ひよこ日記 第9節

※下写真、120cmブルマ(ノーパン)、半袖シャツ、赤白帽子、素足で、蛙逆立ち1分(1分間は絶対に地面に手のひら以外はつけてはいけない!)をさせられる久保田麻衣。股が大きく開けていることと、つま先を自主的に真っ直ぐに伸ばしてることが、強い子と思います。





36、その日を境に

 部活発表会から数日後には、疲れた雰囲気だった女子部員に元気が戻っていた。やはり、緊張も解け、練習も中弛みしたということが効いているんだと思う。少し、生き生きした感じになってきたと思う。

 学校生活も元気が出て、はきはきと手を上げて答えたり、先生と廊下で擦れ違う時には大きい声で挨拶したりして、ほめられたりもした。その日も授業が終了して、女子部員は全員部室で下着を脱いでから、体操着姿になって体育館へ移動して、体育館前のざら板のところで靴と半袖シャツを脱いで、自分の部員番号と同じ番号の靴入れの中に、靴と半袖シャツを入れ、体育館へ入った。先生が来る時間は、だいたい決まっていたので、みんなで5分ほどわいわいと遊んでいた後、全員整列して「きおつけ」をして先生の来るのを待った。

 整列してから2分ほどして先生が入ってきて、気候が幾分涼しくなったせいか、革ジャンを来て、少しワイルドな茶色の長ズボン姿でみんなの前に立った。もう一人の副顧問らしい時々指導する先生も、やはり少し厚着で入ってきて、いよいよ秋本番かなといういでたちだった。

 きおつけ、礼、お願いします、の後、先生に「全員正座」と言われたので、≪普段は準備運動なのに、いつもと様子が違うので叱られるのかな…≫と思ったら、やはり、その通りだった。

 「女子全員、弛んでいる。最近、特に部活発表会終了後はだらだら、だらだらと練習して、真剣味が足りない」と指摘された。おそらく麻衣も含めて女子全員が≪その通り≫と、思ったのではないだろうか。そして、≪あ、だから今日は体罰されるんだな…≫と思っていたと思う。以前叱られた時は、余程先生の機嫌が悪かったのか、部室で着替える前に全員セーラー服のまま呼び出されて、スカートを脱ぐように言われて、学校前の車道の棒にまたがらされて反省をした。ブルマの子はまだ良かったが、パンティでまたがることになった子もいて、通行人から丸見えなので、さらしもので恥ずかしかった記憶がある。麻衣はたまたまブルマを下にはいていたので別に恥ずかしくはなかったのだが。今回も、またがらされる体罰かもしれないと思った。ちっとも辛い体罰ではないが、幼稚っぽい叱られ方で恥ずかしいのと、通行人から見えて照れるのと、長時間なのでマタが痛くなってくる程度だったけれど、全体としては結構厳しい体罰だったと思う。だから、今回も前回のように全員が校門前の車道脇で体罰なのかなと、そんな風に考えていた。部活中の様子は何でもかんでも記録として残すために写真に撮っていたので、その日の体罰の様子も写真に撮られて、恥ずかしさ倍増だった。

 ところが、「その日」に待っていたのは体罰ではなかった。体罰なら長くても数時間頑張れば終了するからいいんだけど。先生は、「おまえらは、ブルマ姿だと、だらだらとしか頑張れないみたいだな」と、次に指摘した。それはその通りで、ブルマで練習し、ブルマで発表するという安心感から、緊張も不安もなくなり、結果的にはだらだらした部活になってしまったのだと思う。女子部員で、先生の指摘を否定できる子はいなかったと思う。そのせいか、みんな泣きそうになって、神妙に話を聞いていた。

 「本当は社会情勢も変化したし、そろそろ子供を脱がしてはいけないという法律も出来るという噂だし、今年の女子はブルマ姿で本番もリハーサルもさせてやろうと思っていた。でも、お前らの様子を見ていて、その考えは誤りだと分かった。ブルマ姿で頑張れないなら、他の姿にするしかないということだ」と先生が言ったので、葵が「えっ、水着で発表するんですか?」と質問をした。すると、先生はその質問には答えず、話をつづけた。

 「よく聞け。女子部員は全員、本番もリハーサルもワレメ姿になってもらう。今日までは基本的にはブルマ姿だったが、明日からはワレメ姿だ」と、先生に言われて、≪うわっ、やだなあ≫とほとんどの女子は思ったと思う。でも白木は残酷に手荒に扱われるのが好きなので嬉しかっただろうし、華子は面白ければそれでいい子なので面白がっていただろうけれど。

 「ワレメ姿って、何ですか?」と、別の部員が質問していた。いつも自分で「われめちゃん」とか言っていても、こういう時は頭がパニックになってしまい意味が分からなくなることもあるらしい。すると今度は先生は質問に答えた。

 「ワレメとは、女子の性器のことだ。要するにメスの生殖器のことだ。オシッコを出すスジの部分だ」と言われて体育館はシーンとした。

 「これまでの発表はブルマ姿だった。つまりブルマが見える姿で発表した。でも、これからは、ワレメ姿で発表してもらう。女子の性器丸出しの姿ということだ。そのくらい厳しくしないと、お前ら女子は真剣に頑張ろうとしないから、仕方なくワレメ姿になってもらう」

 「え、そんなの嫌だ。クラスの男子も見てる運動会で、そんなことできない」と葵が反発した。≪わ、また叱られるぞ、葵も懲りないな≫と麻衣は思った。それにしても、中学生の女子を本当に性器丸出しにさせて発表させるなんてことが、本当にあるのだろうか、と、麻衣は話を聞いても半信半疑だった。体罰や秘密特訓で、先生からブルマを脱ぐように言われたことはある。でも、それは小学6年生の時の小学校でもそうだったし、中学生になってからに限ったことではない。自分の成長のために先生が厳しくしてくれているだけであって、他人に見せるためでは全然ない。でも、運動会の発表とかでブルマを脱がされて発表させられたら、エッチな目で見られて、同級生の男子の生きたオナペットにされてしまうと思う。男子が雑誌のエロ写真を見てオナニーするなら普通のことだけど、ぼくたち女子の性器をなまで見てオナニーすることになるんだとすると恥ずかしすぎると思う。というより惨めな子だと思う。きちんとブルマ姿では頑張れない子だから、エッチな目で見られるのは承知の上でワレメ姿にされるんだろうけれど、ちょっと(本当ならば)厳しすぎると思った。部活発表会のように女子中学生をブルマ1枚で発表させるのでも、かなり厳しいなと思ったのに、ワレメ姿で発表させられるとしたら、厳しすぎるというか、かなり残酷な発表だと思う。部員の女子は自分の人格を否定して、幼児なみの子だと認めて、全部を見せて発表することになるのだから。

 ところが、≪先生が言ってることは、どうやら本当のことのようだ≫と、すぐに全員が気づいた。

 「全員、自主的に真っ裸で発表しろ。いいな、先生に強制されて真っ裸にされるのだと惨めだろう。だから、自ら進んで、自主的に真っ裸になれ。ここに、ノートと鉛筆があるから、全員が順番にノートに、1、自主的に全裸になる決意、2、最後まで全裸でやりぬく約束の言葉、3、全裸にしてくださいという先生へのお願い、の3つを書くように。まず、部長の白木から書け」と言われた。全員ブルマ1枚で正座させられた。

 「書き終わった女子から順番に体育館の舞台の裏の準備室へ来るように。準備室には1人づつ入り、準備室の前に列を作って自分の番を待つように」と言われた。まず、部長がノートをサラサラと迷いまなくロボットのように書き終わり、麻衣にノートを手渡して、そのまま準備室へ消えていった。ノートを開くと、そこには白木の子供らしい素朴な字で、「1、白木は自主的に全裸となり、どんなに大勢の人が見ている前でも、男子や先生の見てる前でも、真剣に全裸で頑張ることを、今、決意しました。2、白木は、どんなに恥ずかしくても、指示された通りのことを人前ですることを約束します。3、先生、お願いです。運動会の発表は全裸でやらせてください。やらせてくれないなら、死んだ方がましです」と書いてあり、≪おいおい、本当かよ≫と、麻衣は少し呆れてしまった。仕方なく麻衣も、白木とほぼ同じ文面を真似をして書いた。ただ、「やらせてくれないなら、死んだ方がましです」という部分は書かなかった。どうして理由はともかく運動会の発表くらいのことで死ぬ必要があるのか、くだらないな、としか思えなかった。ただ、ノートに、「麻衣は自主的に全裸になります」とか、「先生、どうか麻衣を運動会で全裸で発表させてください。お願いします」とか書いてしまったので、もう全裸でするしかないというか、逃げ道をふさがれた気がした。≪先生に強制されるんでなく、自分から進んでやることなんだ、だから、惨めな子でははないんだ≫と、自分に言い聞かせてから、準備室前に行き、まだ白木が出てこないので、ドアの前にきおつけして、順番待ちをした。きおつけは指示されてないけれど、部活でしょっちゅう「きおつけ」をさせられるので、部員はみんな待つときは「きおつけ」と躾けられてしまっていて、無意識にきおつけをしてしまう子に育てられていたんだと思う。3分ほどして白木が出てきた時には、麻衣の後方に既に3人ほどの列ができていた。白木は妙にスッキリしたような恍惚感のあるような顔で出てきたので、気持ちいい思いをしたのかもしれないなと思った。

