ひよこ日記 第8節

 31、忍者になった部員たち

 これまでの話で、冬の部活は厳しいが夏の部活は甘いという印象かもしれないが、そうでもない。命の危険を感じるような、冬のプールや、小さな水槽を使った訓練が冬なので、危険度が高いというか、死にそうな思いをさせられるというだけの話だ。実際には、死にそうと思わないだけで、死ぬかもしれない危険なことも、大変さも夏も冬も大差ないと思う。メンタルトレーニングは毎日あるので、色々なことを毎日のようにさせられて、日替わりで子供虐待をされてるようなものという見方もできるけれど、逆にそれだけ頑張って色々なトレーニングをしてくれたというふうにも言えると思う。

 夏合宿は合宿終了と同時にマスゲーム発表日という冬合宿のような強行日程でないせいか、体力づくりが多く、毎日のメンタルトレーニングの他にも、一日丸々メンタルトレーニングの日まであり、女子部員の精神力をつけるためとはいえ、なかなか過酷な一日だった。一日中メンタルトレーニングの一日は「くノ一になる日」と日程表に書かれ、要するに、女の忍者をさせられるという日だが、≪忍者なら、かっこいいじゃないか!≫とみんな思うだろうけれど、実は夏合宿の中で一番悲惨な一日だった。最初は、「全員、くノ一のなるぞー、エイエイオー!」と元気に何度も言わされて、かっこいいというか、凄い忍者になるんだぞと、面白いことが始まる気分だったが、実際には部員地獄というか子供虐待みたいな一日であった。

 くノ一の日は、午前中はまだ少しは面白かった。精神力をつけるとかで、小さなバスぎゅうぎゅう詰めで分校から15分くらいの市街地へ連れていかれ、駅前とか、人の集まる広場とか、とにかく一般の人の場所(部員によって様々だった)で、大声で歌を歌ってから(それ自体がかなり恥ずかしい)、「歌を聴いてくれたお礼に、体操をします。頑張るので見てください」と言い、人前で蛙逆立ちやブリッジや大の字や小箱の上でツバメなど、一人で人前でやるには相当恥ずかしい技をさせられた。それぞれ60数えて(1分)、運動が全部終わったら、走って元の場所へ戻ってくるという「透明忍術」だった。つまり、「透明だから、人前で恥ずかしいことをしたり、恥ずかしい格好をしても見えないのだから、恥ずかしくないんだよ」と言われた。恥ずかしいので「透明で見えないんだ」と自己暗示をかけて麻衣も頑張ったが、恥ずかしいと泣きそうな子もいたし、透明と言われても人が大勢集まってきて見られるので、透明なんだという自己暗示は余り通用しないかんじだった。実際に子供なのに、結構恥ずかしいし、体操着姿だから体は見えないとはいえ、普通の場所で子供用の体操着になっているのも、かなり恥ずかしかった。麻衣たちは体操着だったけれど、白木は部長だからと、スクール水着で透明忍法をさせられていたので、サイズが小さく体に恥ずかしい部分の食い込む水着では大変だろうと思ったけれど、白木はむしろ嬉しそうに透明くノ一になっていた。最初はあまり人がいないので一人でやってるかんじなんだけど、人が集まってくると、かなり恥ずかしい忍法だった。

 やはり、大勢の前で、大の字になってみせるのも、幼稚っぽくて恥ずかしいと思ったけれど、15㎝四方くらいの箱というか木材のブロックの上で、ツバメをしてみせるのが一番恥ずかしいと思った。腹這いで箱の上にうつ伏せの状態で乗って、箱以外に体を触れることなく「きおつけ」をする。それから、「ツバメー」と言いながら、指先、つま先を真っ直ぐに伸ばして、ピーンと体をのけぞらせるのだ。なんか、エッチというか、幼稚っぽいから許される技をさせられてる感じで、かなり、ピーンとバランスをとってエビぞりながら、恥ずかしい気分だった。エビぞると拍手されたり、可愛いと言われたのもかなり赤面なことだった。

 それから、蛙逆立ちなどでも、運動場では慣れっこになってるのか、ちっとも恥ずかしくないのに、駅で一人で蛙逆立ちするのは、けっこう恥ずかしい格好だなとドキドキしたのを憶えている。それから、大勢が見てるのに、小さなブルマの下半身でブリッジするのも、エッチな目で見られてしまいそうで、ませてただけかもしれないが、けっこうドキドキした。

 もう、このころは普通の小学生でもブルマを恥ずかしがる時代になっていたので、たまたま裸教育の学校だったので女子全員ブルマだっただけで、そもそもブルマになるだけでも照れる小学生も普通の学校では多いのだと思う。それが、裸教育なので仕方ないけれど、120㎝という小さなブルマにされて(幼稚園用が110㎝なので、いかに小さいブルマかわかると思う)、しかも、その小さな食い込んだブルマでブリッジでは、恥ずかしいと思っても仕方ないかなあとは思う。本当は厳しい練習なので、恥ずかしがっているのはダメな子で、恥ずかしくないぞと頑張れるのが強い子と思うのだけれど、やはり、ブリッジはエッチだなとばかり思ってしまい、ブリッジで体が苦しくなるのと同時に、恥ずかしさに涙が出そうだった。それでも、幼稚っぽく、ツバメーと、良い子になりきってピーンとするよりは、恥ずかしくないとは思うけれど。

 でも、それでも水着で体操と歌をさせられた白木と比べると恥ずかしさは半分だなと思う。プールでもないのに水着にさせられたら、恥ずかしくて、歌とか運動以前に、それだけで赤面してしまいそうだ。しかも小さなサイズのスクール水着で見るかに幼稚っぽいと思う。大勢の一般の人の集まる場所だけに、さすがに裸にされなかっただけ、ましだと思う。もし、ブルマ1枚とか素っ裸で同じことをさせられるとしたら、ドキドキしてすごく辛かったと思うので、その意味では体操服をきちんと着てるだけマシなんだと嬉しかったと思う。

 歌は「もみじ」と決まっていて、照る山もみじーと歌うだけだが、人前で歌うのは、やはり恥ずかしいと思う。運動は全部で5分ほどで終わるけれど、5分間はじっくりと体操着を見られるので、まるでブルマを見せてるみたいで、幼稚っぽいなあと思った。体操着が小さいので、ブリッジの最中に「おへそ」が見えてしまうのも、仕方ないけれど、恥ずかしいなあと思った。本当のくノ一なら、忍術を使ったり、空中を飛んだりするのかもしれないけれど、「透明忍術」と言っても、所詮は学校で習ったマスゲームで使う技を見せるだけなので、地面の上で頑張るかんじで、大勢から見下ろされている気がするのも恥ずかしさの原因かもしれないと思った。サーカスみたいに、空中を飛んだり、本当にすごい技を見せるなら、かえって恥ずかしくないのかもしれないけれど、幼稚っぽい子供らしい技ばかりなので、余計に恥ずかしいのかもしれないと思った。それから、30秒ブリッジの後は、30秒は片足を上げるブリッジというのも、人前で大股開きをしてる子供みたいで(実際に開いてるんだけど)、かなり恥ずかしいなと思った。

 ともかく、人前で頑張る度胸はつくし、本人のためになることかもしれないけれど、午前中はみんな「恥ずかしかったね」と帰りのバスの中で言っていた。透明忍術を全員が終了してから、「この中で、素っ裸で、歌と体操のできる子はいるか? いるなら手を上げてみろ」と先生に言われたけれど、手を上げたのは白木だけで、みんな≪やだ、この子信じられない≫という顔をしていたと思う。「そうか、偉いぞ」と白木は先生に抱きしめてもらい、結局裸にはされず、そのままバスに乗り込んだのだが。おそらく、駅や人の集まる場所で子供を裸にするのは許可が出なかったのだと思う。それからクロッツ走が逆にできたのは地元の人の合意が既にできていて毎年やってるからだと思う。あと10年前なら子供を駅や店先で素っ裸にして頑張らせることも許可されたのかもしれないけれど、麻衣の時代は一般にはブルマ廃止後のうえ、ブルマになる子供なんて短距離走とかの陸上部の子供くらいだったし、そういう時代に子供を裸にしようとしても地元の合意は形成されないのだと思う。逆に言うと、もう10年昔なら、全裸で透明忍法をさせられた可能性も十分にあったと思うし、全員本当にしたと思う。

 午後からは、くノ一らしく「ドトンの術」をさせられた。でも、そんなにカッコいい術ではなく、ブルマだとブルマが汚れるから(合宿中は洗濯はしないので、くさくなりがちなので、もうどちらでもいい気分だったけれど)と、全員部員は素っ裸で学校の裏に集合をした。そこには小さな畑があり、小さいとはいっても10メートルほどの幅はあり、昨日の部員全員の作業で50㎝くらいの畝が4つ掘られていた。

 「くノ一忍法、ドトンの術~」と女子全員が大声で言わされて、「エイエイオー!」を何度もした後、全員きおつけをさせられた。素っ裸でも、誰も野次馬のいない学校の裏なので、恥ずかしくはなかったけれど、きおつけで目を閉じるよう言われ、全員がガムテープで目隠しをされた。目に砂が入ると厄介だからと言われ納得した。それから、手足を紐で縛られて、まるで誘拐されて立たされてる子供みたいな姿にされた。中1くらいで、手足を縛られ、目隠しされていれば、まさに誘拐された子供たちの集団みたいに見えるだろうと思う。

