ひよこ日記 第7節
26、思い出すことなど
中学生になり、思ったことは、中学の裸教育は楽ということだ。ここまで読んでくれたなら、小学校より中学校の裸教育の方が厳しいと思うかもしれないが、現実にはそうではない。瞬間的には中学の部活の方が厳しいということは否定しない。実際に耐えるのが大変な試練もあったと思うし。でも、1日で平均2時間ほど裸教育されるのと、登校から下校まで裸教育(裸の生活と言っていた)なのでは、大変さが違うと思う。一日中裸だと、少し寒いくらいでも、どんどん蓄積してきて、ひどく寒くなる。でも、温まる時間もない。ずうっと1日寒さにブルブルと震え続けることになる。これが厳しい。中学は瞬間的にどんなに寒くて厳しくても、しばらく我慢すれば服を着れる、少なくとも半袖シャツくらいは着れる。部活が終われば着放題になる。これでは辛くても、しばらくの我慢だですむ(冬合宿など特殊な状況を除く)。ずうっと裸だと寒さの調整ができないのは辛い。それだけでなく、ずうっと裸の生活だと、やはり≪ずうっとブルマ1枚きりなんだ≫ということが、嬉しくもあり恥ずかしくもあり、イヤでも6年生でも男子にも先生にも乳首とか、ブルマが小さいのでヘソとかもみられる。平気な日は子供なので平気だけど、気が滅入っていたりして、あまり体を見られたり触られたりしたくない時でも、ずうっと裸だと、見られたり触られたりして、自分の世界(服を着ていると、ほとんど顔と手先くらいしか露出しないので、自分そのものを見られにくい)に引きこもることができないのだ。ずうっと裸というのは、実は結構大変で結構強烈なのだ。そもそも1日中裸だと、学校でも丸裸になってしまうことが少なくないし、トイレなどは丸裸にならざるをえないし、とても幼稚っぽい子の気分になってしまう。そんなことで、中学生になってからも、小6の頃は強烈だったなと、むしろ中学生になってから、小学生時代の事を思い出すことが多くなった。不思議なもので中学生になってからも裸教育なのに、その部活だけでの裸教育より、理科でも算数でも何でもかんでも全部裸で、たえず乳首や裸の体を意識させられていた小学時代の方がずうっと強烈なものとして思い出されてしまうのだ。そもそも中学の部活は文化部系ではなく運動部系なので、運動するのだからスポーティーな姿になるという必然性があるけれど、算数や理科では裸になる必然性がないのにブルマ1枚にされているのが強烈だったと思う。算数の計算問題を解いていても、自分の低学年みたいな乳首が見えるので、裸の算数という感じで、独特な緊張感があった。すぐビンタされたので、余計裸だし、怖さ倍増で、意識してしまったのかもしれないけれど。
そんなわけで、中学生になっても、小学時代を思い出すことが多くて、中学時代の出来事の前に、中学生になってもよく思い出した小学生時代のことなどを書いておきたいと思う。
小学6年生のころでは、逆に服を着て授業だった時のことを思い出す。珍しいからだ。でも、私服ではなく、単に「ブルマ1枚だけでなく半袖シャツも着てもいい」というだけなので、かなり裸に近かったのは事実だけど(1枚脱ぐと、いつもと同じなので)。でも、半袖シャツありとなしでは大違いなのも事実だった。いつもはブルマ1枚だけなのに、着てもいいと言われたのは、真冬で雪の日に外で体育をするときなどで、その意味では寒さを考慮してもらえない中学の部活よりも優しかったと言えなくもない。また、授業参観の日なども、「大きい女の子が、大人に裸を見られたら、カッコ悪いだろ」と言われて半袖シャツを着ていいことが多かった。それから、いつもは最初にブルマ1枚の裸の体で「よし」と言われるまで、おそらく30~40秒くらいは頑張るカエル逆立ちも、普通にクラス全員が普通の体操着姿(裸でなく、半袖にブルマで)でしたのも、授業参観の思い出として残っている。
カエル逆立ちは、小学生らしい幼稚っぽい技だが、いつもと違い体操着姿なので、大人に見られても恥ずかしさはなかったと思う。やはり普通の体操着なので、普通にカエル逆立ちしてるだけという気分で、大人っぽく見てもらえて嬉しい気がしたと思う。もし、授業参観までブルマ1枚でカエル逆立ちをさせられたら、かなり気分的には、幼稚っぽいことをさせられてる子たちに見えるかなと気が滅入ったと思う。体操着で40秒くらい全員が前傾姿勢になってカエル逆立ちしてるときに、「可愛いわね」と言われたけれど、大人として可愛いと思われてる気分で、そんなに気にならなかった。もし、裸にされて全員カエル逆立ちをしている時に、「可愛い」などと言われたら、「幼児みたで幼稚っぽいね」と言われたみたいで、ちょっと落ち込むかもしれないと思った。いつもと違い普通に体操服姿の授業参観は大人気分を満喫できる、貴重な時間だったと思う。