 「失礼します」と言い、≪何だろうな≫と思いながら準備室に入った。準備室には体育で使う平均台とかマットとかが雑然と置かれていて、中央にタライが置いてあった。≪あれ?≫とタライを見て不思議な気分だった。準備室には男の先生が2人いて、副担任が手にカミソリを持ち、担任は手に石鹸を持っていた。タライには3㎝くらいの水が入っていた。

 「1年女子、久保田麻衣です」と言うと、先生は「よし、ブルマを脱いで、タライに入れ」と言われたので、≪えー≫と思いながらも、ブルマを脱いでタライの中に立った。

 「体操部は素っ裸にされることが、体罰や特訓などであるから、以前から恥毛は剃っておくようにと言っていたと思う。でも、それは、それを推奨していただけで強要していたわけではない。でも、今回、運動会で部員全員が素っ裸にされることから、恥毛が生えていることは大問題になるということだ。分かるな」と言われた。仕方なくタライの中に立ったまま、「はい」と返事した、入ってみると水と思っていたら「ぬるま湯」だった。脱いだぼくのブルマがタライの横に落ちているのが見えた。

 「自主的に全裸になるか?」と言われて、「はい」と仕方なく返事をした。

 「そうか。それなら、その性器では、ダメだな」と言われた。小6まではツルツルで無毛だったのに、中学生になってから、うっすらと恥毛が生えてきて、うぶ毛みたいに麻衣の性器をおおっていた。色も薄いし、僅かな毛なので、剃る方がいいと言われてはいても、実際には一度も剃ったことはなかった。その必要を感じないし、真っ黒い毛でないので目立たないものだったから。でも、もし大勢の人の前で発表するなら、うっすらであっても毛が生えているのはまずいなと、自分でも思った。

 「子供ならば全裸でも許される、という前提が社会風潮にある。特にここらでは、裸教育は理解されていて、子供が全裸にされるくらい当然のことという風潮がある。でも子供に毛が生えているのは、おかしい。幼児のようにツルツルの女性器の子でないと、全裸にするのはいやらしいという訳だ。だから、これから久保田の恥毛を剃る。分かったな」

 「はい」

 「よし、マタを開いて立て」

 「はい」と、足を左右に少し開いて立つと、担任の先生の手で、タライの湯で泡立てた石鹸の泡を、ぼくの薄い毛に塗られた。手で直接塗られたので、感じやすい子の麻衣は思わず「ヤーン」と言いそうになってしまい、ワレメを後ろに引いて、言わずに我慢した。

 「こらこら、バックしたら、石鹸を濡れないだろ。くすぐられたいだろうが、我慢しなさい」と言われた。叱られた直後なので準備室では厳しいぞと思っていたら、妙に優しい声をかけられて、ぼくは泣きそうになった。今度は我慢して石鹸を塗られた。すると副担任が、カミソリで、ぼくの恥毛をササッと剃り落とした。毛が少し、タライの中に落ちたのが見えた。≪せっかく、中学生らしくなったと思ったら、また小学生みたいなワレメちゃんに逆戻りか…≫と思った。この時が、ぼくが自分の恥毛を見る最後となった。この後は、色々な全裸発表のあるたびに、あってもなくても毛を剃られた結果、体操部を終えた後も、恥毛が生えなくなってしまったのだ。だから、あれから年月が流れた現在でも麻衣は小学生のようにワレメが丸見えで、毛も無毛のままである。裸教育で、普通に恥毛のある女子中学生から、幼児並の無毛の性器の女子に体を改造されてしまったんだと思う。おかげで、この後、一生、無毛のままということになってしまった。副担任は剃り落とした後も、毛が残ってないか、ぼくのマタを大きく広げさせて、丁寧に何度も無毛の皮膚の上にカミソリの刃を走らせていた。終了すると、タライに体育すわりに座らされて、自分で石鹸を落とすように言われた。石鹸は毛と一緒に落ちてしまったので、ほとんど皮膚に石鹸は残っていなかったが、言われるままにタライの中でマタを広げて、両手でワレメをさすって石鹸を落とした。

 「石鹸、落ちたか」

 「はい」

 「よし、幼児並になったか、見せてみろ。きおつけ」と言われて、僕は素っ裸でピーンと「きおつけ」をした。これまでも幼児のように背筋を伸ばしてきおつけをさせられていたが、今回で無毛にされて本当に幼児並なきおつけになったのだ。無毛できおつけすると、本当に自分が真っ裸の幼児のような気がして、明日から幼稚園に通えそうな気がしたほどだった。発表のためとはいえ、体まで幼児並にされるなんて厳しいなと思った。でも、自分のためにされてるんだから、頑張るしかないと思った。

 「終了。ブルマ穿け」と言われて、ブルマを穿こうとしたが、足がお湯で濡れていたので、小さなブルマが丸まってしまい穿きにくい気がしたのを記憶している。急いで穿かないと次の子も待ってると思うのだが、一度濡れて丸まったブルマは、とても穿きにくかった。もともとがサイズが120㎝と小さく穿きにくいのに、濡れてさらに穿きにくいのは当然だった。でも、何とかワレメのあたりまでブルマを引っ張り上げ、後は丸まってるブルマを伸ばすようにして、ようやくワレメがブルマの布で隠れた。

 「おっ、ブルマを穿く姿、セクシーだな」と、もたもたしてたので、先生に笑われてしまった。そして、穿いた後、≪どうやら、運動会の発表というのは本当にブルマなしにされるようだ。ここまで先生にカミソリで丁寧に剃ってもらったのに、もう後戻りできないな≫という気がした。

 「次の子がいるので、タライの中の自分の毛を、そこの小さい網ですくって、この袋の中へ入れなさい」と言われたので、ブルマ1枚で金魚すくいのように網で僅かな恥毛を救い、小さなビニールの袋に入れた。すると先生はその袋に、「久保田麻衣、12才、女、恥毛」とマジックで書いて、小さな箱の中へ入れた。

 「女子部員全員の恥毛が、この箱の中に入る。この箱の中身は、強い子の証として、他の先生方にも見てもらう。強い子になって、自分の恥毛を先生に手渡したのだから、これからは、どんな事にも負けない強い子になるように」と言われて、赤面しながら「はい」と答えた。自分の変な部分に生えていた毛を、先生に手渡しただけでなく、先生方に見てもらい、こういう強い子だから全裸でも大丈夫と知ってもらうということなのだろう。エッチで恥ずかしい、というか、惨めだけれど、でも、少し強い子になれたような気がして嬉しかった記憶が残っている。

 麻衣が準備室を出ると次の子が準備室に入っていった。全員がこの洗礼をうけるのだな、と、思った。これまでの普通の女子中学生だった自分から、ワレメのオモチャに変えられた瞬間でもあるのだけど、今は精一杯頑張るしかないと思った。



  37、無毛の日々

 うっすらした、うぶ毛のようなものかもしれないが、昨日までは中学1年生らしく恥毛が生えていたのに、それが≪おとななんだぞ≫と、≪もう小学生でないんだぞ≫と、≪お姉ちゃんなんだぞ!≫と、くだらないと言われればその通りかもしれないが、中学生なんだという自覚と、成長したんだぞという誇らしさになっていたのだと思う。ところが、裸教育で、発表に適さないという理由で、女子部員全員が再び小学生なみのツルツルのワレメちゃんにされてしまい、一挙に気分が小学生に逆戻りした気分だった。それだけでなく無毛だと外見上も酷く幼く見えてしまうことが後日分かることになる。今日と明日は学校はなく、部活も珍しく休みだった。土日祝日も先生が学校へ来て、訓練でしごかれる場合が多い体操部だったので、久しぶりの部活のない日と言えなくもなかった。いつもの休みだったが、毛がないので、小学生に逆戻りしたような、たよりなさだった。毛が精神に影響するのは事実で、無毛にされてから、大人らしい気分から、かなり幼稚っぽい気分になってしまったのも事実だ。麻衣は元気が良くて、学校の木によじ登って叱られたり、友達とセーラムーンごっこをしたりと、クラスのみんなから万年小学生と笑われたりしていたのだが、でも実は大人なんだぞという心のよりどころ(の毛)があり、そのよりどころが失われたため、なんか本当に自分て小学生とどれだけ違うのだろうという気がした。通学路で会う小6たちは大人っぽい子もいて、服を交換すれば、その子たちが中学に、そして麻衣たち部員は小学校に通えそうな気がした。