 見えないのでそのまま立っていたら、いきなり、体と足を2人で持たれて、畑の畝の中に横たえられた。それから、口にプラスチックのパイプをくわえさせられた。忍法なので竹が本当だけど、竹は調達できなかったので、パイプを切断したもので代用したと後で教えられた。そして、そのまま土の中に埋められたようだった。別にパイプのおかげで息は苦しくないし、畑の腐葉土も軽くて、すっぽりと埋められても重くもなく、呼吸しにくくもなかった。でも、縛られているので、ドトンの術が終わるまで、土の中から出れそうもなかった。昼食はバスの中でパンを食べただけで、すぐに埋められたので、まだ12時半くらいだったと思う。でも、土から出されてガムテープをはがされたときは4時くらいになっていたので、3時間以上、女子全員が土に埋められていたということになる。途中でにわか雨になったみたいで、パイプから水が入ってくるのは苦しいと思った。上手に吐き出したけれど、水も飲んだと思う。落雷の音がしたので、雷雨の学校の裏に、全員埋められていたことになる。まさか土の中に女子児童というか、中1がいるとは、誰も思わないだろう。忍術が終わると砂まみれで、体が真っ黒だった。足洗い場で洗おうとしたら、「今日の忍術が全部終わってから洗うように」と止められた。いつもは、ブルマで道路のガードレール代わりのパイプにまたがって運動とかをさせられてるのに、忍者の日は、またがらさせてももらえず、土に埋められて、ただの砂まみれの惨めな子にされて頑張ったので、メンタルトレーニングとはいえ、かなりきつい練習だった。恥ずかしい格好を男の子に見てもらうメンタルトレーニングも合宿中にあり、それも恥ずかしいと思ったけれど、生きたまま死体みたいに土に埋められて苦しみに耐えさせられるのも、かなりきつい練習だと思った。

 ドトンの術の後は、じっと土の中に寝ているという受動的な訓練から一転して、非常に苦しい体力を使う訓練だった。「危険なのは、わかっていますが、どうしてもやりたいので、自主的にやらせてください」と(誘導されて)言わされて、恐怖の訓練をさせられた。「自主的にやることだから、もしうまくいかなくても本人の責任だから、やるかどうか自分で決めるように」とか言われて、「やります」と全員が言った後で、給食室の裏のところへ連れていかれた。なんと、そこに女の子がようやく通れるくらいの半径のパイプが無造作に瓦礫とともに置かれてあった。パイプは2メートルくらいのパイプで、「くぐってみろ」と言われ、全員がパイプをくぐった。窮屈だけど、上手に手足を使うとくぐることができた。それで、忍法は終わりかと、案外簡単だなと思ってなめてたら、それは練習ということだった。

 その瓦礫の横に、危険だからか封鎖された穴があり、その封鎖している金属の網を取り外すと、小さな穴が現れた。「さっきのパイプと直径は同じだ。さっきの穴を通れたなら、この穴も通れるはずだ。女子全員、この穴を通ってもらう」と言われた。排水用に昔パイプを埋めた穴らしく、入り口に傾斜があるから、一度入ると、戻れないと言われた。パイプは運動場の下(深さ1メートルくらいらしい)を通っていて、学校から50メートルほど先の枯れた小川の草むらに出口があるらしい。穴の長さは200メートルないしパイプも案外太いけれど、途中で少し折れ曲がってるので、体の小さな女の子しか通過できないと言われた。「さっきの給食室のパイプをくぐった要領で頑張るように」と言われたけれど、「パイプはむしろ少し太いし、去年の子は全員通過した」とも言われたけれど、恐怖心は2メートルのパイプの比ではなかった。2メートルのパイプなら中国雑技団気分で通過できるけれど、運動場の下深くに埋められたパイプの中を通過するのだから、誰も助けてくれない。自力で通過するしかないのだ。

 地中のパイプの中はもちろん真っ暗で、去年よりも1年分パイプが古いのだし、崩れてきたらお終いだなと不安ばかりが強くなった。去年、通過した白木が言うには、パイプは這っていて体が姿勢的に苦しいのと、真っ暗で距離があるので怖いだけで、移動は簡単にできる。でも入り口付近だけ1メートルくらいは下り坂なので、一度穴に入ると逆戻りはできないので、覚悟を決めて入らないとダメと教えられた。通過しやすいように少し水を流しているので(ホースでちょろちょろだけど)、滑って、逆方向には進めないから、怖くなっても引き返そうとか思ったら絶対にダメだよと言われた。白木が言うには、難しいのは中のパイプが折れ曲がってる部分で、強引に体を押し込むような感じで、体を柔軟に使えば通過できるという話だった。焦ったりパニックにならず、落ち着いて体の柔さを生かしてタコみたいに通過するといいよとアドバイスされた。

 今日は地元の小学生たちが運動場では野球着でソフトボール大会をしていたので、まさか自分の大会をしている運動場の地下深くのパイプの中で、中学1年生の全裸の女子が必死に頑張って移動してるとは夢にも思っていないだろう。通過忍術というとカッコいいけれど、させられてることは危険で惨めな軽い命の子供たちということだと思う。もし地中で事故でも誰も助けに行けないのだ。溺れても、崩れても・・・

 そもそも、男子児童には年齢の大差ない(あるいは同じ)女子が、全裸で自分の近くにいるとは夢にも思っていないだろうし、女子が全裸で頑張らされてると知ったらエッチな気分で野球どころではなくなるだろうと思う。でも、全裸でも地中で訓練されているので、地上の野球着の男子は平和そのものだった。

 「みんな、怖いだろうから、わたしに一番先にやらせてください」と白木が言い、健気にも真っ先に穴に入った。入ったというより、滑り落ちていった。思わず大丈夫かよと不安になるほどだった。中が狭くて真っ暗なのも可哀そうだし、危険なのも可哀そうだった。5分ごとに穴から女子が自主的に滑り落ちて行った。麻衣は5番目くらいだから、と思ってたら、すぐに麻衣の番になってしまい、もう、ここまで来たらやるしかなさそうだった。「強い子になれ」と先生に言われ、「はい、女になります!」とか言って(男になります的な意味で、変な意味ではない!)穴に顔を入れたら、真っ暗だった。怖いのでドキドキしていたら、「さっさとやれ、バカもん」と叱られてしまった。半分くらい細いパイプに体を入れたら、先生に足を押し込まれたらしく、そのまま、穴の中を惨めに真っ裸で滑り落ちた。パイプは滑らかで、ツルツルしていて、「パイプもツルツル、ワレメちゃんもツルツル」とか妙な事をブツブツ言って怖さを紛らわせた。パイプの中は真っ暗で、というか真っ黒で、こんな狭く暗い場所へ子供を入れること自体が子供の虐待のような気がしたのだが、これもメンタルトレーニングなのだから強い子になるためには仕方ないことなんだと思った。この試練に耐えられない子はマスゲームを言われたとおりにやり抜けないのだから、強い子にするための穴なのだと思った。斜面が終わると、水流があるせいか、まるで水道パイプの中を進まされてるかんじで、時々深い場所があると泣きそうになりながら、水の中を潜り抜けた。折れ曲がった場所は狭くて、≪え、これじゃあ、先に進めないよ≫と思った。でも白木のアドバイスを思い出して、狭い場所に体を押し込むような感じで、死に物狂いで通過した。ここを通過できないと死ぬしかないので、本当に必死だったと思う。それからは、ひたすら真っ暗いパイプの中を進んだのだけど、パイプが長いので、永久に出られないような気分だった。進んでも進んでも真っ暗で、これなら昼間でも夜でも晴れでも雨でも無関係だった。自分の上方向の運動場では小学生野球をしてるはずだけれど、水の流れる音しかしなかった。パイプは相当に深いのだろうなあと思った。こんな怖いところを真っ先に去年も、実験で真っ先に通らされた白木は本当に勇気があるだなあと思った。男子でも、びびって泣いてしまう子もいるかもしれないほど、このパイプの中は恐怖だ。空気があるし窒息もしないのだろうけれど、全身、全裸で水浸しになって、ずぶぬれで真っ暗いパイプの中を這うのは、惨めな子そのもので、いつい試練なのは間違いないと思う。

 パイプで四つん這いになるには少し狭いので、結局はパイプを這いながら、ようやく反対側の小川の出口に出たときには、目は涙でいっぱいだし、ずぶぬれで恐怖から解放されて放心状態だった。「怖かったー」と泣きながら言うと、「よしよし」と先生に抱きしめてもらい、小さい小学生みたいだけど、とっても嬉しかった。≪いい子だったから、強い子だったから、もっともっと抱きしめて‼≫というかんじで、麻衣も先生にしがみついていた。他の子も抱きしめて、ほめてもらっていた。

 こうして全員無事に通過忍術に成功したのだが、この穴は万一子供が落ちると非常に危険だからと、翌年簡単な金具も外されて、入り口と出口付近は埋められてしまった。この穴を通過させられたのは、結局去年の1年生のころの白木たちと、現在の麻衣たちだけということになる。出口の方も小さなパイプで、こんな小さなパイプから女の子が出てくるなんて、不思議な気分がしたのをおぼえている。出口付近で数人終わるまで待機させられたので、他の子が放心状態でパイプから出てくる全裸姿を見て、≪かわいそすぎる≫と思った記憶がある。途中、僅かとはいえ、水中を進んだり、折れ曲がった場所を体を折り曲げて通ったりと、少女地獄のようなトンネルだった。出口で待っていると、≪よく、こんな小さな穴の中を通りぬけられたなあ≫と、自分でもびっくりしてしまほどだ。ここを全員通過した女子が全裸マスゲームをさせられたのだから、マスゲームも強い子で最後まで頑張りぬけたのも当然だと思う! 穴をくぐりぬけたから、穴を開いて頑張れたんだと思う!