授業参観で運動場でカエル逆立ちを普通にした後は、体育館に移動して柔軟運動をさせられたけれど、やはり裸でやって体が直接冷たい体育館の床に触れるのとは全然感覚が違い、6年生らしい気分で≪わあ、大人気分≫と、運動でずれたブルマを直しながら思ったものだ。何より裸と違い、恥ずかしくないので、大人の見てる前でも堂々と運動でき、伸び伸びと体を曲げ伸ばしできたのが良かったと思う。それと比べると体育館で真っ裸で運動させられた中学の冬合宿などでは、すっかり赤ちゃんと大差ない子の気分だった。着ているもので、同じ子供でも、随分と気分が違うのは間違いない。裸教育されている子供は幼く見えると言われることがあるが、実際に裸教育中の子供は実年齢より一時的なものであっても精神年齢が低くなっているのだと思う。中学の冬合宿の時などは素っ裸でさせられたので、すぐに涙が出てくるし、自然に返事まで小さい子みたいに幼い雰囲気にされてしまっていたと思う。それに素っ裸にされていると、緊張からか、性器が縮み上がるので、外見も自分もみんなも非常に幼く見えて、身も心も幼児と同じにされて頑張る子たちという印象が強かった(もちろん、女子部員は全員、性器の毛を剃られていたので、余計に幼児のような性器に見えていたのもあるけれど)。それと比べると小6時代の授業参観ののどかな気分というか、落ち着いた気分でできたことは、珍しいことだけに記憶に残るのは当然だと思う。
それと反対に、「ええっ、うそー」とショックだったのは、小学校の運動会であった。授業参観と同じで、普通の体操着姿だろうと思っていたら、そうではなく、ブルマ1枚の裸の運動会だった。「ええっ、大きい子なのに、裸で運動会するの?」と華子に聞いてみたけれど、「えっ、知らなかったの? 毎年、全校生徒が裸になるんだよ。長崎とか福岡あたりの学校では、運動会を男女共に裸でやるところなんて、以前は割と普通だったんだよ」という返事だった。実際に華子が低学年の頃に見に行った他校の運動会では、やはり男女共に6年生でも裸にされてブリッジとかをしていて、でもそれが近辺の学校では普通で、男子だけ裸に変わったのはここ数年の変化らしかった。麻衣たちの小学校の周囲の学校も、時代の趨勢なのか、あっさりと裸教育を止めてしまったところが多く、せいぜい男子が組体操の時だけ脱ぐ程度らしかった。でも、周囲がそうであっても、麻衣の学校に変化がないのでは仕方ないと思った(麻衣の卒業の翌年から、麻衣のいた小学校も女子の裸教育は廃止になったと聞いた。現在では麻衣のいた厳しい裸教育で知られた小学校ですら、業間体育で脱いでいるのは男子だけらしい。それも運動する時間限定で脱ぐだけのようだ)。
麻衣の小学校が裸の運動会だったせいで、普通はあまり恥ずかしくないことでも、けっこう恥ずかしく感じたのを憶えている。たとえば、大勢のお客の前でブリッジするのだって、体操着姿なら余り小学生なら恥ずかしいと思わないけれど、ブルマ1枚でブリッジするのは、さらし者の子たちみたいで、けっこう小学生ながらも恥ずかしいなと思ったものである。ブルマ1枚の運動会なんて今では考えられないかもしれないけれど、少し昔までは、ごく普通に行われていたことで、お乳が大きくなっていようと、体が大きい子だろうと、そんなことは考慮もしてもらえないのが普通だった。だから、運動会でオッパイを撮影されてしまった女子は多いと思うし、その子たちはオナペットにされてしまったのかもしれないなと思う。大きな子が裸になってセクシーと言えなくもない恥ずかしいポーズをするのだから、撮影されれば、かなり赤面な写真にされてしまうのは仕方なかった。中学生になってからも、男の先生の見てる場所でパンツ1枚の身体検査だけでなく、女子は制服のスカートを自分でめくらされて、校則通りか下着検査をされたりとか、恥ずかしいこともあったけれど、それと比べても、やはり、運動会で大勢の人の前でブルマ1枚で1日頑張るのは相当恥ずかしいことだった。中学の運動会でも裸教育をさせられた強烈体験の前までは、ブルマ1枚で頑張った小6の運動会は一番強烈な体験だったのは間違いない。
小さなブルマ1枚で、運動会本番だけでなく、当然ながら練習もリハーサルも頑張らされた。ブルマ1枚で運動場で練習をしていると、全身が砂まみれになってしまい、まるで天ぷらにされる子供たちみたいで、足洗い場で体を洗うまでは全身真っ白になっていたのを憶えている。ブルマ1枚で運動場を転がったり、恥ずかしいなと思うポーズもいろいろとさせられるのも、気持ちよかったのも事実だけど、運動会では大勢が見ているので恥ずかしい気分の方が強かったかもしれない。
普通は組体操が裸の学校なら、組体操の時間だけ裸になるだけだ。でも、裸教育の学校だと、組体操だけ裸というわけでなく、ずうっと裸なので、教室でブルマ1枚以外は全部脱いで運動場に出る。もちろん、下着のパンティーも教室に脱いで置いてくるので、文字通りブルマ1枚の体である。裸足、裸の運動会なので、男子は1日、白い短パンだけ、女子は1日、紺のブルマだけである。ブルマ1枚の体で運動場に出ていくとき、普段はまるで慣れっこで平気なのに、さすがに運動会の時だけは、≪この格好で、1日、させられるんだ≫と、けっこうドキドキした記憶がある。実際は早朝は、まだ来客は少なく、来賓も僅かに来ているだけだったが、12才の女子が小さなブルマ1枚の体で運動場に出ていくのは小さな勇気が必要だった。お尻がはみ出してるし、おへそも見えてるし、乳首とかは当然丸見えだし、エッチと言えばエッチと言えないこともなかった。
