ひよこ日記 第16節

71、小発表会の日の朝

 少し早めに起きた。早目というよりも、かなり早くから興奮のせいか不安のせいか目が覚めていて、5時くらいになったので、≪目が覚めてるなら寝てる意味ないじゃん≫と思い、やたら寝心地の良いベッドからそれでも起きだしたということだ。≪学校までは近いし、7時厳守なら余裕をみても6時35分に家を出れば、6時50分までには体育館前に到着出来るだろう≫と思った。昨日の金銭的には余り意味のない果樹園(みかんの低木などがあるだけで、危険はない)の農作業で疲れてるのか、2階からいびきが聞こえた。もちろんぼくの中学校生活にも興味なく、何をしてるのかも知らないし、運動会にも来なかった。ときどき「欲しいものはないか、買ってやるから言え」とか、「その半ズボン小さくないか?」とか、ぼくにちょっかいを出してくるだけだった。子供用半ズボンとか幼児パンティーなどは毎月2回もらうおこづかいで買えるし、余り欲しいものもなかった。半ズボンは種類によっては、少しお尻が見えるけれど、それも含めて小学生みたいで可愛く気に入ってるんだから、わざとなのにサイズのことを言われても仕方ないと思う。

 冷蔵庫からレーズンバターを取り出した。トースターでこんがりキツネ色に食パンを焼き、既に完成しててオニオンドレッシングをかけるだけのレタススピナッチサラダとファンタを出した。下の写真は新体操部の女子中学生の様子だが、レオタードを着るのでなく、ブルマ着用姿で発表をさせられてる。今はこんな恥ずかしい姿で新体操する女子はいないだろうけれど、昔ならこのくらいは普通だったようだ。たまたま周囲の学校がブルマも裸教育も止めてしまったので違和感があるだけで、実は体操部の小発表会みたいな発表こそ、こどもらしい姿の微笑ましい発露なのかもしれないとも思った。ブルマ1枚とかワレメ姿の発表は、こどもを生き生きさせ、健康にもいいと思うのだ。それに今朝のようなワクワク感も、普通の部活では有り得ないと思う。

 朝食はしっかりと食べてくるように言われたのだけど、いざ食べようとすると、余り食欲がないことに気づいた。緊張からか、落ち着かない気持ちからか、あまり食べ物の味がしないのだ。もぐもぐと半分くらい食べて、美味しくない気がして捨ててしまった。

 今日はセーラー服でないので、手抜きしてパジャマのままで朝食と歯磨きをした。それから、一度素っ裸になって、部活では脱いでしまうので、あまり汚れないので何週間も洗ってない半袖シャツを着てから、洗ったばかりのアニメパンツとブルマを着用した。面倒なので半袖シャツの下はノーブラで何も着ておらず、小学生気分のままだなと自分でも思った。昨日から穿いていた脱いだパンツは自分の部屋の床に転がっていたが、帰ってきてから洗濯機に入れればいいと思った。

 何の持ち物の準備もいらないというのが、時間の経過を長く感じさせ、逆にそわそわした気持ちにさせるのが分かった。小学校6年生時代なら、年中裸の生活だったので、かえって何も深く考えなかったし、運動会もブルマ1枚で女の子なのに乳首を見せてはしたない姿だなと思ったけれど、不安になったり落ち着かない気分になったことはなかった気がする。やはり普段はセーラー服の、ごく普通の女子中生なのに、急に裸教育に戻されるのが、落差を感じさせて問題なのだと思う。やはり、こどもは一定時間だけ裸教育にするより、つねに裸教育の方がこどもの精神も安定するし正しい方法と思う。着たり脱いだりというのが一番こどもを不安にする。だから、ずっと裸だった先月の運動会は理にかなってるんだと思うようになった。

 麻衣の小学生時代の裸の生活は、すでに過去の危険な転落の危険がある巨大遊具とか、女の子の体を全部検査される幼児扱いの健康優良児検査とか、そういう理不尽なものは廃止された後だったので、快適な裸の小学生生活ができたんだと思う。そのせいか、中学の時間限定の裸教育は物足りなさも感じる。寒かったり、教室でもおっぱい丸出しだったりもして、大変だったかもしれないけれど、小学生に戻りたいと時々思うようになった。

 

 6時半過ぎに、家を出た。久しぶりに体操着で道に出ると、≪セーラー服って、重くて鬱陶しいけど、暖かいんだな≫と思った。外は、よく晴れていて雨の心配はなさそうだった。ただ午後から天気が崩れるという天気予報だったので夕方の天気までは不明だったが、雲もまばらだし、青空が秋らしく澄んでいるように見えた。早朝のせいか、空気がひんやり冷たく、秋というよりは冬のような感覚もした。それでも本物の冬と比べれば、かなり温度は高いのだろう。でも、いつものセーラー服の登校でないので、半袖シャツの保温性の少なさを感じたし、ブルマは風が通り抜けてスースーするような感覚だった。華子に会うかな、と、思ったが、既に先に学校へ行ったのだろう。どこにも姿は見えなかった。かわりに女子部員らしい体操着姿の女子の姿が遠くに見え、秋の早朝だと足が寒そうに見え、≪わあ、ブルマだと、足が目立つな≫とエッチで可愛いなと思った。昔は女子が気軽に普段着に使っていたというブルマや体操着なのだが、現在では街中でブルマ着用の女子中学生の姿を見ることがなくなった。それなのに、今、ブルマ着用で通学路を歩いているのだから、凄くエッチなことをしてるみたいで興奮してしまった。時間の余裕がないなら、セーラー服で登校して学校の体育館前で着替えればいいのに、子供扱いで厳しいなと思った。でも、やっぱり中学生で大人の指示には従順なのか、みんな道路では恥ずかしいブルマで登校してくるようだ。麻衣が若いサラリーマン風の男の前を通ると、街中では普通は見ることのないブルマが珍しいのか、ブルマ姿を見て目を丸くしていた。≪わ、けっこう衝撃的な姿なんだ≫と、分かった。もっとも、ブルマのサイズが小さいので、下半身に食い込んでるのも、セクシーだったのかもしれない。≪もう、じろじろぼくを見て、エッチー≫と思いながら、ゆっくりと学校へ歩いた。平和に通学路を歩いてると、今日これからさせられることが、信じられないことのように思えた。全裸にされる合宿に連れていかれる日の朝もどきどきしたけれど、今朝もグラウンドの見物客もまばらという「小」発表会にしてはどきどきしていたと思う。どきどきするのは生きてる証拠だから、すてきなことだけど、変な変な踊りの内容を思うと、これから恥ずかしいことをさせられに連れていかれるのだな、と、残酷なことをされる前のこどもの気持ちで、早くも少し緊張してるのを感じた。


