、大勢いる見物人の前でスジを擦ると、エッチな性的快感みたいなものがあり、思わず「やーん」と言ってしまった。「あの、チビッコ、ヤーンだって。一人前に性器いじりして、感じちゃったんだね」と笑われてしまったので、うっかり声を出してしまったことを後悔したけれど、自然に出てしまったんだし、既に出してしまったものは仕方ない。さらにセクシーに踊って、お客の方を見てやらしいポーズをしたあと、ウインクした。ウインクも指示通りなのだが、「わあ、こどもが一人前にウインクした」とか笑われてしまい、観客の反応のいいダンスなんだなと思った。最後に体育すわりになった後に、足を左右に大きく開いたら、「おっ、こどもが本物のストリップショーみたいなことをした」と、またしても笑われてしまった。ストリップダンスは服を着てするから、期待感を煽り、扇情的なのに、ここでの女子中学生の発表は、最初から素っ裸だ。それで、見てる方は興奮するものなのかと疑問だったが、女の子がやらしい動きをすれば、服の有無にかかわらず異性は興奮するものだと知った。もっとも、性的興奮というよりは、≪おお、一丁前≫と笑われてただけかもしれないが。もちろん、言われた通りに踊ってただけで、これのどこら辺が官能的なのかなんて分かりもせず、ぼくにとっては手足を曲げ伸ばしする運動と大差なかったけれど、でも、自分の手で自分の肌や自分の変な部分に触り、砂まみれになって空き地を転がっていると、全身の皮膚が刺激されるのか、快感は得ることができた。似た快感を思い出してみたら、小学校時代にブルマ1枚で砂場の砂に、体をこすりつけて喜んでいたことを思い出した。ブルマ1枚で交換されたばかりの新しい綺麗な砂の上に腹這いで寝ていたら、友達がぼくの両足を持って引っ張ったので、ブルマの隙間からマタに砂が入ってきて変な快感が全身に走り「やーん。エッチー」と言ってしまったことがある。その時の砂が気持ちいい感覚と似ていると思った。性器とかマタに砂粒がついてると、妙に気持ちいいことがあるけれど、そういう気持ち良さに似てると思った。腹這いでエビぞって、空き地の砂に性器を擦り付けるような動きもあったので、全身も性器も砂まみれで、だから砂遊びの快感を思い出してしまったのかもしれないが。でも、体操すわりから、両足を開いて、マタを見せた後、そのまま前屈して両手を両足の下に入れさせられた。ここらへんは、大人のストリップダンスというよりも小中学生向けの体操だと思う。一見大人のような姿を見せた後、でも実はやはりこどもでした、と、そういうオチにしてあるようだ。腹這いで、両手も両足も左右に開き、両手を両足の下に入れるのは、実は今回最も難しい技だった。けっこう柔軟性が必要だし、マタの痛みにも耐えないといけないからだ。姿勢そのものも、かなり苦しく、足で手が抑えられてるかんじで身動きがとれない。それに恥ずかしい。ストリップダンスを踊った女子部員全員が最後はこの恥ずかしい格好にさせられる。次の踊りが始まるまで、この格好でいなくてはいけないのも恥ずかしい。案の定「こどもたちが、変なこと、させられてる」と笑われてしまった。ゆっくりしたダンスで疲労回復の意味もあるはずのストリップダンスのはずなのに、けっこう体力を使うみたいで、全部終わって両手両足を左右に開いて顔を空き地にくっつけている時、フーフーと息が速いのを感じた。
踊る方には、少なくともぼくには、砂場遊び的なストリップダンスだったが、見ていた異性はけっこう興奮できたみたいで、「やっちゃいたい」とか、「はだかのこども一匹つかまえて人間ダッジワイフにしたい」とか言って喜んでる人もいた。「そそられた」「最高にやらしかった」と絶賛されてしまったので、ぼくたちの砂場遊びも味方によってはセクシーに見えるんだなと知った。というか、それが普通で、むしろぼくの方がこどものだけなのかもしれないけれど。