 みんな無毛にされてから、幼くなったと思う。無毛にされてると体操着姿の時ですら、表情に出てしまうかんじで、自然に幼い表情や幼いしぐさをしてしまうような気がした。外見が変わると精神が変わるというのは間違いなく事実だと思う。精神は外見に宿るのだ。中学生を幼児みたいに見せたいと思うなら、まず外見を幼児と同じにすれば、こどもにしか見えなくなると思う。自分で自分のワレメちゃんを見ても、低学年の女子のワレメちゃんを見てるみたいで、≪わあ、ぼくって、幼いなあ≫と見るたびに思うことになった。昨日までは普通の中学生だったのに、今日はワレメのオモチャに改造されてしまった子供みたいな、軽くて小さい生き物にされてしまった気分だった。

 暇だったので、おうちでも自主練をしようと思い、自分の部屋で素っ裸になってから、ブリッジや蛙逆立ちをしてみた。無意識のうちに、自然に教え込まれた通りの姿勢になってることに気づき、≪ぼくって、よく、躾けられるな≫と、そんな自分に感心するほどだった。自分のお部屋で素っ裸で遊んでいても、そして誰も見ていなくても、素っ裸は幼稚っぽいなあと思われた。まるで赤ちゃんみたいな気分になる。素っ裸の赤ちゃん体操にキャッキャッと喜ぶ幼児と同じで、素っ裸で体操すると、幼児と同じ喜びがこみあげてくるのが分かった。≪こういう気持ち良さがあるから、女子部員たちは、ひどい練習をさせられても部活から抜け出せないんだな≫と分かるに十分だった。

 でも、無毛にされただけで、昨日の部活は非常に甘い練習だけだったし、時間の大半は毛を剃る時間に充てられていたため、体力的にはますます元気になり、すっかり部活発表会の疲労感はなくなったと実感できた。部活発表会だけでなく、それまでの練習もハードすぎたと思う。何が何でも部活発表会で先生方に成果を見てもらう日までに技が出来なくてはダメとプレッシャーをかけられて精神的にも体力的にも限界まで頑張り、半泣きで練習してたので、やはり疲れが徐々に蓄積していたということもあるのだろう。でも、今朝からはずいぶん元気があり、自主的に10分くらい家で自主練をしてしまったほどであった。翌日は更に元気が出て、≪あんまり休んでばかりでは、逆にからだが、なまってしまうよ≫という気分だった。早く運動したい、速く全員でマスゲームしたいという気分になっていた。

 月曜日の練習は公開リハーサルで、放課後に見たい生徒や町の人などは、誰でも麻衣たちの総仕上げの練習の様子を見ることができた。もう運動場にはテントも立てられ、石灰の白線もきれいに引かれていて、いつでも運動会が出来る状態だった。三角の旗も頭上に架け渡されていたし、白いテントの下にはテーブルや椅子も置かれたままだった。部活発表会の時は三角の旗はなかったので、ずいぶん運動場が華やかなイメージに変容していた。

 放課後、部室で体操着に着替え、体育館前のざら板で上半身だけ脱衣し、ブルマと帽子だけで部員全員が体育館に整列をした。

 考えてみれば、4月から何度か体育館や運動場で短時間といえ全裸にされていたし、全裸になるのは初めてではないし、学校の先生や生徒にも全裸は見られていたにもかかわらず、やはり今日は全裸練習なんだと思うと、恥ずかしさと胸が緊張でどきどきするのが分かり、みんな運動する前からハアハア肩で息をしてるかんじで、辛そうだった。もちろんぼくもだが。やはり体罰で全裸だと、小学生並みに扱われてるというだけの話なので、「幼稚っぽいなあ」と笑われるだけだけれど、悪いこともしてないし失敗もしていないのに全裸にされるのだから、幼稚っぽいではすまない気がした。絶対、「おまえら、女子なのに恥ずかしくないのか」「幼児なみなのか」と失笑される気がした。体罰でなく、見てもらうために、見られるために全裸にされるというのが、幼児扱いみたいで、恥ずかしいというか、ワレメの赤ちゃんと同じ可愛らしさの発表を中学生なのにさせられるというのが、ひどくエッチというかどきどきしてしまう原因なのだと思った。発表内容はもう何度も練習済みだったし、金曜日に毛を剃られたあとで、その時はブルマは着用していたけれど、全体の動きの練習を済ませていたので、発表内容そのものや、体に教え込まれた技そのものには何も疑問はなかった。中学生なのに人前で全裸になっていいのかという素朴な疑問が残っているだけだったが、ワレメちゃんの毛を剃られてしまったことで、≪わたしたちなんて、素っ裸でプール掃除させられてるような小学生と同じなんだ≫という気分になってしまい、させられることに対する疑問もほぼなくなったと思うし、自分で自分を幼稚っぽい子供と思えるようになったと思う。

 「脱げ」の合図で体育館でブルマを脱ぎ、すぐ運動場に出て、身に着けているものは赤白帽子だけで整列して音楽が鳴るまで待ち、音楽が流れたら、すぐにその音楽に合わせて体操するように、と副顧問から指示された。顧問は既に白いテントの椅子に座って運動場をにらんでいた。もし、失敗すれば後で「おしおき」されるのは間違いないなという空気だった。ブルマと帽子だけで体育館で「きおつけ」させられている時間が、公開リハーサルで一番ドキドキする時間だったと言えなくもなかった。素っ裸で外に出されてしまえば、もう割切りができるので、かえってドキドキしないと思う。出番前が一番緊張するのは、どんな発表会でも同じことだと思う。公開リハーサルとはいえ、かなりの男女の生徒が「かわいそうだね」とか、「かわいいね」とか言いながら、始まりを待っていた。全校の3分の1くらいの生徒はいたと思う。よほど暇なのか、それともよほど面白い見世物なのかは分からないけれど、多くの生徒が今日は部活がないにもかかわらず、運動場に残っていた。それから、先生も数人いたし、町の人らしい人もやはり数人は見ている様子だった。整列前に見た時はそうだったのだけれど、今も似たようなものだろうと思った。自分では緊張してないつもりなのに、自分の足が震えてるのが分かり、≪わあ、ぼくって、可哀そうなんだ≫と思ってしまうほどだった。みんな緊張で血の気がなく、人形のように体育館に「きおつけ」していた。それでも無意識のうちに幼児のように全員背筋を伸ばして(そらして)いるのだから、よく躾けられてる女子なのは間違いなかった。開始前の、これからさせられることの恥ずかしさに目が涙でうるんでいた。泣いてしまうと発表に影響するので、泣かないようにしようと思った。先生に言われたとおり、リハーサル前に女子全員が小便と排便をすませていたので、全員が身軽で準備万端と思われた。「きおつけ」してると、躾けられた「人形」にされた子供たちという気分が強くなったけれど、恥ずかしい発表は人間ではなく、先生に言われるままに頑張る人形になりきっている方が恥ずかしくなくて楽な気もした。いずれにしても、もう数分後には発表なんだな、と、思った。

 顧問がテントから、ハンドマイクで「脱げ」と言うのが、聞こえた。脱ぎ捨てたブルマには触ってはいけないと指示されていた。女子全員が≪厳しい部だから、やるしかないんだ!≫と思っていたようで、誰も躊躇しないでブルマを脱ぎ捨てた。部員全員の脱いだブルマが体育館の床板の上に転がった。全員が脱いだブルマをそのままにして、一斉に外へと走り出た。≪脱いだブルマを見ないでほしい≫と思ったけれど、体育館のドアは全部開いていたので、脱ぎ捨てて落ちている女子たちのブルマを学校の他の生徒たちにも見られてしまったと思う。体育館に女子の脱いだブルマがいっぱい落ちている光景は幼稚っぽいというか、惨めな子たちと笑ってしまいそうな光景なのは間違いないと思った。でも、ぼくも一緒にブルマを脱いで、ほぼ先頭で体育館から走り出ると、もうブルマを気にしてる心の余裕は皆無で、すぐにブルマのことは忘れてしまった。もちろん素足だし、身に着けているものは帽子だけだ。「赤白帽子をかぶってるから全裸ではないんだよ」と昨日教えられたし、「毛が生えていないと、幼児と同じだから、幼児がワレメを出してるのと同じで、恥ずかしくないんだよ」とも教えられたので、幼児同様だから恥ずかしくないんだと自分に言い聞かせながら運動場の中央まで走ったけれど、体育館から運動場に出るまでの20メートルくらいの間に、男女の生徒に「ぎゃー」と言われて、部員の女子全員が凄い格好にさせられていることに改めて気付かされた。≪赤白帽子を被ってるから、体操着姿なんだ・・・それに、せいきはツルツルだから見せても割れてるだけだから、恥ずかしくないんだ。先生もそう言っていたし≫と思った。

 「ワレメはオシッコの出口だから、人に見られるのは、恥ずかしいと思うかもしれない。でも、オシッコで濡れていれば恥ずかしいけれど、オシッコを出したりすれば恥ずかしいけれど、そうでないなら、単に割れてるだけだから、恥ずかしくないんだよ」と教えられたし、男子のように飛び出しているチンボとキンタマとかでもなく、単に「すじ」というだけだ。赤ちゃんがすじを見せてもエッチでも恥ずかしいことでもないように、ツルツルのぼくたちも、見せてもエッチでも恥ずかしいことでもないんだ、と、先生の話をきいて納得させられた。男女平等の時代なのだから、男子が平気でおちんちんを出してるように、われめを出して頑張るのは、恥ずかしくないんだよ、と、何度も聞かされたし・・・

