ひよこ日記 第11節

46、障害物競走でボロ負けした

 教室では全裸は不安だったけれど、一度運動場に出てしまうと全裸でも元気一杯だったというのは本当だけど、それは色々なことをさせられて頑張っていたので平気だったのと、やはり全裸の身軽さ(体操服も全裸と比べれば重い)とか、恥ずかしさからくる興奮によるものだったと思う。朝礼台の上でラジオ体操のお手本と、部活発表会と同じ運動をテーブル上でさせられて、自分の丸出しの全裸姿が自分でも見えるので、それを大勢に見られてると思うとエッチで興奮してしまったのもあると思う。でも、いざ、自分の席に戻ってみると、たえず指示されてる訳でも、やるしかないことがある訳でもなく、どちらかというと見物しつつ遊んでるという状況なので、むしろ自分の全裸姿が恥ずかしく感じられて、穴があったら入りたいみたいな気分だった。他の体操部の女子は全裸を見てみないふりをしてもらってるのに、僕は人気者だった(学年の可愛い子投票でも、上位だった)からかもしれないけれど、いつもと同じ感じで、どんどん男子にも女子にも話しかけられるので、≪うへーっ≫という感じだった。僕は元気が良くて、ボーイッシュというか、小学生の美少年みたいな雰囲気があると、言われたりもしたので、男子がオチンチンを出しているのと同じで、話しかけやすかったのかもしれない。実際にはオチンチンなんて付いてないけど、可愛い少年が全裸で遊んでるような雰囲気なので、話しかけやすかったのかもしれない。それから、スッポンポンなので、ぼくのオシッコのスジの部分もチラチラと見えるので仕方ないと思うけれど、僕の性器についても、普通に話題にされたので、ますます≪うひゃーっ≫という気分だった。なにしろ、運動会開始で運動場に出てすぐに、信介くんに話題にされてしまったくらいなので、いろいろ言われそうだなと覚悟はしていたけれど、あまりにも包み隠さずに、普通にぼくの性器について話題にされたり、話されたりするので、プライベートな恥ずかしい器官というよりは、みんなの愛玩物みたいになってしまったと思う。僕自身が、全裸の愛玩動物みたいに手軽にクラスメイトに触られてるので、クラスのみんなのオモチャみたいな立場で、だから、幼児そのものの形に見える未熟な性器も話題にしやすいのかなあ、と、思った。でも、すぐに障害物競走の時間になってしまい、自分の席で、自分についてのエッチな会話をされて赤面している時間も、もうなかった。他の体操部の女子は触れずらいものというか、見ていけないもというか、話題として触れるのはタブーみたいな雰囲気で、裸で席で体育すわりをしたりして体を丸めて小さくなっていても、見て見ぬふりをしてもらってるのに、ぼくには席に戻るや「わー、可愛い」といきなり女子に言われて、男子にも「全裸にされても、普通にしか見えない」と笑われて、別の子には「うそー、本物の幼児に見えるね。全裸が似合うね」と真顔で言われて、≪れっきとした女子中生に向かって、なんのこっちゃ…≫という気分だった。幼くは見えるけれど生年月日からすると、間違いなく女子中生なのだから。あと、≪ちょっと酷いな…≫という意見は、僕はまだ無毛の未熟な発育不良の子ではなく、体育館で恥毛を剃られたからツルツルなだけなのに、女子が「わたしなんて、もう、こんなふうにワレメがツルツルじゃないから、わたしが人前でこんな格好したら、卑猥でいやらしいと思う。普通の女子中学生だから、人前で脱いだりできないし、脱ぐのは大問題だと思う。やっぱり、クボタみたいにツルツルで、幼児と同じままの生殖器してるから全裸でも許されるんだね」とか言っていたことだ。「こいつの性器、色も、形も、大きさも、幼児とおんなじ」と男子にも笑われた。手で恥ずかしい部分を隠さないように裸教育で躾けられてるので、見えても仕方ないけれど、わざわざ近くで見て、観察されて、感想を言われるのも、赤ちゃんじゃないので、恥ずかしいと思う。クラスメイトなら、そのくらいの配慮はしてくれるといいのに、と、思った。完全にみんなは大人で、クラスの中でぼくだけが幼児並みという位置づけが出来てるかんじで、男子も女子ももう大人なので全裸運動会なんて許されるわけないけれど、ぼくだから許されるんだね、みたいな論調が多かった。女子が「自分には絶対になれない格好になってるんだね。可愛いね」と言われたけれど、それは僕が小6の頃に、バスターミナルの横の広場で全裸運動会してる幼児を見て、「絶対に僕みたいな大きな子のなれない姿になってるんだ。幼児だから許される姿なんだ。いいな赤ちゃんみたいで…≫と、自分との大きな格差を感じたのと同じことで、僕の全裸姿を見てクラスメイトは「ひどい」とか「可哀そう」とか思ってくれる以前に、僕がバスターミナルの横の広場で感じたのと同じような大きな格差を感じてるんだなと思った。「最初は女子中学生なのにクラスの子が全裸にされると知って、ひどいなとか残酷とか思ったけれど、実際にされてる子を見てみると、≪なんだ、幼児と同じみたいな子だから、全裸でもいいんだな≫と納得ができた」と、はっきりと感想を言われて、≪へえ、ぼくって幼児みたいに思われてるんだな≫と痛感させられた。実際は背丈だって、麻衣のことを子供扱いした女子より少し低い程度だし、成長だって小6のときにはツルツルだったのは同じだし、今は麻衣は恥毛を全部なくされてしまったので、赤ちゃんのように形がクッキリ見えてしまうというだけだ。女子たちは自分が毛が生えてる優越感から、緊張で縮み上がって幼児みたいになってる、実際には強制的に裸教育の発表のために無毛に変えられてしまっただけの麻衣の性器を見て、幼児並みの子と決めつけてるだけのことだと思う。毛も、形や大きさも、大人に教育されて変えられているだけなのに、実際の見た目だけで判断されてるんだと思う。もちろん、全裸にしても問題のない子供に見えるように、強制的に無毛にしたんだろうけれど、実際にその結果は全裸でも問題のない子供に見えてるんだから、先生の目論見通りということなのかもしれなけれど、実際は女子中学生なのに、まだ赤ちゃんの幼児のように、クラスメイトに全裸の体をどんどん普通に触られるし、男子にもお尻とか胸とか性器にみんなに触られた。誰かが麻衣に触ると、他の子は自分も触らないと損した気分になり触るのだろう。触られていない体操部員は全然触られていないのに(というより、白木も含めて、誰も触られいない様子だった)、僕ばかりが手軽に触られるので、≪僕って、そんなにお手軽な子なのかな≫とか、≪ぼくって本当に幼児なみに思われてるのかなあ≫とか、≪小学生の(自発的な)全裸少年みたいに思われてるのかな≫とか、いろいろと感がえてしまった。「可愛いね」「清潔だね」「綺麗だね」「幼いんだね」「ちっとも見えてもエッチでないんだね」「クボタだから丸見えでも許されるんだね」とか、僕の性器について、クラスでたっぷり話題にされて、じっくりと観察されて、クラスでの評価も、その日のうちに固まったと思う。みんなの意見としては、まとめてみると、「ぼくらは、(エッチだし、いやらしいことになるし、恥ずかしいことだから)体の部分を他人に見せてはいけない(露出してはいけない)けれど、クボタは性器を露出させても全然問題ない子で、来賓に蛙逆立ち姿で肛門を見せたり、来賓に蛙逆立ち姿でうんこを出すところを見せても、赤ちゃんと同じでエッチでないから、こどもが肛門をひろげてうんこしただけのこと…」ということのようだった。裸教育で本当に運動会で全裸にされてしまったから仕方ないんだけれど、素っ裸にされたせいで、実際の僕以上に、とても幼く、低レベル(幼児なみの子という意味で)、と、思われてしまったみたいだ。全裸になるということは、幼稚に思われる、赤ちゃんみたいに思われる、幼児並みに思われてしまう、そのくらいの覚悟がないのならば、女子中学生にもなって人前で全裸になったらいけないと思う。韓国の卒業式では男女共に学生が全裸になる風習があり、女子も学校で全裸になるらしいけれど、そんなふうに全員が全裸になるのなら問題ないけれど、一部の生徒だけが全裸にされる場合は、全裸にされた子だけが子供扱いされてしまうのは当然なので、そのくらいは覚悟をしたうえでパンツを脱ぐべきだと思う。

 麻衣たちは、障害物競走のために入場門へ移動して、徒競走をしている学年の終了を待っていた。部活発表会で赤白帽子1枚にされたのは、もちろん女子なので恥ずかしかったけれど、でも、運動場の真ん中で運動したため見物人からは遠く離れていたし、体と技を見てもらう発表(そう教えられた)だから赤白帽子1枚にされていると理由が分かるから、慣れてくると、意外に恥ずかしさは薄らいだけれど、運動会の入場門では真っ裸の必然性はまるでなく、それだけに恥ずかしさはかなりのものだった。他の子のように体操着やパンツがないから何も着ていないというだけなのだ。障害物競走は網の中をくぐったり、障害物の下を這って進むので、肌が擦れると痛いので、肌でくぐるよりは、あるいは肌で這うよりは、体操着の服が擦れてくれてくぐったり、体操服を汚して這う方がずっと楽だと思う。それに、他の生徒が靴をはいてるのに、素足では、ハンデがありすぎると思う。