72、体育館前の女子たち

 結局、家で30分前まで、だらだらと時間を過ごしていたのにかかわらず、中学が近い距離にあったおかげで、6時48分に体育館前に到着していた。体育館にある大きな時計の針がその時刻を差していただけで、実際の時間は不明だったが、学校が近いと露骨に楽になるのは間違いない。遠い子だと30分以上かかるので6時過ぎに家を出てるはずだ。単純に楽できるのは嬉しい。おかげで遠い子より、毎日30分は余分に家でごろごろしていられるのだから。到着したら、いると思ってた華子はおらず、6時55分くらいに到着した。やはり小発表会を気軽に考えてるのが、ぎりぎり登校からも分かった。

 これから、恥ずかしい全裸発表に行くことについて、当日どんな気持ちだったかというと、やはり≪エッチなことを、させられに行く≫という気持ちが強かった。なんか、ここまで読んだ人は、ぼくのことを性器や肛門にばかり興味のある変態少女みたいに思ったかもしれないが、そんなことは全くない。やはり全裸だと丸見えにされてしまうので、ついつい、丸見えのぼくを見てどう思うかを考えてしまうだけだ。口に出して言うか言わないかの違いがあるだけで、誰しも丸見えにされれば、丸見えの体の一部(普段は絶対秘密の部分)を他人がどう思って見てるか気になるのは仕方ないことだと思う。だから、そういう心理的負担を減らすために、小学生のころはブルマ1枚だったんだと思う。でも、確かに人に笑われてるんでないかとか、バカにされてるんでないかとか、そういうことを乗り越えるのが本当の強い子だと思うので。丸見えにされたけれど、先生を恨んだりはしてないと思う。もちろん、変な部分も含めて体全体として≪可愛い≫と思われるのが女の子には理想的で、体のパーツごとに批評されるのは物として見られてるみたいで抵抗感があると思う。もちろん、素直に「ぼくの肛門が黒ずんでなくて綺麗だよと」心から言ってくれたので、パーツの批評でも嬉しかったけれど、パーツをけなされたら最悪だと思う。≪そんなに嫌なら、見るなよ≫と誰しも言いたくなると思う。男の人は視覚的なので、女の子の体をトータルで見ようとせず、各パーツごとに見てあれこれ言うので、トータルの一人の女の子として見てほしい女子には受け入れられないのだと思う。でも、そういう男女の感覚の違いを差し引いたとしても、やはり全裸発表というのは恥ずかしすぎる事だと思う(否定してるのではなく、感覚的には恥ずかしいということだ)。

 大勢の観客の前で、強制的にブルマにさせられて発表する女子中学生が、「恥ずかしい」と言うことも理解できる。まるで幼児用のスカートの下に穿く重ねばき用の紺パンツ姿にされてるみたいに見えるからだ。しかも、幼児の重ねばき用の紺パンツは、スカートに隠されていて、チラチラ見えるだけだ。ところが、ブルマは常時丸見えだ。パンツに例えるなら「パンチラ」(パンツちらちら)というより、「パンモロ」(パンツ丸出し)みたいなものだからだ。その幼稚な格好で人前で運動させられれば、幼稚に見えてしまうという意味で恥ずかしいのは当然と思う。でも、ブルマ1枚なら、女子の秘密が見えてるわけではない。だから、少し恥ずかしいと思う心を我慢すればすむことだし、そういう恥ずかしさを乗り越えるのも、こどもを鍛える教育なんだと思う。そもそも全部ダメダメ言ってたら、こどもを教育しようがないと思う。大勢の前でブルマで運動するのは、こどもっぽいしエッチな目で見られるのも一面の事実かもしれないが、もう一方では強い子に成長するという教育的メリットもあると思う。

 ところが全裸だと、恥ずかしいとか、エッチとかいう思いが、強い子に成長するぞという気持ち以前に強くなりがちだということだ。もちろん、それを乗り越えれば、本当に強い子だけど、中途半端な全裸だと虐待されたとか、惨めな子にされただけという思いが強くなるので、やるならやるで羞恥心を乗り越えるまで徹底的にやらないと逆効果だと思う。その意味で、全裸にするのは劇薬のようなものだと思う。

 ぼくは最終的には全裸の羞恥心を乗り越えた思う。でも、運動会を終え1か月程度の小発表会では、今振り返ってみると、実は羞恥心を乗り越えてない面もあったのだと思う。だから、僅かな観客しかおらず、先生もあまり見に来ないという発表と教えられたにかかわらず、辛くなったりしたんだろう。でも、ブルマが恥ずかしい子でも発表してるうちにブルマの恥ずかしさを乗り越えられるようなもので、誰でも真剣に頑張れば必ず乗り越えられることなのだと思う。

 でも、そういう理屈は理屈として、小発表会の朝の体育館前にいて、実際に激しくどきどきして動揺したのも事実だ。校外で発表するのが初めてだったということもあるし、やはり、まだブルマを脱がされることに本当には慣れておらず、自分史の中に「惨めな子だった過去」が加えられることに対する、こどもなりの抵抗感もあったんだと思う。でも、そういうことも含めて乗り越えるのが本当の強い子なんだと、今は思っている。

 華子は体育館前に到着すると「寝坊した」と言っていた。でも急いで朝食を食べてきたので大丈夫と、メロンパンだけの昼食に対する不安はないようだった。ぼくが元気そうな様子でいるのを見て華子は安心した様子だった。華子が到着して2分ほど経過した時に、体育館前に白いセダンが止まった。顧問の車だった。今日は他の生徒は休みなので、学校裏の駐車場には停めず、歩く手間を省いて、体育館前まで乗ってきたようだった。