 帽子は全員が赤白帽子の「白」にさせられた。赤は女の子の色、白は男の子の色というイメージだから、おちんちん丸出しの少年の気分で頑張れという意味かもしれないが、なぜか理由は分からなかった。でもリハーサルでは「白」と指定されたので、赤白帽子だけで写ってる麻衣の写真は、白い帽子の写真ばかりである。白い帽子1枚で蛙逆立ちをしている久保田麻衣の写真は、グーグル+で大勢の人に見てもらったので、ぼくの写真を記憶してる人もいるかもしれない。でも今は法律が変わってしまったので、赤白帽子だけの写真はSNSでは出せなくなってしまった。

 体育館で女子がブルマを脱ぐ姿は、ドアの外から大勢の人に見られていたので、脱いでるところも見られたし、脱ぎ捨てたブルマもしっかりと見られたと思う。体育館の出入りは自由なので、男子生徒が体育館に入って、他の子のブルマは触られなかったようだけれど、麻衣は中学校で可愛い子と人気だった(嘘ではない。単に体型など外観が幼稚だっただけかもしれないが、そして顔つきも可愛いなと鏡を見て自分でも思ったが・・・)ので、麻衣のブルマを見て笑われただけでなく、男子が手に取ってブルマに触られたという話だ。ブルマを隠されたわけでも、ブルマを破られたわけでもないし、触った後は元の場所に戻してくれたので、実際上の悪影響はなかったけれど、脱がされたばかりのブルマを男子に触られるのは惨めな子みたいな気がして(後でそのことを教えられて)少し目がうるんでしまったのをおぼえている。そのとき脱がされたのと全く同じブルマの写真を、いまさら恥ずかしがっても仕方ないことなので、goo blogにもアップしておいた。麻衣のブルマどうですか? 可愛いですか? 僕の本当のブルマなので、エッチな目で見ないでください。

 ブルマは体育館に落ちたままだったけれど、それから2時間くらい、まず普通に発表した後、総合練習をさせられた。体操着を赤白帽子以外全部脱いだ素っ裸の体で2時間、運動場にいたことになる。≪恥ずかしいな≫と大勢の人が見てるので何度も思ったけれど、運動場には自分のパンティーすらないのだから(あるのは砂だけなのだから)、赤白帽子だけで頑張りぬくしかなかった。リハーサル(練習)の様子は次回に説明しようと思う。



38、公開リハーサル(最終練習)

 「もっと、綺麗にせんか。馬鹿もんー」といきなりマイクで激しく怒鳴られて、みんな緊張を隠せない様子だった。それでも、大急ぎで4列に並んでいる前後左右を整えて、綺麗に全員が整列できたと思う。白い体育帽子だけ被っている、スッポンポンの子供たちの、白い帽子が少しのずれもなく、運動場に並んだ。緊張と恥ずかしさで僕の足が震えているのが分かった。体育館に入ったときには比較的人が少なかったのに、全校生徒が見てるのでないかというほど大勢の人が麻衣たちのリハーサルの様子を見ていたし、先生は毎年のことなので興味がないのか少な目だったが、町の人が数人だったはずが、今は10人以上が見ているのが分かった。もちろん、知らない人ばかりだった。怒られただけで、こんなに精密機械のように正確に整列できるのは、日ごろから厳しく躾けられ、体に直接教え込まれてるから、ほぼ感覚的に一瞬で前後左右を直せるのだと思う。もし他の部の女子たちが、同じように怒鳴られたら、狼狽するばかりで、綺麗に整列するのに時間もかかるし、ここまで正確に整列はできないと思った。綺麗に並んでる白い帽子を見て、全員、きちんと教え込まれてるんだなと、ぼく自身が感心するほどだった。

 「全員、だらだらと体育館から走ってきて。やる気あるのか。自主的に全裸にしてくれと言うから、願い通りにしてやったのに、その甘えた態度は何だ。そんなことでは、全員、やる前から不合格だ。少し反省しろ」と怒気を含んだ声で叱られて、みんな泣きそうだった。

 「全員、そこに正座しろ」

 「はいっ」

 「コラー。もっと背筋伸ばさんか、この馬鹿者が。お尻の穴から口まで一直線になる感覚で、背筋を伸ばせ」と言われ、急いでお尻の穴と口を意識しながら背筋をエビぞらせて、お尻を突き出すみたいに正座した。叱られるときはお尻を突き出して正座しないと、大変なことになる(ビンタされることになる)。みんな、大急ぎでお尻を突き出して正座をした。運動場の中央付近で、見物人からは遠いけれど、正座させられてるのは惨めだった。しかも、赤白帽子しか身に着けてない全裸の子供たちが正座させられて叱られてるのだから強烈だった。

 女子全員が正座すると(反省させられた正座は5分くらい続いた)、先生はハンドマイクを手から離して、明日のプログラムらしいものを開いて中身を確認してる様子だった(遠いけれど、そんな風に見えた。帰りのホームルームで配られたプログラムと同じ色の薄いピンク色だったからだ。薄いピンク色は裸で頑張る子供の肌の色だという説明がクラス担任からあった。今年で体操部は廃部にという噂もあり、女子の伝統のマスゲームも今回で最後になるかもしれないので、マスゲームをする女子の肌の色にしたという話だった。麻衣は、担任からその説明を聞いて≪ほかの学校ではブルマすら下着風で恥ずかしくて可哀そうだからと、すっかり廃止してるほどだから、裸のマスゲームも、時代の変化でいくら裸教育に理解の深い土地柄でも、そろそろ実施困難になってきてるんだろうな≫と思った。事実、麻衣が中2になってすぐにブルマは廃止され、それと同時に女子体操部も廃部となり、顧問が変わってマスゲーム部から普通の体操部に代わってしまった。

 プログラムが女子の肌の色をイメージしている肌色なのだと知り、応援されてるみたいな気がして、ぼくは少し嬉しかった記憶がある。プログラムを開いてみると最初と最後はラジオ体操第1と第2だったが、あとは徒競走と障害走や借り物競争くらいで、特に目立った出し物はなかった。部で発表するのは、男子体操部など僅かな部と麻衣たちだけだった。部活発表会で発表しただけで、運動会では発表しない部がほとんどだった。しかも発表する部もプログラムの前半に集中していて、後半は走ってばかりというプログラムで、ラジオ体操の前に、女子体操部の発表が印刷されていた。内容は少し、やだなと思う内容ではあったが、プログラムの色が応援してくれてるみたいで、本番は頑張ろうと思った。

 「12、『親のいない子たち全員、全裸にされた!』」と大きく印刷されていて、最初から全裸なのが最大の見どころみたいで、少し嫌だった。服装よりも、厳しく仕込まれた技を見てほしいし、恥ずかしさに負けずに堂々と頑張る強い心を見てほしいなと思った。全裸なのは、麻衣たちがだらけていた恥ずかしい「罰」なのだし、厳しさに負けない強い心を見てもらうための「脇役」にすぎないと思っていたからだ。そして、その下に小さく、「真っ裸にこどもが脱いだ! 何も隠さないこどもたち!」と書かれていた。確かに女子なのに性器丸見えにされてしまうのだから、まだ幼い本当の人格まで人様に見せてしまうような恥ずかしさはあるけれど、こんなにはっきり書かれてしまうと、プログラムを見て恥ずかしくて照れてしまうような気分だった。正確には親のいる子も含まれているけれど、少なくとも親のいない孤児は全員がこの中学校では全裸にされるのだから、書いてあることは嘘ではなかった。朝礼の時などに、「孤児は将来の社会参加にハンディキャップがあるから、厳しくする必要があるからマスゲームをさせられるんだ」という説明が何度かあったので、プログラムを見て驚く生徒はいないだろうし、素っ裸にされても「なんだ孤児なら、こんなもんかな」と見物してる来賓も思うだろうから、これはこれで良いプログラムなのかもしれなかった。普通の子が惨めなさらしものにされれば問題だと怒る父兄もいるだろうけれど、孤児がワレメのさらしものになっても、もともと人間扱いでないし、所詮は孤児なのだから、誰も何も言わないし、いちいち問題にする方が大人気ないということなのだろうと思う。しかも、ごく昭和時代には女子中学生が小舟で全裸で沖に出て、素潜りして漁をしていた土地柄だけに(小舟に全裸の2人の少女が乗っている写真を見せられたことがある)、女子中学生が全裸なんて幼児が全裸というのと同じようなものだし、まして孤児なら騒ぐ方がおかしいと思ってるんだろう。あと、港で船を見送る3年生くらいの女子が素っ裸の写真も見たほどで、昭和時代には女子は中1くらいまでは真っ裸で街を歩いてる子もいたし、スーパーマーケットに全裸で入ってくる女子小学生もいたという。現在、外国の中国で中学生くらいの女子が全裸でホテルの前で土下座して物乞いしてる様子が報じられていたり、中国の田舎では現在でも素っ裸で道路を走っていたり、素っ裸でスーパーで買い物をする女子(けっこう大きな子供だ)がいるらしい。これは嘘でも何でもなく本当のことで、それと似たようなことが日本の地方でも過去にあったということなのだろう。そういう時代を生きてきた大人の目からは、懐かしいなとか、昔こんな奴いたなとか、幼稚っぽい奴らだな、とか、そういう感想しか起きないと思うのだ。でも、少なくとも麻衣の時代には道路を素っ裸で歩く女子はいないし、スーパーで素っ裸でいる女子なんて見たこともない。当たり前のことではあるけれど。だから、部活で自分自身のための裸教育だからとはいえ、運動場に素っ裸で出されることには多少の抵抗感というか、恥ずかしさがあるようだった。それは、ぼくが甘えているからかもしれないが…