ブルマ1枚なのも恥ずかしいけれど、それで運動させられるのも、恥ずかしいと思った。特に、ブリッジとかカエル逆立ちだけでなく、大勢の人の見てる前で大の字になったり、腹這いになって、きおつけして、ピーンとエビぞったりするのは幼稚っぽくて恥ずかしいなあと思った。麻衣は一番来賓に近い場所(白いテントのそば)で大の字になったので、≪お客の前で、女の子が裸で、こんなに股を広げて、恥ずかしい子なのかな≫と、ませていたせいか思った記憶が残っている。でもお客の前でブリッジするのとかは、お客の目の前に股を突き出す技の割には、技の一種という気持ちからか、そんなに恥ずかしいとは思わなかったようで、あまり印象に残っていない。でも写真を撮ってた人もいたので、麻衣もエッチな写真にされていたのかもしれないけれど、知らないことなので、それはあまり気にならなかった。
水着にされて表現運動の練習とかをさせられたりとか、レオタードがわりで水着で踊らされたりとかいうのも、恥ずかしいと思ったけれど、体をおおう薄い水着の布1枚にされてるとはいえ、実際に体を露出してる面積は小さいので、ブルマ1枚ほどは恥ずかしいとは思わなかったと思う。
やはり、ブルマ1枚の運動会は、普段の体育の授業で水着1枚にされたりするとかいうこと以上に強烈だったなと思う。もちろん、中学時代に素っ裸に白いバレーボール1個という、あられもない姿で人前で頑張ったこともあったけれど、それは、かなり特殊な状況なので、逆に割り切って頑張れたので≪もう、恥ずかしくない!≫と思えたと思う。それと比べると小6の運動会は割り切りもきちんと出来ておらず、大勢の見物人の前でブルマ1枚で恥ずかしい格好をするのは、組体操とはいえ、かなりの強烈体験だった。実際に、大の字で、思い切り股を開いたら、大人だけでなく低学年の子たちにまで、「やだ、かわいそう」と笑われた。
それから、大勢の人の見ている前でブルマ1枚だと、自分を隠してくれてるのは小さなブルマ1枚だけなんだと実感するし、そのブルマを支えてるのはブルマの貧弱なゴムだけなんだな、と実感させられる。もし、この弱いゴムの力がないなら、恥ずかしい部分が丸見えになりかねないのだから、ゴムを頼りなく思うのは当然だと思う。「運動中は絶対にブルマを直してはダメ」と厳しく言われていたので、激しい運動で、片方のお尻が大きく丸見えになってしまっていたけれど、そのまま頑張ったし、恥ずかしくて我慢するしかなかった。それに、もしブルマのゴムの力が急に抜けてしまったりしたら、ブルマが下がってしまうのだから、人前で丸見えで運動することになってしまうので、板のような薄いゴムをたよりなく思うのは当然だと思う。ブルマの生地自体が非常に薄く、強く引っ張れば破れそうだし、誰かが脱がそうとすれば、簡単に脱げてしまうものだけに、ブルマ1枚というのは本当に頼りないものに身を任せてる気分だったと思う。それからブルマは体の輪郭も簡単に分かり易く(下着着用なら普通だけど、下着なしだと体の輪郭が浮き出やすい)、恥ずかしいので、いっそう素っ裸に近い感覚になってしまうみたいだった。大勢の人前で、こんなに軽い、こんなに小さな布切れ1枚にされていたなんて、やはり小学生だからできることだな、大人ならできない恥ずかしいことだなと、最近自分の小学時代のブルマを見て思う。
くっきり丸見えと分かっていても、最後まで下着なしのブルマ1枚でやり抜くしかなかったのだから、かなり恥ずかしい運動会だったと思う。もちろん組体操だけでなく、朝から終了する夕方まで、ずうっとブルマ1枚である。お弁当はどこの小学校でも同じで家族と一緒なのだが、家族の弟や妹でさえ寒い日で服をかなり着込んでいるのに、6年生のお姉ちゃんだけが小さなブルマ1枚だけの裸になっていて、それで家族と一緒に食事なのだから、けっこう厳しいものがあると思う。実際、小さい子たちに「大きいお姉ちゃんたち、恥ずかしい」と言われていた。小学生なんてほんの子供と思うかもしれないけれど、小6の、もうすぐ女子中学生になる大きい子なので、やはり幼児や低学年くらいの小さい子から見ると、大きい子が裸にされてるように見えてしまうのは仕方ないと思う。ビニールやござを広げて座ると、小さいブルマ1枚だと素っ裸に見えてしまう。角度によってはブルマが見えず、丸裸でおにぎりを食べてるみたいに見えてしまうので、赤面な子たちだったなあと、思い出すことが多い。それなりに恥ずかしさでトラウマになってるのかもしれないけれど、過去のことになってしまっていて、あまり現在は誰も過去のことは話したがらないようだ。