 32、裸教育のプラス面とマイナス面

 メンタルトレーニングの厳しいこととか、今思えば結構厳しい裸での訓練のことを色々書いたが、こどもを裸教育することは、こどものためになるかということについて書いておきたい。それは、経験して実際に結果としてよくわかることで、させられてない人の想像と実際はかなり違うと思う。

 まず、プラス面から言うと、健康になったというか、体力がついたこと。やはり裸教育だと、寒気や直射日光など、体に直接あたるので、鍛えられるというか、風邪をひきにくくなるというか、ようするに体力がつくんだと思う。また、嫌な事でも、すぐに投げ出さない精神力もつくと思う。

「12才くらいのころに、裸教育で学校でブルマ1枚にされてたんだ」とかと人(友達など)に話すと、たいていは、「やだ、可哀そう」と言われたことが多い。経験のない人にとっては、女子が裸にされることは、恥ずかしいだけで、可哀そうという結果になるのだろう。でも、実際には、可哀そうではない。もちろん人前で裸で発表する場合などは、最初は恥ずかしくて、どきどきするし、うまく最後まで裸でやりぬけるか緊張と不安と恥ずかしさで、ふうふう息をしてる感じで、実際に体も心もとても苦しく、麻衣と同じ状態にみんななってるのなら、可哀そうなこどもたちというのは本当だと思う。でも、運動会だけでなく、何度もあちこちで裸で発表させられてると、裸の発表でも、そんなには苦しいと思わなくなるから不思議だ。他の部員も、最初の発表のときは、肩でふうふう息をしてて、終始苦しそうだったのに、2度目の時は興奮して緊張してるけど、そんなに苦しそうな体には見えなかった(真っ裸なので、体の状態はよく分かる)。3度目のときは、うまくできるか不安なだけで、発表前でもみんな笑ってるくらいだった。学校で顧問の先生に「どんな者にもなれる(成れる)し、どんなものにもなれる(慣れる)」と教えられたが、本当にその通りだった。最初は裸にされる辛さばかりで、可哀そうかもしれないけれど、次回からは辛さは減るし、回数が増えるほど、体の苦しみは減るということだ。1度目の発表は緊張と恥ずかしさにこわばっていた発表も、回数を重ねると、より自由にのびのびと発表ができるようになる。もう3回目くらいだとこどもはのみ込みが早いのか、素直に教育されてしまうのかは分からないけれど、ブルマ姿(ブルマ1枚姿)でも、ワレメ姿(全裸姿)でも同じという気分になってくる。むしろワレメで頑張る方が、ありのままの自分を全部見せて頑張ってるんだという、すっきりした気分になる。体操着なら体操着でいいけれど、ブルマ1枚にされるのはいかにも中途半端で、やはりどうせ裸にされるなら、真っ裸の方が、より自分を見てもらえるんだと嬉しいんだと思う。自分のワレメちゃんを見てもらって頑張る方が、隠し事がないし、全部知られてしまうという恥ずかしさと引き換えに、厚着でも震えそうな寒い冬なのに何も着てはいけないという厳しさに負けてない子と思ってもらえる。≪こんなに厳しくされても、負けないこどもなんだ≫と思われてるだろうという嬉しさは、やはり中途半端にブルマ1枚にされてるよりも強いと思う。

 マスゲームの発表も3回目くらいだと、もう≪ブルマなんて、自分を見てもらう発表なのに、穿く方が変!≫と思えてくるほどだ。それはそうだ。先生に「マスゲームは技を見せるだけでなく、自分を見せる発表なんだよ」と教えられていたのに、ブルマで自分を隠してしまったら、本当の自分を見てもらえなくなると思う。やっぱり、ありのままの、真剣で必死なこどもの姿を全部楽しんでほしいし、分かってほしい。こどもだから、大人にわかってほしい、理解してほしいという気持ちが強いのか、自分の体も心も全部知られてしまうのは、恥ずかしさとか惨めさもあるけれど、それ以上に嬉しさが強いのだ。やっぱり、そこらへんは、まだ純真な中学生なんだなと思う。真っ裸でセクシーな惨めさ満点なこともさせられるので「自分の秘密を知られちゃったね」「恥ずかしかったね」とか友達と発表後話したけれど、みんな目はきらきら輝いてたし、強い子になりきれた嬉しさがあるみたいだった。やはり自主的に池とかで素っ裸で遊ぶ子供もいたほどなので、やはり子供なので裸になるのは、それだけで生理的に快感があるのだと思う。恥ずかしいことをするのも、最初は恥ずかしくても、良い子で、健気に従順にさせられてる姿を見せてるのは、「わたしは、こんなにいい子です」と言ってるのと同じで、やはりこどもには嬉しいことだと思う。従順で素直で可愛いねと思われて嫌な女子は少ないと思う。もちろん、さらしものみたいで嫌な女子もいることは分かるけれど、少なくともマスゲームをさせられていた女子たちは、≪かわいいと思われるなら、少しくらい惨めな子にさせられてもいいかな≫と思っていたと思う。麻衣はそうだったし、2度目の発表の時には、可愛いと思われるなら全部見られてもいいなと思っていた。

 以前書いたように、駅とか人の多い場所で一人でブルマの体操着姿で体操するという恥ずかしいことも(メンタルトレーニングで)させられたけれど、やっぱり、そういう恥ずかしいことは幼稚で恥ずかしさの十分理解できない子供でないと出来ないと思う。こどもだから、させられても、負けずにできるので、大人だと出来ないことと思う。だからこそ、≪こどもなんだ≫とか≪まだ純なんだ≫とか思ってもらえるし、こどもと思われることは圧倒的に若いと思われるということなので、やはりかっこいいと思う。今思うととっても恥ずかしいことでも、できたのは、まだ何も分からないこどもだったからで、エッチな姿だなとは思っても、どうしてエッチなのかとか理解できないからこそ、恥ずかしさ満点なポーズ(ブリッジや、半ブリッジなど)もできるのだと思う。ブルマでブリッジして、片足を上げる技などは、今思うとエッチだなと思うけれど、当時は「こんな技ができるんだぞ」と、けっこう自慢だったと思う。

 それと、どんな場所でも、言われれば即座に「蛙逆立ち」できる子にしつけられたけれど、ブルマ姿で合同練習の移動中に駅のプラットホームで先生に「全員、蛙逆立ち」と言われたけれど、全員即座に蛙逆立ち姿になって、麻衣も負けずに蛙逆立ちしたのが中学時代の思い出になっている。もちろん他の人もいるし、恥ずかしかったけれど、他の女子も全員されられてるので、麻衣だけやらないわけにいかないし、他の子たちと一緒に駅で(蛙逆立ちで)股を開いてるのは、≪良い子にされた≫と嬉しかったと思う。先生は普通の私服姿で、恥ずかしい女子たちから少し離れた場所で見てるだけだった。「蛙逆立ちする時は、お尻の穴を開くと、より強い子になれて、自分のためになるんだよ」と教えられていたので、多分股を開いただけでなく、肛門も開いていたと思う。他の女子はどうだったのかは分からないけれど、麻衣はそうしなくてはダメなんだと思っていたので、開いた。駅で肛門を開いてる麻衣の顔は、多分幼稚園児みたいな顔をしていたと思う。自分でも幼い心になってるなと、させられながら思ったほどだった。

 逆に裸教育のマイナス面としては、高校生になっても、高校を卒業しても、いつまでも子供気分が抜けないことだと思う。裸教育の全裸発表で、毛が生えていると子供らしくないという理由で、全員ツルツルのワレメに毛を剃られてから発表をした。何度も剃ったので、最後は毛が生えなくなってしまった。だから、現在でも、麻衣は小学生みたいに髪の毛以外には毛が生えていない。心だけでなく、体も(毛だけとはいえ)変えられてしまったのだと思う。それに、体だけが幼稚なだけでなく、心の中も、いつも大人ぶって大人らしく振舞ってるだけで、実際は小学生のままにされてしまったと思う。要するに、裸教育されると、いつまでも子供気分が、体も心も抜けきらないということだ。顔も小学生みたいに幼稚っぽいままだ(写真は、短大1年生当時の麻衣の顔)。今でも子供服や体操着だと嬉しいし、子供服姿でいると小学生と勘違いされることもある。体形も幼いと思う。でも、体形が幼いままなのは、裸教育のせいなのか、そういう子というだけなのかは分からないけれど、心の幼稚っぽいままなのは裸教育のせいだと思う。