 顧問は車から降りるとすぐに、セダンの後部トランクを開けて、大きな布の袋を取り出していた。派手な色で丈夫そうな袋だった。

  袋を片手に顧問は「みんな、おはよう」と言った。

 「おはようございまーす!」と女子の綺麗にそろった声が響いた。突然の挨拶でも、ここまで声がそろうのだから、≪ぼくたちって、よく躾けられているなあ≫と思った。

 「早速だが、もう時間がない。女子全員、全部脱いで、この袋に衣類を入れなさい」と言われた。

 「体育館で着替えでないんんですか?」

 「時間がないし、体育館の鍵も持ってきてないので無理だ。今いる、体育館前で着替えなさい」と、言われた。

 「全部、脱ぐんですか?」

 「そうだ」と言っていると、副顧問の運転する幼稚園バスがセダンの後に停車した。副顧問はドアを開けた。顧問がバスを見て言った。

 「みんな、今日はあのバスが借りられた。知り合いの経営する遠くの幼稚園で、使ってない古いバスがあるので、貸してもらった。だから、ここから会場までは、あの幼稚園バスで移動する。ゾウさんの絵が可愛いだろ」と言われて、思わずぼくは可愛くて笑ってしまった。

 「会場で脱ぐんではないのですか?」と葵が顧問に質問をしていた。

 「あっちには、水道の蛇口1つと、コンテナしかない。他の設備は何もないんだ。だから、もちろん更衣室もないのだから、ここで着替えてもらう。みんな、衣類を脱いだら、全部この袋に入れなさい。全員の衣類が袋に入ったら、盗難などの被害にあわないように車のトランクに袋を収納して鍵をかける。帰宅時に袋が消えていたら、全員素っ裸で帰宅することになってしまう。それでは困るから、鍵のかかったトランクに入れて、鍵は夕方まで開けることはない。だから安心しなさい」

 「全部脱ぐって、下着とかも全部脱ぐんですか?」

 「そうだよ。バスで移動するのだから、外から服装は見えないのだから、安心して全部脱ぎなさい。それにパンツを穿いていっても、あちらの会場には下着を保管できるようなロッカーはないのだから、紛失帽子のためにも、ここで脱いでトランクに保管する方が安心だ」

 そこまで話を聞いて、みんな凄く心臓の鼓動が速くなったと思う。体育館前の通路で全部脱いで、丸裸にされてしまい、服を返してもらえるのは夕方だと知ったからだ。

 「もう、時間ないぞ。発表の予定時間に遅れると、だらしない発表と思われてしまうぞ。それでは困るだろ。早くしろ」とバスから顔を出して副顧問が言った。

 みんな仕方なく外で体操着を脱ぎ、白いセダンの横の袋に体操着を入れた。ぼくも体操着を脱ぎ、袋へ入れてから、≪よし≫と自分に気合を入れてパンツを脱いで、それも袋に入れた。脱いだら、もう夕方まで着れないんだと思うと、勇気が必要だった。どんどん女子が、あられもない全裸姿になり、袋はこどもの脱いだものでいっぱいになった。パンツを入れる時に、大きな袋から女の子の匂いがした。一人一人の匂いが衣類に移り、1枚では匂いは分からないけれど、全員の衣類を一か所に集めると、こどもくさい匂いがするということなんだろう。全員が衣類を袋へ入れると、顧問が袋の紐を閉じて軽く縛ってから、軽々とトランクへ入れた。車のトランクがバシッと閉まる時、その音が残酷な音のような気がしてどきどきした。手早く鍵をかけて、ロックされていることを確認してから、ランボは幼稚園バスに乗り込んだ。

 「早く乗れ」と副顧問が言った。

 「はいっ」と返事して、みんなは、どんどんバスに乗り込んだ。バスは超満員で窮屈だった。ぼくは半分くらい女子が乗り込んだころに乗り込んだ。バスは全裸のこどもでぎっしりで、シートに座れたけれど、2人用のシートに3人座ってるので、ぼくの体と隣の女子の体が密着した。場所がないので、ぼくのひざの上に1人座った。部員全員が肌と肌の触れ合いのような状況だった。でも副顧問は運転席に、そして顧問は出入口の階段のところにいるので、女子の肌に触れて汚いとか窮屈とかいうことはなかった。先生と生徒では立場が違うので、変だとは思わなかった。

 これまでは全裸になっても、服は比較的近くにあった。あの教室でセーラー服や下着を脱がされた運動会ですら、校舎から運動場までは50メートルもなかったと思う。もちろん校舎へ入れないとは言われたけれど、校舎に自分の服があるというだけで安心感となったと思う。ところが、今回は服は体育館前の車の施錠されたトランクの中だ。そして車は学校に置きっぱなしにするようだ。発表する会場と学校は全く別の場所だ。これでは、不安になっても当然だと思う。もう、着たくても、自分の服やパンツなんて、どこにもないのだ。会場には女子たちの服も下着も存在せず、文字通りの全裸っ子たちが、熱い真っ裸の体で恥ずかしいことばかり発表させられるのだ。いきなり全裸にされて厳しいなと思ったけれど、全裸で会場まで移動というのも厳しいと思った。幼児バスは窓が低めなので、女子の裸が外から多少は見えてしまうと思う。外から、全裸の女子を見た人は、どう思うだろうかと思うと、赤面な気分だなと思った。

 エンジンが愚図りながら、10秒ほどで、ようやくかかった。エンジンは一度起動すると、比較的安定して回転してるので、どこかは知らないが遠い幼稚園に置きっぱなしにしてあったバスなんだろうなと思った。でも、ナンバープレートも付いてるのだから、車検も通ってるはずで、まさか途中で故障して全裸で会場まで移動させられるような悲惨なことにはならないだろうな、と思った。

 普通にブルマで移動し、ブルマで発表できるなら気分も楽なんだけれど、ないものねだりしても始まらない。もう頭も心も切り替えて、全裸っ子になりきって1日頑張るしかなさそうだった。

 ギアを入れると、幼児バスはどんどん走った。こんなバスに裸でこどもが乗ってると、本当に裸保育されてる幼児と勘違いされてしまうと思った。大きなバスとかが、隣に並ぶと、乗客が古い幼稚園バスの中を覗いているのが見えた。≪わあ、恥ずかしいな≫と思った。