 2年の徒競走では、白木はすぐに分かった。なにしろ全裸だから、体操着姿で靴もはいている生徒の中では、色が違うのですぐに分かるのだ。≪やだ、競技をすると、あんなに目立つんだ。2年生の席に座ってる時は余り目立たないのに…≫と白木の破廉恥な姿を見てショックだった。朝のラジオ体操のことは忘れて、≪あんなに目立つんだ、恥ずかしいな≫と思った。白木は中2なので、もう今年の誕生日は過ぎているので既に14才のはずである。14才にもなって、人前で何も着ていないことからして、とてつもなくエッチでいやらしいことだと思うのだけれど、みんな学校の事情(校長が裸教育を強く支持してる)を知ってるから白木の姿を見て見ぬふりをしてるんだろうな、と思った。もちろん中にはバカにしたり冷やかしたりする子もいるんだろうけれど。一方の麻衣は誰も見て見ぬふりをしてくれず、体操着の時と同じように体や尻を触られるし、体操着でいるかのように普通に話しかけられるので、≪白木は多少は女子中学生と思われて遠慮されてるけれど、ぼくは全然女子中学生とは思われていなくて、幼児は大袈裟にしても、せいぜい低学年の女子小学生くらいにしか思われていないんだな≫と思った。「年齢的に中学生というのは分かるけれど、クボタは体も心も幼児と大差ないもん。実質的には幼児と同じだよ」と、実際に言われているし。白木は外観は麻衣と同じで幼く見えるけれど、精神的には案外大人に見えてるのかもしれない。麻衣はクラスでは≪幼稚っぽい子≫という何の根拠もない評価が出来上がっていて、そのうえ、幼児のような肉体を見せてるんだから、遠慮なく幼児なみの子の可愛らしさを見てみようというような気になるのだと思う。幼児なみの子だから、遠慮しても仕方ないという気持ちなのだと思う。赤ちゃんに遠慮してオシメを交換しない人がいないようなものなんだろう。赤ちゃんには遠慮するよりも、スキンシップする方が双方がハッピーになれるということだ。麻衣にも遠慮するよりも、スキンシップする方が、こどもも喜ぶしということなんだろうな、と思う。この日は、おそらく男子全員が、ぼくの肌のどこかには触ったと思う。エッチな男子に「可愛らしいね」と言われて、椅子のところで、何度もオシッコのスジを擦られて、恥ずかしさにドキドキしたりした。でも、全裸にされてる時は、可愛い子でいたいという気持ちが強いので、体のどこを触られても我慢した。オナニーするメンタルトレーニングで、自分で自分のスジは何度も擦ってるので、スジへの刺激は初めてではないんだけれど、クラスメイトの男子にスジを擦られるのは、やはり変なことだし、エッチだなと思った。全裸は今日だけで、明日からは大丈夫なので、とりあえずは我慢したけれど。でも麻衣のスジを触った男子が嬉しそうに「チビッコのオシッコする部分に触ったから、今日は手を洗わないよ」と教えてくれたので、≪ぼくのこと、可愛いのかな…≫と、少し嬉しかった。麻衣の性器を近くで見て、オチンチンの立ってしまった男子もいたけれど、体操着も下着も着用してるので、上手に胡麻化して分かりにくくしていた。でも、麻衣はオチャンチャンを丸出しにされてるんだから、じかにクッキリ見える状態なのだから、男子のように誤魔化せない子なんだから、ちゃんと綺麗な性器でいないといけないと思った。男子はオチンチンを隠せるけど、ぼくはオチャンチャンを隠せないのだから、清潔で、きれいな性器でいないと、他のクラスメイトに悪いと思う。男子たちにとっては、体操服姿なので、体操着しか見えないけれど、ぼくはワレメ姿なので、恥ずかしい部分クッキリだけど、これがぼくの今の服装なのだから、ちゃんとワレメ姿を見てもらって頑張りたいと思う。2年生が席に戻ると、障害物競走のために運動場に整列させられた。体操部の女子は全裸なので、体操部の女子は整列すると、すぐに分かった。全員自主的に全裸になったことにされてるし、全裸っ子たちも、自主的に全裸になったような気分にされていたと思う。うまく誘導されて全裸にされたことは分かってるけれど、自主的に教室で全裸になったのは事実だし、校舎から全裸で出たら全裸運動会になってしまうと知りながら校舎から全裸で出たのも自分なのだから、甘えや羞恥心から競技を混乱させることは許されないと思った。順番に障害物競走は進み、いよいよ麻衣の番になった。

 「位置について」で、体を低くして、「よーい」で高くお尻を上げて、「どん」で地面を蹴って走った。走ると、何も着ていないで走る独特な感覚がして(頼りなさというか、あられもなさというか)、少しエッチで恥ずかしいなと思った。でも素っ裸でも元気に走るのは気持ち良かった。どんどん走ると問題の障害物があった。これが単なる100メートル走なら、気持ち良かっただけですんだのだろうけれど、これはそうではなかった。まず網の下をくぐったのだけれど、網が重いし縄がザラザラと毛羽立ち、くぐると背中の肌が擦れて痛かった。でも、通らないという甘えは許されないので、速さを調節してあまり強く擦れないように上手に通過した。でも全力で通過した女子よりは若干遅れたと思う。それから、梯子をくぐるんだけど、くぐるときお尻を突き出すような姿勢になり、セクシーで面白いせいか、カメラを持った町の人が近くに何人もいて、麻衣が梯子くぐりをした時に、たくさんのシャッター音がしたので、エッチな全裸写真を何枚も撮られてしまったと思う。でも、そんなことは最初から分かってることなので、負けずに次の障害へと走った。そこには跳び箱の上に、高さの低い平均台の片側が乗せてあり、要するに平均台が坂になっている状態だった。そこを平均台にまたがって、這って上までのぼり、跳び箱の上に立って、そこからジャンプして地上に降りることになっていた。体操服姿ならば、普通の障害物でしかないのだが、全裸のぼくにとってはエッチな障害物だった。というのは、全裸で平均台にまたがると、平均台とセックスしてるみたいに見えなくもない。体操着ならまたがるだけなんだけれど、全裸だと妙にセクシーな姿だと思う(そう思ったのは、ぼくが中1にしては、考えが「ませている」だけなのかもしれないけれど)。実際に全裸で冷たい平均台にまたがると、気持ちいいし、エッチな気分だった。平均台に少し性器をこすりつけてから(気持ちいいので、幼稚だけど、何度かこすりつけました。恥ずかしい子ですか?)、性器を平均台に密着させながら、頂上まで上った。幼稚なぼくがエッチな誘惑に勝てずに、大勢の人前で素っ裸で性器を平均台にこすりつけてる時に(といっても、エッチなことは5秒くらいです!)、やはり多くのシャッター音がしたので、冷たい細い平均台にまたがって性器を擦り付けて快感にひたってる姿は、写真に撮られてしまったと思う。「あの全裸の幼児みたいな子、平均台に性器を擦り付けて、オナニーしてるよ。幼稚っぽいねー」と見物していたオバサンに言われてしまい、周囲の人々に爆笑されてしまった。そんなに目立っていたのかと驚いた。ぼくは数回、平均台とセックスしました、幼稚な子で、がっかりですか?

 幼稚だったと思うけれど、全裸にされていて、平均台にまたがらされたら、12才とか13才くらいだと、性器の四角い台にマタと性器の擦れる感覚に我慢できなくなるのは仕方ないことだと思う。ぼくも、またがった瞬間、本能的に性器と太ももの内側が擦れる感覚に、≪マタグラに太い棒があるぞ≫とセックスしてしまったんだと思う。セックスと言っても、女の子の生殖器を学校の平均台にじかに擦り付けてしまっただけなんだけれど。

 「オナニーしてる」と言われて、自分の本性を見られてしまった、エッチな心を見られてしまったと、恥ずかしかったけれど、でも、その後は性器を擦り付けながら、足を左右に開いて平均台を挟むようにして、上まで上った。足を開いて上ったのも、やはり、その方が気持ちいいと本能的にしたことで、「オナニーの子、足を広げて上がっていくよ。感じてるんかな」とさらに笑われてしまった。跳び箱から飛び降りると、けっこうなショックで、現実に戻ったかんじで、あとは横向きに並んだ低い平均台の下を這って進んだ。その時も砂に性器を擦り付けて這っていて、気持ち良かったです。幼稚っぽいですか?

 とりあえず、走り終えた時には、5人で走り5位で、障害物競走はボロ負けでした。でも、平均台で性器を擦り付けていたことは、すぐに噂が広がってしまい、「障害物競走で、エッチなことをした幼稚な子」と言われてしまったし、「障害物オナニー競争だね」と、男子に笑われてしまった。人前なのに、エッチなことをしたのは事実だけど、5秒くらいなのに、少し大げさだと思ったけれど、実際にしてしまったことは仕方なかった。麻衣の性器を擦り付けた青い平均台は、「全裸オナニー台」とみんなに名付けられてしまい、平均台の授業のとき、「オナニー台の授業だよ」と言われたりした。でも、もし平均台に性器を擦り付けることをオナニーと言うのなら、麻衣は人前で全裸オナニーをしてみせたことになると思ったし、中学の運動会で全裸写真をたくさん撮られただけでなく(勝手にたくさん撮影された)、女子中学生の全裸オナニー写真も撮られたことになる。単なる言葉の定義の問題なので、どうでもいいけれど、「スッポンポンで平均台に性器を擦り付けて喜んでるこども」、という、とてつもなくエッチな写真を撮られたのは間違いない。オナニーしてると笑われてた子の、平均台で感じている写真を見て、男の人はどう思うのかなあと、少し考えてしまった。やってしまったことなので、もう取り消せないけれど、きっとぼくの恥ずかしい全裸写真を見て、オナペットにしたのだと思います。エッチな目で見られるようなことをしてしまい、恥ずかしい子かもしれないけれど、全裸で平均台に人前でまたがらせる中学にも問題があると思います。そんなことしたら、こどもなので、エッチなことを考えても仕方ないと思いました。

 麻衣の顔写真(下)を見てください。この子が、平均台でオナニーした全裸少女です。人前で全裸オナニーなんて幼児みたいで、幻滅ですか? でも、自分を負けずに全部見てもらう強い子に裸教育されたので、平均台のことも負けずに書きました。

 競技中に全裸写真を撮影されただけでなくて、競技時間以外にも、全裸で面白いのか大人の男の人に「こっちを向いて、写真を撮らせて」などと言われて、その人の方を見たら、「きおつけしてくれる」と言われて、きおつけして全裸写真を撮られたりした。そういう、丸見えの全裸写真は数人に撮られたけれど、断るのは悪いと思ったし、運動会のこどもの写真というだけなので、少し恥ずかしいと思ったけど我慢して撮らせてあげた。実は、その写真のうちの1枚が、町の写真展で「町長賞」とかにエッチな町長に選ばれてしまい、「運動会の少女」という題名で、町のロビーに飾られてしまった。麻衣も近いので見に行ったら、ぼくが全裸で性器丸見えで緊張してきおつけしてる写真が飾られていたので、≪うそー、これじゃあ、惨めな子じゃん≫と、赤面してしまった。でも、僕の全裸写真を見て、「中学校の運動会に遊びに来た小学低学年じゃないの。まだ、チビスケだから裸にされてるんじゃないの」と言われていたので、どうやら町の人の多くは全裸で小さなツルツルの性器のぼくを見て、低学年とか小さい子と思っているようだった。だから、町長もエッチで選んだのではなく、無邪気な6~7歳の女児だと勘違いして、チビスケだから丸見えでも可愛いだけだと、賞に選んだのかもしれない。小さい子だし、未熟なオシッコを出すだけの性器だから、見えていてもいいという判断で、丸見えの写真もまま展示されてる可能性が高かった。もし女子中学生が運動会で性器丸出しにしている写真だと知っていたら、そんなエッチな写真は大勢の人の見る写真展に飾ることはできないと思うのだ。幼児とか、それに近いチビッコが、運動会でワレメを見せてる、そんな幼稚っぽい写真として展示されてるんだと思った。麻衣がセーラー服で写真を見てても、誰も全裸の写真の少女とは気づかないみたいだった。無邪気な幼児写真を中学生が見てるなという風に見えただけなのかもしれない。でも、写真の中のぼくは、自分でも信じられないくらい幼く見えた。幼児なみにされた性器だけでなく、顔も全裸だとすごく幼く見える。まるで幼児のように見える幼い顔をしている。オシッコの出口も、これなら、見えてもいいかと、自分でも思ったほど幼い。