手足を左右に開いてると、お尻の山も開くようで、肛門が空気にふれてるかんじで、秋風でマタがスースーするのが感じられた。≪そういえば、ぼくたちって、エッチなことをさせられてる最中なんだ≫と、そのことが思い出させてくれた。小6の時は、こんな場所で全裸なんて幼児だけだと思っていたけれど、中1の現在では、自分の幼児みたいに縮んでる性器と砂まみれの全裸の体にされて、ぼくはまだこういう場所で全裸にされるくらいこどもなんだな、という気がした。ここで運動会する幼児を見て、こんな場所で全裸にはなれないと思ったくせに、いざ全裸にされてみると、ぼくなんて幼児と大差ないという気分になってしまっていた。精神は顔に表れるので、きっとぼくは空き地で幼児みたいな幼い顔をしていたと思う。
こうしてストリップダンスは無事に終了し、ますます気分は高揚してきて、いよいよ「最後の踊り」を踊るだけになった。一番意味不明(ストリップダンスは、やらしい踊りをこどもが実演させられるんだな、とか、それなりには意味が分かっていたと思う)な踊りだけを残して、他の女子と共に、空き地に這いつくばって、両手両足を左右に伸ばしていた。
78、部員一名減で最後の踊り
先に倒れた吉田のことを書いておくと、救急車が来た時点で既に心肺停止でそのまま救急車は帰り、学校で校医が突然死と死亡診断書を書いたようだ。公園に蘇生装置などないし、胸を押したりマウスツーマウスをしたが効果はなかったようだ。全部噂なので実際はどうかは知らない。とにかく部員が1名減ったままで発表は続き、吉田とは友達でもなく野次馬根性もないので法事にも興味なく、倒れた姿を見たのが吉田を見た最後だった。学校は人数がとても多いので、時々死ぬ子供も様々な要因でいるけれど、それは仕方ないことだと思う。発表中に倒れただけで因果関係はないと校医は言っていたようだ。
でも吉田を見ていた部員はノーガードで倒れた時に石で頭を打った、吉田のいた辺りには大きな石が埋まっていて、その石に頭から落ちたと言っていた。その石はぼくは見ていないが、大きな石が埋まっていても何の不思議もない、もともとの整地したときの地面のままのような空き地だった。吉田は普通に倒れず、気合が入っていたのか、ジャンプをするように足が浮き、頭から落ちたのだという。 事実かどうかは知らないが、やはり有料施設よりは事故の起きるリスクが高いのは整備されていないから仕方ないことだと思う。吉田の倒れた場所の石は「吉田石」と呼ばれて、今もあるらしい。
ストリップダンスが終わって、間抜けな辛い姿勢をさせられていた部員だったが、次の音楽が始まるまでには20秒ほど間隔があるので、音楽もなく変な姿勢を続けてるのは、カッコ悪いなあとぼくは思った。もちろん、カッコいいと思っていた部員もいるかもしれないし、それは自由なのだが。人前でこんな格好をさせられるのは、白木とかなら好きそうだし、華子とかは「バカうけなのラ」と面白がっていそうな気がする。
いよいよ音楽が流れて最後の踊りになった。これは体育館で何度か踊っているのだが、全部寸止めで、お尻を叩いたことは一度もない。小学校ならタンバリン使用でお尻を叩いて練習できるのだろうが、中学にタンバリンはないらしく、一度もお尻を叩いて踊ったことはなかった。ところが今日は、どれだけ強く叩いてもいいという説明だった。それどころか「お尻を叩く音を聞いてもらう踊りなのだから、見物人全員に聞こえるような大きな音を立てなさい」と言われた。でも一度も叩いて練習してないのに、大きな音なんて出せるのか疑問に感じていた。もちろん、先生から体罰でスパンキングはされている。顧問や副顧問からだけでなく、小学校時代にも体罰教師だったので、スパンキングは日常茶飯事だった。だから、ぼくのお尻を強くぶたれた時、お尻から大きな音がするのは知っていた。でも、それは先生が叩いたものだ。だから、どのくらいの強さで叩けば、あんな風に大きな音がするのかは分からなかった。体罰で自分で自分を叩かされた経験もあるけれど、でも、それはお尻が赤くなれば許されたので、強くはぶったが、音の大きさには関心もなく、どのくらいの大きさの音だったかと改めて言われても記憶にないとしかいいようがない。