 バスが走り出してすぐに、≪あ、会場は気持ちいいパイプのある、河川敷ではないんだな≫と即座に分かった。川とは反対の方角にバスが走りだしたからだった。≪と、いうことは、やはり適度な遮蔽物のある町営のグラウンドだろうな。あそこは広いし安いから。それに、通りすがりの人から見えないのも嬉しいと思った。小発表会に興味ある人に見せるのなら、余り照れないけれど、無関係な人に通行中に見られて、≪なんだ、ありゃあ≫と全裸の体を笑われるのも照れくさいと思う。顧問の話だと、先生たちは既にマイカーに相乗りして会場に着いているらしい。グラウンドには駐車スペースがないので、コンテナの横に停めておくだけらしい。でも、町営の施設にはコンテナなんてあっただろうか。それに蛇口も複数あったような気がする。

 ごちゃごちゃ考えているうちに、町営の施設の夜間照明が見えたので、≪なんだ、やっぱり≫と思った。廉価に借りれるグラウンドにしては夜間照明があり、夜にどこかの学校や団体が利用していたりする。でも、さすがに廉価に借りられるだけあり、夜間は値段が高くなる。電気代ということなのだろう。あんな大きな照明器具なら、さもありなんという気がする。

 「ああ、ここだったのか」と華子が言った。「確かに外から見えにくいから裸教育児の成果の発表には向いてると思う。でも、トイレは、公園内の方だった気がするのラ。うちら丸裸なのに、オシッコしたくなったら、100メートルくらい歩かないとトイレはないのラ」

 「こら、静かに。あまり無駄話はしない」と顧問が華子を注意した。こんなバスで移動だと、ついつい遠足気分みたいになって、喋ってしまうのは仕方ないことだと思った。いずれにしても、体操着でバスを降りてグラウンド付近の更衣室とかで着替えならいいんだけど、バスを降りる時から素っ裸というのは、見ている人もいるだろうから、恥ずかしいものがあるなあと思った。

 でも、もう、ここまで来たら、頑張るしかないと思った。初の校外発表は、もう体当たりでいくしかない。


 73、町営の施設

 町営の施設がどんどん近づき、そろそろ駐車場なので降りる準備かなと思うとどきどきした。

 バス内は会話禁止でないけれど、声が大きいとランボがうるさがるのが分かったので、小声で華子と話した。華子は適当に乗り込んだぼくの後についてきて、上手にぼくの隣の座席に座った。だから、隣が華子なので、色々話せて便利だった。ぼくのひざの上には、体の小さな体重の軽い部員が乗っていたが、ぼくも体重が軽いので、やはり重いと感じた。それでも部員の中では一番小さい部員だったので、我慢できないほどではないが、やはり重く、はやく到着してほしいという気持ちも働いた。

 「色々会場がどこか推理したけど、案外、平凡な結論なのら。現実なんて、こんなものなのら、きゃはは」

 「そうだね。あちこち考えてみたけど、結論はシンプルだったね」

 「ここは周囲に家も少ないし、観客がまばらというのも納得なのれすぅ」

 「ホント、少ないね、何故かここらだけ田舎の平野部という感じだね」

 「ここは、土地が低いからじゃないかな。水没することがあるから、みんな住まないんだよ」

 「へえ、そうなんだね」

 「あそこに、あるお店、分かる?」

 「え、どこ?」

 「ほら、あの小さな集落の、青い屋根の」

 「あ、あれ」

 「うん、あそこのパン美味しいんだよ。ふわふわして柔らかくて。前に通った時に買ったんだけど、生地が柔くておいしいのら。ハナは、あそこのお店のファンになったのら。小さい店なんだけど、遠くからも買いにくるみたいだよ」

 「へえ」

 「なんかねえ、ふっくらしてて、ふわんふわんで、むにゅむにゅかな」

 「むにゅむにゅ?」

 「うん、噛むとね、口の中でむにゅっと潰れる感じなのら。どうやって作ってるのかなあ。奥で大きな窯で焼いてるのかなあ」

 「見えないの?」

 「だって、パン売り場とパン工房が分かれてるんだもん」

 「そうなんだ」

 この不安だらけの土壇場でどうでもいいようなパンの話を始める華子に、少し呆れた気分だったけれど、≪へえ、さすがラーだなあ、余裕綽綽なんだ、たいしたものなんだ≫とも思った。でも、よくもこの土壇場でこんな訳の分からない話を始めるものだという感想は周囲も持っていたようで、少し離れたところで「なんで、あんな余裕があるの、あの2人?」「運動神経いいから、ノーガードで倒れるくらい余裕なんじゃないの」とかボソボソと相談してる声が聞こえた。こちらは華子に渋々付き合ってるだけなのに、こっちまで余裕綽綽と勘違いされてるようだった。ぼくは余裕綽綽どころか、≪これから、凄い事させられるんだ≫と心臓が高鳴っていて、息苦しいくらいだった。華子と話してると、華子のペースになってしまい、華子とごちゃごちゃにされてしまうと思った。

 真横に公園が来て、すぐ横にグラウンドがあり、グラウンドの手前の空き地が駐車場らしかったが、学校で聞いた説明とは少し違う設備だなと思った。なんとなく以前見たときの記憶が蘇ったけれど、コンテナなんて無かった気がする。駐車場はなくて、グラウンドのコンテナの横に停めるのかなと思っていたのだから、説明と現実は大違いだ。そんな風に思っていた。