 そういえば、昨日のこと、「かのやばら園」という場所に友達と遊びに行った。普通にしゃべったり、写真をとったり、アイスクリームを食べていたりした。ばらも綺麗だった。ところが、ばら園の温室が2棟ある場所に、運動会みたいに三角の旗が吊るしてあった。その旗を見た瞬間に、旗を見ただけなのに、条件反射的に素っ裸になりたくなってしまった。これも、裸教育のマイナス面だと思う。素直な良い子ほど、裸教育で、どんどん裸が好きになる(やみつきになるだけなのかもしれないが)んだと思う。先生から何度も何度も「裸になるのは、強い子でかっこいいんだぞ」と教えられると、先生に言葉でマスゲームをやりぬけるように洗脳されてるんだと思っていても(そのくらいはこどもでも分かる)、実際にかっこいい気がしてきて、自分のかっこいい姿を大勢に見てほしいと思うように心が変化していくから不思議だと思う。一番恥ずかしかった運動会での発表の時に、恥ずかしくて素っ裸で整列中に三角の旗ばかり見ていたから、三角の旗が強く記憶に残ったのだと思う。運動会以降は、三角の旗を見るだけで、≪やだ、えっちだな≫と思うようになった。友達とワレメちゃん丸見えで緊張で震えていたとき見たのが三角の旗なので、やはり記憶に残るのは当然だと思う。ばら園に旗の下に花が咲いてるみたいに、麻衣たちは旗の下でワレメを見てもらったのだから。

 三角の旗を見たら、条件反射で≪いま裸になって、ワレメを丸見えにする技を見られたい≫とか自然に思ってしまうのだから、まるで全裸の赤ちゃん体操をさせられてる幼児と精神的には大差ないと思う。大人や男子の見てる目の前で、半ブリッジ(ひざを土につけたブリッジのこと)を、発表の女子中学生全員がさせられて、観客の目の前に、女の子のワレメちゃんを突き出したのだから、今思うとエッチだなと思う。半ブリッジでエビぞるから、自分では分からないけれど、たぶん、女子の性器の中身(陰核包皮。つまり、女の子のおちんちん)まで、見てもらったんだと思う。旗を見たくらいで、セクシーにエビぞってる自分の姿がフラッシュバックしてしまうのだから、そして大勢に「やだ、このチビッコたち恥ずかしい。見てる方が恥ずかしいね」とか「こどもだから許される姿だね」とか言われて笑われてる自分が思い出されてしまうのだから、そして小学生の男子には「惨めなやつ」と言われて涙ぐんでる自分が思い出されてしまうのだから、やはり裸教育はプラス面もあるけれど、けっこう強烈な体験なのは間違いないと思う。男子はプール掃除とかで素っ裸でもおちんちんをプラプラさせて喜んでる子もいたけれど、女子はプラプラさせる自慢なものもついていないのに丸出しにさせられるのは、恥ずかしいだけと言えなくもない。しかも、全裸マスゲームの緊張で性器が幼児みたいに小さく縮み上がってるから、体形や顔も幼児同様に変えられて頑張らされた女子ということになると思う。マスゲームの女子は本当にびっくりするくらい、幼く見えた。麻衣もそうだったんだと思う。

 平和なばら園の三角の旗を見てると、≪中1のころは、こんな三角の旗の下で、本当に真っ裸にさせられて、女子の性器丸見えの技を披露していたんだな≫と、こどもとはいえ、信じられないことをさせられていたのだと、少し興奮してしまった。≪よく、そんな恥ずかしいことを、本当にしたものだなあ≫と少しボーっとしてしまった。でも、そんな信じられないことでも、「はい」と素直に大きい声で返事して、やりぬくから、強い子だし、健気な女子中学生なんだと思う。それに負けてる子では、だめなんだと思う。次回からは、いよいよ運動会のことを書きたいと思う。

 最後に今はもう直接麻衣のワレメちゃんは見せられないけれど、麻衣の「形くっきり」の写真を見てください※。フェイスブックでも「形くっきりだね」と笑われたけど、こどものころの写真だし、実際の麻衣の姿なんだから仕方ないと思う。裸教育の成果で恥ずかしさに負けない子に育ったという意味でおおぜいに見て、強い子だと思ってほしいです。ぼくの形も顔も恥ずかしがらずに見てください。

※注・このブログでは写真は省略してあります。他も同様です。ただ、写真の一部は公開中なので他でご覧ください。


33、運動会まで

 最初、基礎体力作りトレーニングばかりだった、まるで陸上部のようだった体操部(集団体操部)の部活だが、夏になろうとするころからは、どんどん体操部らしい技の練習になっていった。といっても、男子のようなカッコいい跳び箱や、鉄棒の技とかでなく、運動場の砂の上や、体育館のマットの敷いてない木の床板の上でする、主に柔軟性を重視する技が多かった。かなり練習してできるようになった技も、すぐにできた技もあるが、全部、運動会や部活発表会や他校との合同発表会でする技ばかりなので、全員できないとマスゲームにならないので、期日までにできるまでさせられた。麻衣(下写真)は、決して体が硬い子ではなかったが、中国人や一部の子のように最初から非常に柔らかいというほどでもないので、ブルマ1枚で土の上や床板の上で、結構苦しい姿勢にさせられると大変だった。月1回の1年生の学年紙「道しるべ」(紙1枚の簡単な学校新聞)6月号に、麻衣は運動場で他の部員3人とブルマ1枚で「きおつけ」で立った状態から、股を左右に目一杯広げていき、最後に手を左右にまっすぐ伸ばし、前方を見て1分耐えるという技を(練習で)させられてる写真が載せられた。ブルマ近くの太ももの付け根が大きく窪んでることからも、かなり大変な技と写真を見るとわかると思うのに、その写真には説明文に「裸教育で夏に頑張る! もう痛くない!」と印刷されていた。ブルマ1枚で(子供っぽいという意味では)中学生にしては、かっこ悪い姿の写真がのせられて恥ずかしいうえに、事実と異なることが書いてあるので、≪なんおこっちゃ≫と思った記憶がある。前半はその通りで、特に何も言いたいことなかったけれども、後半の「もう痛くない」というのは真っ赤な嘘で、実際には全員マタが痛くて泣きそうになっている姿だったと思う。それが分かるのか、クラスの男子に「久保田が涙ぐんでる。マタが痛いんだって」と笑われてしまった。実際に麻衣の目に涙が溜まってるのが、先生が一眼レフで撮影した鮮明写真のせいか、はっきり分かる。最初は良かったけど、1分もだと、だんだん辛くなってきて、目に涙が滲んできた最後ごろに1枚撮影されて、それから「やめ」と言われたので、一番恥ずかしいところを撮影されてしまったと思う。麻衣は1番右側で、部員全員で練習してたけれど、撮影されたのは麻衣を含む3人ということだ。そのころは柔軟の技ばかりさせられて、「女の子の体の柔らかさをみんなに見せつけろ!」と言われて練習に励んでいた。えびぞったり、マタを開いたり、恥ずかしい格好ばかりだったので、≪これを人前でさせられるのは恥ずかしいな≫と練習しながら、時々思ったものだ。

 そして運動会が近くなると、部活発表会が先にあるので、その練習をさせられた。部活の時の服装で、部活の様子を再現したり、部活の内容を説明して全校生徒に見てもらうという発表会だ。ただ、部活発表会は発表は運動部だけだし(文化部は別の機会に発表がある)、1つの部の発表時間はわずか5分ほどなので、たいしたことないと言えば、あまりたいしたことない行事だった。運動会で幾つかの運動部が発表するので、その予行練習みたいなものという話だった。それに運動会は裸にされたけれど、部活発表会はブルマなので(ブルマ1枚姿なので)、小6のときの延長みたいな気分で、あまり≪恥ずかしいことをさせられた≫というようなショックはなかったと思う。一番恥ずかしいのが水泳部で、水着なので、みんなに「みじめ」と笑われていた。女子も水着だと体の輪郭は分かるけれど、普通のスクール水着なので、露出してるのは手足とかだけなので、みんなの言うほど「みじめ」でも「エッチ」でもないと思った。あのくらいでエッチならば、学校なんてエッチなことだらけだと思う。でも、男子は上半身裸の水着なので、少し露出が多く、異性の見てる前で海水パンツ1枚(サポーターをはいてるので、実際には2枚)なのはエッチに見えないこともないと思った。麻衣の好きなタイプの男子とかが海水パンツで発表してるのを見て、≪わあ、恥ずかしいんだ・・・≫とか思った記憶がある。でも、それでも、体を隠す面積的には麻衣たちと大差なくても、本当にブルマ1枚で、しかも小さいブルマでお尻が見えている(ブルマは上の方ではくように言われていた)麻衣たちほどは恥ずかしくはないなと思った。運動会は裸にされるという噂は知っていたけど、まだ先のことだし、実際に過去の中学の運動会を見たこともなく、噂は半信半疑で、「部活発表会はちゃんとブルマ姿じゃないの。本当に運動会って、裸にされるんかな」などと友達と話したりしていた。ブルマで頑張るのは恥ずかしいけれど、ワレメで頑張るほど恥ずかしくないし、時間も短いので、素早く発表すれば、そんなに恥ずかしくないと思われた。体操着姿で運動場に自分で運んだ椅子に座って、他の部活の発表を見ていた。女子テニス部はブルマの1年生はいいけれど、テニスウェアの2年生、3年生は、ストレッチをしてみせるとき、白いパンツが丸見えになるので、「恥ずかしいね」と笑われていた。「ブルマは恥ずかしいと言うけれど、テニスウェアの方が恥ずかしいね」と友達と話していた。運動部は男子は最初の方で、白い短パン1枚になって、立ったまま様々な運動をする(体をひねったり、ジャンプしたり)ので、面白いねと人気のある発表だった。でも女子の体操部の発表は最後から2番目なので(一番最後が陸上部女子)、自分たちの発表が終わるまでは、少しドキドキした緊張状態で、「最初に発表して、あとは気楽に見てる方が楽だね」と前日に友達と話していた通りになった。体操部女子は部活発表会の前に、部室に下着は置いてきているので(部活の時と全く同じ服装と決まっているので)、見た目は他のクラスの女子と同じでも、他の女子たちは下着を着ているけれど、麻衣たち体操部員は下着を着ていないという違いがあった。また、ブルマも他の女子は150㎝、160㎝というサイズの大きなブルマを着用しているのだけれど(サイズは自由なので)、麻衣たちは部活専用の120㎝という小学校低学年用のブルマを穿いているので、実はお尻がはみ出していて、ワレメも布に食い込みがちで、似て否なるという感じだった。でも、とりあえず同じ体操着姿の見かけなので、安心感があり、けっこう(運動会とは違い)部活発表会は見て楽しめたと思う。