ここまで発表や部活の大変さを書いてきたので、≪女の子なら、何も大変な部活をしなくても楽しいことなんて多いのに≫と思うかもしれない。それも事実で、女の子は男よりも自由度は高いと思う。服装も男よりは好きなものを着れる。男がセーラー服とかのスカート姿だとそれだけで陰湿にネチネチと職質される。だから法律に書いてなくても事実上の禁止と同じことなのだ。でも、女の子なら長いスカートでもミニでもタイトなものでもプリーツでも、何でも自由だ。今はダメだが、少し前なら、女の子はいつでもどこでも全裸が許されるという全裸特権があったほどだ。それから、行動でも男より自由だと思う。男が化粧するのは最近は普通になってきているとはいえ、やはり変わり者扱いされやすく、やりにくい。でも女なら化粧しても普通でしかない。行動できる幅も広いし、多少不細工でも化粧で誤魔化せば美人を気取ることだって可能なのだ。そんな風に楽しい事も多いから、将来親の遺産で生活しようと思ってる子なら内申書なんてどうでもいいので、帰宅部になり、家でやりやいことをして遊んでるのも、ありだと思う。しかし、その一方、上辺の楽しさだけでは、本当の人生の充足感は得られにくいと思う。体操部は大変だが、頑張れたという喜びや満足感も大きいと思う。この小発表会も結果的には、かなりの満足感があったと思う。帰宅するのも楽しいはずと書いたけれど、ただ麻衣の中学は厳しいので、部活をやらずに帰ったりしていると、生活指導の先生に生活指導室に呼び出されて定期的に叱られることになるので、そのプレッシャーとストレスから逃れようと、結局は内申点に興味ない子でも、部活を始めてしまうということだと思う。でも、文化部は走らなくていいので楽なのは楽だけど、面白くないと思う。たまになら面白いだろうけれど、毎日毎日似たようなことをしてるんだから1週間で飽きてしまいそうだ。文化部でなくても、あまり体力のいらない部もあるにはあり、その一つが女子体操部だと思う。しかも朝練も少ないし、顧問もネチネチした陰湿な人間でないのもいいと思う。しかも、ほとんどが1年生なので上下関係も上級生からいじめもなく、いい事ばかりとしか言いようがないのだ。
尻たたきの話のついでに書いておくと、体操部の尻たたきで、平均台にまたがって尻たたきということがあった。平均台を使う運動そのものが女の子向きの運動だと思うので、その平均台の上で体罰というのは、本当に女子らしい体罰も言えなくなかった。
最後の踊りが始まって前半部分はもともと尻を叩くところがないので、体育館での練習と本番では差はなかった。人が大勢見ているということが違うだけだ。ところが、後半になってみると、体育館と本番では大違いだった。(つづく)
79、尻たたきの踊り
小6の時に、余りにも一般の人目の多い(つまりバスターミナルを行き来する人から丸見えの)空き地であることから、幼児専用(赤ちゃん同様な幼児が全裸になって使うには問題ない場所)の空き地というイメージで見ていた場所で、いよいよ発表はクライマックスの「尻たたきの踊り」になった。音楽も前半の女の子らしい無邪気さを表したような音楽から、リズムが際立った尻を叩きやすい音楽へ変化した。この空き地で全裸になるのは、バスターミナル内で全裸になるのと変わりないと思う。なにしろバスターミナルと空き地の間に遮蔽物は何ひとつないのだから。だから、幼児ならバスターミナルでもスーパーマーケットでも田舎なので全裸でも大丈夫なので、ここのバスターミナルの一部のようにさえ見えてしまう全裸になるには赤面な空き地でオチンチンやワレメちゃんを丸出しにしていても大丈夫なんだな、と、つい昨日までそう思っていた。つい昨日というよりも、数時間前まで、そう思っていたと思う。既にぼくは幼稚園卒園どころか、小学校まで卒業してしまった。