 「あららラ」と、華子が首を傾げていた。

 バスはそのまま町営施設を通過してしまったからだ。

 「あれ、止まらないんだ」と、せっかくバスから堂々と降りるぞと、恥ずかしいので気合を入れていたのに、はぐらかされた感じで、ぼくはあっけに取られていた。

 「違うのラ。また、幹線道路のすぐ横に、紛らわしいものがあるものだなあと、ハナもびっくりなのれしたあ」

 「はあ」と、緊張して損したので麻衣はため息をついた。

 「はやくやりたい気持ちは分かるけど、落ち込まない落ち込まない」と、華子流にぼくのため息を解釈されてしまった。

 すると、ランボに、「おっ、華子と、麻衣は、元気いいな。それだけ喋る元気あれば大丈夫だ。去年の女子なんて、みんな緊張して暗くて無言でお通夜のようだったんだぞ。隔世の感があるなあ。麻衣、運動会みたいに今日も元気に大活躍してくれよ」と、言われてしまった。他の女子たちも、ぼくたちにつられて、何か話してるみたいだった。ランボに期待されて「はい」と返事はしたけれど、内心では去年の女子と同じ状況だったと思う。ぼくは運動会で素っ裸なのに朝礼台の上で平気でラジオ体操した少女だと、学校の伝説にされてしまい、素っ裸にされても全く恥ずかしさを感じないこどもだと、評判になっていた。ぼくの運動会での、うんこ伝説、2回もオナニーした伝説、全裸写真をロビーに飾られた伝説、僕の性器写真が学校で出回ってる伝説など、ぼくは運動会では訳の分からない伝説だらけにされてしまった。ランボが大活躍というのも、そういう伝説を面白く思ってる面もあるのだろう。でも、ぼくの性器写真は伝説ではなくて、本当に普通に男子が持っていた。なんか、現像費用の倍くらいという安値で薄利多売で売ってたらしく、クラスメイトの複数の男子にぼくの性器だけが大写しになっている写真を見せられた。こんなに出回ってると、伝説とかでなくて、現実そのものだった。思い切り足を開いたブリッジ中に撮影したらしく、ぼくの性器が丸ごと写ってるだけでなく、写真によっては性器と一緒に肛門も写っていたり、膣のあるあたりの肌が光っていたり、陰核包皮まで見えていたりと、惨めなぼくの姿のフルコースみたいな写真だった。性器写真は5種類と思っていたら、他の技の時も撮影したらしく、実際には7種類あった。大の字になっている時に撮影したらしい。大の字の写真と、その時の性器写真がペアで売られていて、「可愛い」と、よく売れたようだ。素っ裸で女の子が大の字になってる写真も幼稚っぽくて恥ずかしいし、その時の形クッキリのぼくの性器の写真もエッチすぎると思った。凄い露骨にぼくの秘密が写し出されてるので、≪こんな恥ずかしい写真を見られるなんて、いじめだよ≫と思ったんだけど、みんなぼくの変な部分の泣きそうに恥ずかしい写真を見て「可愛い」「可愛い」と異口同音に言うので、誉めてくれるだけなので「ありがとう」と返事してるけど、複雑な気分だったと思う。クラスメイトのみんなに、ぼくのマスゲームをする全裸写真を見られてオナペットにされるなら、そのくらいなら想定の範囲内なので、≪エッチな目で見られるのは恥ずかしいけど、そのかわり可愛い子と思ってね≫と願う程度なんだと思う。でも、露骨すぎて誰にも見せられないような赤面すぎる赤裸々に丸見えのぼくの性器写真を何枚も男子が持っていて、それでオナペットにされてるんだろうから、いくら可愛いと言ってくれても、それって下品すぎ、恥ずかしすぎという気もする。だって、ぼくがいつも小便を出している部分を見られてるんだから、猛烈にエッチなことと思う。性器写真見られまくりの、ぼくって、惨めすぎの子だと思う。でも、運動会で普通に撮影された、運動会写真にすぎないんだから、怒っても仕方ないし、裸教育児なんだから我慢も必要だと思った。でも、男子にぼくの変な部分を写真で見せられるたびに、どきどきして、恥ずかしくて、目がうるんでしまったようだ。先生とか大人は誰も知らないけれど、でも男子の家に保管してて、家の人に発見されてしまい、ぼくの写真だと言われてしまったら、ぼくは変態少女扱いされかねないと思う。やーん、見ないで、としか言いようがない。

 ランボに運動会で大活躍と言われて、恥ずかしいクッキリ写真のことを思い出してしまい、かえって少し落ち着いたようだった。≪そうだよね、もう、全部見られてるんだ。いまさら失うものは何もないや≫と、オナペット少女なりに強い心を少し取り戻した気がした。でも、まだバスは延々と走り続けてる。

 でも、冷静に考えてみると、バスが走り続けているのは、≪それもそうか≫とは思う。いくら知り合いからバスを借りれるからって、ただで貸すとも思えない。そんなに簡単に移動できる学校のそばの広場なら、徒歩で移動すればいいだけだ。わざわざバス移動する必要はない。バスで移動してるのは、バスでないと移動が大変な場所だからということは、もっと推理の条件として重視すべきだったのだ。それから、わざわざ幼児用のバスを借りようとしたのも、ぼくたちが本物の幼児のように見えることを重視したんだと思う。幼稚園バスから、裸のこどもが降りてこれば、誰しも≪裸保育してるところの幼児かな≫と思うのは自然だと思うからだ。

 バスはサスペンションが悪いのか、乗り心地が硬く、がたがた走って、気付くと自分たちの町でなく、隣町を走っていた。こりゃあ、徒歩などでは移動できないわけだ。それから、自分の体操着や下着を中学校に置いてきて、着るものを全部失った状態で隣町まで来てしまったのだな、と、思った。文字通り、最初から着るものなんてどこにもない「全裸っ子」にされてしまったんだなと思った。全裸でも近くに着るものがあるなら、本物の全裸っ子とは言えないと思う。いざとなれば、いつでも服を着れるからだ。全裸で、近くに着るもののない状態にされてるのは、本物の全裸っ子なんだと思う。だって、どんなに恥ずかしくても全裸でいるしかない全裸っ子なんだから。先生にミーティングで、「いい子、強い子、全裸っ子、この3つが大切だ」と教えられた。全裸っ子とは、どんなに恥ずかしくても全裸でいるしかない状況に自分を追い込める子のことだと教えられた。服を学校に置いてきたまま全裸でバスに乗り、自分を全裸でいるしかない状況に追い込んでるわけだから、今日は初めて本物の全裸っ子になれた日だと思った。