あと、組体操で、ブルマがすごく股に食い込んだ記憶が残っている。麻衣だけでなく、みんなワレメちゃんの形はクッキリだったし、それでも普通だった。下着なしでブルマでは、下着ありでブルマとはまるで違い、ブルマが下着の代用品のようになり、下着同様に体に密着するので、それは仕方のないことかもしれなかった。男子はまだ白い半ズボンなので、普通の体操着の延長みたいで日常的な服装に見えるけれど、ブルマ1枚というのは、男子の海水パンツ1枚に女子がされているのと同じ姿で、その姿で1日頑張るのだから、非日常的な姿にされてるという感覚が強いと思う。1日裸にされて町の人々と触れ合うという感覚で、やはり運動会の最中もブルマ1枚なのが、かなり気になるのは間違いない。
それから、組体操の前に先生に、「男子も女子も体操着をきちんと引っ張り上げておくように。運動の途中で脱げたら、だらしないから、きちんと穿いておきなさい」と言われていたので、6年女子は、ただでさえ食い込みやすいブルマなのに、それを引っ張り上げて穿いていたので、お尻に食い込んでいるだけでなく、お尻が半分以上はみ出してした。ハミケツと言うのかハンケツというのか、正しい言い方は知らないけれど、女子は全員が、お客にお尻を見せて体操をしていたことになる。子供なのでたいしたことはないと言われそうだが、汚れて濡れていたり砂が付いているブルマをお尻に食い込ませてハミケツをしていると、相当に見た目は幼稚っぽく見えてしまうのは間違いない。素っ裸で丸出しほどではないけれど、やはり、相当にエッチと言えなくもないと思う。組体操はブリッジとか、半ブリッジとか、つまり両膝をついてエビぞったりと、相当にエッチで大胆なポーズをさせられるから、幼稚なお尻で大胆ポーズは恥ずかしいなと思うのは仕方ないと思う。あと、裸で、きおつけさせられたり、腹這いになって「つばめ」をするのも、幼稚っぽい姿みたいでドキドキすると思う。幼稚な姿を身内にまでたっぷり見せて、裸で昼食タイムというのも、赤面だなと思う。食事時間も恥ずかしいけれど、体育委員の子たちは、来賓の前できおつけして徒競走などを見ているので、それも恥ずかしいと思う。麻衣は体育委員でないので良かったけれど、体育委員の子は来賓にずっとお尻を見せているのと同じだと思う。あと、6年生の同じクラスの子で、運動会なのに叱られて、先生の手でブルマを上に目いっぱい引っ張り上げられて、ブルマがふんどしみたいになり、お尻丸出しみたいにされて、馬飛びの姿で尻たたきをされていたので、「うわ、みじめな子」と赤面させられた記憶がある。かなり強烈な格好だったのだろうけれど、お尻丸見え状態にされて尻たたきされる女子を、みんなが見ていたので、恥ずかしすぎると思った。運動場の端の方が混雑しているので、通り抜けようとすると、自然に体が大勢の人に触れてしまうので、文字通り町の人々と触れ合いの1日というかんじなのも、幼稚な1日という気分がした。
でも、組体操中とか、食事中とか、そういう特殊な状況だけでなく、運動場に置かれた椅子に座って、別の学年の子を応援してる時でも、やはりブルマ1枚なので、裸で頑張ってるなという気分で、興奮するような恥ずかしいようなドキドキした気分だったと思う。
でも、こんなふうな上半身裸の運動会は麻衣だけでなく、以前は多くの小学校で普通に実施されていて、普通に女の子もみんな裸になっていたのだから、特殊な体験というよりは、少しだけ時代遅れな体験をさせられただけと言えるかもしれない。麻衣のころは珍しいから特殊な気がしただけで、以前ならどこの小学校でも、裸の運動会で、小6女子は乳房をゆらゆら揺すりながら徒競走をしていたのだから、普通の子供体験と言えなくもないと思う。裸の運動会だと、裸の写真もたくさん撮られてしまうし、でも、それも普通の子供体験のうちなのだろう。麻衣は、運動会の後で、担任の先生に麻衣のブルマに後ろから手を入れられて、股をつかまれて、「幼稚っぽい、お股で、よく頑張ったな」とほめられた。今なら、股を触られたらセクハラかもしれないけれど、当時は子供たちはみんな普通に体操の支持でも補助でも何でもかんでも股とか尻とかに普通に触られていたので、セクハラとは思わず、≪やだ、わたしに直接触って、褒めてくれたんだ≫と嬉しかった記憶がある。裸の触れ合いというか、先生からのスキンシップで、麻衣は多くの元気をもらえたと思う。ずうっと恥ずかしい幼稚っぽい気分だったけれど、先生に体をつかまれて褒めてもらい、すっかり元気になれたと思う。天気も、朝は砂が濡れていたけれど、途中から砂が乾いて、朝は体育すわりで濡れてしまったブルマが、昼には砂で真っ白になっていた。体も、砂人形になりきって組体操ができ、先生にも褒めてもらった。
27、小学時代の思い出すことなど