 厳しく裸教育されてるこどもなのは事実なので、こんなふうに町に全裸写真を飾られて見られるのも、ちゃんと我慢できないといけないと思った。1か月くらいロビーに飾られて、誰でも無料で見れたので、金魚の写真とか、犬の写真とかと並べて、ぼくの写真も飾られてるので、多分可愛い小動物のように大勢の町の人に見てもらったと思う。エッチな男子生徒もわざわざ、ぼくの写真をロビーまで見に行ったようだ。あとで、「写真を見て、そそられて、オチンチンが立ってしまった」と言われて、恥ずかしかった。でも、裸教育だから、裸にされるのは当然のことなので、当然の姿を見られてオナペットにされてしまうのなら、我慢するしかないと思った。


 47、障害物競走を終えて

 ぼくが幼稚っぽいせいで、傾斜した平均台を這いあがる時、魔がさしてエッチなことをしてしまい、笑われてしまったのは、既に書いた通りだけど、平均台にワレメを擦り付けて喜ぶというよりは、ワレメとマタを擦り付けていた(オナニーの真似事をしたというより、こどもなので、またがるのが好きなだけ。またがったり、細い棒に抱き着くと快感がある)だけなのだ。またがったら、平均台の木材の感覚が、全裸の肌に気持ち良かったから、耐えきれなくなって、性器を擦り付けてしまっただけなのだ。でも擦り付けてはいるけれど、やはり、マタも一緒に擦れてる感覚がエッチで快感だったのだ。もっと分かり易くいうと、保育科の短大生になった後でも、名古屋付近の短大だったので、友達とくら寿司に寄る時に、くら寿司の入り口付近にある金属パイプにまたがって遊んでしまい、友達に呆れられたほどだった。小学生とかが、くら寿司でよくまたがっているけれど、さすがに短大生になってまたがる子は少ないと思うので呆れられたのだと思う。でも、オナニーしたくてまたがるのでなく、またがる事自体が気持ちいいのだと思う。細いパイプにまたがって足をクロスさせたりするのは好きだったから、またがるからって、必ずしも擦り付けたいわけでもない。僕の子供用半ズボンもまたがるのが好きなので、やはりマタのあたりが擦れて色が変色してるのが分かる(下の写真参照)。幼稚な子でがっかりですか?

 とにかく、学校の運動場の傾斜した平均台は途方もなく、またがるのが気持ちよさそう見えたのだ。しかし、全裸だったのと、肌と木材の擦れる感じが快感だったことで、もっと擦り付けたくなっただけということだ。でも、障害物競走を終えてしばらく出番がないから華子が来るぞと思っていたら、やはり華子が「クボター」と言って近くに来て、「障害物競走の競技中に、お客の見てる前で、平均台にオマンコを擦り付けてオナニーして笑われたんだってね。ハナでも、そこまで大胆なことは出来ないのら。こどもは無茶するから面白いのだ」と、バカうけして、大笑いするので、≪5秒程度の小さなことで、そんなに、笑わなくてもいいのに…≫と思ったけれど、でも1年生の特に男子の間では、「全裸で運動会させられてたクボタが、人前で、オナニーしたぞ」と大評判になってしまったと知った。華子の話を聞いていた男子も既に噂は知っていたみたいで、横から、「俺も、机の角でオナニーしたことあるけど、誰も見てない場所で、こっそりやるぞ。人前で、大勢の人の見てる前で、全裸で学校の平均台に性器を擦り付けてオナニーなんて、恥ずかしくて出来るかよ」と、男子にまで、はっきりと言われてしまった。

 「そうでないよ。擦り付けたかったのでなく、またがったら、裸の肌に木材の感触が気持ち良かったから、肌を擦り合わせてみたかったんだ」と反論した。本当にオナニーなんて気持ちは皆無で、いつもまたがってることが多いので、その延長でしかない。女子はもともと男子よりも、またがるのは好きで、学校の鉄棒の授業で横回り(プロペラ回転、下写真)を学んでも、その後に放課時間に自主的に横回りしたがるの女子ばかりだ(本当)。横回りはオナニーしたいのでなく、やはり、またがること自体が気持ちいいというだけなのだ。

 「木材が気持ちいいから、擦りたくなったって、それってオナニーしたくなったってことじゃないのか」と言われてしまい、麻衣の言いたいことは通じなかった。似てるけど、少し違うと思う。マゾの女の子が三角木馬に乗せられて嬉しいのは、オナニーになるから嬉しいのでなく、またがらされて少女木馬攻めにされること自体が気持ちいいということだ。全裸なら、いっそう、またがるだけでエッチで興奮すると思う(模式図、下)。

 女子は町を歩いていて、またがるものがあると、またがってみたくなるし、そういう誘惑があると思う。ぼくがそう思ってるだけなのかもしれないけれど。

 でも、クラスメイトも華子までも、ぼくが人前で全裸オナニーするくらい幼稚っぽいと、大笑いしてるので、それ以上反論しても、ますます照れかくしで誤魔化そうとしてるだけと更に面白がられそうなので、反論するのは止めた。

 「面白すぎなのら。ハナも面白いこともエッチなことも好きだけど、そこまで大胆なことは無理なのら。こどもは無茶苦茶するから怖いのだ」と、華子にまでこども扱いされてしまい、「はいはい、ぼく、人前で全裸オナニーするのが恥ずかしいと分からないような子供です」と開き直って言うと、「あっ、クボが本当のことを認めた」と、ますますバカうけされてしまい、周囲からも笑われてしまった。おかげで、冗談で余計なことを言ったせいで、「久保田は、人前で全裸オナニーするのが恥ずかしいと分からないくらい子供」という話が広まってしまった。全裸姿を見てると、ますます幼く見えてしまうらしく、「人前で全裸オナニーしたら、笑われるから、もう、そんなことしたらダメだよ」と心配して言ってくれる女子もいた。今、ずっと全裸でいるから、また全裸オナニーをしたりしたら、学校中の笑い者になるからと、心配してくれたらしい。今、全裸だけど、別にオナニーしたいわけじゃないし、性教育で「オナニーは誰も見ていない場所でしましょう」と習ってるから、≪人前で全裸でオナニーを始めるほどチビスケでないのに≫と思った。でも、僕の幼稚っぽい顔と、全裸であることと、裸教育で躾けられてる最中なことから、そんな風に見えてしまうのかなと思った。幼児みたいに裸で体に躾けないとダメな幼児並みの子と思われてるのかもしれなかった。

 「それにしても、クボタって全裸だと、幼く見えるタイプだね。あたしも全裸だから、あまりクボのことは言えないけれど」 

 「そうなんだよ。全裸で運動場に出された途端にみんなに小さい子扱いされるのには驚いた。友達の信介くんまでぼくを幼児扱いするんだもん」

 「幼児扱いしたくなるほど幼く見えないと、全裸にしてるだけに、先生たちも批判されて困るから、ちょうどいいんじゃないのかな」

 「そうなのかな」と華子にぼくは訊き返した。

 「うん、確実に全裸でもエッチでないくらい幼いと思われる外観にするために、女子部員は髪を強制的に短いオカッパにされたし(注意~ぼくの顔写真は短大1年の頃の写真で、中学生当時のオカッパの髪ではない)、せっかく生えてきたオマンコの毛も剃られて小学生みたいにツルツルにされたんだし、それは単純に第二次性徴前の無毛の子みたいに見えるというだけでなくて、毛に隠されず直接性器が見えることで、つまり緊張で縮み上がってる性器が見えることで、幼児なみの小さな性器とはっきりと見えるから、≪なんだ、こんな幼稚な性器なら丸出しで十分だ≫と思わせる効果があるということなのら。そのうえ、平均よりは背も低く、痩せていて体重の低い子ばかり部員にしてるし、太らないように、頻繁に全裸で秤に乗せて指数(体重と身長から割り出す指数のこと)が増えないように食事まで指導してるし、顔だって幼い子ばかり選んで部員にしてるんだもん。孤児が多いから、たまたまそうなったのかもしれないけれど、でも、太った子や大きい子が部員に絶対に選ばれないのは事実だと思うよ」

 「へえ」とあまり深く考えない麻衣は華子の説明に納得させられてしまった。性格はどうかと思うけど、頭のいいのは間違いない。

 「もともと幼く見える素質のある子を、さらに剃刀やハサミを使って幼い外観にしてるんだから、そりゃあ、幼くは見えると思うよ。普通の平均的な女子中学生よりもね。しかも、裸教育という名の幼児退行教育をされるから、精神的にも幼くされてしまうから、精神は顔に出るから、ますます幼い顔になってしまうよね。入学当時の部員の顔よりも、現在の部員の顔の方がずっと幼くみえるもん、ハナには。クボタももともと子供っぽい顔だったけれど、今は本当に小学生に見える顔になってるしね。そこまで徹底的に体も心も〔大人の要素〕を排除したうえで、全裸にするんもの、全裸なんて赤ちゃんみたいな姿だから、ますます幼く見えるのは当然だし、トータルでは全裸にされて当然なくらい幼く見えてしまうのは理屈では分かるのら。中学生を全裸にすると言葉で聞くと『それは年齢的に無理あるのでは』と思うのが普通かもしれないけれど、でも、いきなり全裸の実物を見せられてしまうと、『なんだ、まるで幼稚なだけじゃないか。これなら全裸でも普通だな』と納得させられてしまうのだと思う。それにクレームの付きにくいこどもばかり部員にされてるし、だから今まで時代遅れの裸教育が続けられたんだよ」と、なかなか理詰めのことを言った。そこまで分かってるのなら体操部員するのは逆に辛くならないのかと思うのだけど、そこは面白ければいいという性格で、それならそれでいいという事なんだろう。

 「へえ」と、感心して華子言うことを聞くばかりだった。

 「ほら、ハナが幼児のころ、全裸運動会だったと話したでしょ。裸保育だったから」

 「うん、それはこの前聞いたけど」

 「幼児なら、誰でも幼さという点では全裸になる資格があるんだ。資格とは、周囲が全裸になることを認めるという意味だけれど。体も小さいし、もちろん性器も少し割れてるだけだし、何もしなくても幼児というだけで十分なんだよ。でも、女子中学生を全裸にするためには、様々な工夫をしないと全裸にできないということなんだ。だから、中学生が幼児並みに見えるように、徹底的に幼児化させられるんだよ。非人間的なくらいにね。もともと無理があることだから、無茶苦茶厳しく躾けて、完全に洗脳して、本人も見物人も幼児と大差ないなと思えるくらいまで改造されちゃうんだよ。でも、それでも、成長してしまうし、なかなかうまくいかないから、部員は1年生がほとんどなんだよ。でも完全に洗脳されて、完全に体も心も改造されてしまう子も中にはいて、それが白木で、2年生なのに部長として部に残ってるんだよ」