74、秋風の吹くグラウンド

 小さなバスは学校を出てから10分ほどで町営施設横を通過し、15分くらいで隣町に入り、出発20分後には目的の会場に近づいたらしく、ずうっと幹線道路をを走っていたのに、信号を右折した。遠くに団地などがたくさん見えるけれど、右折した周辺は家は少なく、のんびりした田舎の雰囲気があり、さらに200メートルほど走り、左手に見えた割と大きな小学校を過ぎたところで左折した。微妙に上りだったけれど、舗装の新しい少しカーブした道をバスが走行していくと、木々の生えている小さな林が見え、「あの木の辺りが公園で、その公園の横がグラウンドだ」とランボに教えられた。副顧問は淡々と運転を続けている。グラウンドはまだ見えなかったのだけど、凄い事をさせられる場所が近づいたと心臓がどきどきした。ぼくは緊張で肩で「フーフー」息をしてたら、「大丈夫ラか? 心配しなくても、大丈夫だよ」と華子が言った。公園の立地は、少しだけ高台みたいな雰囲気なので、周囲から丸見えのグラウンドのような予感がして、緊張は否応なく高まった。他の女子も同じだったと思う。全裸にされて、こんなに震え上がるほど緊張させられて、自分を含め可哀想なこどもたちとも言えるけれど、自分のための裸教育の発表なんだから、しっかり頑張るしかないと思った。

 公園の横にバスが達すると同時に空き地の一部が見えた。≪え、あれがグラウンド?≫と一瞬思った。文字通りの、ただの空き地で、そこにコンテナハウスではなく、ただの小さな貨物用コンテナが置かれていた。そのコンテナはコンテナ船に積むような大きなものでなく、左右にドアの開くローカル線用のもののようだった。そのコンテナの近くに蛇口が見えたので、あそこが会場なんだろう。

 小さな公園より少しだけ高い場所にあるグラウンドに到着して、道路からそのまま空き地へ入れるので、バスはバックしてコンテナの横に停車した。

 その時、目にショッキングなものが飛び込んできた。田舎にしては結構大きなバスターミナルが空き地の隣にあるのが見えた。どこかで見たような場所だなあと一瞬思った。道路からは見えなかったが、空き地からはバスターミナルの全景が見え、バスターミナルの直接隣が空き地だった。

≪あ、あれ小6の時、おじさんのお使いで利用したバスターミナルだ!≫と次の瞬間には気づいていた。バスだと乗り換えなしにここまで短時間で来るので、比較的近所のバスターミナルという印象だったが、実際には学校からは20分以上する距離だった。でも副担任が老朽化した色褪せたバスをいたわるように、ゆっくりと運転していたので、ブッ飛ばせば15分くらいで着くのかもしれない。

 ぼくとしては、小6の時に利用したバスターミナルだと気づいたことがショックだった。ぼくは、小6の時にここのバスターミナルで帰りのバスを待つ時間に、隣にある何もない空き地で、幼児が全裸運動会をさせられてるのを見たのだった。幼児たちは全裸なのに元気にキャイキャイ空き地を走り回り、フリチンで赤白に分かれて玉入れしてる姿を見てる時にバスが来て、≪いくら裸保育でもオチンチン丸出しで運動会させるんだ≫とショックを受けながらバスに乗り込んだのを憶えている。でも、運動会を見ながら、≪ぼくはもう6年生だから、大勢の人の見てるバスターミナルの横で、あんな裸足丸裸なんて姿になるなんて許されるわけない。あの子たちは、まだ体も性器も赤ちゃんと同じようなものだから、全裸が許されるんだな。エッチだけど、小さなオチンチンしてて可愛いなあ。でも、もう大人に近いぼくは、一生あんな事はすることがないんだな…≫と思ったことが、思い出された。≪12才にもなって、あんな格好できるわけないけど、でも、ちょっと解放感ありそうで羨ましいな。いいな、小さい子は無邪気で≫と、赤ちゃんと同等レベルと馬鹿にしながらも、少しだけ自由そうで羨ましく思ったことを思い出した。既に12才という自分の年齢からしても、あんなことをさせられることは、自分の人生では絶対にないだろうな、と、自分を大人に思ったことも思い出した。≪まして、こんな周囲から丸見えなだけの空き地で、しかもバスの乗客や運転手などから丸見えの場所で、大きな女の子が裸になれるわけないよ≫と、幼児のあまりに、あられもない丸見え姿に≪幼稚っぽい子たちでいいなあ≫と思ったと思う。こどもを裸にするにしては、簡単すぎる場所で、小学校ではブルマ1枚でも平気な女子でも、ここでブルマ1枚になれと言われれば尻ごみすると思う。四方に遮蔽物がなく、周囲から丸見えのうえに、あまり整備もされていない単なる空き地で、除草剤か何かで草こそ余り生えていないけれど、きれいに平らに均されている市営のグラウンドとは雲泥の差があり、こんな場所で脱げというのは、バスターミナルの横で脱げと言われてるのと大差ないと思う。≪もっと、ちゃんとしたステージならいいけど、こんな安っぽい、ただの公園の横の空き地で脱いでいたら、ただの軽い変態な女の子だよ。幼児だから丸見えでも可愛いと思っただけで…≫と、幼稚園バスの中で思った。

 「あらら、これ、ハナが保育園のころに全裸運動会させられたグラウンドだ」と、華子が言ったので、≪ホントかよ≫とぼくは驚いた。

 思ったより大勢の人がいる、そう思っていたら「あれ、今年は観客が多いぞ」と顧問が言った。すると副顧問が「体操部主催のプライベートな発表で町の有料施設利用はカネがもったいないと、昨年ここの無料施設に変えたばかりだったから、あまり発表会があること自体が近隣に周知されてなかったんだよ。裸で頻繁に運動会してる場所だから、理解もあるから借りやすかったし、場所変更して良かったよ。何も有料施設でこどもを甘やかす必要はないからな。今年は2回目だから、口コミもあるだろうし、一応はコンテナとグランドを借りるときに電話連絡入れてるんだから、昨年面白かったと近所の人を動員してくれたのかもしれないな」と答えていた。

 「去年は10人くらいしか人がいなくて閑古鳥が鳴いてたのに、今年は100人はいるな。こんなに見物人がいて、こいつら恥ずかしがったりしないだろうな」

 「運動会でケツの穴を見せてたチビスケだちだから、大丈夫じゃないかな。音楽を入れたCDラジカセ持ってきたから、音楽鳴らせば、こいつらやるだろ。それより、バスを壊さないようにのろのろ運転で少し疲れたな。音楽鳴らしてから、こいつらのケツの穴見て休憩するか」