小学時代の思い出ということだと、運動会は裸教育でなくても楽しい筆頭の小学生の行事なので、誰しも思い出すだろうけれど、その他となると雑然とどれも思い浮かべたり忘れたりという感じだ。でも、しいて思い出すことの多いことというと、やはり小学生らしいことかもしれないけれど、授業参観が緊張したせいか(大勢が見てるので、それなりにいつもよりは緊張するようだ)、授業参観の思い出が忘れがたいようだ。でも、普通に体操服姿だったので、実際は近所の人の目が気になるかな(近所にも友達が多かったので)という程度の緊張だったと思う。
ところが、授業参観のある、ある日のこと、先生の機嫌が朝から悪かった。奥さんと夫婦喧嘩しただけでなく、子供にも無視されて腹が立ったと朝のホームルームで言っていたので、たぶんその通りなんだろうなと思う。担任が機嫌が悪いと、奥さんや実の子供にでなく、クラスの男女に八つ当たりされるのが困ると思う。前回の授業参観の算数の植木算の授業のときは普通に体操着姿だったし、≪この学校は授業参観だと半袖を着せるという慣習があるようなので、今日の授業参観も普通に体操着姿で体育の授業なんだろうな≫と、麻衣は勝手にそう思っていた。麻衣の関係のおじさんは前回は来たけど、今日は畑の取入れがあるので来れないといっていたので、少し残念な気分だったけれど、忙しいものは仕方ない。しかし、株式配当で毎年多額の収入があり、柿の木で年100万円くらいと、他の樹木などで多い時は50万円程度くらいの収入なんて、収入全体の僅かなパーセンテージなのだから、一喜一憂することの虚しさに早く気づいてほしいと麻衣は思っていたけれど、せっかく頑張ってるのだから黙っていた。でも、それが原因で麻衣の晴れ舞台というか、授業参観にも来れないというのは何のことやらというかんじだった。ところが3時間目の国語の詩の授業が終わって、群読とかもさせられたけれど、叱られもせずに無事に放課時間になり半袖シャツを着てから遊んでいたら、「次は体育の授業だろ。どうして、勝手に体操着(半袖シャツのこと)を着てるんだ。さっさと脱げ!」と担任の先生に怒鳴られた。「えっ、前回は『授業参観は体操着姿で言ってたでないですか』と男子が文句を言っていた。すると、担任は「今回、一言でも『体操着でいいぞ』なんて言ったのか? いつ言った、何時、何分、何秒に言った」と、その男子に言ったので、男子はそれ以上反論すると体罰になりそうで≪やばい≫と思ったのか、黙り込んでしまった。みんな、仕方なく、着たばかりの半袖シャツを脱いだ。しかし九州の、雪の多い北国と比べれば比較的温暖な地域とはいえ、もう秋の終わりなので(柿はすっかり実ってる季節なので)、教室では風がないのでかなり慣れてしまってブルマ1枚でも余り寒くないけれど、外では風もあるし小雨模様のようなので、保温性のあるものを着用するのと、ブルマ1枚だけなのでは、かなりの差があるのも事実だった。雨に濡れ風に吹かれる日は、みんな唇を青くして体育の授業を受けていたので、みんなも外は秋以降はかなり寒かったと思う。しかし、実際の寒さよりも、ブルマ1枚というのは幼稚園みたいで6年生のプライドを傷つける面もあるのが問題だった。普段は先生と友達だけなので、あまり気にもしなくなるけれど、関係ない見物人がぞろぞろ来ると、やはり気になるのは仕方ないことだった。それに、いつも裸の学校だと、年に数回だけの体操着姿になれる(つまり、半袖にブルマという標準的な体操服姿になれるという意味だが)、特権的な日なのに、その特権が簡単に取り消されてしまった≪損をした≫という気分も大きかった。いつもは幼稚っぽい裸にされている6年生でも、授業参観では普通に大人っぽい姿になれるから安心と思っていたのに、そうでないと知り、みんなはがっかりしたような疲れたような顔をしていた。普段は学校に最初から持ってこない半袖シャツをわざわざ持ってきたのにという徒労感も手伝って、みんな、つまらなそうに裸で運動場に出ていった。麻衣も遅刻するとすぐに体罰なので、残り数人になったところで運動場に出た。運動場は裸足と決まっていたので、結局赤白帽子は被ったけれど、逆にバレーシューズは脱ぐということで、群読していた時よりもかえって体感的には寒い姿になって外へ出た。冬のように足の裏が冷たくて痛いということはないけれど、それでも、運動場の土の冷たさが足から伝わってくる。チャイムが鳴ったので、全員タイヤの前に整列して先生を待った。小雨模様だったのに、だいぶ雨粒が大きくなったので、授業参観に来たクラスの子の親たちは雨傘をさしていた。「雨降りだから、ちょっと可哀そうだねえ」と話しているのが聞こえた。1分しないうちに担任が職員室から出てきた。