そして重いアダルトなセーラー服を着て中学校に登校してるのだし、大人と同じように恥毛だって生えてる年齢なのだ(ただ完全に恥毛は剃られてしまい、その後も複数回剃られている)。中学生なんて幼児よりは、体の大きさからしても、社会や世界の仕組みが分かってることからしても、むしろ高校生とか大学生に近いと思う。つまり、「大人」だし「大きい子」なのだ。学校の担任は中1を評して「まだ大人のような子供のような年齢」とは言っていたが、「赤ちゃんのような、乳児のような年齢」とは言っていないし、絶対にそんなはずはないはずだ。幼児なら、「赤ちゃんや、乳児と、そんなに大差ない」と言っても、実際にその通りだし、赤ちゃんならまだ「人格もなく、いつでもどこでも素っ裸でも何も問題ない」というのと同じ理屈で、赤ちゃんと似たようなものの幼児も性器丸出しで問題ないということなんだろう。ぼくは学校では裸教育で全裸発表させられたけれど、それは教育機関内で(ぼくへの教育のために)全裸にされたということなのだから、病院で患者が必要に迫られて裸になるのと大差なく、それは中学生でもさせられても裸教育なんだから仕方ないことで我慢するしかないと思っていた。でも、学校周辺なら、まだ学校の(マラソンとか野外学習で)利用してる範囲ということで、裸にされてても多少は納得できるのだ。なにしろ小6の時にはブルマ1枚でマラソン大会させられた経験があるほどなのだから。あと、外から視界的に遮蔽された有料の町営施設みたいな場所なら、学校施設の一時的な代用施設ということで、多少は裸教育されても納得できる面もあると思う。しかし、このバスターミナルの横の空き地みたいな場所は、学校の周囲でも近辺ですらなく、完全に学校とは別の場所なのだ。しかも、繰り返し言うように、教育と無関係な不特定多数の人々から丸見えの場所で、こんな場所で全裸になるのは、スーパーマーケットで全裸でお使いをするのと同じことで、≪出来るわけない≫というのが、つい数時間前までの認識だった。もちろん学校では、「中学1年くらいの女子なら、緊張すると性器が縮み上がるから、幼児のような性器に見えるから、人前で丸出しでもやらしくないのだよ」とか、「人前に全裸で出されると、緊張から顔も性器も非常に幼く見える。体とか、顔が変化するから、中1でも幼児のように見えてしまうから、何も問題ない」とか教えられていた。実際、全裸にされて緊張してるぼくの顔は、普段と比べると驚くほど幼く見えた。それに性器も実際に、自分でも驚くほど小さくなってしまい、緊張で赤ちゃん並みになるというのも本当だった。もし、この状態のぼくを何も知らない人が見たら、非常に未熟な女子に見えてしまうのは当然だとおもう。それに、体の大きさも、実際に隣に幼児がいるわけでなく、比較対象のない場所では、心理的影響を大きく受けるというのだ。全裸だと、「なんだ、赤ちゃんの延長みたいなやつか」という心理的に見下す気持ちから、実際よりも体のサイズが小さく見えてしまうというのだ。これも本当で、運動場のマスゲーム中の他の女子の姿を見て、とても幼く小さく見えてしまった体験もある。こどもでさえ、全裸の女子が小さく見えてしまうのだから、大人の視点からなら、さらに心理的効果が強く働き、ぐっと小さく見えても不思議ないと思う。現実に今日、この空き地で「どこの保育園?」「もうすぐ小学校の子なの?」と本当に言われているのだ(信じられない話だが本当なのだ)。でも、幼児みたいに見えるとしても、女子中学生であることは歴然とした事実なのだから、スーパーマーケットでスッポンポンになれないのと同じ理屈で、こんな人目だらけの場所で全裸になれないと思うのは当然だと思う。こんなターミナルで服や下着を脱ぐのは変態なことで、絶対に女子中学生にできるはずがないと思っていた(数時間前までは)。ここに連れてこられた女子中学生が、「全部脱げ」と言われれば、普通は激しく動揺すると思う。ところが、学校で全部脱がされて丸裸でここに連れてこられて、バスから降ろされてしまったのだから、例え幼児専用のオチンチン広場みたいな場所であったとしても、もう真っ裸でいるしかないのだ。恥ずかしいし、すぐ横のバスターミナルには寒くなってきたので厚着をしてる普通の乗客がいるのだ。どんなに着たいと思っても、どこにも自分のパンツ1枚ないのである。しかも、到着してすぐに発表が始まってしまい、スーパーマーケットで全裸にされてるみたいな恥ずかしさを払拭できないうちに、踊らされているのである。そして、気付くと、既に「変な踊り」のクライマックスの「尻たたきの踊り」をさせられるところなのだ。