 5分くらい一生懸命に反省して泣きそうになって正座していたら、「可哀そう」という声があちこちから聞こえ、「幼児みたい」という声も聞こえた。≪え、裸教育なんだから、別に可哀そうじゃないよ≫と思ったけれど、「幼児みたい」というのは正解だなと自分でも思った。運動場に集合した直後、なぜかワレメちゃんが濡れてるみたいにスースーするので、見てみると本当に少し濡れてるのが見えた。≪やばい。わ。恥ずかしい≫と思った。こんな場所でちびってるのは幼児と同じだと思う。というより、恥ずかしいのでおしっこなのだと思いたかった。それよりも驚いたのは自分の性器の形だった。いつもと全然違い、恥ずかしさに小さく縮み上がっていた。「中1なら、恥ずかしさに性器が縮み上がると、幼児のような性器に本当になるから、赤ちゃんが性器を丸出しにしてるのと同じことだ。だから、丸出しでも恥ずかしくないんだよ」と先生から習っていたが、本当に先生の言う通りだと納得するしかなかった。いつもの麻衣のワレメちゃんではなく、幼稚園の子供のワレメちゃんみたいなサイズになっていて、ひどく幼稚に見えてしまい、自分でも自分を幼児だと錯覚しそうになるくらいだった。でも、それは麻衣だけでなく、赤白帽子だけで集合した他の女子を見ると、やはり部活で見た時の中学1年生らしい性器とは全然違い、幼く縮み上がっていた。性器というよりは、そういう性行為とは程遠い、おしっこをするスジにしか見えないのだった。≪これなら、丸見えでも、おしっこの出口に見えるだけだから、ちっとも、いやらしくないな。先生の言うことは本当だったんだ≫と納得するしかなかった。見えても恥ずかしくない程度の未熟な生殖器を丸出しにして頑張るのが裸教育の到達点なんだと思う。

 もちろん、性交とは程遠い、おしっこの出口にしか見えない未熟な性器に見えたとしても、「この子は、あそこからオシッコを出してるんだ」ということはバレてしまうけれど、先生から「発表の時にシッコを出さなければ恥ずかしくない。単に割れてるだけだ」と厳しく言われて、≪そうなんだ≫と納得して丸見えになったのだけれど、今のぼくのワレメちゃんはシッコで濡れてる状態だった。≪こんな濡れてる性器を、町の人とか、町の人の連れてきた小学生とか、みんなに見せるなんて、見せていいものなんだろうか≫と、ふと思った。それと同時に≪これでは、昔スーパーで素っ裸になっていて幼いと笑われていた小学生以下かもしれないな。だって、その子たちは、濡れてたら、すぐに紙でふいただろうし≫と恥ずかしさでいっぱいになった。真っ裸で恥ずかしいことをさせられてるので、恥ずかしいことばかり考えてしまうなと思った。

 中学生になってからは、水泳の授業でも教室で着替えるとかはなくなり、更衣室でこっそり着替えているくらいなのに、身体検査だって男女一緒ではなく、大人扱いで男女別々にしてもらっているのに、でも麻衣たちだけは体育館で全部脱いで、丸裸のまま運動場に走り出てリハーサルなのだから、多少はエッチだなと思ったり、おしっこを少しくらい「ちびってしまう」のは仕方がないと思う。幼いと言われればそれまでなのだが…

 5分くらい正座をしていると、ようやく顧問の先生が運動会プログラムを見るのを止めて、それをテーブルの上に置いた。日を遮るテントの中なのと遠いので表情までは、あまり見えないけれど、厳しいかんじに見えた。最初から、だらけていたから、叱られて当然だなと思った。さっきまで直射日光が赤白帽子だけのこどもたちを照らしていたのに、ぼくも背中が太陽で暖かかったのに、急に雲が出てきて、肌寒い秋の空気になってしまっていた。顧問は革ジャンなので気温の変化には無頓着だろうけれど、ぼくは素っ裸なので、気温の変化を敏感に肌で感じていた。ひんやりした空気で、少し湿っているのが、全身の肌で感じられた。(つづく)



              39、公開リハーサルの体罰

 小学6年生の頃なら年中、学校でブルマ1枚だったし、上半身に半袖シャツを着ていいのは、授業参観の時間くらいだったし、だから裸にされてても皆もそうなので気にならないし、運動会でブルマ1枚でもいつも通りというだけなので、比較的ショックは少なかったけれど、中学1年生の今はやや状況が違うと思う。中学生は大人なので女子は裸にされないという風に思っていたからだし、実際に中学校で裸になってる女子はいない。麻衣たちくらいだ。もっとも聞いた話だが、10年くらい前までは、小学校のように男女一緒にパンツ1枚で身体検査をしていたようだ。乳房が見えても、中学生はまだ義務教育の子供だから配慮する必要はないと思われていたようで、図書室で古い学校紙の冊子を見ていたら、女子が乳房丸出しで笑顔で身体検査を受けている姿が普通に学年紙に載せられてて、(白黒印刷で解像度が低いとはいえ)まるで小学生扱いだなと思ったほどだった。やはり田舎だから、おおらかな教育がまかり通っていたのだろうと思った。子供は子供扱いしてやる方が子供も喜ぶし、スキンシップや思い出にもなる、という明るい考えでやっていたのだろうが。でも、今は学校では男女別々は徹底していて、女子の着替えは男子から見えそうもない場所でしか着替えていない。それだけに、部活が想像以上に厳しかったことは、軽いショックだった。そして、そのショックに慣れたころに運動会シーズンが到来ということなんだけれど、そのリハーサルで、こんなに厳しく叱られるとは思ってなかったし、みんな私服か制服で、長そで長ズボンとか長いスカート姿で見ているのに、麻衣たちだけ裸なのは辛いところだった。しかも、体育館から登場していきなり叱られて、綺麗に整列をしなおしたうえ、叱られて正座をさせられている。でも、ようやく、プログラムから顧問が顔を上げたので、どうやら正座からは解放されそうな気がしていた。

 顧問が見ていた運動会のプログラムには麻衣たち部員には恥ずかしい全裸発表するという内容が印刷されていたが、裸教育なので仕方ないなと思った。それに、練習でだらだらしていた麻衣たちが悪いので、その罰として全裸で頑張らないといけないのだと思っていた。でも、やはり理屈で全裸にされて当然なこどもなんだと頭で思うのと、実際に全裸にされて肌身で全身で全裸の恥ずかしさを味わうのでは、かなり違うのは事実だった。理屈では全裸にすっかり納得させられているのに、丸裸になって運動場に走り出てみると、おちょんちょんは緊張で小さく縮み上がっていた。部員は補充して1クラス分の女子くらいの人数はいるとはいえ、やはり人数はそんなに多くなく、みんな裸だからというよりは、麻衣たちだけ裸という感覚が強かった。それに部員も元気のいいのは、最初に入った麻衣や華子たち数名だけで、残りの部員は、特に後から補充した部員は、どちらかと言うと従順で大人しい女子ばかりだった。従順で素直でないと、特殊な教育なだけに、うまく教育できないのかもしれない。やはり、素直で、健気なこどもの方が、裸教育に向いているのだろうと思った。心の中でどう思ってるのかは知らないけれど、表面的には、素直に「はい」と返事して、健気にも素っ裸で頑張ろうとする女子たちばかりだった。もちろん、洗脳されて、そういうこどもに変えられてる面もあるのかもしれないが。なんとなくだけれど、体操部の女子は、男子生徒からエッチなことや乱暴なことをされても、じっと我慢して、されるままになってる子が多いような気がする。もちろん、そういうこどもだから、先生の言われるままに、健気に頑張ろうとするのだろうけれど。少なくとも、同じブルマで頑張っているバレーボール部の女子が、体育館で全部脱げと言われて、本当に健気にも全部脱いでしまうとは、とても思えないのだった。やはり抵抗するし恥ずかしがるのが当然と思う。体育館で平気でスッポンポンになり、ケロっとしてるという風に見えているから、学校の生徒たちに「こども」とか「ちびっこ」と笑われているのだろうと思う。しかも自主的に真っ裸になったという説明がなされていて、すすんで素っ裸になった幼稚っぽい子と思われてるのだろう。