「次は女子体操部の発表です」というアナウンスがあり、椅子に座ったままサッと半袖シャツを脱いだら、周囲に笑われたので、≪あれ≫と思った。上半身裸になるのは水泳部の男子や体操部の男子だけだけれど、少なくとも麻衣たちだけではない。水泳部も男子体操部も脱ぐときに(体操着の下に水泳部は男女共に水着を来ていて、脱ぐだけだったし、男子体操部は単に半袖を脱ぐだけだった)笑われていないのに、どうして麻衣たちだけが体操着を脱ぐのを笑われるのか少し理不尽な気がした。しかも、脱いだ後も「小さい子供が裸にされてる」「やだ」とかクスクス笑われていた。体操部は外見の幼い小さい子が多くて「幼児部」とかと冷やかされることもあるし、中学生時代は成長が早いので3年生は非常に大人っぽいけれど、1年生は小学生みたいに幼い子供に見えるのだろうけれど、クスクス笑うほどでないと思った。それに、笑ってる1年生の男女だって、つい半年前までは全員ブルマ1枚(短パン1枚)で学校生活をしてたのだから、麻衣たちと五十歩百歩だと思う。麻衣の目からも大人に見える上級生から笑われるならともかく、似たようなクラスメイトからまで笑われるのは理不尽な気がした。でも、考えていても仕方ないので、脱いだ半袖シャツを椅子の上に置き、立ち上がって出番を待った。半袖シャツを着ているとブルマのサイズの小ささは目立たないけれど、いったん半袖シャツを脱いでしまうとブルマの小ささが際立つなと思った。それは麻衣だけでなく、他の起立してる女子も同じで、男子水泳部の海水パンツよりも小さいと思う。何となく男子水泳部と同じ服装にされてしまった赤面な女子たちという気分もしたけれど、でも男子のは運動場では恥ずかしい水着だけど、麻衣たちのは運動場では普通のブルマだ。あくまでもブルマであって、水着でないのだから、男子ほどはエッチではないと思った(というより、そう自分に言い聞かせた)。

 それから「集合」の合図があり、女子部員は一斉に椅子の場所から運動場中央へ走り出た。男子体操部のように運動を実際にして見せるとかではなく、麻衣たちは「きおつけ」をしていて、部長の白木が部活動の練習方法や運動会への抱負を話していて、麻衣たちはそれを聞いているだけだった。ブルマが小さいので、おへそ、お尻、乳首とかは見えてるけれど、そんなのは6年生時代には普通のことだったし、気分も外観も小学生時代と大差なく、たいして恥ずかしいとかいうふうには思わなかった。他の女子も案外ケロっとしていて、やはり小学校時代の裸教育の成果というか、小学校時代の裸の学校生活が効いてるんだな、と麻衣は思った。もし裸教育が盛んでない地域で中1の子が半袖を脱げと先生に指示されても、恥ずかしくてなかなか脱げないと思う。実際そんな指示はされないのだから、もし、なんていう話をしても仕方ないことではあるのだが。「きおつけ」が可愛いと、後で言われた。幼児のような背筋をそらせたきおつけだからかもしれない。前半3分は聞いているだけだが、後半の3分は1分間の蛙逆立ちと、40秒の片足上げブリッジをした。もちろん素足である。そのあとが少し恥ずかしかった。「わたしたちは、こんなに健康に成長しました。健やかな、わたしたちの体と心を見てください」と白木がアナウンスすると、校長先生や大勢の学校の先生がいる白いテント(そろそろ運動会なので出してある)へ走って行って、先生たちが座っている椅子の前に置かれた長いテーブルの上に乗り、仰向けに寝て「きおつけ」をするのだ。

 

 いくら中1の小さな子供とはいえ、先生たちいるテーブルの上に、ブルマ1枚で寝るというのは、かなり恥ずかしい。幼稚っぽい幼児か赤ちゃんみたいな行動に見えると思う。ブルマが小さいので、ブルマ姿とはいえ裸に近いし、運動の後なので、体にブルマが深く食い込んでいる。ブルマとはいえ、先生からは、女の子特有のせいきの形がくっきりなのだ。そして、「はじめ」と言われると、バンザイをしてから、お腹をぐっと持ち上げて、上半身をお尻の山と後頭部だけで支える。そして「はい」と言われると(合図)、部員全員声を合わせて「わたしたちは、こんなに大きく成長しました。強い子ですか」と言わされる。「チビッコが変な事をさせられてる」と他の生徒の言う声が聞こえた。そして「よし」と言われると、再び「きおつけ」に戻った。最初と同じ姿勢だが、させられてることが恥ずかしかったのか、目が涙でいっぱいなのと、ブルマが少し濡れていて恥ずかしかった。もちろん先生からも、それは見えたのだろうなと思う。そして、「はい」と言われると、サッとうつ伏せになり、きおつけをした。そして「やれ」と言われると、全員テーブルの上で「つばめ」をさせられた。エビぞって手足をピーンと伸ばすのだ。麻衣は気持ちよかったのか、思わず「あん」と変な声を出してしまい、目の前の先生に笑われてしまった。気持ち良かったのか、手の指先を真っ直ぐに伸ばしただけでなく、足の指先までピーンと伸ばして、足を少し開いてしまった。≪テーブルとセックスさせられてる女子中学生みたいだなあ≫と思った。どうして、恥ずかしいだけの技なのに気持ちいいと感じたのか自分でも良く分からなかった。さらに、「やれ」と言われると、今度は体をエビぞらせて、両手と太ももで体を支えて、頭と足の裏をくっつけるという「舟」という技をさせられた。全員できるようになるように厳しく練習させられた、とても辛い技である。麻衣は、ませていたのか≪まるでテーブルとセックスさせられてる子供みたいな格好だな≫と思った。実際にせいきをテーブルに密着させてエビぞるのだから、やらしい目で見れないこともないけれど、真剣に女子が頑張ってるのに、そんなエッチな目で見る先生なんていないだろうな、とも思って頑張った。小さなブルマ1枚の体で、先生の目の前で、恥ずかしい技をさせられて、とても幼稚っぽく見えただろうし、生きたオモチャになりきらされてる惨めな子供だったのかもしれない。ブルマ1枚の小さな体で目一杯がんばる生きたオモチャにされたけれど、そのことで、本番の厳しいマスゲームの発表にも負けない強い心に育ったのだと思うので、麻衣たちにテーブルの上でやるように指示した顧問の先生に感謝したいです。他の子も「テーブルの上に女の子のなまの体を乗せて、恥ずかしいセクシーな格好になるのは、はしたないし、生きたオモチャみたい」と言っていたけれど、興奮で目はきらきら輝いていたし、負けずに恥ずかしい子になりきれた惨めな嬉しさに、「もっと、させられたい。もっと、厳しくされたい」とも言っていた。最後に「やめ」の合図で、舟をやめ、「集合」の合図で再び運動場中央に集まって、そこから行進して、めいめいの席へ戻った。クラスの男子に発表後、「あんな、さらしものみたいなことをさせられて、恥ずかしくないのか」と言われて、≪恥ずかしいに決まってるよ≫と思ったけれど、放心状態になってしまい、その後は下校時間までボーっとしていたと思う。行動はきちんとしたけれど、頭の中は強烈な体験にテーブルの上の後も自分を見失ったままだったのだと思う。そんな恥ずかしいことを指示する方も指示する方だけど、それを素直に本当にやる方もやる方だと思うかもしれないが、4月から毎日部活で洗脳されていき、≪指示通りできないくらいなら、生きてる値打ちがない≫という考え方に心を改造されていたのだと思う。自分でも洗脳されてるとはわかってるけれど、実際に指示通りすると気持ちいいので、それを体が覚えてしまうので、指示に逆らえない子に変えられてしまうのだと思う。粗末に扱われて、体罰でぶたれたり、踏まれたりして、もっとひどいこともされて、女子全員が指示通りオモチャのように頑張る惨めな嬉しさから抜け出せなくなるのだと思う。恥ずかしいとか、エッチとか、惨めとか、分かっていても、それでも「やれ」と指示されて、「はい」と必死にやり抜くのは気持ちいいと、だんだん体に教えこまれていくのだと思う。集団でさせられると、全員惨めな子にさせられるのが、快感というか、脳が痺れるような気持ち良さに結び付いていくのだと思う。こうしてブルマの部活発表会も終わり、いよいよ部でも運動会の練習をすることになり、「はい」と大きな声で返事できないだけでビンタされるなど、ますます厳しくなったと思う。≪もし、ぼくが指示通りできない時は、すぐにお尻たたきをして、良い子に育ててください≫と心の中で思って、部活を頑張った。強い子ですか?