スーパーマーケットで全裸で踊らされたら人が集まってきたようなもので、バスターミナルの人がもっと近くで見ようと、バスターミナルから空き地へと集まったので、空き地には大勢の見物人がいた。超満員というほどではないけれど、バスターミナルの人半分、もともとの見物人半分というかんじである。去年は見物人が少なくて、空き地はガラガラだったという話が嘘のような盛況ぶりだった。音楽が恥ずかしい尻たたきの踊りに切り替わったので、心臓が一層高鳴るような気分だった。≪こんな恥ずかしい場所で、自分で自分の尻を叩く、まるで体罰中のこどものような姿をさせられるんだ≫と思うと、エッチすぎて、おしっこをちびりそうな気分だった。
「こんな恥ずかしい場所で、こどもに尻たたきさせる方もさせる方だが、素直にする方もする方だ」と言われてしまいそうだが、踊らないと頑張っている他の部員の努力を無駄にしてしまう(発表が失敗してしまう)ので、仕方がないと思う。するしかない状況に追い込まれてしまってるんだから、どんなに恥ずかしかろうが、どんなに惨めだろうが、どんなにエッチだろうが、するしかないのだった。≪よし、する子になるぞ≫と気持ちを切り替えてするしかないのだ。ブルマ姿とかでするなら恥ずかしくなくても、丸出しの子がすることとしてはエッチすぎると思った。
踊りが始まり、いよいよ最初のスパンキングの所に差し掛かった。気合を入れて尻を叩くように、声を出して尻たたきするように言われていた。やはり黙って尻を叩くよりは、気合が入るということなんだろう。「おっこ、ほい」と言って、自分で自分の尻をバシッと叩いた。大きな音が出たので、少し驚いた。全員で一斉のお尻を叩くので、女子全員のお尻の肌の音が加算されて、これなら空き地の隅々にまで女子の尻の肌の音が響いたと思う。恥ずかしい音なのかもしれないけれど、大きな音だったのは、カッコいいと思った。見物人も驚いてるみたいだった。
「あんなに大きな音させて、お尻が、痛くないのかな」
「やだ、なんか、可哀想」
「惨めな子たち」とか話してるのが聞えた。ちょうど観衆の風下だったので、話してることが良く聞こえるみたいだ。でも、何を言われたとしても、もう最後まで頑張るしかなさそうだった。
次は連続して3回尻たたきだった。「おっこ、ほい、ほい、ほい」と、3回自分で自分の尻を力一杯ぶった。体育館でランボに叱られて、ブルマを脱いで自分で自分の尻をぶたされた時は、手が痺れるだけ、お尻が痛いだけだった。繰り返し繰り返し20回くらい尻たたきをさせられて、ぼくの右のお尻が真っ赤になったら、ようやく「よし」と言われた。体罰の後、鏡で見たら真っ赤だったので、本気で尻たたきしてたのだと思う。弱く叩いたり、きちんとしないと、いつまでも尻たたきを続けさせられるので、一瞬は痛いけれど、力一杯尻たたきをする方が結局は楽なのだ。いつまでも延々とさせられて泣き出していた部員も見ているので、そういう恥ずかしいことだけは避けたかった。体罰で実際に女子部員がさせられている体罰と同じ姿を、発表でさせられるのは、まるで部活のこどもの秘密を見られてるみたいで、気恥ずかしい気がした。でも、体罰で尻叩きするのは痛いだけなんだけど、人前で尻叩きをすると痛いだけでなく興奮するのが分かった。「やだ、お尻痛そう」「可哀想」などと言われると、上半身をおじぎするように低くして、お尻を突き出して尻たたきするという幼稚っぽい姿をするだけに、≪お仕置きされる幼児みたいに見えるのかなあ≫とけっこうドキドキする。自分で自分の尻をぶたされる幼児みたいな幼稚っぽい赤面さがあって、「おっこ、ほい」をするたびに、興奮が増すのがかんじられた。