 「ふうん、なるほどー」

 「みんなは白木を先生のオモチャと笑ってるけど、大の大人が女子中生相手に本気で裸教育してるのは、生きてる少女を人間から、先生に従順な操り人形に改造することに面白味を感じてるからなんだよ。だから一番先生のオモチャになった白木を、顧問は一番大切にしてるし、無邪気にやりたい放題のクボタは普通の部員で特別に興味はないということだよ。顧問は白木を一番気にいってるのは、贔屓してることからも明白なのら」

 「ああ、酷いこともされてるけど、白木は特別扱いだね」

 「そりゃあ、酷いことをしなければ、本当にオモチャに改造できたか分からないよ。残酷な指示をしても、ハイって言われるままなら、操り人形と分かるもの。逆に校長はスケベで精神的なことには興味ないし、ただの俗物なんだ。だから、外見の可愛い、目のキラキラして、肌もスベスベしてて、体形もごく可愛らしいクボタばかりに夢中なんだよ。今朝のラジオ体操も、今朝のテーブルの上の全裸運動も、ワンマンな校長が久保田を特別扱いしてる証拠だよ。顧問は精神面に興味があり、完全に洗脳された従順なこどもに興味あるだけだし、校長はスケベなだけだから、かわいい美少女の全裸に心が慰められればいいだけなんだよ。目的も顧問は自己満足を追及してるだけだし、校長は先生方を締め付けてるのを自覚してるから、美少女が先生方の慰安になるといいと思ってるだけなんだよ。美少女の全裸や性器が、先生のストレス発散や癒しになればいいと思ってるだけなのら」

 「なるほどー。そう説明されると、どうして、他の女子体操部の部員が、ただ淡々と部活動をこなしてるだけなのに、麻衣ばかりが呼び出されたりして恥ずかしいことばかりさせられるのか納得がいくよ」

 「普通の先生や顧問がクボタを呼び出してるように見えても、実は陰で命じてるのは校長なんだ。校長は最大の権力者だからね。誰も逆らえないよ。校長も暴力をふるうようなタイプなら、普通の先生でも、校長に殴られたとか法的に反撃できるんだけど、校長もそこまでバカじゃないし、誰も逆らいようがないんだよ。顧問も校長の指示で裸教育をしてると言ってるけれど、その通りかもしれないけれど、いざ女子中生を裸教育してみると、女子を体も心も自由に扱える面白さに気づいたんだよ。そして最近で一番面白かったのが白木なんだ。でも、白木は体力不足で物足りない面もあるから、もっと遊べるオモチャを作りたがってる最中ということなんだろうね。ハナにはそう見えるのら」

 「ということは、顧問に特別扱いされだしたなら、かなり洗脳されたヤバい状態になってきたということだよね。校長で良かった」

 「きゃはは、まあ、部活を直接指導してる顧問に目を付けられるよりは、時々呼び出すだけの校長に目を付けられる方がマシな状況だよね。でも校長はスケベだから、今朝もテントでエッチなことをさせられたという噂だよ。聞いた話だけど、来賓の目の前で『久保田麻衣拡張ショー』をさせられたんだってね。どこを拡張させられたのかは知らないけれど、きゃははは」 

 「えーっ、知ってたの?」

 「だって、みんな噂してたもん」

 「やだ、恥ずかしいよ」

 「久保田麻衣スカトロショーもしたんだって。きゃはは、もう完全に幼児扱いで、人前のうんこやオシッコは普通なんだね」

 「もう」

 「でも、校長はスケベなだけだから、心配ないよ。呼び出されてもエッチなことをするように言われるだけだもん。むしろ危険なのは、白木で、完全にマインドコントロールされてるから、本物の生きたオモチャなのか顧問が最終確認しようなんて思ったら、やばいことになると思うな」

 「ねえ、ラーちゃん。なんか寒くなってきたね」

 「そりゃあ、ハナもクボもスッポンポンなんだから、出番が終わってじっとしていれば、体温が下がって寒くなってくるよ」

 「次の出番は、何?」とプログラムを開いてみた。

 「まだまだ先だよ。ふぁー、眠くなってきたよ。それから、全裸は自主的ということにされてしまったよね。今朝も、全裸で運動場に出てこいとは顧問は一言も言ってないし。もし、厄介なクレームがついたら、こどもが勝手にやったことです、と、逃げ道を用意してるんだよ。けっこう、狡いよね、大人って。こどもは全裸にしたい、でも、面倒はご免ということなんだろうね。女子部員が自主的に素っ裸になったことになってるから、ますます幼稚なこどもという事になるしね」

 「あ、次は100メートル走だ」

 「そうだよ。うちらは、400mリレーも、ハードルも、何にも選ばれていないから、かけっこして、マスゲームして、ラジオ体操して、運動会は終了だよ。かけっこは、今度は平均台が置いてないから、残念だね」

 「もう、別に残念じゃないよ」

 「100メートル走が終わると、15分の休憩時間があるね。ずっと遊べないで運動会してるから、休憩に遊べてちょうどいいよ」

 「そうだね」

 「ハナは校長にも、顧問にも好かれていないから、体操部女子ウオッチャーをするには最適なのら。中学生の女子なのに、変態アニメの少女よりも過激な格好で、変なことばかりさせられるから、見応えがあるのら」と、自分も部員であるにかかわらず、華子は余裕で部の様子を楽しんでるようだった。


 48、100メートル走

 運動会の徒競走は、昨年の小6の時は50メートル走だったのに、中1になったら100メートル走と距離は倍になった。だから、大人になったんだという実感はわかない麻衣なのだった。だって小6の時はブルマ1枚は最低限、どの競技でも着用していたからだ。でも中1では教室で、セーラー服も、靴下も、スカートも、パンティーも自主的に脱いでしまい、生まれたままの姿になって、靴もはかずに運動場に出た。その後は生徒用下駄箱のある出入口が施錠されてしまって、運動会が終わるまで教室へは戻りようもない。いくら100メートル走にレベルアップしても、赤ちゃん体操する乳児みたいな体で走るのでは、あまりレベルアップしたような気がしない。それに小6の時は全校生徒がブルマ1枚姿だったので、裸でも余り気にならなかった。ところが中1の今は、一学級分くらいの人数の女子体操部員(部員のうち数人は体調不良だと運動会を休んでしまった)を除く全校生徒が、きちんと下着も体操着も靴下も靴も赤白帽子も身に着けていて、とてもアダルトな服装なのだから、麻衣たちだけ生まれたままの姿にされてるので、落差が激しい分は裸が気になった。小6よりブルマ1枚少ないだけなのだけれど、布の重量や保温性については実質的には僅かな差のようであるにもかかわらず、未熟な赤ちゃん並の性器を丸出しにするので、自分の未熟な人格(本当は赤ちゃん並の子とバレてしまう恥ずかしい形)まで見られてしまうような感覚が起こるという意味では、かなりの差があった。でも、自分の席で寄ってきた華子と校長や顧問の噂話などをしていたので、けっこう気が紛れたと思う。でも、再び100メートル走の時間となったので、自分の座席で目立たないようにしてるわけにもいかなくなった。もっとも自分の椅子に座ってる時でも、中学生たちは異性への性的関心から、女子体操部員の性器や体を見てるようだった。100メートル走の前に華子と話していて、一番印象に残った話は、「女子の性器って、1人づつ形が違うね」と華子が言っていたことだ。体操部に入り、女子部員全員の性器を見たので、華子の言う通りだと思った。華子もぼくも丸見えにして話していたので、華子とぼくですら、形がだいぶ違うと分かった。華子の解説によると、華子の性器はシンプルで子供っぽい形というだけだけれど、ぼくのは名器というか形がいいということだ。そして白木のは平均よりも前の方が割れているのでブルマにスジが出やすいということだった。そして葵は、幼児のころから余り形が変化してないのではないか、ということだった。手で性器を隠さないように厳しく躾けられているので、男子生徒には好評だったようだ。「見せてくれて、ありがとう」と、じっくりぼくを見ていた男子にはお礼も言われた。他の普通の生徒から、服装の違いなどによる心理的効果で麻衣たちが幼稚に(幼児のように)見えたように、逆に幼児気分になってしまった麻衣たちから普通の生徒を見ると、とても大人のような気がしてしまった。特に2年生とか3年生から、「チビッコ」と言われても、かなりの大人の度合いの違いを感じているので、彼らから比べると幼稚な小さい子だなと納得がいく気分だった。部活では男の大きな先生から、どんどん幼児みたいに遠慮なくスキンシップされたので、余計に幼い気分に幼児退行してる面もあるのかもしれないが。心理学の本で読んだのだけれど、女子中学生にずっと幼児扱いを続ける人体実験をしたら、本当に幼児退行してしまい、数か月後には幼児のように、お漏らしするようになったという。部員がなんとなく部活中に失禁する子が増えた気がするのも、人体実験された女子ほどではないにしても、若干の精神的な幼児退行があるのかもしれない。そのせいか、顔立ちの方も以前よりも幼く見えるとクラスメイトにも言われている。精神は顔に出てしまうので、幼いワレメを見せなくても、顔を見られるだけで、かなり幼稚っぽい子とバレてしまってると思う。しかも、今日の運動会のように、自分を全部見られていると、幼く思われるのは当然だと思った。

 入場門から、大きく手を振り、足を高く上げて、徒競走のスタートの場所まで行進したけれど、お客の前をぐるっと回るように行進したので、かなりブルマ未着用では恥ずかしかった。いつもの部活のように、たったブルマ1枚身に着けてるだけで、さっき説明したように、かなり安心なのに、そうでないのだから。ブルマ1枚とらされただけとも言えるけれど、それでも、恥ずかしさはかなりのものだった。裸教育でブルマをとらされてるだけだから恥ずかしくないんだよと教えられていても、実際に大勢の前だと羞恥してしまうのだから、理屈と肌の感覚は違うので仕方ないと思う。