 34、部活発表会の翌日

 部活発表会の翌日に同じ部の友達と放課後に話していた。部活(数日後に迫った運動会の発表の練習)まで20分ほど時間があり、すでに準備をすませたので暇だったせいもある。

 「前半は、確かに楽だった。白木の嘘臭い話を聞いてるだけだったから。でも、白木が話してるのを聞いてると、だんだん、そんなような気分で部活してきたような気になるから不思議なのら、ららら・・・」と、華子は発表の前半の気楽さが面白かったようだった。

 「らーちゃん(華子のこと)、確かにそうだね。他の部は、最初から最後まで必死で部活の良さをアピールしてて、5分以上7分以内という持ち時間をフルに使って、必死に大声を出してみたり、必死にストレッチしてみせてパンツ丸見えだったり(女子テニス部のこと)、変な体操をずっとさせられたり、水着で運動場で泳がされたり、間抜けなアピールを頑張らされていたもんね」

 「そうなのら。うちらだけだよ。すまして部長の話を聞いてるだけの部は。みんな、≪は?≫という顔してるのが愉快だったのだ。きゃはは」と、面白ければそれでいいという軽い人生観の華子は無邪気に昨日の部活発表会を思い出しているようだった。

 「みんな燃えてるとか、もっともっと厳しくしごかれたいとか、泣きだすまで厳しくされたいですとか、白木の言うことも面白くてハナはうけまくりだったのれすぅ。きゃはは」

 「らーさあ、ちょっと笑いすぎだよ。一応部長なんだから」

 「部長と言っても、先生に一番洗脳されてて、先生の操り人形みたいな部長だから、人間というよりはマリオネットなのだ。それに、誰も部長なんて慕わず、コドモだの、チビだの、マゾだのって、子供の部員に子供扱いされてる部長なんだから、白木で十分なのだ」

 「それも、そっか・・・」と麻衣も納得してしまった。

 「それから、あの白木の真剣そのものという口調も面白くて、ハナはうけまくりだったのら。普通に言えばいいのに、どうして、あんなに真剣な、真剣でないと死んでしまいますみたいな口調で話す必要あるのかなあ。しかも、どうせ先生から言えと言われたことを言ってるだけだし。でも、白木が自分で考えた部分もあるとハナには分かったんだよ」

 「へえ」と、麻衣は少し感心した。麻衣は後半が恥ずかしいなと緊張してたので、華子のように部長の様子を楽しんでいるどころではなかったのだ。それを華子は楽しんで面白がってるどころか、白木の発言内容の分析までして聞いていたとは・・・

 「あの、白木が『もし、部活で指示された通りにできないのなら、良い子になるまで、素っ裸にされてお尻をぶたれたいです』と言った部分は、白木が考えた部分だよ。あの子はマゾっ子だから、お尻が真っ赤になるまで尻たたきされて反省させられるのが夢なんだ。でも、よく自分の願望をそのまま言ってしまって恥ずかしくないものなのら、きゃははは」と、あくまでも他人事のように発表会を振り返っていた。

 「うん、そんなこと、言ってたね」

 「どうして前半、あんなに甘かったか分かる?」

 「え、そんなの分かるわけないよ。どうして?」

 「それはね、中学生なのに女子ではうちらだけ上半身裸にされたんだ。だから、裸にされて厳しい分は少し甘くして他の部とのバランスをとってるんだよ。表向きは、どの部もとても厳しい学校という建前にしたいのに、女子体操部だけ特別厳しいと思われたら、他の部にしめしがつかないから、わざと甘くして、他の部とのバランスを先生が考えた結果なんだよ」と、華子が妙に論理的なことを言うので、麻衣は感心してしまった。

 「なるほどー、だから前半は甘かったということなんだ・・・」

 「そうなのら。差し引きゼロみたいに見えるように上辺を調整してあるんだよ」

 「でも、後半の発表は大変だったよ」

 「それは、前半は立ってるだけだから、もうバランス上は十分という考えなんだ。実際は女子中学生を脱がせるのだから、セクハラというか、人権侵害というか、とても酷いことをされてる訳で、だから半袖シャツを脱がされた時点で全然バランスなんて取れないほどかもしれないけれど、表面的には≪なんだ、けっこう女子体操部は甘いじゃん≫と生徒たちは思うから、上辺としては十分なんだよ」

 「じゃあさ、他の部は、どこも運動場の真ん中あたりで、歌ったり、踊ったり、体操したりと、発表してたよね。どこも生徒が生徒に部活の様子を紹介してたよね。それなのに、どうして麻衣たちだけが、先生たちの目の前で発表させられたのかな?」

 「それは簡単なのだ。他の部の生徒には、親もいるし、普通の子だから大事にされてるんだよ。人権があるんだ。だから、上辺は厳しくても、体力的には大変でも、でも本当にはプライドが傷つかないように配慮してもらってるんだよ。でも、うちらは孤児部と言われてるように、孤児とか、形だけの親とか、文句を言ってこないような子供ばかりの部なのら。実際に過半数は孤児院とかで、孤児院では学校以上に虐待されてるんだろうから何も言わないだろうし、残りも誰も文句を言ってこないような子ばかりなのら。だから、人権なんてないんだよ。先生が言うような、『ハンディキャップのある分は将来のために厳しくする』と言うのは、建前で、本音としては、≪こいつらは、人間じゃないんだから、先生たちの慰安のための人形で十分だ≫と、いうことだよ。少なくとも校長と、顧問は、そう思ってるのは間違いないよ。先生たちも毎日の際限のない青空サービス残業でストレスが溜まってるんだ。だから、それでも学校がスムーズに運営されるには、ストレスのハケグチは絶対に必要だよね。だから、女子体操部が、そのストレスのハケグチとして存在してるんだよ。体も小さくて、見かけもコドモで、いかにも小さなオモチャみたいに見えるから、1年生ばかりが、慰安部として存在してるんだ。慰安部だから、生徒に見せても意味ないでしょ。だから、先生の目の前でダイレクトに、オモチャになったというだけの話」

 「へえー」と、麻衣は華子の賢さに感心してしまった。麻衣は先生は子供のために厳しくしてくれてるんだなと、先生の言うことを鵜呑みにして、疑問も感じず、ひたすら技を上達しようとか、女の子らしく柔らかい体になって、それを見てもらいたいとか、そんな風に考えていただけだった。

 「でも、本当に、先生はそんな風に思ってるのかな。他の部員は誰もらーちゃんみたいなことは言わないんだけど・・・」

 「本当も嘘も先生たちの目の前で『まな板ショー』をさせられたじゃん。それに他の部員は必死に頑張らされてて考える余裕がないとか、惨めに思えるからそんな風に考えたくないとか、白木みたいに完全に洗脳されてるかなんだもん、ハナみたいなこと言う訳ないのだ」

 「そうか・・・」と麻衣は少し考えてしまった。実際に、先生のいるテーブルの上で、小さなブルマ1枚きりの体で恥ずかしい技をさせられた自分の姿が思い浮かんだ。まな板ショーと言われれば、そうだと言うしかない、はしたない姿だと思う。