女子全員がバシバシと目一杯自分の尻を叩くので、見てる方も、爽快感があったと思う。小さな体で目一杯頑張るこどもにさせられてる気がした。可哀想な嫌なことをさせられてるから、逆に辛さから脳内麻薬が出るのかもしれないが、5回連続で尻をぶつ辺りから、自分で自分の尻をぶつことに痺れるような快感があるのに驚いた。全裸の体で人前で自分で自分の尻をぶつのは気持ちいいんだと、驚いてしまった。もしブルマを脱がずに尻たたきしていたら、辛さ不足で脳内麻薬は出ず、痛いだけ辛いだけの尻叩きに終わったかもしれないが、ブルマを脱がされた真っ裸の体で尻叩きさせられることで、そして人前でさらしものになることで、自分で自分が可哀想すぎて気持ち良くなるのかもしれないな、と、思った。
「おっこ、ほい、ほい、ほい、ほい、ほい、ほい、ほい、ほい」と7回連続で尻叩きするころには、「かいっ、かんっ」と、叫んでしまいそうだった。女子中学生の小さな真っ裸の体が快感に震えてるなんて、エッチと思うかもしれないが、実際に気持ち良かったんだから仕方ない。最後に連続「おっこ、ほい」をするころには、本気で自分の尻をぶちまくっていたと思う。この時、ようやく、この踊りの意味を理解できた。要するに、大勢の人の前で、自分で自分を痛めつけさせられるのは気持ちいいのだ。練習で尻叩きを許可すると、この快感に気付いて、練習なのに本気で尻をぶってしまう子もいて、尻が痛くて本番が出来なくなるから、尻たたき禁止だったのだろう。例年本気で尻をぶちすぎて痛くて歩けなくなる子もいるというのは納得だった。去年までは1回だけの発表だったとミーティングで聞いた。1回の発表なら発表後に歩けなくなっても問題ない。全員力一杯尻をぶたされた訳だ。でも、今回は2回だからなのだろうか、一番最後の、尻をぶってジャンプ、尻をぶってジャンプの部分は削除されていた(おっこ、ほい、じゃん。おっこ、ほい、じゃん、の部分)。
一番盛り上がって、もうお尻が痛くて数日歩けなくなってもいいと思った時に、突然、踊りは終わった。まるで腹一杯食べるぞという途中で餌を取り上げられたペットみたいな気分だった。踊りが終わり、自分の尻を見ると、右のお尻が赤く腫れあがっているのが見えた。他の女子も同じで、女子全員が、右の尻を真っ赤にさせられていた。でも、最後の「おっこ、ほい、じゃん」がなかったので、みんな歩けないというほどでもなかった。
80、変な踊りを終えて
最初は≪なんだこりゃ≫と思っていた変な踊りだったが、全部を踊り終えてみると、最初から興奮というかエッチな高揚感がどんどん高まっていき、変なことばかりさせられるので、自分の全裸の肌全体に、見ている人の視線が突き刺さるような感覚で、ワレメも含めて全部見られてる感じがエッチだなあとドキドキした。でも、それだけでなく、最後の尻たたきの踊りでの快感とか全部が終わった時の充実感とか、やはり≪発表は惨めな子だったけれど、気持ち良かったし、楽しかった≫と思えた。それと同時に、≪最初は嫌だと思ったけれど、体操部で良かった≫と思った。ぼくは性格的には大人しい方なので、先輩からいびられたり、先生から陰湿に言葉で嫌がらせされたりしたら、うまく言い返せない気がするので、バレーボール部とかは最初からありえないと思う。それにバレーボール部の試合用の色付きブルマもカッコ悪いと思う。デザインが普通の子供ブルマのような食い込んでくるみたいな可愛らしさというかエッチさがなく、ブルマの形をしたホットパンツみたいな印象を受ける。あんな中途半端なものは穿きたくない。デニムの半ズボンは半ズボンで好きだし、柔らかい生地でお尻の見えそうな派手な色のホットパンツも好きだが、あのブルマはありえないと思う。ブルマは半ズボンよりも1段上の可愛い服装と思っていたので、可愛くないブルマなんて逆に嫌だと思う。