 「そうだな」と、ランボが言うと同時に、ガタンとバスは停車して、ドアが開いた。

 「全員、降りろ」とランボが言った。外にはバスのドアの周囲に発表を待ちかねた人が集まっていた。

 椅子から立ち上がると、前方の席の部員の女子はどんどんバスから出ていくのが見えた。

 「キャー、可愛い」

 「どこの幼稚園」

 「バスに幼稚園の名前書いてあるぞ」

 「あ、本当だ」という声が、外から聞こえた。

 ぼくのひざの上の女子も降りたので、ぼくも≪あの場所だ≫とショックで泣きそうな気分で椅子から立ち上がった。バスの狭い通路に出ると、後ろから他の部員に押されるかんじで、外へ出た。低い丘の上のような場所だからか、冷たい風が吹いていて、ぼくの肌を風が擦っていくので、全裸なんだということが自分でも実感できた。

 「うわー、みんな丸出しなんだね」

 「裸保育なら、どこでもそうだろ。小さな赤ちゃんくさい性器だな」

 ぼくたちの性器のことを話していたので、自分の性器を見てみると、緊張で運動会の時よりもさらに小さく性器が縮み上がっていた。

 「幼稚園じゃないだろ、もう小学生だろ」

 「そうかな、でも幼稚っぽいよ」

 「どっちにしても、こんな格好で喜んでるんだから、赤ちゃんなみなのは間違いないだろうな」

 全裸のぼくたちを見て話が盛り上がってるみたいだったが、バスを出ると、そのまま空き地の中央付近に全員が整列をさせられた。確かに芝生ではないが、周辺には雑草もあり、余り整備もされていないようだ。でも、砂地でもないようだ。砂というより、普通に土という感じで、足から硬い土の冷たさが伝わってきた。裸足なので土の温度に敏感なのだ。

 空き地にきおつけすると、前方にバスターミナルが見えた。バスターミナルの人も大勢ぼくたちを見ているし、わざわざバスターミナルから、空き地へ移動してくる暇人もいた。バスターミナルの乗り場は道路や空き地よりも15㎝くらい高いだけだから、バスターミナルから、ポンと1歩踏み出せば空き地である。だから、素っ裸のこどもがきおつけさせられてるから、これは傑作だと思えば、1段下りるだけだ。

 ≪去年ここで丸裸の保育園の子を笑ってたら、ぼくは、今、保育園の子と同じ丸裸にされて、笑われてる≫という、それだけの事実がショックだった。ここの空き地でよく幼児が丸裸で運動させられてるのは分かるけれど、ぼくはもう女子中学生なのだ。それなのにワレメを見られて、服もパンツもどこにもなく、多くの人に幼児と勘違いされて「きおつけ」してるのだ。自分はもう丸出しの保育園の子のような姿にされることはないと思っていたのに、そのエッチな姿の保育園の子たちと同じ場所でスッポンポンにされてることもショッキングだった。きおつけしてると、この空き地を走り回る幼児たちの小さなプラプラしたオチンチンが思い出されてしまい、≪ぼくなんて、あれと、おんなじなんだ≫と思った。


 75、変な踊り

 ただでさえ訳の分からないと思ってる踊りなのに、直前(最終練習)に音楽も振り付けも若干ではあるが変えられているので、ややこしそうな踊りなのに、さらにややこしさの度合いが上がってるような気がした。踊りの要素1個1個を考えると、クルクルとバレリーナのように回転するわけでも、ニジンスキーのように高くジャンプするわけでもないのに、というか、幼児でも出来そうな踊りなのに、どうして全体としては訳の分からない踊りのような気分にさせられるのかというと、全体の脈絡のなさなんだと思う。実は女子の体力も考慮してうまく緩急を付けながら、女子の官能性を徐々に高めてクライマックスに導くという、「官能性」の一点では、それなりには統一されたうまい構成だったと後日思ったのだが、そんなことが中1のこどもに即座に分かるなら教師なんていらない。これを考えたのは、ランボでも副でもなく、数年前に外部に発注した踊りらしい。実は少女を脱がして喜んでる変態教師が欲望にまかせて構成した踊りではなく、外部のそれなりの表現運動のエキスパートの教育者が創意工夫した踊りだったのだと、これも後日知った。当日は、こんな変態なこそを女子にさせるのは、ランボかよ、それとも副かよと、みんな内心ムッとしてたんではないだろうか。でも、実際には、いかにも幼児が悪戯で踊ってるかのような単純さとシンプルさを全体に維持することで、裸教育の少女が全裸で踊ることも考慮した(つまり、幼児そのものに見えるような)、稚拙美と官能と幼いエロスを大切にした、踊りだったということだ。そういう説明をしてたのだが、馬耳東風でまともにミーティングで聞いてなかった麻衣も悪いのだが、ミーティングの内容をほとんど記憶していてぼくに後日説明して慰めてくれた華子の記憶力というか、何でも面白がるパワーには感心させられたと思う。