 もう幼児とは言えない年齢の中学生の女の子が、素足と上半身裸で、しかもお尻丸見えの小さなブルマ1枚で、先生の座ってるパイプ椅子の前に置かれた長いテーブルの上に上らされて、そこで発表をしたのだ。華子の言うように、まるでオモチャのような、人形のような、人権もない軽いだけの命を慰安のために見てもらったと言えなくもない。赤面な人形ショーを見たみたいで、面白い出し物なのは事実化もしれないな・・・と思った。同じ先生の目の前でも、土の上とかなら、先生の目の前というだけだけれど、テーブルの上というのが、いかにも人権のない子供らしい粗末な扱いと言えなくもないと思った。はしたないことをさせられる、人権侵害されてる子供だから、慰安になり、ストレスのハケグチになるということなのかもしれないけれど、華子の言うことには結構説得力があると思った。顔も体も小さい部員は幼児みたいだけど、実際に幼児と一緒にいると、やはり中学生だけあって体ははるかに大きいし、幼児扱いされるというのは、やはりむごい扱いと言えないこともなかった。汚れた素足でテーブルに上がる瞬間に、≪女子中学生にもなって、こんな、はしたないことを、してもいいのかな≫と、一瞬考えてしまったのも事実なのだ。しかも、お尻丸見えの小さなブルマ1枚の、ほぼ裸の体で、先生の目の前のテーブルに上がるのだ。やってることは、まるで赤ちゃん並だと思う。そういえば先月のメンタルトレーニングで、幼児向けの玩具を渡されて「これで、幼児になりきって遊んでみろ」と指示されて、幼児の真似をして遊ぶふりをしているうちに、本当に楽しくなってしまい、夢中で幼児玩具で遊んでしまったことを思い出した。他の女子も本当に楽しそうだったし。だから、メンタルトレーニングで、知らず知らずのうちに洗脳されているというか、幼児気分に幼児退行させられてる面も多少はあるのかもしれないと思った。テーブルの上に瞬間的に上がるのを躊躇した後、≪麻衣たちは、まだチビッコなんだから、チビッコが照れていても仕方ないか≫と、開き直って(間接的には幼児退行によって開き直らされて)テーブルに片足を掛けたのを憶えている。メンタルトレーニングで、数日間、幼児玩具で遊ぶという幼児扱いをされて以来、ビンタやスパンキングなどで、簡単に放尿してしまうような女子部員が若干増えたと思う。いくら失禁しても仕方ないような強烈なビンタとか、お尻に水膨れができるほどの定規での尻たたきであっても、女子中学生にもなって放尿してしまうのは、幼すぎると思う。やはり精神的に幼児退行させられた女子もいるのかもしれないな・・・と、そんな気がする。形だけ幼児になってみることが、実は精神も幼児のように改造されてしまうということなのかもしれないと思った。先生が革ジャンを着た大男で、叱られると、部員は私服でも制服でもブルマでもいつでも幼児ように空中に持ち上げられる。体重が軽い女子ばかりなので、大きな男の先生には軽い人形を持ち上げてる気分なのかもしれないが。そして、持ち上げた後、地面に叩きつけられる。叩きつけると言っても、放り投げる感じで、女子は空中に投げ飛ばされて、地面を転がってから、急いで立ち上がって「きおつけ」をするのだが。それも、中学生を幼児扱いしているということなのかもしれない。された女子は、麻衣もだけど、みんな≪ぼくなんて、ちっぽけなチビッコなんだ≫と痛感させられてしまうのだと思う。それは頭でそう思うというよりは、暴力的な力によって体に教えこまれてしまう感覚なので、それを打ち消すのは困難だと思う。そして、そんな毎日を繰り返すうちに、(多少恥ずかしいにせよ)平気で、技を見せるために先生たちのテーブルに上ってしまう子供に改造されてしまうんだと思う。普通の部活をしてる女子が発表の直前に、練習した技は先生のテーブルの上でするようにと言われて、どのテーブルか場所を指定されて、それで「うん」とすぐ納得してする子はいないと思う。やはり、体操部女子だから、したんだと思う。それに実際に麻衣も、≪前半に甘い分は、公判が厳しいんだな≫で納得して頑張ったけれど、華子に言われて冷静に考えてみると、厳しいどころではなく、まるで先生たちに見せる「さらしもの」で、残酷すぎだと思う。でも、もう、やってしまったことなので、仕方ないことだけれど。

 とにかく後半は7分間から前半の白木の演説を差し引いた残り時間は、テーブルの上で「まな板ショー」(華子が勝手にそう言ってるだけだが)を、させられていたということになる。エッチで赤面な女子の姿を先生の慰安のために見せていた、惨めな子たちだったのかもしれないと思った。でも、もう終わってしまったことを、くよくよ考えても始まらない。職員室で、惨めなことをさせられたのと比べると、たいしたことないと、言えなくもなかった。大勢の先生の前で恥ずかしいことをするのは、今回に始まったことではない。女子体操部という名前の慰安部なのかもしれないと思った。横暴で独裁的な校長のやりたい放題で先生にストレスが多いという説明は当たってると思うので、そのストレスのハケグチが存在していて、それが麻衣たち人権のないチビッコ(おもちゃ)たちなのだろうなという風に思えなくもなかった。目の前で子供が惨めそのものの姿を見せたら、気分がスッキリするというか、慰みものにはなると思うし。でも、その一方で、体力測定の時などは、女子はやはり素足で先生の前でテーブルに上がって前屈したり、体をエビぞらせたりと、恥ずかしい格好をする。もちろん体操着は着てるけれど、テーブルの上で頑張ることも、中学校生活ではないこともない。だから、華子の言うことも少し大げさだと思った。それで、それを華子に伝えてみた。すると華子の返事はこうだった。

 「それは違うよ。同じテーブルの上でさせられると言っても、それは体力測定なのだから、見世物の発表とは全く違うよ。それに、セクシーにエビぞっても、体操着姿なんだから、実際は余りセクシーでもないよ。部活発表では、ブルマは身に着けていたけれど、ほぼ裸でセクシーにエビぞるんだよ。裸で女子中学生がエビぞるんだから、そそられる先生もいるだろうし、オモチャのチビッコと見下して気分スッキリの先生もいると思うよ。じゃあ、体操着でブリッジするのと、スッポンポンでブリッジするのは、同じことなのかな。体操着なら健康な子供の運動だけど、スッポンポンなら女子の外性器を見てもらう惨めな子だよ。もちろん女子部員はブルマはいてたけど、ハンケツというよりは、ほとんどお尻丸見えだったもん。台の上で女子がうつぶせになるだけで、先生にお尻丸見えにしてるってことなんだよ」と、面白ければそれでいい華子は、本当に面白そうにそう言った。そんな明るい華子に麻衣は少し呆れながらも、≪なかなか華子って説得力あるなあ≫と思った。でも、繰り返しになるけれど、結局は昨日既に終わってしまったことだ。過去は嫌だからって変えることはできない。言葉の上では黙ってれば分からないので、人に話さなければ次第に忘れられていくことだろうけれど、実際にブルマ1枚にされて先生のいる白いテントのテーブルの上で部員が頑張ったというのも間違いのない事実で変えようがないのだ。ブルマ1枚で体の柔らかさを見てもらう恥ずかしい運動を、麻衣もテーブルの上でしたのだ。先生の目の前(テーブルの上だから、本当に数十センチしかない)に、ブルマのお尻や、自分の体をさらけ出して(乳房や乳首も見えるし、おへそも見えてるし)、「まな板ショー」をやってみせたのかな、と、麻衣は急に恥ずかしくなってしまい、少し元気を失った気がした。そのことを≪面白いから、それでいいのら≫と思える華子の性格もどうなのかなと思ったけれど、華子は麻衣をみると嬉しそうにいろいろ話してくれるので、麻衣にとって有難い都合のいい友達なのも事実だった。

 「あ、始まるよ、行こうよ」と、華子が言った。遠くに顧問の先生らしい革ジャンが見えたのだ。先に体育館へ行って裸(ブルマ1枚)になっていないとダメだな、と、思った。

 その日の練習は、前半が蛙逆立ちやブリッジなど体力のいる技で、後半が舟とか、大股開きとかの柔軟性のいる技の訓練だった。ブルマ1枚で大きな声で「はい」「はい」と返事をして頑張るのは、いかにも、躾けられてるというか、調教されてるみたいな感じだなと思った。もう、うっすらと恥毛の生えてるような女子を幼児のような上半身裸でしごくのだから、まるで躾けられてる小動物みたいに友達が見えてしまうのも仕方ないかなと思った。それで、手で足首をつかんで丸出しのお尻をぶたれたりするのだから、SMの調教をされてる女子みたいに見えてしまうのも、まあ仕方のないことなのかな、とも思った。でも、白木は何も話さないし、マスゲームの発表は全裸が伝統という噂もあるので不安だったが、この日のミーティングで先生は「運動会の発表は今年はブルマ1枚でやってもらう。自分を発表するんだから素っ裸が本当なのだけれど、子供といっても裸にさせるのは可哀そうという社会風潮になってきているから、ブルマは身に着けていい」と言われて、とても喜んだ。≪なんだ、やっぱり、女子がスッポンポンで発表なんて、現実にはある訳ないよね。ああ、良かった。これなら小学校の運動会とおんなじだ≫と安心もした。白木や華子は「全裸でやらせてください」と言うのかなと思って様子を見ていたら、何も言わなかった。「質問は、ないか?」と言われても二人はすましていた。すると葵が「女の子なのに、ブルマ1枚で発表なんて、さらしものみたいで恥ずかしいと思います。体操着ではだめなんですか?」と、まっとうなような、これまでの経緯からして間抜けなような質問をした。「ダメだ」と言われて、葵は黙ってしまった。しつこく言うと尻たたきと経験的にわかってきたんだと思う。

 そんなわけで、いよいよ運動会の練習が始まったのだが、運動会で発表する難しい技は。実は部活発表会でも発表した技がほとんどで、出来ない技は少なかった。運動会では部活発表会の技に簡単だけどするのは恥ずかしい技が加わって、やや長い時間の発表になるだけだった。だから、運動会までに出来るだろうかという不安は少なく、ブルマ1枚姿ですると知り、そういう緊張もなかった。部活発表会までは緊張もし、難しい(高度な柔軟性がいるという意味で難しい)技に半泣きになっていたけれど、運動会の練習の時期になると逆に緊張感が解けてしまい、気軽に部活を楽しんでるという感じが強かった。もちろん、指示通り動かないとビンタはとぶけれど、それは4月からづっとそうなので、今更ということは何もなかった。


35、体操部の運動会の練習

 厳しい(こどもにとっては少し怖い)部活発表会で、困難な技を大勢の先生方の見てる前でやらないといけないということで、結局部活発表会で緊張や集中力がピークに達したんだと思う。もちろん、運動会は楽しいけれど、遊びではないし、体操部の発表もあるんだから、緊張はずっと持続するのが本当だし正しいのかもしれないけれど、やはり強い緊張で疲れが出ている時期だったのかもしれないが、やはり、みんな女子部員は部活発表会前よりも明らかにだらけているのは事実だった。