それにテニス部はテニスウェアが好きなので、ああいうのを着たいとは思うけれど、でも1年生は普通の体育の時のような子供ブルマのままだ。やはり2年生からテニスウェアだから、1年生の下積みの時はどんな服装でもいいという考えなのだろうが、体育時間は自分の身長とほぼ同サイズの表示のブルマを着用してる子が多いので、(ブルマは肥満の子でも着用できるように大きめに作られているため)ブルマのサイズが大きすぎてダブダブしてる子もいる。そんな普通の子供ブルマのままテニス部員をしてても、ダサダサでちっともカッコよくないと思う。今思えば、1年間もダサダサの大きなサイズのブルマで部活をするくらいなら、体操部で本当に良かったと思う。小学校みたいに6年生まであるなら、1年ぼっこの間はダサダサブルマでもいいと思う。でも中学は3年間しかないのだ。3年生後半は受験であまり部活をしないことを考えると、2年半のうち1年間ブルマということは、全部活の40パーセントをダサダサのブルマでさせられることになる。そんな部は止めて正解だったと思う。体操部は普通の体操部みたいにレオタードがないかわりに、部活で使うブルマは120㎝の小さいものが指定されていて、それだけにスポーツ選手のブルマみたいに小さくて、ダブダブせず、カッコいいと思う。子供ブルマであることは変わりないのだが、体育で使うブルマよりもサイズが小さく、それだけに余計に可愛らしさアップがあると思う。穿いたときに自然にお尻やおへそが出てしまうのも、可愛いと思う。でも、今回の発表みたいにブルマを脱がされることもあるが、それは特別な発表の時だけで、軽く1000日以上もある中学生活の中で数日だけのことなのだ。1年間、テニス部で内心あまり気にいっていないダサダサのブルマを強要されるくらいなら、数日間だけブルマを脱がされても、後はずっと可愛いブルマを穿ける方が嬉しいと思う。ブルマは丈夫なので、小学校の時は低学年の時のブルマをあえてそのまま6年間着用したので(ゼッケンを交換しただけ)、みんなに「サイズ小さい」と笑われたけれど、気にいったブルマをずっと穿いていることができた。さすがに中学では小学生時代のブルマは古くなって破れてきてるので無理かなと諦めて普通サイズのブルマにしたので、やはりいざ穿くと気に入らず、だから体操部で必ず着用しなければならないブルマを配られたときは、小さなサイズといい、(メーカーが違うので)横長でおへその下の肌まで見えてしまうこととか、とにかく嬉しかったと思う。全裸部、キチガイ部、変態部、幼児部といわれてる女子体操部ではあるが、現実には全裸なのは数日だけで、あとは、しっかりと可愛い体操部指定ブルマ着用なのだから、キチガイ部どころか、超いけてる部なのだ。ともかく、変な踊りを終えて、満足だったので、この時も≪体操部で良かった≫と別に強がりではなく、そう思った。丸裸なのは、その「数日」の日なのだから仕方ないことだと思う。数日だけは、どんな姿にされても我慢するぞ、という割り切りさえ出来てしまえば、こんなに良い部は他にないと思う。それに内申点が体操部だった子は高くなると噂されているのも、家でまで受験勉強する気のない麻衣には向いていると思う。楽にいい高校に入るにこしたことはないからだ。今日、全裸で自分のお尻を叩いたのは、内申点のためと思えば我慢できないというほどでもないと思う。他の部のように年中サーキットトレーニングさせられたり、むやみに体力のいる準備運動とかさせられるのも、体力のない子には毎日辛い思いをすることになり、あまりプラスにならないと思う。そもそも、中学時代は将来のためだけにあるのではなく、中学時代も立派な人生の楽しい時代のひとつなのだ。将来が楽しいなら現在は灰色でもいいというのは考え違いも甚だしいと思う。やはり中学時代は貴重な人生の一部なのだから、楽しい事も、極端に辛くないことも、大切と思う。