整列して、礼をして、授業参観が始まったのだが、雨はやみそうにもなく、すぐ全身が濡れてしまった。裸なので仕方ないのだが。でも、体だけでなく、運動場の砂も濡れているし、遊具もすっかり濡れていて、あまり気持ちの良くない授業になりそうな予感がした。ブルマもすぐに水分を含んできて、乾燥してる時のブルマの気持ちよさが失われてくるのをかんじていた。整列できおつけしていても、もともと体に密着してるブルマが(ノーパンなので文字通り身体に密着しているのだが)、布のふわふわ感のないビニール袋を巻いているような感覚になってきて、ビニールをお尻に食い込ませてきおつけしているような気分になってくるのが分かった。子供なのでパンツを穿いてブルマを穿くよりも、もともとブルマも重ねばきのパンツみたいなものなので、ブルマだけ穿く方が下半身は下着になっているような自然な密着感があって気持ちいいと思うことが多いのだが、流石に濡れてしまうと柔らかい下着を着用してる場合のようなクッションの感覚がなく、じかに化学繊維が下半身に張り付いてくるような軽薄なかんじで、あまり気持ちのいいものではなかった。赤白帽子をかぶってるので、まだ整列時点で乾燥していて気分のいいのは髪の毛くらいだった。長い先生の話を聞いているうちに、体を流れる雨でどんどん濡れていったブルマは水分を含んで重くなり、ちっとも温かくなく、ちっとも包まれているかんじもせず、素っ裸できおつけしてるような気分になってきた。先生は野球帽をかぶり、透明雨合羽を着てるので、暖かそうだったけれど、クラスメイトはみんな唇が青くなってきているのが分かった。男子はまだ白い短パンなので、お尻までは出ていないし、濡れてもズボンというかんじで、おちんちんの形がよりクッキリするだけなので、たいしたことないけれど、ブルマの女子はもともとお尻を半分くらい出しているし、もともと下着みたいな面積の小さいものしか身に着けていないので、ますます素っ裸みたいな幼稚っぽい気分が強くなるのは仕方ないところだった。実際に、普通の小6よりも、授業参観の女子はかなり幼く見えていたと思う。
「運動を始める前に、この中に、国語の時間にやる気がなく、何度も注意された子がいる。その子を叱っておくから、手を上げろ」と急に言われたので、何故か今日は注意力散漫で何度か注意された麻衣が仕方なく手を上げたら、「こら、罰を受けるときは、どうするんだ?」と、かなり厳しく言われて目の前が暗くなり、急いで先生の前へ行って、先生の方へお尻を突き出してお辞儀をするような姿勢になった。最近スパンキングされるときは、この姿が多くなった。まだ半袖や私服を上半身に着ているときのスパンキングは普通の子供のお仕置きというかんじだが、裸で尻を叩かれると、まるで大人に虐待されてるような気分になりがちだと思う。でも、この日は大勢が見ているので、虐待気分とかよりも、とりあえず恥ずかしいという屈辱感の方が強かった。幼児じゃあるまいし、先生にお尻を突き出して、それを、手でぶたれているのは、かなりの恥ずかしさだったと思う。
麻衣のお仕置きが1分くらいで終わり、それから、いつものように柔軟運動をした。あと、大股開きをしてブリッジをした。雨の中、裸でブリッジの苦しさに耐えるのは、小学生らしい姿といえばそれまでだが、幼稚っぽいと思った。幼児気分になって、燃えて頑張らないと、とてもでないけれど、止めの合図までの1分近くもブリッジを続けていられないと思う。
それから、きおつけした姿から両手を真横へ伸ばして、足をどんどん左右に広げていくのも、かなり股の痛い技だと思う。この日も、ブリッジの後で大股開きを全員一斉にさせられて、みんな限界まで頑張るので(強制というよりは、それもあるけれど、自分だけ体の柔軟性で他の子より劣ってると思われたくないので、互いに意識しあい、必死になってしまうようだ)、大股開きの後は、多くの女子が太ももの内側を手でさすっていた。そのくらいマタが痛い思いをしてるということだ。
ネットなどを見ていると、楽しそうに体育の授業を受けている姿の写真がアップされている場合が多いみたいだけれど、実際には厳しい小学校だと泣きそうになりながら授業を受けているというのが本当だと思う。体育というのは技を憶える時間というよりは、苦しさに耐える時間のような意味合いが強いのでないかと思う。だから、体育の授業で耐える姿を見せるのは、普通のことだと思うけれど、みんながされるわけでないので体罰を1人だけうけてスパンキングされるのは恥ずかしいと思う。恥ずかしかったから記憶に残ってるのだろうけれど。
それから、タイヤを使った運動をさせられた。タイヤはクラス全員分が、半分は土に埋めてあり、半分が地上に弧を描いていた。最初にタイヤにまたがり、タイヤに抱き着く技をさせられた。「ぎゅうっと、抱き着け」と言われて、タイヤに抱き着いたのだが、気持ちよくて思わず「ああん」と小さい声を出してしまい恥ずかしかった。子供がペッティングしているかんじで、気持ちいいのかもしれない。次にタイヤに沿って、大股開きをする技で、みんな恥ずかしいのか、照れ笑いをしながら大股開きをしていた。そのあとが、タイヤの上で蛙逆立ちをする高度な技で、最初はできない子もいるほどだ。体が小さくて軽いせいか、最後はみんなが出来るようになったが、最初はバランスを失う子も多く、よくみんながお仕置きをされていた技だ。そのあと、タイヤにそって腹這いになり、ダランとしているが、「燕」と言われると、腹這いのまま、ピーンときおつけをした。