 でも、部活発表会は過度に緊張するのは仕方ないと思う。他の部員も、異口同音に緊張した、ドキドキした、息が苦しかった、ひどく疲れた、みたいなことを言っていたのだから。それでもブルマ1枚姿は小学校で慣れてるので(というより小学校は裸の生活だったので、通学時間と家にいる時間を除くと、いつでもブルマ1枚きりだったので、むしろ、裸の方が普通のことだった。数か月までは、それが普通だったのだ)、全校生徒の中で女子部員だけがブルマ1枚でもそこまでは緊張しなかったと思う。そもそも小学生気分が完全に抜けきっていない中1なので、小学生みたいなことをさせられても、どうということもなかったと思う。問題はブルマ1枚で、先生の目の前で運動したことだ。だから過度に緊張したのだと思う。

 普通、「先生の目の前で運動する」と言っても、それは比喩的に言ってるだけで、実際は先生のいる日よけの白いテントから数メートル先の土の上で運動するのだから、目からはだいぶ離れているといえる。運動会では小学校でも、クライマックスでは6年生は、お客(親や、町の人のいる場所)の目の前で運動をしてみせたけれど、それも実際にはお客のいる場所(ロープの内側)から1メートルくらいは離れていた。だから、恥ずかしいなと緊張するとはいえ、1メートルの間隔があるので安心感もあるし、ロープの内側からでは手をのばしても届きそうもないし、まあ、少しは離れていたということだ。

 ところが部活発表会は比喩でなく本当に先生の目の前で運動をさせられた。白いテントの前の土の上で運動したのではなく、白いテントの内側に置かれたテーブルの上で運動をさせられたのだから、恥ずかしさが違うし、緊張も強いし、先生から距離はほとんどなく、実際麻衣が技を出したときには台の上が狭いので、先生に体が触れてしまったほどだった。一番最後に、先生にお尻を向けてテーブルの一番奥(先生から一番近い場所のこと。そう指示されていた)の方で蛙逆立ちをした時には、先生の顔とぼくの肛門との距離は10㎝くらいだったと思う。もちろんブルマ着用なので肛門は見えないからいいのだけど、先生の顔の前にお尻を突き出して頑張るのは女子なのに、はしたないと思ったし、恥ずかしかった。それに、蛙逆立ち中に、麻衣のお尻の先に座っていた男の先生は、「お尻見せて(お尻がブルマから、はみ出てるという意味)、かわいいな。小さなブルマーに、おまんこ食い込ませて頑張ってるんだな」と、ワレメちゃんの形がくっきりなのを笑われたのも恥ずかしかった。蛙逆立ちだと、食い込みも形も先生から丸見えだった。さらに、蛙逆立ち中の「やれ」という合図で、女子は一斉に「頭を床につけた蛙逆立ち」という技を発表させられた。それまでは、体を水平に保ち、顔は前を見ていた。ところが、合図とともに頭をテーブルに付けるのだ。でも、実際には顔全体を床に付けるように習っていたので、このテーブルの上では、テーブルに顔を押し付けて、体重がかなり顔にかかるのを感じた。普通の「頭を床につけた蛙逆立ち」なら体を前傾させるだけなのだが、顔全体を付ける技をさせられるので、体を少しエビぞらせて顔をテーブルにくっつけるかんじだ。そう先生に手で直接直されたので(首だけ曲げるのでは運動にならないし、見栄えが悪いという説明だった)、直された形に、テーブルの上でなってみせた。かなりセクシーな姿にされたと思う。

 先生の目の前で、お尻を先生の顔の前に突き出してるだけでなく、今度は蛙逆立ちのまま、前傾姿勢になり、背筋をエビぞらせているのだから。要するに、マタを広げて、お尻をグイっと持ち上げているような姿にさせられた。顔にだいぶ体重がかかり、テーブルしか見えない。マタを広げてお尻をクイっと持ち上げて突き出すなんて、まるで先生に恥ずかしい部分を見てもらっているようなものだ。というより、実際に見られている。先生も麻衣のそんな破廉恥な姿に、そそられてしまったのか、蛙逆立ち中に先生にブルマの恥ずかしい部分を、先生の手でさすられてしまった。今ならセクハラということになるのかもしれないけれど、当時は子供は子供扱いさるのが当然という空気だったので、子供がマタを手でつかまれたり、恥ずかしい部分を触られるくらいは普通のことで、むしろスキンシップとして日常的になされていたと思う。だから、この時も、≪先生がスキンシップで、ぼくのブルマの小さなふくらみに触ってくれたんだ≫と思っただけだった。でも、変なことをさせられてる最中なので、ブルマの前を触られたのは恥ずかしい気分がして、一瞬、体がぞくぞくした気がした。恥ずかしさで、頭が痺れ、目の前が暗くなる感じだった。

 体やブルマに触られたのは、麻衣だけでなく、多くの女子部員がスキンシップをしてもらい、先生にスキンシップしてもらうのは名誉なことと教えられていたので、みんな嬉しさと恥ずかしさの入り混じった気分だったと思う。乳首をつかまれたという女子もいたし、蛙逆立ち中にお尻の穴のあたりに、浣腸みたいに指を突き刺された、という女子もいた。

 テーブルの上で、生きたオモチャのように技を見せ、生きたオモチャのように触られて、やりぬかないといけないのだから、緊張するのも大変なのも当然だった。とにかく、蛙逆立ち中が緊張の最高潮という感じで、自分でも自分を見失ってしまって、何をさせられてるのか訳がわからないようなかんじになっていたが、やらなくてはいけないという思いだけで最後まで頑張りぬいたというかんじだ。テーブルの上で様々なエッチな恥ずかしい技をさせられて、自分でも自分が非常にオモチャっぽく感じられて、≪ぼくって、軽くて、小さくて、恥ずかしい、ブルマ1丁のさらしものの、性のオモチャなのかな≫というふうに思ってしまったほどだった。それほど、惨めさ満点で、目が涙でうるんでいた。

 そんなわけで、部活発表会後に、緊張がゆるんでしまうのは仕方のないことと言えなくもない。

 運動会の練習は、ブルマでの運動会の発表と知り、その安心感や部活発表会の疲れも手伝い、かなり、だらけていたと思う。先生も部員が疲れていると分かっているのか、いつもほどは厳しくなかった。でも、それでも、きちんと新しい技が指導通りできないと、部活後に、前屈して体育館の雲梯を両手でつかまされて尻たたきをされたりもした(下写真参照)。また、部活終了後に20分だけは、自主練習をしていいのだが、もちろん半袖の体操着を普通に着て練習できるのだが、それでも自主練する子は少なく、そのためか逆に叱られて尻たたきされる子は多いという感じだった。

 普通、部活の練習は口で指示されて頑張ることが多い。でも、体操スクールの女子が直接体に教えこまれるように、麻衣たちの中学の体操部も直接先生に体に触られて体に教えこまれることが多かった。口で説明しても、なかなか正確には伝わらず効率が悪いので、仕方ないことなのかもしれないけれど、普通にマタまで手でつかまれるので、幼児扱いされてるみたいで、少しだけ恥ずかしいのも事実だった。でも、口では何も言ってもらえず、手で直接体をつかまれて、体に教え込まれるのは、強い心が身につくのは間違いないと思った。恥ずかしさや辛さに耐えることで精神力がつくのだと思う。そういう効果もあって、先生は、ぼくの体に教えたんだと思う。もちろん、叱られて素っ裸にされて、技を体に教えこまれたこともあり、厳しいと思うけれど、本番で人前でもきちんと発表する子に成長させるためなんだと思う。素っ裸で体をつかまれると、自分のことがワレメのオモチャみたいで、惨めさ満点だった。でも、自分のためなんだから、それに負ける子ではダメだと思う。

 惨めな真っ裸の頑張りであっても、負けずに頑張れば、強い子だということは先生に伝わるので、そういう意味ではかっこいいんだと思う。だから、全裸のぼくの体に触られて直接教えられたけれど、お尻をぶたれながら、お尻の痛みに耐えて技をできるように頑張れたので、強い子と思う。お尻をぶたれても、おしっこを出さないで、技を磨けて、強い子ですか? 惨めな子かもしれないけれど、それが裸教育なので、負けてはダメと思う。実際には先生に、おしっこくさい子供と思われているかもしれないし、恥ずかしいチュースケと思われるかもしれないけれど、例えオシッコをワレメちゃんに光らせていても、きちんと丸出しで頑張れないと、弱い心や恥ずかしがってるとバレてしまい、かえって恥ずかしいのだと思う。体育館の中で、先生と女子部員しかいないので、見物してる人も誰もいないので、恥ずかしがる方がおかしいのだと思う。エッチな練習であっても、恥ずかしくても、裸教育なのだから、それは我慢できないと、いい子に成長しないと思う。尻をぶたれながら、技を体に叩きこまれて、本物のオモチャの子になってみせるのが、強い子なんだと思う。

 運動会の練習は、運動会の3日前までは、だらけていたと思う。だらだらと、前よりも緊張感のない練習をしていたと思う。でも、そのことが、大変な事態を引き起こしてしまうとは思わなかった。(つづく)

i MAI me (愛 麻衣 みい) ~裸教育児の久保田麻衣小学生物語

小学生時代の麻衣を物語風に脚色して連載風に不連続で投稿するブログです。ぜひ愛読者になってください。基本はノンフィクションですが、物語なので面白く脚色されています。ごく普通の6年生の女子小学生(わたし)が、裸教育の小学校に入れられてブルマ1枚にされて学校生活をし、最後にはバレーボール1個を持って半泣きの全裸マスゲームをさせられるまでの日々を日記風に描いたものです。おもしろエッチなので、ぜひ見てね。

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