 足が痺れてきたので、そろそろリハーサルを開始してほしいなと思っていたら、再び顧問がハンドマイクを手に取った。

 「久保田麻衣、立て」といきなり言われて驚いた。ワレメちゃんが光ってるので、恥ずかしいので、不安に思いながら、もじもじしながら立ち上がった。他の女子は背筋を伸ばして正座をしたままである。

 「何をだらだらと立ち上がってるんだ、サッと立ち上がるのが当然だろ!」と、いきなり怒鳴られた。まさか、性器が濡れてたからです、と言うわけにもいかないので、「すみませんでしたー」と言って、きおつけをした。

 「こら、久保田、どうして立たされたのか、分かるか?」と言われたので、仕方なく「弛んでいたからです」と答えた。

 「その通りだ。体育館から先頭で出てきたのに、どうして集合場所に到着したのが最後なんだ? おかしいだろ」と言われた。≪自分1人だけ先に行くより、みんなと一緒に運動場に到着しよう≫と考えていたのが裏目に出たようだった。「すみません」ととにかく謝った。

 「自主的に全裸になると言っていたんだから、全裸が恥ずかしいから遅くなったというのは理由にならないぞ。自分からお願いして全裸になったんだから、全裸でも嬉しいだけだ。必死に走らなかった甘えた態度が中1失格だ。もう、中学生なんだから、甘えずに運動場へは真剣に走れ」と言われた。確かに真剣に走ろうとしていたなら、みんなに速度を合わせて調整しようなんて風には思わなかっただろう。自分が悪いんだと思った。みんなが正座してるのに、自分だけ立たされているので、自分に全校の視線が集中するのを感じていた。

 「久保田麻衣、罰だ。馬飛びの姿勢になって、自分の足首をつかめ」と言われたので、きおつけを止めて、今度はサッと自分の足首を両手でつかんだ。先生にスパンキングされるのかな、人前だから嫌だなあ、などと思って、足首をつかんで次の言葉を待った。

 「よし。今度はきびきびと出来たな。でも中学生になったんだから、そのくらいは出来て当然だ」

 「はいっ」

 「左手は足首をつかんだまま、合図をしたら右手で自分の尻を叩け。大きな声で数を数えながら100まで叩くように」と言われた。

 「はじめ」と言われて、数えながら尻たたきを始めた。すると「7つ」まで数えたところで、「声も小さいし、お尻ももっと力一杯叩け」と注意をされた。そこで、目一杯、自分の右の尻の山を右手で叩いた。叩いたら、叫ぶように数を言い、再び叩くの繰り返しだった。

 「可哀そう」「恥ずかしい」「みじめすぎ」と言われて、全校に尻たたきを見られてるんだと実感した。尻を叩く姿も恥ずかしいと思ったけれども、お尻を叩いたときに大きな音がするのも恥ずかしかった。ぼくのお尻の皮膚から出た音を、みんなに聞かれてしまうのが、エッチで恥ずかしい気がした。途中から≪これが久保田麻衣の恥ずかしいお尻の皮膚を叩く音です。自分で自分のお尻たたきをさせられてる幼稚っぽい子です≫と開き直って頑張ったけれど、目に涙があふれてきて、自然に涙がこぼれて、泣きながら尻たたきしてるこどもになってしまった。

 「かわいそすぎる」「やだ、なんか、そそられちゃうね」「抱いてあげたくなるね」とか、さんざん言われて、お尻がヒリヒリと痛み、お尻の皮膚が赤くなって、ようやく100叩きは終了した。自分で自分に体罰をさせられるというのが、幼稚っぽくて恥ずかしいなと思った。

 「久保田麻衣、お尻を見せてみろ」と言われて、お尻をテントの方へ向けた。

 「お尻が真っ赤だな。よし、よく頑張った。お尻痛いか?」

 「はい」

 「その痛みを忘れないで、いい子になれ」と言われ、「はい」と返事したけれど、惨めさで幼児のような声になっていたと思う。でも、エッチで恥ずかしいことも、辛くて死にそうなことも、女子なのに人間扱いと思えないようなことも、普通に訓練でさせられて厳しく躾けられてきた成果で、人前でも負けずに堂々と、恥ずかしいお尻の音をみんなに響かせて、体罰をやり抜けたのだと思う。4月に入学したころなら、ここまで強い子で、体罰をやりぬく精神力はなかったと思う。動物が調教されるように、甘えられない環境で厳しく躾けられたからこそ、強い子に成長できたのだと思う。みんなの前で自分で自分を尻たたきなんてさせられて、惨めな子なのは事実だけれど、ちゃんと負けずに最後まで尻を叩けた強い子だと分かってもらえたのだから、それは嬉しいと思った。

 「もっと、よくお尻を見せてみろ」と言われて、ひざに手をあてて、先生の方にぼくのお尻を突き出した。

 「よし、いいケツしてるな」と言われて、みんなからも笑われて、ようやく体罰は終了した。みんなに、突き出したお尻を笑われている時、厳しい残酷な練習風景が走馬灯のように思い出された。本当に気絶するまで頑張らされたこともあるし、人間扱いでないような残酷なことをされたりもした。でも、負けないぞと、ここまで頑張ってきたのだ。幼児なみのことも、本当にさせられたし、それでもやりぬいた。

 人前で尻たたきをさせられたので、どれほど普段から粗末に扱われてる惨めな子なのか、全校生徒にバレてしまったような気がした。

 「全員、起立、ボールを取りに来い」と言われて、今度は真剣にボールの置かれている白いテントまで走った。担当の近くに白いバレーボールの入ったカゴが置かれていた。赤白帽子だけで力一杯走ると、まるで自分が裸保育をされている幼児のように思えた。みんなで急いでバレーボールを1個づつ手にすると、大急ぎで運動場の中央へと戻った。

 「こら、きちんと整列しろ。ずれてるぞ」と言われて、前後左右を寸分の狂いもなく修正して、赤白帽子だけの体でバレーボールを右手で持った女子が、綺麗に整列をした。

 「よし、踊り、始め」と言われると同時に、幼稚っぽい明るい音楽が流れた。幼児が喜びそうなリズミックな元気な音楽だった。

 恥ずかしい服装だし、尻たたきで少しだけ尻が赤いし、ワレメちゃんが濡れてるのが恥ずかしいし、大勢が見ているしで、穴があるなら入りたいというか、その場から逃げ出したい気分だったけれど、もういまさら逃げるわけにもいかないし、音楽が流れてしまったので、もう頑張るだけだった。幼稚っぽい音楽に合わせてぴょんぴょん飛び跳ねたり、バレーボールをついたり、腹這いになって、体の下にバレーボールを置いて、バレーボールに体重を乗せて前後に体を動かしたり、バレーボールを両手で持って万歳したりと、難しくはないけれど、幼稚っぽさ満点の技を見てもらった。公開リハーサルなのは、来賓のいる本番で失敗は許されないから度胸をつけるためだという説明だった。確かに度胸は付くかもしれないけれど、恥ずかしすぎると思った。

 「幼稚っぽい子たちだね」「よく恥ずかしくないね」「まだ幼児とおんなじなんだね」と、やっぱり笑われてしまった。真っ裸で運動場を激しく動いたり、四つん這いなどの低い姿勢で様々なポーズを見せたりと(かなりセクシーなポーズだなと思った)、緩急の繰り返しが3回続いて、音楽が終わった。音楽の終了と共に、運動場に雷に撃たれたこどものように倒れて動かないで我慢する。その時に、恥ずかしがらずに、大胆な格好で倒れていることが大事と言われていたので、女子全員が、なるべく恥ずかしい格好でボールを投げ捨てて、運動場に死体のように倒れこんだ。倒れるポーズは自分で考えるように言われた。

 こどもなりに、恥ずかしい格好はどんな格好かを考えて、その考えた姿通りになりきっていた。うつ伏せになって、マタを広げているこども。大の字になって、目一杯マタを広げているこども。マタを広げて、手で性器を広げてるこども。うつ伏せになり、マタを広げて、お尻を持ち上げてるこども。手でお尻の山を広げて、いつもうんこをする肛門を見せてる子供。様々な恥ずかしいこどもで、見てる人は赤裸々な恥ずかしい姿に赤面したり、あまりの幼稚っぽさに、≪こんな幼稚なやつだったのか≫とファンの男子に幻滅される女子もいたと思う。自分の考える一番恥ずかしい格好がどんなものかがバレてしまう恥ずかしさもあったが、ぼくも負けずにうつ伏せになり、左足を胸のところへひきつけて、右足は真っ直ぐに伸ばした。そして自分の性器の中のオシッコの穴と肛門の穴を右手の指で同時に押さえた。指が恥ずかしい部分に強く触れているのがエッチだと思った。ぼくにとっては、それが精一杯な一番恥ずかしい格好だった。惨めな子にされて、惨めな興奮と見られてる恥ずかしさで、体がぞくぞく震えて、「ヤーン」とエッチな声を出してしまったけれど、叱られなかった。ともかく、一番恥ずかしい格好をするように指示されて、そんな指示をする方もする方だけど、それを本当にする方もする方だと思うだろうけれど、恥ずかしくないのではなくて、健気にも精一杯頑張っている姿なのは間違いなかった。これも自分のためなんだと、自分に言い聞かせてぼくも恥ずかしい子になりきれたと思う。