 「へえ、女子たちのブルマの中は、どうなってるのか、全裸の子をみると分かるね」と、町のおじさんが言っていた。

 「でも、どうせなら、あんなチビッコのブルマの中身でなくて、普通の子のブルマの中身を見てみたいね」と別のスケベなおじさんが言っていた。

 「なんだ、チビスケのオマンコでは、見ても、つまらないんかよ」

 「つまらないこともないけれど、所詮、幼児と大差ないチビスケでは、物足りないさ」

 「まあ、実際にブルマの子の中身は、毛が生えてるだろうから、ツルツルのオマンコを丸見えにして行進してる子とは違うだろうけれどね」

 「こどものオマンコは見せていいけど、大人の中学生の第二次性徴後のオマンコは見せられないってことさ」…みたいなことを話してるのが聞こえたので、全裸のオマンコを見せて行進してるチビスケのぼくは、≪どうせ、見られて当然のチビスケです≫と、赤面で幼稚な惨めな子の気分だった。そもそも教室で全裸に納得して、全部脱いでスッポンポンで運動場に出てきたこどもと知られてるので、その程度の自己評価の子(かなり幼児並みの自己評価の低い子)と思われるのは仕方ないと思う。でも、実際には女子中学生らしい、人前で脱がされる恥ずかしさや、心の葛藤が教室であったのだけれど、その部分は察してもらえず、単に幼児みたいに手軽に全裸になって運動会に参加した子と思われるのが辛いところだと思った。ぼくだって、本当は毛が生えてたんだぞ、ぼくだって、いつもは、こんなに小さな性器でないんだぞ、こんなに可哀そうなくらい縮み上がってないんだぞ、と説明したい気分だった。でも、実際には、ツルツルで小さくて、幼児と同じレベルの子たちと思われてるだけだ。そして外見の幼さから、中身まで赤ちゃんみたいな恥ずかしいチビスケと思われて、全裸で喜んで教室から飛び出してきたと思われてるのも恥ずかしいと思った。それに自主的に全裸になったこどもとプログラムに明記されているので、自分からスッポンポンになりたがっていたみたいに思われても仕方ないと思う。教室で服を脱いでるときは、けっこう心臓がドキドキしていたし、ふうふう肩で息をしてて、本当に辛かったんだぞ…と思った。中学生にしては幼稚っぽいねと言われても、事実だから受け入れるけれど、幼児と同じなんだねと言われてしまうと、辛い気持ちで脱いだ分だけ損した気になると思う。

 行進はきちんとしないと、お尻たたきされる厳しい部だったので、その訓練の成果なんだろうけれど、恥ずかしさと惨めさの気持ちで行進してるわりには、しっかりと手足を動かしてることに驚いた。厳しく体に教え込まれてるから、行進曲がかかると、自然に体が動いてしまうんだろうか。ただでさえ全裸で幼稚っぽいこどもが、さらに他の女子中学生たちよりも、元気に手足を動かして、しかも真剣な表情で行進してるのだから、≪やっぱり、全裸の女の子は幼児とおんなじなんだね。恥ずかしいって、分からないから、あんなに元気なんだね≫みたいに判断されても仕方ないと思う。みんな校長と顧問の思うつぼなのかもしれないけれど、全裸で人一倍元気に行進する自分を、幼稚っぽいなあと、自分に呆れてしまった。

 スタート地点に座って順番を待ち。自分の番になった。小学校みたいに、立ってスタートするのでなく、本格的に四つん這いからスタートするので、お尻を上げると笑われてしまったし、お尻を上げているときに、シャッター音も聞こえた。≪お尻を、写されてるんだな≫と思った。すっかり運動会では幼児扱いなので、遠慮がないな、と思われた。だから、午後からマスゲームで、お客の目の前に結果的に性器を突き出すことになるブリッジとかをさせられてる時でも、遠慮なく丸出し写真をとられるんだろうな、と思った。そして観客も幼児を見るのと同じで、ちっとも、卑猥だとか、いやらしいとか思ってはくれず、単に幼児みたいにワレメ見えてて可愛いねと思うだけなんだろうな、と、思った。別に卑猥に思われたいわけでないけれど、まるっきり幼児と同じ扱いでは、幼児から中1までの6年間、成長してない子みたいで、恥ずかしいと思った。

 ≪中学生は大人の世界で、中学生になったら、みんなからお姉さんになったと思われたいな≫と小6の時に思っていたのだけれど、現実には理想と、かなり差があると思った。自分の番でピストルが鳴る時、≪大きな音で少し怖いな≫と思ったけれど、小6の時には音程度で怖いとかそんな風には思わなかったので、やはり僅かだけどぼくは幼児退行してるのかな、と、そんな風に後で思った。それでも顧問からは、他の子のように、なかなか洗脳されず素直さが不足してると呆れられてる麻衣なので、他の子はかなり幼児退行してるのかもしれないと思った。

 いざ、走り出すと、さっきの障害物競走の時と同様に、体操着を着てないので、たよりない体だけで走ってる感じがした。非力感というか、先生に言われるままで全裸で運動場を走ってる、無力で小さな生き物の気がした。やはり、運動靴の女子ほどはダッシュがきかない。もともと女子は非力なので、ダッシュも靴の摩擦力も大差ないのかもしれないけれど、素足で砂の上を走る感覚は、やはり非力感があると思う。結果は先ほどの障害走のように最下位ではなかったけれど(オナニーしなかったからという意味でなく、実際には元々そこそこ走るのは速い方だと思う)、1位はとれず、2位だった。6人中2位なら速いと思うかもしれないが、リレーやクラス対抗戦に出るような足の速い女子はいなかったので、普通だと思う。6人のうち2人は太っていて体重があったので、重荷を付けて走ってるようなものだから、勝っても自慢することではないし、残りの3人も余り走ることには興味のなさそうな文化部の子たちだったので、その3人のうちの1人に負けてしまったというのは、やはり素っ裸にされていて、みんなに注目される恥ずかしさに目が涙でいっぱいになってしまって、羞恥心に耐えながら走っていたので、実力が出なかったのだと(負け惜しみでなく)思った。

 2位なので、「あ、クボタ、足速いくせに負けたのラ」と、楽々1位に入った華子にまで言われてしまった。華子は足の速い陸上部の子相手に勝ってしまっている。一方ぼくは科学部の子相手に負けていた。

 なんとなく軽い敗北感で退場門まで行進した。

 「あ、こいつ、負けたから泣いちゃった」と、戻った席のところで笑われた。

 「ほんとだ、目が一人前に潤んでる」と更に笑われた。

 どうやら、本当に幼稚っぽい子と思われてしまっているな、と思った。

 中学生のイメージは、すごく大人の女子というイメージだった。少なくとも小6の時には。セーラー服で颯爽と通学する姿も、とても大人に見えた。だから、自分も来年には、あんな風に大人になるんだな、と、思ったものだった。なにしろ毛が生えてくるんだし。

 でも、実際に自分が中1になってみると、どうだろうか。させられることは、小6と大差ない幼稚っぽいことばかりだ。裸教育そのものが、幼児の裸保育の延長で、幼い皮膚を裸にして刺激して成長を促すという考えのものなんだろうから、幼稚な教育法なのかもしれないけれど。普通は小6くらいで終わりになる裸教育を、女子なのに中学生になってもさせられてるから余計に幼い気分になるんだろうか。でも中国では女子中学生くらいの子が、下着のパンツ1枚にされて、体操の練習(平均台の練習)をさせられてるのを、写真と説明で見たことがある。だから、中学生だから裸にしてはいえないということはないのだと思う。

 でも、せっかくの楽しみにしていた大人の証の恥毛を、ぼくは準備室の金盥の中に立たされて先生に剃られてしまい、その後も準備室で何度か剃られて、いつも無毛のツルツルの性器だなと思っていたら、そのまま生えなくなってしまい、結局自分の恥毛らしいものを見たのは数か月間だけで、その後は一度も恥毛は見たことがない。今でも剃ってもいないのに、性器は小学生みたいにツルツルのままになってしまった。普通の中学生から、小学生並みの中学生に改造されてしまったということなんだろう。

 駅で爽やかに電車を待つ女子学生を見ると、ちゃんと毛が生えてるだろうなと、少し羨ましく思う。というか、今でもツルツルなのが、恥ずかしいと思う。麻衣があまりスーパー銭湯とか行きたがらないのは、ツルツルのままだから、ということもあると思う。やはり、少しツルツルのままというのは、恥ずかしいと思う。でも保育科の短大生になってみると、幼稚っぽい子が多くて、剃ってもいないのに、最初から毛が生えてこないで、麻衣と同じツルツル子がけっこういるので驚いた。外観が幼い子だと、体も幼いのかな、と、そんな気がした。

 運動会は15分の休憩になった。その時、麻衣はどうしても行きたい場所があった。幼稚なのは、中学生にもなれば分かっていたけれど、それでも、行きたくて全裸の体がうずうずしたのだった。(つづく)


 49、運動会の途中の15分の休憩

 運動会では、なるべく自分の椅子にいて、不必要に移動せずに応援するようにと言われていた。でも、15分の休憩時間になったので、自由に移動できることになった。校舎と、校外へは行けないが、あとは普通の放課時間と同じで自由だった。麻衣には行きたいところがあったし、そのうえ、椅子にそのまま座っていても、全裸なので男子からエッチなことを言われたり、朝のように性器が綺麗だと褒められる(それは嬉しいけれど、恥ずかしい)だけなんだろうから、すぐに椅子から立ち上がった。

 「あれ、クボタ、どっか行くの? それならハナもついていこっと…」と、勝手に華子も麻衣の後をついてきた。30分の休憩なら、放課後と同じで、じっくりとやりたいことができるけれど、15分なら、あまり長くないので、やりやいことは一つだけに絞るしかないと思った。そこで、一番行きたい場所へ行こうと思った。小学校と違って、遊びというよりは学習の一環としての中学の運動会なので、小学校のように日曜日ではなく、平日に運動会が開催されていた。それでも、「裸教育されてる女の子が、裸にされてて可愛いよ」という口コミが広まっているという話で、本来は他の中学校などは町の見物客はまばら(数人から十数人くらいらしい)にもかかわらず、麻衣たちの中学校は大勢の見物客が来ていた。だいたい、親のいない女子たち全員素っ裸にされるという、さらしものみたいな広報がされてるし、プログラムにも自主的に小さなこどもが全裸になると書かれてるし、平日にしては多すぎる見物客のうちの多くは、単に≪運動会で全裸にされる少女を見てみたい≫という興味本位とエッチな欲望で来てるだけの気がする。理由はともかく運動会は賑やかな方がいいのは間違いないので、多いことはいいのだけれど、全裸の女の子を見たくて来た人の多くが、全裸の女の子の写真もついでに撮りたいとカメラも持ってきていることが、ちょっと煩わしいと思う。実際にたのまれて、麻衣は何枚もカメラの前でたのまれたポーズで写真を撮られていた。きおつけのポーズが2枚、バンザイのポーズが1枚、左手はきおつけして右手は頭の上という変なポーズが1枚、の合計4枚撮られた。勝手に撮影してる人は、勝手にどんどん撮ってるので、この日は、運動会をしている最中のぼくの写真は、たくさん撮られたと思う。こんな普通の、アイドルでもない、ただの中1のこどもの写真を撮っても余り面白くないんだろうけれど、全裸にされてるとか、女の性器が見えているとかいうのが、残酷味があって面白いのだろうな、と、思った。運動会で撮られた「きおつけ」してるぼくの全裸写真は町の福祉会館のロビーに飾られてしまい、エッチで恥ずかしかったというのは既に書いた通りだ。もう数年後なら法律が変わって、飾ることは犯罪になったのかもしれないが、こと時は単に「小さい子の裸」というだけだった。ぼくの全裸写真といっても、そんなにエキセントリックなものでなく、動物写真コーナーの犬と金魚の写真の間に普通に飾られていた。反対側の壁に植物とか風景が飾られていたので、動物コーナーでも間違いではないと思う。麻衣の他にも子供の写真は数枚あったが、みんな着衣で公園などで遊んでいる姿で、全裸写真はぼくだけだった。全裸の幼女写真に見えたようで、赤ちゃんみたいな子なら丸見えでも大丈夫と、そんな風に見られているだけのようだった。犬のこどもの写真もかわいいけれど、人間のこどもの写真も可愛いねという程度の反応だったようだ。でも、幼児みたいに思われたことが自分には興奮だった。少なくとも、ちっとも丸見えでもエッチでないチビッコとして飾られたということなので、ちょっとドキドキした。でも、他の写真はうまく撮れたのか、どうなったのかは全く分からない。運動会ではズームの付いたカメラでも、ぼくの姿を撮影されたので、それに連射で撮影した人もいたので、ぼくの全身の全裸写真だけでなく、(文字通りぼくの性器だけの写った)ぼくの性器写真も撮られてしまった可能性も十分あると思う。それに、マスゲーム中の、(結果的に)僕がカメラに向かって性器を突き出してる姿も撮影されたので、恥ずかしい部分がクッキリで顔も性器も写ってる写真も撮られてしまった(可能性が高い)と思う。いくら、ただの運動会写真といっても、ぼくの全裸写真と、大股開きなどで、ぼくの陰核包皮が少し顔をだしてるような性器写真と、両方があるなら、オナペット用のこどもとしては十分だと思う。顔も少し幼いけれど、十分に可愛いだろうし、エッチな目で、エッチな想像して楽しむこどもとしては、真っ裸で何も着ていないことから十分だと思う。実際に全裸にされていたんだから、それに恥ずかしさに負けない子に厳しく躾けられたので、オナペットにされても我慢できると思った。多分、全裸マスゲームさせられる時点で、オナペットにされてしまうだろうことは、みんな覚悟のうえだと思う。部活発表会では運動場でスクール水着姿にされてパフォーマンスをさせられて恥ずかしがっていた水泳部も、運動会では発表そのものがなく、もちろん水着になることもなかった。結局は体操部女子だけが、丸見えでエッチな想像ができる姿という意味では破廉恥な姿にされたのだ。上半身裸で発表してた男子でさえも、運動会で裸では可哀そうだと配慮されて脱がされることはなかった。やはり女子体操部だけが安心して脱がせるうえに、客寄せにもなる便利な存在なのは間違いなかった。