「変な踊り」の終了と同時に、(全力ではなく、ほどほどに)走っていって横一列になる。その時、≪わ、ぼくの右のお尻が痛いな≫と、あまりにヒリヒリするお尻に、つい走りながら右のお尻を手で擦ってしまったほどだった。お尻が痛くて僅かにびっこをひくように走る女子もいたが、走れないほどお尻の痛い女子はいない様子だった。かなり左右に広がって横一列となったので、空き地の前方の見物人のどの人の近くにも1人は女子中学生がいたはずである。ただ、見物人が女子中学生と思ってくれたかどうかは疑わしい面もあったが。でも、性器の形から、男子と思う人はいなかったのは間違いないし、逆にツルツルしてる無毛であることから、小学生か、それ以下と思われてしまっていた可能性は高いと思う。
横一列に整列すると、すぐに、「きおつけ」になり、その後、お辞儀をして「ありがとうございました」を言い、それから再び「きおつけ」に戻った。普通はお辞儀して終わりなのに、お辞儀後も、見物人がある程度帰るまで、きおつけして見送る必要があるのが恥ずかしいと思った。でも中国の舞踊団のこどものように、笑顔で手をふったり、体全体で喜びを表現したりする必要はなく、ただ「きおつけ」してるだけなので、比較の上では楽といえば楽であった。中国のチビッコみたいに目一杯見物人に媚びをうらさせると、大変だけれど、体操部は無料で見られるかわりに見物人に媚びをうる必要もなく、そういう意味ではいいと思う。もちろん全裸でエッチだと思って赤面してた人も中にはいたかもしれないけれど、頻繁にこどもが全裸にされている空き地(ただし、それは幼児だけれど)なのだから、≪また、こどもが全裸になってる≫と普通に思ってた人も多いだろうし、≪こどもなんだから、裸んぼで十分≫と思っていた人も多かっただろう。普通の人が普通に見れば、とても女子中学生には見えないのは間違いないと思う。麻衣ですら、今日の丸裸の部員たちを見て、≪わあ、みんな幼く見えるなあ≫と驚いたほどだったからだ。
挨拶を終え「きおつけ」すると、「踊りを終えたこどもたちが、みなさんを『きおつけ』でお見送りします」とハンドマイクでアナウンスがあった。でも、みんな、なかなか帰らず、ぼくの間近まで来て眺めたり、写真を撮ったり、お尻の肌に触られたりした。もともと演技者と見物人の境界の曖昧な空き地だったが、発表が終了したことになっているので、空き地内には平均して人がいるかんじで、きおつけしてる前方から見られるだけならいいのだけれど、背後にも見物人は大勢いて、お尻も見られてると思うと、少し落ち着かない気分だった。特にぼくは顔が可愛いせいか、周囲を見物人に取り囲まれてしまったような状況だった。他の女子も、女の子は可愛いので、人に鑑賞されていたけれど、ぼくほど大勢に取り囲まれていなかったと思う。見栄をはって言ってるのではなく、実際にそうだったのだから仕方がない。
恥ずかしかったけれど、負けずに「きおつけ」できて、強い子だったと思う。結局、あまり人が帰らないうちに見送りの時間が終わってしまい、「集合」というアナウンスがあり、「手を腰に」と言われ、「走れ」で走って集合した。きおつけしてる最中に救急車の音がしていたので、吉田の容態が回復してないのだなと分かった。集合した時には、救急車もおらず、副顧問が吉田を学校へ連れ帰ったのか、副顧問も吉田もおらず、幼稚園バスもなかった。ランボが「まだ、発表は終わってない。今日は2度の発表なので、まだ半分を終えただけだ。気を緩めずに午後に備えろ」と言った。ランボの近くに置かれたダンボールを開封すると、そこにはメロンパンと箱入りのジュースがあり、みんなに各1個づつ配られた。メロンパン1個と言ってもサイズがあり、小さなパンなら2個分程あるため、満腹ではないものの、空腹になることはなさそうだった。全裸のまま、ぼくもメロンパンとオレンジジュースを受け取ったが、もちろん着るための服は中学校なので、丸裸のまま立ち食いをした。
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