さらに「エビ」と言われると、タイヤの上できおつけしてる体を、きおつけのまま大きくエビぞらせて、指先までピーンと伸ばした。タイヤとセックスしてるみたいで恥ずかしく、子供だからできる、子供だから恥ずかしがらずに頑張れる技だと思う。全員一斉にエビをさせられるのが、いかにも小学生らしい幼稚っぽい姿だなと思うけれど、一斉に同じ姿をする気持ちよさがあった。こんな風にみんなと同じことをさせられるのは気持ちいいと教えこまれるのも裸教育の特徴で、全員一斉に裸で同じ姿にさせられると、だんだん厳しさに病みつきになってしまうのだろうと思う。体育の授業で、全員一斉にツバメをさせられて、体をピーンとしないと、物足りないような気分になるのも事実だ。授業参観の時も、恥ずかしいなという気持ちよりも、エビぞるのが気持ちいい方が強くて、大勢に見られてるのに、足のつま先までピーンと伸ばして、気持ちよさに体をピクピクさせている麻衣に気が付いた。いくら近所の人や大勢の大人に見られていて恥ずかしくて、気持ちいいんだから、仕方ないと思う。集団で必死に頑張るのは気持ちいいと、体に教えこまれるものだから、マスゲームでも、多くの人が赤面しそうな姿に平気になってしまい、大勢に後で「すごいね」と笑われてしまったんだと思う。麻衣はとくに大勢と一緒に裸で赤面な姿をやらされるのが気持ちいいみたいで、気持ちいいものだから、恥ずかしさも忘れて頑張りすぎてしまうのだと思う。
もう6年生なんだから、頭では恥ずかしいことと恥ずかしくないことの区別はついても(そこは幼児と同じではない)、体は幼児と大差なく、気持ちいいものは気持ちいいんだから仕方ない。幼児と同じツルツルのワレメちゃんにされて、大勢の前で見てる方が恥ずかしくなりそうなことを、素っ裸で平気でできたのも、痺れそうなくらい体が気持ちいというか、頭が恥ずかしさでくらくらするくらい、それに笑われて目の前が一瞬暗くなるくらいエクスタシーがあるんだから仕方ないと思う。大きい子が素っ裸にされて可哀そうとか言うのは、させられていない人の感想でしかなく、実際にさせられている子供は興奮と気持ちよさで嬉しくてたまらないのだと思う。だから、女子が真っ裸で発表をさせられるとかいうと、可哀そうと思うかもしれないけれど、実際に辛くて恥ずかしくて可哀そうな面もあるけれど、逆に快感で体がしびれそうな喜びもあるのだから、単純に否定するのもどうかなと麻衣は思う。もちろん、この日は授業参観なので素っ裸にされることもなく、マスゲームのときのような変態に見えそうな極限の姿をさせられることもなかったけれど、でも雨の運動場で、クラス全員で一斉にツバメをさせられたりするのも、かなり強烈な体験だったとは思う。
28、涙の120㎝水槽
小学時代の方が一日中裸教育なので、厳しかったと説明したが、中学時代の方が厳しいという例外もある。それは冬合宿だ。山の中で分校の周囲には民家もなく誰もいない冬休みの分校で、厳しい冬合宿されたのは、小学生時代には考えられないほどの厳しさだった。つまり冬で寒いのに1日中ブルマ1枚だから、小学校と同じで厳しいということだろうと思ったなら、まあ、そうなんだけれど、中学の冬合宿だと、登校から下校まで裸の小学校の裸の生活と違って、文字通り四六時中裸なので、厳しさが一段と身に染みるということだった。合宿が始まるとブルマ1枚の裸にされて、そのまま、普通の学生服や下着は合宿が終わるまで返してもらえないということなのだ。じゃあ、脱いだ、女子中学生たちの学生服とかソックスとかパンティーは先生の部屋に保管してあるのかというと、そうではなく、邪魔だからと送り迎えだけしてくれた先生の車のトランクに積まれてしまったのである。その車は本来の麻衣の通う中学校の駐車場に停めてあるという先生の話である。だから、女子部員全員の下着のパンティーは、合宿中は数十キロ離れた駐車場の車の中にあるということになる。これでは、もう絶対に着ることは不可能である。その車は合宿終了時に再度分校に来るので、その時に麻衣たちのパンツを車から出してもらえるということ
つまり、ずうっと合宿中の1週間は、麻衣たち部員全員の衣類も下着も、遥か遠くに持ち去られて、麻衣たちの着用できるものはブルマ1枚と赤白帽子だけということになる。タオルや身の回りの品もなく、赤白帽子は(水道の沸かしてない)水のシャワーを浴びた後のタオルがわりにも使うし、オシッコをしたときに使うティッシュがわりもした。つまりトイレは水でお尻を洗えるけれど、紙は置いてなかった。だから、帽子は手でしずくをふくのは幼稚だし、ティッシュの代用として大活躍だった。あと、ビンタされるときにも、口の中を切らないように(そのくらい強くビンタされる)、口の中に帽子を入れさせられたので、口をふさぐ布の役割も果たしてくれたということになる。でも、ブルマはずうっと直接身体に密着させたままだし、洗濯もしてもらえず、1週間穿きっぱなしなので、だいたいの子のブルマはオシッコの匂いがしたり、こどもの股の臭い匂いがしたと思う。