 15分の時間しかないので、麻衣は真っ直ぐに体育館に向かった。体育館は来客が毎年多いので、来客の休憩スペースとして開放されていた。生徒は親とかがいても、なるべく体育館には入らないように言われていた。運動場から階段を少し上がると、校舎や体育館の建っている敷地になった。

 「あれ、クボタ、体育館へ行くの?」と、華子が不思議そうに聞いていた。

 「うん、体育館でなくて、体育館の入り口付近にあるスロープへ行くんだ」

 「スロープ? ふーん。ま、いいや」と、ますます興味を持ったらしく、やはり華子は勝手にぼくについてくるのだった。

 少し歩くと、すぐに体育館だった。他校のように道路の向こう側とか、別の場所に建設されたのでなく、校舎のすぐ隣に建ってるだけで、校舎と体育館は渡り廊下で結ばれているくらい近かった。歩きながら、麻衣が今日かんじてることを華子に伝えた。

 「ねえ、ラーちゃん、うちらって、女子中学生なのに、特別な女子中学生というか、凄く幼稚なこどもたちと、思われてるみたいだね。運動会が始まってから、みんながぼくを幼児扱いしてくる気がするもの。平気で触るし、平気でエッチなこと言ってくるし」

 「きゃはは、そうだね。でも、ハナとかは、それほどでもないよ。久保田がとびぬけて幼児扱いされてる気がするのラ」

 「やっぱり。だって、他の体操部の女子は体に触られてないのに、僕は朝からお尻を男子に触られまくりだもん。椅子に座っていたら、後ろから椅子とお尻の間に手を入れてくるんだもん。部活で強い子になれと教えられてるから我慢してるけど、素っ裸なのにエッチだなと思う」

 「やはり、顔立ちが他の子は幼いけれど普通の子だけど、クボタは顔立ちが可愛いから、その子が全裸なら、それだけでもそそられるものがあると思うよ。そのうえ、クボタは明るくて明朗だもん。きっと可愛い少年感覚なんだよ。少年みたいな感覚があるから、安心して触ってくるんだよ」

 「そうなのかな…」

 「白木なんて、見るからに女の子だから、異性に触るなんて度胸いるから触らないよ。でも、クボタはボーイッシュだから、男の子みたいに思ってるんだよ。男子同士なら、気安く触れるもん。オチンチンがついてない点に、少し違和感あるかなというだけなんだよ」

 「あ、それは、あるのかもしれないよ。友達の男子がね、『チビとは男の子というか、ごく可愛い少年みたいな感覚で遊んできたけれど、こうして全裸になってみると、オチンチンがついてないことに、ショックをうけた。今、女の子なんだなと思った…』って、僕の体をしみじみと見ながら言っていたもん。メスだってことは、最初から分かり切ってることなのにね」

 「知識としては分かっていても、顔立ちとか、いつも私服は半ズボンばかりでスカートはかないとか、男子と一緒に立小便してみせたりとか、実感としては、少年そのものだったんだよ」

 「立小便は冗談でやっただけ。手で性器を広げてから出すと、オシッコが下に落ちずに、前に飛ぶと分かったもんだから、できるかなあと、試してみただけだよ」

 「それが、ボーイッシュなんだよ。クボタは女子よりも男子の友達が多いし、男子はクボタを男子の仲間として遊んでたんだよ。だから、運動会で全裸にされて、近くから全裸のクボタを見て、体はやっぱり女の子なんだなと、実感として痛感させられたんだよ」

 「でもさ、男の子っぽいのは性格だから分かるんだけれど、どうして体操部の女子だけ、周囲の女子から浮いてしまうほど幼く見えるのかな?」

 「それは簡単なのら。栄養の悪い施設の子が中心なら、栄養失調ぎみで痩せぎすで、体が小さい分は幼く見えるよ」

 「うん、最初から、そんな子ばかり集めてるせいもあるのかなと思うんだけれど」

 「そのうえ、合宿でも体育館でも、部員の女子が少し失敗するだけでスパンキングなんだから、大きい子なのに、お尻叩きを繰り返されれば、お仕置きされて育てられてる幼児のような気分になって当然だよ。体罰は男子はビンタが多いけれど、女子はお尻叩きが多いよね。やはり、女子は幼く可愛くしたいという大人の深層心理が無意識にお尻叩きを選ばせてるんだよ。でも中学生にもなれば、可愛く育てたいと思っても、もう12才とか13才なんだから、お尻叩きが実行に移されることは少ないんだけど、でも体操部の女子だけは、遠慮なくどんどん尻たたきされているよね。合宿では、女子全員が廊下にお尻を並べて尻たたきされて、さらに先生の部屋に夜間に呼び出されて尻たたきされて、さらに体育館でも男子部員にまで女子部員の尻を叩かせてるほどで、そこまで尻をぶたれれば、体に『おまえは幼稚なんだ』と教え込まれてしまうのは当然なのら。大きな女の子が、先生の方に自分のお尻を突き出してスパンキングされるんだよ。恥ずかしい。自分を幼児同様だからとでも思わないなら、恥ずかしすぎるよ」

 「なるほどー、そういうことか」と、やはり、今日も華子の的確な分析には感心させられてしまった。

 スロープに到着して、ぼくは、すこしドキドキして考えていた。

 「クボ、ここで何をしたいの? むむむ?」

 「うん、朝から素っ裸にされてるもんだから、ずっと、たよりない気分なんだ」

 「そりゃあ、体を保護できる衣類がないんだもの。それに丸見えでプライバシーがないんだもの、たよりないのは当然だよ」

 「だからね、適度な太さのパイプにしがみつきたくなったんだ。鉄棒は細くて、またがると、マタが痛いでしょ。高さも高くて足が届かないうえに、パイプが細いから、体重がマタに集中するから痛くなるんだよ。でも、体育館のスロープの手すりのパイプは、高さが適度で足が届くし、鉄棒よりも僅かに太いから、痛みがソフトなんだよ。朝から、ずっと、たよりないから、パイプにしがみついて安心したくなったんだよ」

 「え、平均台だけでは不足で、まだオナニーしたいの?」

 「そうじゃないよ。しがみつくことが気持ちいいだけだよ」

 「うーん、そうなんだ。でもさ、クボタ、今日は止めた方がいいのら。運動会だし、運動場から近いし、一般開放されて休憩スペースになっているから、ここらは人が多すぎるよ。クボタもハナも裸だから、裸保育中の幼児を見るみたいに、周囲の人に面白がられて見られてるもの」

 「そんなの分かってるよ。人目があるのは。だから、ここで躊躇したんだよ。でも、もともと、ぼくって、またがるのが大好きだからかもしれないけれど、全裸でまたがると気持ちいいだろうなって、そればかり考えてしまってたんだ」

 「あちゃ、クボはこどもなのラ」と、華子は困ったなあという顔をした。

 「まあ、いいや。どうせ、幼児と思われてるんだもん」とぼくは意を決して、片足を上げて、えいっとパイプにまたがった。パイプは足先がすれすれしか届かない高さだったが、途中にもう1本のパイプがあり、要するに2本のパイプが平行に並んでいた。マタで銀色のパイプをぎゅっと挟み、両足は一段下のパイプを挟んだ。オナニーとかでなく、それだけなのに、全裸のぼくの体には気持ち良すぎた。

 「ヤーン、気持ちいいよお」と、ぼくは思わず口走ってしまった。そうしたら、こっそり様子を見ていたらしい周囲の人に、どっと笑われてしまった。見ていた男の人に「気持ちいいか?」と言われてしまった。

 「チビスケが、丸裸で細い棒にまたがって悶えてるぞ。オチンチンにまたがってる気分か?」と笑いながら言われた。恥ずかしくてたまらないのに、全裸にされたら今の姿になりたくて、たまらなくなってしまったのだった。

 またがるだけで気持ち良すぎて、「あーん、あーん」と人の見てる前で言っていたら、「おいおい、全裸にされた幼稚っぽいのが、へんな場所で悶絶してるぞ。先生呼んできた方がよくないか」と言われて、もう下りようと思ったのに、恥ずかしい姿を見られてると思うと痺れるような快感があって、まるで体に電気を流されてるこどもみたいな状態になってしまって、頭が痺れて下りられなかった。

 「あ、また、オナニーしてる」と見ていたクラスメイトの男子にも笑われてしまった。もっと恥ずかしかったのは、体育館から休憩を終えて出てきた人に、すぐ横を通過されてしまったことだ。突然、全裸でパイプにしがみついて空中で悶えてる女子を見て、「やだ、あの子、幼稚園の子なの?」と言われた。そのくらい幼い小さな体に見えたのだろう。さらに、人の出てくる気配がしたので、さすがに恥ずかしすぎると思い、パイプから降りた。下りた瞬間に人がぞろぞろ出てきて、「おっ、スッポンポンの子がいるぞ」と言って、笑いながら行ってしまった。