 「たん、たたん、たん、たたん」という音楽がCDラジカセから流れたので、ぼくたちは音楽に合わせて、きおつけしたまま、かかとを上げたり戻したりした。これは昨日変えられた部分で、これもエキスパートの意見らしい。≪簡単だけど、簡単すぎて幼稚っぽいなあ≫と思った。「たん、たたん、たん、たたん」が時間をおいて3回繰り返された後、音が無音になった。それが合図なので、幼稚っぽい恥ずかしさに耐えて、「オーッ」と叫びながら、広場の四方に広がった。グラウンドというよりは、やはり空き地で、足の上で石を踏みつけたらしく、右足が少し痛かったけど、我慢した。石ころさえ落ちているままの無料施設で、しかも全部バスターミナルから、丸見えの場所で、服もパンツも遠くに置いてきた少女たちが運動させられるのだから、≪ぼくたち、粗末に扱われてるな…≫と思うには十分だった。それより、石が落ちてることがショックだった。こんな時々石がある場所では出血するかもしれないと思ったが、それも裸教育の厳しさのうちかもしれないと思った。クロッツ走でも、そうだったけれど、ずっと正座させられて、何食も食事抜きにされて、フラフラにさせられて、それで真夏の道路をタイヤを持たされて素っ裸で走ったのだから、見てる方は残酷さ満点で面白い見世物だっただろうけれど、させられてる少女は地獄そのものだった。女の子を肉体的にも精神的にもぎりぎりまで苦しませるのがクロッツ走で、歴史のある若い女子だけの競技である。全裸で女の10才くらいのこどもが重い木材をかついで走ってる写真を見せられて、≪可哀想すぎる≫と思った記憶がある。女の子に死ぬほど辛い思いをさせるのが目的のひとつの競技なのだから、木材や樽をかつがされて、体力的にぎりぎりで走らされるのも仕方ないのかもしれない。競技中に熱射病や体力の限界を越えて死ぬこどももいる過酷な競技で、ぼくたちは樽や木材でなかったけれど、女の子には軽くもないタイヤを持って走らされ、途中で気絶してバケツの水をかけられていた子もいたほどだ。タイヤを持たせて走らせる小学校が過去には意外に多かったようだが、それはクロッツ走の真似事というにすぎない。本当に裸教育でクロッツ走をさせられると、少女地獄だと思う。少女三角木馬攻めよりも苦しいと思う。そんな残酷で粗末なこどもの扱いの裸教育なので、こどもが血を出すくらいは、裸教育のうちなのかもしれないと思う。

 グラウンドというよりは、空き地と思えるのは、その広さのせいもある。小学生が草野球するのに過不足ない程度の広さだと思う。とてもじゃないけれど、名古屋球場とか東京ドームなんていう広さではない。でも、確かに幼児が運動会するには適度な広さだと言えなくもない。

 広がりきったところで、「ダン」という音がした。もう、考えてる余裕も躊躇する時間もなかった。ぼくは柔らかいベッドに倒れ込むようなイメージで、≪地面は柔らかい≫とひたすら自己暗示をかけながら、もう何も考えずに、手を後方へ置き去りにするかんじで倒れた。一瞬だけど、時間がスローモーションになったように遅く感じられ、≪あ、これなら、なんとか上手に倒れられそうだな≫と思った。でも、その独特な浮遊感覚は一瞬で、次の瞬間にはグラウンドに叩き付けられていた。とりあえず、地面に手をついたり、足で体を支えたりしないという意味では、直立姿勢からノーガードで倒れ込んだと思う。少なくとも手足で防御せず倒れたと思う。全身に衝撃は感じたが、体重が軽いせいか、動けないようなダメージはなかった。今すぐでも起き上がれると思ったけれど、「死の踊り」なので、倒れたまま、呼吸を苦しくない程度に抑制した。きっと白木は本当に何も考えずにノーガードで倒れて、今は息もしてないんだろうな、と思ったけれど、洗脳済みのお人形の真似をする気はなかった。やった、成功したと思ったけど、急いで怪我してないか、痛みはないか、目を閉じながらチェックした。どうやら、石の上に倒れないで済んだようで、出血も痛みも無さそうだった。足に擦り傷や、顔の怪我があると、幼児みたいで幼稚っぽく見えるので、絶対に避けたいところだった。

 倒れたところで音がしなくなった。音楽もない、踊りもない、それでも死の踊り、と、真面目に考えると禅問答みたいになりそうだったが、何も考えないようにして倒れていた。案の定、「ねえ、あの子たち、何してんの? 死体の物真似かな。やだ、恥ずかしい」と笑われてるのが分かった。ぼくの場所から観客までは広場の長さの4分の1くらいの距離があったのだが、でも、もともとの広場が小さいので、顔の表情が分かってしまう距離だった。全員がうつ伏せに倒れ込み、その後は動く時間がなく、即死体なので、全員うつ伏せのはずだった。うつ伏せに倒れてると、観客のエッチな視線が突き刺さるような気がして、≪ぼくって、今、幼稚っぽく思われてるんかな≫とか、≪お尻可愛いと思われるかな≫とか、案外余裕があるのに気付いた。≪ぼくって、本番に強いタイプかもしれないな≫と思った。こんな空き地に全裸で倒れてるのは、幼稚そのものなのは間違いないけれど、うまく倒れたのも功を奏したようで、「可哀想すぎる」とか「恥ずかしい」とか「変態すぎる」とか言われてるので、倒れてるだけでも、結構興奮するというかエッチな官能性があると思った。でも、ずうっと倒れてるので、「ねえ、このチビちゃんたち、いつまで倒れてるのかな」「可愛いから、いいじゃないか」とか話してる人もいた。でも、2分間も倒れていたら、まるで虐殺されたこどもみたいで、別のエッチさ(つまり恥ずかしさ)があると思う。こどもの死体愛好家の人が見たら、きっと間違いなく興奮すると思う。死体が好きだけど、殺すのは可哀想でできない、優しいけれどストレスの溜まってる人には、ぜひぼくたちみたいな全裸発表を見てほしいと思う。少女を殺すと犯罪だけど、少女の頑張る発表を見るのはお客様なんだから、現在は裸教育の運動会などの発表は無理だけれど、薄いレオタードで頑張る舞踊とかバレーとか体操とか新体操はお金さえ払えば見放題なのだから、ぜひ、少女の姿をエッチな目で楽しんでほしいと思う。全裸には全裸のエッチさがあるけれど、他はダメということはなく、ブルマにはブルマの、レオタードにはレオタードのエッチさがあり、健気に薄い生地の露出の多い衣装で頑張るこどもの姿はいつの時代でも可愛いのは同じだと思う。





i MAI me (愛 麻衣 みい) ~裸教育児の久保田麻衣小学生物語

小学生時代の麻衣を物語風に脚色して連載風に不連続で投稿するブログです。ぜひ愛読者になってください。基本はノンフィクションですが、物語なので面白く脚色されています。ごく普通の6年生の女子小学生(わたし)が、裸教育の小学校に入れられてブルマ1枚にされて学校生活をし、最後にはバレーボール1個を持って半泣きの全裸マスゲームをさせられるまでの日々を日記風に描いたものです。おもしろエッチなので、ぜひ見てね。

0コメント

  • 1000 / 1000