 ボール運動の最後が一番ショッキングだった。それは、させられている女子にとっても、見てる人にとっても同じだと思う。「自分で考えた一番恥ずかしい格好を見せている強い子たちに、拍手をお願いします」とアナウンスされ、惨めな格好をしている麻衣たちは拍手をされて涙ぐんでいた。1分くらい、その格好を続けていないといけないので、惨めな子たちの恥ずかしさもひとしおだった。

 「よし」と言われて、ボールをもとのカゴに戻してから、再び整列したが、女子全員の性器が濡れていたと思う。


 40、公開リハーサル後半

 ボール運動終了後は、運動会ではボールはその場に置いたままで、全員が四散して、それぞれ指定された場所で体操をするのだけれど、リハーサルなので簡略化して、一応ボールを撤収してから、運動場中央で体操をすることになっていた。再び叱られると嫌なので、女子は前後左右をよく見て、綺麗に整列をした。それから、蛙逆立ち、舟、ブリッジ、半ブリッジなどの技を見せた。前半と違い、音楽はなく、笛の合図で体操する。笛に合わせた一糸乱れぬ体操は、こどもを見ているというよりは、操り人形を見ているような感覚になると、見ていた人が言っていたほどで、ひたすら全員が同じ動きに終始する。小中学校のマスゲームにありがちな、組体操はなく、一人だけでやる技ばかりだ。しかも、その技は一糸乱れぬ正確さだった。技を練習するのと同じくらい、シンクロした動きが出来るように練習したから、当然の成果と言えるかもしれないが、これだけ多くの人のいる前で、赤白帽子だけというあられもない姿にされているにもかかわらず、正確に動くのには、参加している麻衣自身も驚いたほどだった。やはり厳しく躾けられ訓練をされた成果は伊達ではなかったようだった。ボール運動の最後に、ボールを放り捨てて「一番恥ずかしい姿」にさせられたので、≪わたしを全部、見られちゃった。もう、どうでもいいや≫と、惨めな開き直りのような気持になってしまったので、もうかえって何でも見せてやると、振り切れた気持ちになって良かったと思う。恥ずかしいエロ本のこどもみたいな姿になってみせたせいで、蛙逆立ちやブリッジなどの、裸でするには恥ずかしい技でさえも、普通の技のように思えてきたし、帽子1枚になってからだいぶ時間が経過しているので、自然に帽子1枚姿に慣れてきている自分に気が付いた。人間はなんにでも慣れてしまうもので、それは全裸ですら例外でなく、ずっと帽子1枚でいると、次第に体操着姿と同じような落ち着いた気分になってきて、≪ブルマ姿も、ワレメ姿も似たようなもの≫という気がしてくる。ブルマだって、エッチな人が見れば、いくらだってエッチな目で見れるのだから、ワレメでもブルマでもおんなじだという気がしてくるほどだった。そもそも最近はブルマは恥ずかしいだのエッチだのとマスコミが大騒ぎをしている現状を考えると、わざわざ恥ずかしいブルマをはくよりも、何も身に着けていない方が恥ずかしくないのでは、とか、じょじょに訳が分からない感覚になってくるほどだった。そのうえ、「オシッコの出口は、オシッコを出さなければ見えても恥ずかしくない、割れているだけだ」と先生に教えられているので、なおさら、赤白帽子1枚姿が、そんなに恥ずかしいものではないような気がしてくるから不思議だった。平気で丸裸になる幼児の気持ちに、体も心も改造されて、近づいてしまったのかもしれないし、多少は幼児退行してる面もあるのかもしれない。そういう裸教育の成果なのかもしれないけれど、中3のころガンダムの裸に近い衣装をコスプレ大会で着せられて、恥ずかしい部分には超ミニスカートのように帯があるだけで、少し動くだけで恥部が丸見え状態だったけれど、その衣装で人前に出たし、それで踊りも見せたくらいだった。やはり慣れというものは恐ろしい面もあると思う。多分見てる人は幼児のように丸見えなことにエッチで興奮していたのだろうけれど、見たり写真を撮るだけで、何も言ってこなかった。それから、赤白帽子1枚にされて体操をさせられてからだと、裸教育なのに「ブルマ1枚姿」だと甘すぎると思うようになる。「ブルマ1枚姿なんて、裸じゃないじゃん。裸教育なのに、裸でないのは変だよね」と言い出した(洗脳された)女子部員までいたほどだった、

 一通り発表後半の練習をしてから、ダメだった部分を直すとかで、再度最初から後半の体操のリハーサルをさせられた。前半はガンガン動き回るだけなので、かえって完成度よりも元気さや、幼稚さや、幼児っぽさが要求されるので、頑張ればオッケーなのだろうけれど、後半は技の精緻な完成度が要求されるので、一人一人としては十分に技が完成していても、全体としてはまだ観客の観覧に耐えるだけの完成度がないということなのだろう。ただの女子たちが、ただの集団体操をしてみせて、何が面白いのかというと、やはり、一糸乱れぬ統一感が面白いのだと思う。みんなが、まるで操り人形のように、まるで同じ動きをすればするほど、人間というよりは人形というか玩具っぽいかんじになって、ある意味残酷味があって見ていて面白いのだから、統一感が乱れてしまってはマスゲームの意味は(面白さという点では)ないのだ。合唱と同じで、よく他の子を見て動くと、統一感が出ると言われ、前の子をよく見て動いた。本番の運動会では他の子は見えないので、それまでに動きの感覚を身に着けてしまうしかないのだった。そのためにリハーサルを再度やり直しているのだろう。もちろん少しでも長く人前に出して、本番までに全裸に慣れされておくという意味もあるのだろうけれど。麻衣は丁寧に前の子を見て、動きを合わせていた。前の子は赤白帽子しか被っていないので、前の女子が蛙逆立ちをすると、ごく普通に前の女子の肛門が見えていた。肛門のすじまで、クッキリなので、≪へえ、あの子、かわいい顔をしてるけれど、この穴を大きく広げてうんこしてるんだ≫と、少し興奮したほどだった。こうして他の子の体操する姿を見ていると、女子なのに凄い格好にされているんだなということが改めて実感できた。もちろん麻衣も前の丸見えの子と同じ姿にさせられているのだから、凄い格好をしているのは同じなのだが…

 2度目の後半部分のリハーサルの最中に雨が降ってきた。まさか降るとは思っていなかったようで、先生方は白いテント内に避難をしていた。雨粒が大きいので、男子も傘のある子は傘を差し、傘のない子は教室に避難して、教室の窓からリハーサルの様子を眺めていた。少し遠くなるが、もともと女子部員は運動場の中央付近で体操しているので、教室から見ても運動場で見ても、どちらも女子は小さくしか見えず、五十歩百歩だった。大きな雷鳴が続けて2度したので、傘を差していたら危険と思ったのか、傘をさしていた男子も教室へ入っていった。町の人は来賓用のテントに移動して見物を続けていた。どうせ、雨が弱くならなければ移動できないので、テントに避難したのだろう。

 雨粒が大きかったので、すぐに麻衣たち女子部員は全身が濡れてしまった。赤白帽子を被っているので、髪はすぐに濡れなかったが、だんだん髪が湿ってくるかんじだった。

 「こら、白木、動きが遅かったぞ。2年生にもなって、1年生の足を引っ張ってどうするんだ」と珍しく白木がハンドマイクで叱られていた。これは白木がやる気がないのではなく、白木は精神力は強いけれど、体力は元気な麻衣や華子に比べると劣っているからだ。そのことはクロッツ走の練習で麻衣たちについてこれないことからも、明々白々だった。晴れていると体操はあまり体力がいらないので、白木も麻衣たちも大差ないのだが、雨天だと状況が変わってくる。なにしろ手足が濡れるとつるつると全身の皮膚がすべるのだ。晴れていれば皮膚と皮膚の摩擦を利用できる。だから裸教育の基本の「蛙逆立ち」もコツさえ身につければ、女子部員くらいの軽い体重のこどもであるなら、皮膚の摩擦を利用するだけで、案外簡単に1分くらいは蛙逆立ちができるのだ。ところが雨になると、皮膚と皮膚の摩擦を利用しようとしても、つるつると滑ってしまって利用できない。それでも蛙逆立ちをしようとするなら、手足の筋力を利用して体を蛙逆立ちの形に固定するしかないのだ。ところが白木は体力が弱いので、雨の中でさっと蛙逆立ちしようとする意気込みはおそらく麻衣たち以上なのだろうけれど、足が滑ってしまって、足を固定するのに手間取ってしまうということだ。だから、もたもたしているように見えて、白木には甘めの先生もしびれを切らして注意をしたのだと思う。蛙逆立ちだけでなく、皮膚の摩擦を利用できる技は色々ある。服を着ていれば、雨でも技によっては服の摩擦を利用できる。でも全員が全裸にされているので、全身のどの肌も濡れているので、摩擦に利用できるものはどこにもないということになる。アンテナという技も、一見するとひじで体を安定させているように見えるが、実は手の皮膚と体の皮膚の摩擦を利用しているのだ。雨だと、手がすべるので、筋力でアンテナをすることになるので、体力の有無が大きく左右するのである。