 「以前、部活の前にブルマ1枚でまたがったら、太さも2本のパイプの位置関係もぼくにぴったりで気持ち良かったんだ。ブルマ1枚でまたがったら、もっと気持ちいいのかなと思ったけれど、裸教育といっても全裸でなくブルマ着用だから、なかなかチャンスがなかったんだ。でも、今日、夢が実現して嬉しい」と言うと、華子はやれやれという顔をして「よかった、よかった」と言った。

 「さ、帰ろ」と華子に手を引っ張られて、もう一度またがりたいと、頭が痺れる感覚が思い出されて思ったけれど、諦めて運動場に戻った。話したり、迷ったりしてたので、意外と時間が経っていて、椅子に到着すると同時に休憩時間終了と知らされた。華子のおかげで遅刻せずに席に戻れてよかったと思った。もっとも少しぐらい遅れても罰則はないけれど、担任の心象が悪くなるので、いい子と思われるには時間厳守が一番だった。恥ずかしい子と思われたのかもしれないけれど、ぼくには大きな満足感があった。冬合宿で、真冬なのに、外の水温の低いプールに(水は濾過されていて、非常に綺麗な状態だったから、水温が低いだけ)、手足を紐で縛られて放り込まれたことがある。体罰でなく、メンタルトレーニングで。水温が低いので猛烈に体温が奪われる感覚と、水中の静かさと、縛られてるので浮上できず、息が苦しいし鼻から水が入ってツーンと痛いし、溺れて水中で悶えてしまったんだけど、命を失いそうな残酷な酷いことをされてるという快感はとても強くて、生きたオモチャにされると気持ちいいんだと初めて知り驚いた記憶がある。今日のスロープのパイプの上にまたがるのは、それと同じくらい快感だったと思う。

 水温が低くて手を入れると冷たくて手が痛いほどだった。そこに、手足を縛られて、物のように、オモチャみたいに放り込まれて、溺れて水を飲んで、苦しむのは、とてもエッチで、やらしくて、快感だったと思う。恥ずかしく調理される動物みたいに縛られて、大きな手で空中に持ち上げられて、水中にたたきこまれるのも、全裸の体で大勢の人の見てる中で、パイプにまたがって「ヤーン、気持ちいいよお」と惨めにも言ってしまうのも、同じくらいこどもには痺れるくらいの快感があったと思う。

 そこまでは良かったけれど、今度はクラスで「休憩中に久保田麻衣が、体育館の前のパイプに馬乗りになって、オナニーして悶えていた」と見ていた男子に言われてしまった。「おれ、こいつのオナニー見て、ちんちん立ったもん」と言われて、その男子に体を撫でられた。僕の肌を撫でると気持ちいいと男子の評判になり、全裸の体の肌を男子にオモチャみたいに撫でられたけれど、またしても我慢できずにしてしまったことで、オナニーでないのにオナニーと言われてしまい、でも、気持ちいいと悶えたのも事実だし、うまく反論できそうもなかった。

 でも、休憩が済んだころには正午近くになっていて、あとはクラス対抗リレーを見たりした後に、マスゲームをして、それからラジオ体操第2を終えれば、恥ずかしすぎる全裸運動会のも緊張から解放されるのだと思った。

 ただ、もしマスゲームが朝だったなら、こんなには緊張しなかったと思う。ずうっと運動会が不安で、ずうっと緊張していたのは、難しい技もあるマスゲームがきちんとできるかという不安な状態がずっと続いたからだと思う。一番不安な出番が、一番最後なのだから、終わるまでは不安な気分なのは仕方ないと思う。町の人が休憩所を利用して帰らないのも、体操部のマスゲームを見るのが大きな目的だったからだと思う。一番面白い見世物を見ないで帰るのはガソリンの無駄ということなんだろう。バイクで見に来ていた数人の大学生らしい男の人も帰る様子はなかった。

 どうして、こんなにマスゲーム前に緊張したのかというと、リハーサルは運動場中央だったので、見物客の目の前ではなかったけれど、今日のマスゲームは多くの技を客ぎりぎりの場所でさせられるのだ。それは経験したことのない未知のことなのである。未知だから、緊張しても当然と思う。技の難しさだけでなく、全裸でエッチなセクシーな動きをさせられるので、恥ずかしいということもあると思う。恥ずかしくても、ちゃんと負けずに体操できるのかというと、それも未知の世界なので、やってみないと分からないことだった。

 リレーは麻衣たちのクラスが勝ち、赤組白組でも、麻衣たちの白組が勝利しそうだった。クラスメイトはワーワーと喜んでいたけれど、マスゲームを控えた麻衣は、とても浮かれて騒いでるような心境でなかった。

 「マスゲーム心配だな」と華子に打ち明けた。

 「大丈夫だよ。それに失敗しても殺されるわけじゃあるまいし、楽しまないと損だよ」

 「そうだね、殺されるわけじゃないもんね」と、華子の言葉に少し元気が出たみたいだった。

 麻衣も元気が出て、運動会の様子を楽しむことができた。朝、ボール運動の弱点克服もしたのだから、失敗しないでボールをキャッチできるだろうと思った。一人だけボールをキャッチできず、ころころと遠くまで転がったらと、それも不安ではあったけれど、仮に転がったら観覧の絶対王政の王様に殺されて夕食の料理の一品にされてしまうのなら緊張すると思うけれど、そういう時代でないのだから、確かに緊張しても仕方ないと思った。

 〔久保田の丸焼きトリュフソース掛け〕にされて、全裸のまま料理皿の上に乗るというのなら嫌だし、鳥みたいにお尻の穴からライスを詰められた姿で皿に乗せられたら、ただの惨めな生き物だと思う。それなら緊張するだろうし必死の子になるしかないけれど、所詮は全裸でマスゲームさせれるだけなのだ。女子中学生なのに全裸という残酷味はあるけれど、実際に残酷なわけではない。マスゲーム終了後も、全裸写真は撮られたかもしれないけれど、元気一杯なのだ。確かに楽しまないと損という華子の言う通りだと思った。もう、どうせやるしかないのだから、楽しんでマスゲームしようと思った。でも、王様が権力を握っていた時代は、幼い少女も食材として、牢屋に閉じこめられていたという。そして牢屋を出る時は、食材として調理される時なのだ。生きたまま丸焼きにして、料理にされて出されたのだから、残酷だと思う。少年の肉は味が悪く、やはり少女の肉が美味しいということで、来客に少女料理がふるまわれたようだ。豚料理も、少女料理も、牢屋の少女には人権のない昔には、どちらも食材でしかなく似たようなものだったのだろう。実際に食べられた少女も大勢いたんだから、それと比べれば、朝白いテントで蛙逆立ちして、来賓の前で拡張ショーをさせられたことくらい、面白くエッチなことというだけなのかもしれないと思った。

 いよいよ、マスゲーム直前となり、女子部員全員が入場門へと移動した。麻衣も華子と共に入場門へと移動した。(つづく)


50、入場門でマスゲーム直前の緊張の時

 なんとなくマスゲームが運動会のメインイベントみたいなプログラム構成になってる気がするし(軽いものから、徐々に盛り上げていき、最後あたりでマスゲームなので)、広報でもマスゲームが運動会全体と同等の扱いで宣伝されてるし、来客もマスゲーム見たさに来てるかんじがするしで、学校全体の、そして小さな町全体の期待(慰み者にする期待なのかもしれないけれど…)を、部員も感じている様子だった。毎年の、親のいない、むごい扱いをされても悲しむ人のいない身軽なこども中心の部なので(人数不足で後から追加したこどもは、逆に親の理解があり『ぜひ、うちの子も煮るなり焼くなり、好きにして、裸で鍛えなおしてやってください。どんどん、ぶってやってください』みたいなことを言う親の家のこどもばかりなので、やはりクレームの心配のないのは同じこと)、どれだけ可哀想な姿にされても明るく見れるところがいいのだと思う。入場門のところで他の部員と共に、前のプログラムの終了を待っていると、やはり緊張してくるのを感じた。全裸にされること自体に緊張をしてしまう面はあるけれど、ある意味、うまくいってもいかなくてもいい責任のない100メートル走とか障害物競走なら、全裸が恥ずかしいだけで、ほとんど緊張しない(それでも100メートル走は真剣勝負なので、少し緊張はしたが)のだが、全員一糸乱れぬ運動をさせられるマスゲームは、もし自分が失敗して一糸乱れぬ体操姿をぶち壊しにしてしまうと、自分だけでなく他の女子のこれまでの苦労まで水の泡にしてしまうことになるので、責任重大で、同じ全裸でも緊張度が全く違うと思った。入場門のところに今日の部活の当番の女子が体育委員の男子たちと一緒にバレーボールの入った籠を運んできた。バレーボールを使うのは女子体操部だけだったので、入場門の所には容易してなかったのだ。めいめいに、純白のバレーボールを籠から出して手に取ると、いよいよ本番をさせられるという緊張感が否応なく高まるのを感じた。技の難しいマスゲームだと、レオタードとか、(こどもなのでレオタードのかわりに)水着姿とかでされられても、けっこう緊張すると思う。それなのに、たよりない自分の体だけでマスゲームなのだから、緊張度が高いのは当然だと思う。リハーサルも公開だったので緊張したけれど、公開で人が見ている前で全裸で厳しく叱られたりするのは恥ずかしかったけれど、失敗しても練習だから問題はないという意味では気楽で、それに公開といっても観客との距離が遠いので、目の前で技を見せるほどには緊張しないのは当然だと思った。やはり、目の前でするのは緊張すると思う。今朝の白いテントの中で、蛙逆立ちをした時は、たった1人なので成功しても失敗しても、恥をかくのは自分だけで気楽な立場だったけれど、でも来賓の目の前で技をするというだけで、≪しっかり見られているんだ≫と肌で感じるので、緊張しながら蛙逆立ち姿になっていたと思う。でも、本番のボール運動は運動場中央でなく、リハーサルよりは遥かに来賓から近い位置(リハーサルよりも前方で演技する)でするのだし、集団演技なので失敗の許されない緊張感はとても強いと思う。でも、華子の休憩時間の「失敗したって、たいしたことない」発言のおかげで、過度の緊張は避けられたと思う。今日学校を休んだ体操部女子の多くは、この強い緊張が嫌だったのだと思う。リハーサルでは普通に運動していた女子が、本番では体調不良を訴えて学校を欠席するというのは仮病くさかった。もっとも、欠席したのは、後から追加されたメンバーばかりで、最初から丁寧にマインドコントロールされてるメンバーで欠席者は一人もいなかった。親と仲が悪く、意地悪な親に強制的に体操部に放り込まれたと文句を言う女子が追加組には多かったので、追加組は不満が多い女子なのかもしれないが、でも、おかげで運動会の発表ではマスゲームらしい人数になることができた。あまり人数が少ないと、マスゲームは迫力がないと思うので、その意味では良かったと思う。多くの厳しく訓練された女子が、全裸で一糸乱れぬ人形のような必死な姿を見せるのだから、見世物と考えるなら満足度十分で見物客が来るのも納得だと思う。全裸のストリップショーがお金を取れるように、全裸のこどもの「マスゲーム」という名のストリップショーもエッチさという意味では十分にお金を取れると思う。それなのに1円も取らず、マスゲームさせられる子供も「ただで」丸見えにされてるのだから、見てる方にはコスパがいいと思う。寄付金集めのためにも大勢の来客がある運動会であることは好ましく、みんなが嬉しい誰も文句を言うことのない出し物なのだったのだろう。

 白いバレボールを手にすると、いよいよ本番なのだという実感が強く起こった。バレーボール1個の全裸でボール運動させられたことはトラウマになったのか、白いバレーボールを見ると今でもドキドキしてしまうことが多い。普通の女子たちにとっては白いバレーボールは楽しい思い出であったり、バレーボール部の女子にとってはブルマやハーフパンツで燃えた青春時代の記憶であり、楽しいイメージのボールなのだと思う。でも、麻衣にとっては、白いバレーボールは、こどもが全裸にされる時の小道具であり、これだけを持たされて頑張らされたという、エッチな小道具という感覚が強い。来賓の前でバレーボールを両手で持ってバンザイさせられたので、女子が恥ずかしい姿にされる道具みたいなイメージだ。それに素っ裸の体でバレーボールを持つという姿も、そんなバレーボール1個を持たされるくらいなら、先にブルマくらい穿かせてもらえよと思われそうで、エッチだなと麻衣は思った。女の子なんだし、赤ちゃんでないのだから、ブルマくらい穿きたいのは誰しも当然なはずなのに、それは許されずに、ブルマでなくボールを渡されたみたいな、そういう風に見えてしまう恥ずかしさみたいなものはあると思う。素っ裸なのに、渡されたのは衣類でないボールで、それでも人前でボールを手に頑張らされるというような、より惨めな子に見えてしまう道具だと思う。そこが強い子みたいでカッコいいとも思うけれど。

 大方のこどもが純白のバレーボールを手に緊張を隠せない様子なのに、華子は余裕な雰囲気で、何の関係もないことを言いだしたので呆れてしまった。もちろん待機中の会話は禁止されておらず、演技中さえ真剣に演じれば体罰をされることも、尻たたきされることもないのだが。

 「さっきの休憩時間にさあ、クボがどこかへ行くというから、ついてったら、体育館の手すりに跨りたいだけだったのには、びっくりしたのら。やっぱり、見かけはハナと似たようなものでも、幼いんだね。きゃはは」とか言い出すものだから、緊張してるのに、話だけはマスゲームとは何等関係のない、とんでもない方向に向かってしまった。

 「そうじゃないよ。本当に気持ちいいんだよ。ラーちゃんも跨ってみると分かるよ」

 「えーっ、うちら全裸にされてるんだよ。それなのに、町の人や小さな子供も見てる場所で、あんな棒に女の子が跨るかな?」

 「全裸で跨るからこそ、気持ちいいんじゃない」

 「うん、素っ裸で細い棒に跨るのは、エッチだし、性的快感があるのは否定しないよ。そうでなくて、いくら性的快感があるからって、それだけに逆に恥ずかしい姿でもあるんだから、大人なら理性で我慢して、どうしても跨りたいなら、人のいないときに跨るよ」

 「性的快感とか、オナニーとかじゃなくて、普通にぞくぞくするような快感があるだけだよ」

 「どういう快感でも、女の子が素っ裸で棒に跨るのはエッチで、幼稚な証拠だよ」

 「ぼくだって、人前で全裸の体で空中の棒にしがみつくのは幼稚なことくらい分かるよ。幼稚と分からないくらい幼稚でないよ。でも、幼稚と分かっていても、それでも跨りたい気持ちが強かったんだもん、仕方ないよ」

 「幼稚と分かってるなら普通跨らないよ。幼稚と分かってて、それでも跨ってしまうのも、幼稚と分からずに跨ってしまうのと同じくらい幼稚だと思うのら。でも、棒にスリスリしたわけでもなく、跨るだけで、そんなに気持ちよかった?」

 「別に擦ってオナニーの快感が欲しかっんでなくて、棒にぎゅっと抱き着くのは、それだけで気持ちいいことだよ。擦りたいのでなく、抱き着きたいだけだったんだよ。全裸で興奮してたのかもしれないし、人に見られて幼く思われるなというのも興奮を誘ったのかもしれないけれど、天国に行きそうなくらい気持ちいいんだもん。そりゃあ、人に笑われてしまおうと跨ってしまうよぉ」

 「あちゃ、こんなに幼いと思わなかった」

 「幼くないよ、華子も手すりのパイプに抱き着いてみると、ぼくの気持ちが分かると思うよ。手足で棒を挟むと気持ちいいし、一段下のパイプを素足の指で挟む感覚も、夢を見てるみたいに気持ちいいんだもん。ずうっと、抱き着いていたかったほどだよ」

 華子とぼくが、マスゲーム直前の一番緊迫した時間に、マスゲームとは無関係なパイプに跨るだのパイプに抱き着くだのという訳の分からない話をしてるものだから、緊張しててそれどころではない女子たちには、呆れられていたらしかった(後から、そう言われた)。でも、ぼくだって緊張してて、本当はパイプの上にいた僕が、オナニー姿だろうが、単なる生理的快感姿だろうが、どちらでもいい気分だったし、少しでも性的な刺激を含む快感を全部オナニーとしてしまうなら、オナニーと言えなくもなかったけれど、そんな言葉の定義の問題を論じてる場合ではない気分だったのだ。なにしろ、マスゲーム直前だったのだから。華子がそっちの方向に話を引きずっていっただけなのだ。でも、部員たちにとっては、天下の一大事に馬鹿話をしてる余裕の二人組に見えたらしく、「さすがに、華子とか麻衣クラスになると、マスゲームくらいは余裕なんだね」と感心してる女子もいたようだ。もっとも、ぼくとしては人前で全裸マスゲームする緊張に押しつぶされそうになってる弱虫と思われるよりは、その程度のことは歯牙にもかけない強い子と思われる方がカッコいいので、そんなに嫌な誤解ではないのだったけれど。でも、考えてみると、緊張してると言いながらも華子の話に対応できる程度には余裕があったのだと言えなくもない。中には、本当に緊張で黙り込んでしまった女子もいたし、あまりにもショッキングな発表に恥ずかしいと言い泣きそうな女子もいた(もちろん、追加組の女子だったけれど)。それに、最初から体操部にいたメンバーだったにもかかわらず、緊張のあまり、体が震えている女子もいて、あまりの緊張ぶりに、可哀想になってしまったくらいだった。だから、がたがたと本番前の緊張に震えていたこどもと比べるなら、麻衣は堂々と出番を待っていたし、余裕が若干はあったのだと言えなくもなかった。でも、これから遊園地へ遊びに行くのにワクワクしてるような雰囲気の華子みたいな、天然の能天気なのかもしれないけれど、そんな余裕が絶対になかったのも事実だった。

 「ねえ、知ってる? 顧問ってフランス外人部隊の傭兵だったって」と、またもやマスゲームとは無関係なバカ話を華子が始めた。

 「え、傭兵って、戦争に参加してお金をもらう職業軍人のこと? 確かに大男だけど、それ、本当なの?」

 「本当みたいだよ。なんか戦争中に、女の子が目の前で殺されたみたいで、それがフラッシュバックするみたいなんだ。だから、それがトラウマになっていて、体操部の女子を全裸にして虐げることで、心の傷を癒してるって話だよ」

 「えーっ、そんな映画みたいなこと、きっとほら話だよ。クイントイーストウッドの映画かよ」 

 「いやいや本当らしいんだ。どうやら、ヨーロッパでスカウトされたみたいで、俺の体が持ち上げられるかと挑発されたら、座ってる椅子ごと持ち上げてしまって入隊を許されたみたいなんだよね」

 「ふーん、確かに、なかなかの怪力だよね。でも、そのせいでスパンキングで、顧問はかるくペンペンしてるつもりなんだろうけれど、女の子のお尻の肌が真っ赤に腫れあがってしまうんだから、困ったもんだよね」

 「そうなのら。ハナたちの通ってた北小にも昔は暴力教師がいて、ハナが小学一年のころなんだけれど、平気で低学年のこどもをビンタするんだよね。幼稚園から小1になったばかりの女子を本気でビンタするもんだから、その女子はビンタされて2メートルくらい吹き飛ばされていたもん。あ、これ大袈裟じゃないからね。本当に見たんだから。普通の平均的な男の人が、小学1年生の女子をビンタすると、非力で軽い小1女子は空中に吹き飛ばされてしまうんだよ。でもね、今では低学年のころから比べると、うちらは体重も増えたし、あんなに非力でもなく、力も強いよね。それなのに、顧問がうちらを稀にビンタするのを見てると、部員が小1女子みたいに空中に吹き飛ばされるのに驚いたのら。あそこまで大男が中1をビンタすると、力関係としては、平均的な男が小1をビンタするのと同じくらいの感覚なんだなと分かったよ」

 「あ、そうだね。普通はスパンキングだけど、女子の反省の言葉を聞きながら体罰したい時にはビンタするよね」

 「そうなのら、反省の言葉を言わないとどんどんビンタされるから、翌日に顔が腫れて倍くらいになってる女子部員もいたよね」

 「うん、顔が腫れがひくまで数日くらいは変形してて、可哀想だったね。でも、傭兵の話は嘘だよ」

 「嘘でないのら」…と、2人がどこまでも緊張感のない話をしているので、その顰蹙ぶりに気を利かせたらしい白木が部長らしく「ねえ、ハナちゃん、マイちゃん、出番前なんだから、今は静かに心を落ち着かせた方が集中して演技できていいと思うんだ」と言っていた。でも、面白ければいい華子にとっては白木のアドバイスなんて大きなお世話らしかった。麻衣たちは更にマスゲームとは無関係な話を続けていたら、出番となった。白木は何度も人前で本番の発表をしてるからか、緊張はしてるけれど、淡々といつものこととして緊張を受け入れている感じに見えた。こういう辛さも、マゾだから気持ちいいのかな、と、ぼくは思った。(つづく)

i MAI me (愛 麻衣 みい) ~裸教育児の久保田麻衣小学生物語

小学生時代の麻衣を物語風に脚色して連載風に不連続で投稿するブログです。ぜひ愛読者になってください。基本はノンフィクションですが、物語なので面白く脚色されています。ごく普通の6年生の女子小学生(わたし)が、裸教育の小学校に入れられてブルマ1枚にされて学校生活をし、最後にはバレーボール1個を持って半泣きの全裸マスゲームをさせられるまでの日々を日記風に描いたものです。おもしろエッチなので、ぜひ見てね。

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