 これが運動会ならば、雨が降ってきた時点で中止になるので、女子生徒の全身の肌が滑っても問題はないのだが、公開リハーサルは先生が納得いくまでは終了しないので、全身の肌が滑ると途端に白木や葵などは苦しくなるのだった。華子は麻衣よりも体力もあるし運動神経も良く、雨になっても晴れていても大差ないらしく、雨の中でケロっとして普通に蛙逆立ちをしていた。ところが麻衣はやや滑るのが厄介だったが、なんとか1分程度なら苦しいけれど耐えられた。

 「肌が汚れるのを気にせずに体操しろ」と、ハンドマイクから注意された。運動場は土質が悪いようで、肌に泥がくっついてくる感じだった。そんな運動場を転がるのだから、微妙に体を浮かせて回転してるのが見苦しかったらしかった。注意されたので、もうあきらめて、何も考えずにゴロゴロと運動場を万歳をして横回転した。全身、どろどろだった。両手を前についてエビぞる技(下写真)もあるので、もうワレメちゃんの中まで泥でザラザラしていた。全身の肌に泥がつく感覚は、幼児の全裸の泥んこ遊びと大差がなかった。女子が全身の肌を泥で汚して練習するのだから、厳しい練習だったし、雷鳴がするので、命の危険もあったと思う。近くに落雷している状況でも、体操をさせられるのだから、お手軽なオモチャみたいな命なのは間違いないと思った。雨がふっても、中止させてもらえない惨めな子たちだったけれど、だからこそ精神力が付いたという面はあると思う。

 雨の中、素っ裸の泥人形になってる女子を校舎から見ていた生徒たちは、「よくやる子たち」と思っていただろう。先生も、普通の生徒も誰も濡れていないのに、一部の女子だけが全裸で全身を泥まみれにして、ワレメの中まで泥だらけにして、厳しく訓練されているのだから、普通の人間というよりは、やはりオモチャの子供、あるいはオモチャそのものに近い存在と思われていたのだろう。でも、体操部を終えたときに振り返ってみたら、一番厳しいのは決してリハーサルとかではなく、やはり四つん這いでようやく通れる小さな地中のパイプをくぐらされたのが厳しかったと思う。水のある場所では仰向けになって進まないと息ができず、面倒なので、水中を急いで潜り抜けたりした。真っ暗で何も見えない深い地中のパイプをくぐらされる残酷さと比べると、雨の中のリハーサルなんて所詮は子供の遊びみたいなものと思えてしまう。少なくとも落雷して感電でもしない限り、命の危険はない。あの危険な運動場の下に埋設されたパイプをくぐりぬける危険さと比べると、遊びのようなものという気がするのも仕方ないと思う。もちろん、パイプくぐり以外にも、死んだらそれまでみたいなかんじの危険な訓練や体罰は色々あった。裸教育なので、それらの試練に裸で挑戦して、裸で耐えたというかんじだ。

 2度目の体操のとおしの練習は雨のせいで大変だったけれど、どうにか注意されて動きを修正しながら、無事終えることができた。

 練習を終えた女子たちは、きおつけをして、ホースで全身に水を掛けられた。水は冷たかったが冬でないので、耐えられないほどでもなかった。麻衣もホースでザーザーと水を掛けられて、全身の泥を落としただけでなく、自分の手でワレメちゃんを開かされて、ワレメちゃんにもホースで水をかけてもらい、全身の泥がだいたい落ちた。でも素足は泥を落としても、歩けば即座に泥だらけなので、足は泥のついたままだった。

 

 体操が終わると、小雨になっていて、ホースで泥を落としてもらっているうちに、雨は上がってしまった。しかし、運動場には深い水たまりもあったが、もう練習は終了したので、もう、その水たまりの中を転がる必要はないので、あっても困りはしなかった。

 それからが反省会だった。雨の中だったので仕方ないが統一が乱れていたと叱られた。そして、女子全員が罰として尻たたきをされることになった。全員が尻を突き出して、尻たたきの順番を待った。先生は順番に手際よく女子の尻を叩いていった。人数がいるので手で叩くと手が痛くなるので、卓球用のラケットで尻をぶたれた。パチン、パチンという軽快な気持ちいい音が響いていた。来客も生徒も呆れて、どんどん帰っていき、もう見ている人はまばらだった。全裸だから面白いと思って見ていたら、なんだ幼児を見てるのと同じなんだなと完全に幻滅して帰ってしまったのだろうと思う。そのくらい女子部員は幼稚なのは性器だけでなく、顔つきも、叱られている幼児みたいな幼稚な顔になっていた。幼児がお仕置きされてる姿と女子部員の姿はほとんど大差がなかった。麻衣の尻たたきの番になり、さっき自分で尻をたたいた方の反対側の尻をラケットで叩かれた。男子と違い、女子はお尻をペンペンされることが多いが、この日も、やはりお尻をぺんぺんされてしまい、両方のお尻の山が痛くなってしまった。女子は尿道が短いので、簡単に失禁してしまうというが、さすがにこの程度で失禁していたらパンツが何枚あっても足りないと思う。確かに男子よりは失禁しやすいのは事実だけど、そんなに頻繁におもらししてしまうほどでもない。ホースで泥を落として、尻たたきを女子全員がすませると、明日の注意事項を説明された。明日は中央で体操するのではなく、見物客の目の前で運動をすることとか、明日は本番なので雨や直射日光を遮ってこどもを保護してくれる赤白帽子を被れないことを説明された。それから、既にリハーサルの方は終了しているが、朝にミーティングと練習があるから朝練に来ることと言われた。女子体操部は他の部と違い合宿があるかわりに、あまり朝練はしないので珍しいなと思ったけれど、運動会なので最後の注意事項の説明か何かがあるのだろうなと思った。説明終了後に、公開リハーサルでは色々と問題点があったので、代表して部長の白木が体罰をされることになった。白木はホースで肛門から水を入れられて苦しみに耐えていた。でも、部員はあまり白木には興味がないみたいで、マゾなのでお浣腸されて嬉しがっているんだろうなと思っただけだった。白木は悶絶して、あえいでいた。耐えきれなくなった白木は肛門から水を噴きだしていたが、部活では見慣れた風景だったので、≪あ、出した≫と麻衣も思っただけだった。「部員は先生のオモチャ同様なので、何をされても普通だし、オモチャになりきれる子が強い子なんだ」と白木も言っていたので、水噴き人形になりきれて大満足かもしれないな、と、麻衣は思った。価値観も望みも人それぞれなので、オモチャにされたい子もいてもいいし、オモチャになりきれて本人が幸福ならそれでいいのだと思う。実際に生きたオモチャにされるのは、惨めな高揚感と恥ずかしい嬉しさがあり、≪こんなひどいことされても素直に受け入れてる自分って、可愛い子だな≫という嬉しさもあり、そういう世界が好きなら、女子体操部は天国だと思う。体罰で肛門を開いてうんこさせられる女子は、惨めな気持ちかもしれないが、うんこをする自分を見てもらう惨めな解放感や喜びもあるのだと思う。裸教育だと場合によっては素っ裸なので、おしっことか、うんこは、出せばすぐに見えてしまう。それに体罰でさせられることも多い。自分の見られたくない部分を強制的に見られることで精神力が強くなることもあるし、こどものためになることもあるんだと思う。麻衣は先生にひどいこともされたけれど、麻衣のためにやってくれたのだし、ちっとも先生を恨んでいないと思う。

 その日は公開リハーサルが終了して、パンツをはき、セーラー服を着て、ようやく普通の中1にもどった気がした。公開リハーサル中は自分ではなく、誰か別の人がさせられていて、夢の中の出来事だったような気がした。そのくらいセーラー服姿の今の自分からすると非現実的で、不思議な世界のように思われるのだった。




i MAI me (愛 麻衣 みい) ~裸教育児の久保田麻衣小学生物語

小学生時代の麻衣を物語風に脚色して連載風に不連続で投稿するブログです。ぜひ愛読者になってください。基本はノンフィクションですが、物語なので面白く脚色されています。ごく普通の6年生の女子小学生(わたし)が、裸教育の小学校に入れられてブルマ1枚にされて学校生活をし、最後にはバレーボール1個を持って半泣きの全裸マスゲームをさせられるまでの日々を日記風に描いたものです。おもしろエッチなので、ぜひ見てね。

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