服装検査のときは、そのブルマを脱いで先生に渡してチェックしてもらうので、全員、ブルマの匂いを先生にかがれてしまったと思う。恥ずかしいけれど、部員は我慢するしかない服装検査だった。寒いのに終始裸というのは、登校から下校まで数時間でも辛いのに、それが合宿の始まりから終わりまで1週間続くのだから辛いのは当然だった。しかも、合宿も終わりだとマスゲームのリハーサルをさせられるので、臭いブルマもとらされるのだから、厳しい合宿なのは間違いなかった。だから中学時代で一番辛い体験は冬合宿だけど、その冬合宿でも一番辛いのが、秘密特訓だったと思う。秘密特訓は呼び出された生徒だけがさせられて、絶対に特訓の内容は誰にも話してはいけないと約束させられた(『約束できる子は手をあげろ』と言われて、部員全員手を上げさせられた)ので、どんなに辛くても他の部員に共感を求めて話すことすらできなかった。秘密特訓は大抵は深夜の体育館に呼び出されてやることが多く、全員呼び出された秘密特訓では、全員手で足を抱くように体を小さく丸めさせられて、その姿で一晩耐えさせられた。明かりは火災報知器のようなものと、わずかな小さな明かりだけで、ほぼ真っ暗な、照明を消した体育館で一晩、体を丸めて必死に頑張ったのだから、結構残酷だった。夜は九州とはいえ相当に冷えるかわりに、全員が子供部屋で身を寄せ合って毛布にくるまって寒さに耐えていたのに、この特訓では真夜中に体育館にブルマ1枚でいるのに、毛布などはなく、自分の体を丸めて、自分の体温で自分をあたためるだけしかできないのだから、地獄のように寒くてみんながたがた震えていた。体を丸めると、自分の肌と肌の触れ合った部分と、ブルマの布の温かさだけなので、ブルマ1枚の布の温かさを嬉しく思いながら真冬の寒さに裸で耐えるしかなかった。部員と部員は1メートル間隔くらいでずらっと体育館に並べられているので、他の部員の体温をあてにすることもできなかった。でも、女子部員たちは必死で真剣に頑張れない子は生きてる価値のない子と教えられていたので、価値のない子にならないぞと、一生懸命に真っ暗な深夜の体育館でブルマ1枚で頑張っていたと思う。真っ暗な深夜の体育館の冷たく固い床板の上に、女の子がずらっと並べられて、体を小さく丸めて耐えているのは、残酷っぽい感じだけど、実際は寒さと同じ姿勢を続ける苦しみに耐えるだけで、そんなに残酷な秘密特訓で もなかった。ただ、一晩は眠れないので、朝まで寒さに震えながら起きているので、その日の練習は眠くて大変というだけである。
秘密特訓で一番辛かったのは、部長の白木と次期部長候補(つまり、わたし、麻衣のこと)が先生の部屋に呼び出されてさせられた秘密特訓である。合宿3日目だったと思うが、ようやく基礎体力作りのサーキットトレーニング(下参考写真)などがすみ、明日からいよいよマスゲームの練習というときのことだった。
その日は体力づくりのクロッツの練習などもして疲れていて、子供部屋でいよいよ毛布にくるまって眠れると安心した頃だった。子供部屋にあるのは毛布だけで、布団がないので、畳の上に直接雑魚寝するだけだけれど、毛布は大量にあるので、うまく毛布に丸まると体重の軽い子供ばかりなので、案外普通に眠ることができた。毛布を布団替わりにしても、意外と弾力があり、慣れてくるのと疲れているので、案外ぐっすりと眠れるものだ。全員の深夜の体育館の秘密特訓の2日目だけ夜に眠れないので、6泊7日でなく、5泊6日ということになるのは辛いところだが、少なくとも5泊は家庭でベッドで眠るほどの快適性は望むべくもないが、そこそこ楽しい一夜ということだった。
ところが、3日目のその日は、先生係(先生からの連絡を部員につたえるメッセンジャー係)の女子部員が部屋に来るなり、「『部長と次期部長は、これから秘密特訓をするから、先生の部屋に来るように』と先生が言ってましたよ。『ブルマは子供部屋に置いてくるように』という指示でした」と言ったので、これから毛布の中で眠ろうとしていた麻衣はがっかりした。練習終了が遅くなったのですでに11時過ぎで、≪もうすぐ深夜になる時間だったのに呼び出しとは、本当についていないな≫と思ったのを憶えている。麻衣は多分、えーっという不機嫌に剥れた顔をしていたと思う(自分の顔なので見えないが)、ところが白木は嬉しそうに目を輝かせて、すぐにブルマを置いて先生の部屋へ行っていまった。あまり白木より遅れると顰蹙と思い、麻衣も白木を負い子供部屋を出た。子供部屋は狭くて小さい和室にぎっしりと部員全員が入れられているかんじだけど、廊下の先の先生の部屋は洋室で寝心地の良さそうなベッドや、居心地の良いソファーが置かれていた。麻衣は眠れると思っていた矢先に起こされたので、ご機嫌斜めで、≪女の子がブルマを脱いで深夜にベッドのある男の人たちの部屋へ行くなんて、まるで売春に行くみたいだな≫と思いながら歩いていたと思う。子供部屋は留守の用務員の部屋だけど、先生たちの部屋(いつも2~3人しかいないけれど)は、校舎1階の校長室の隣の貴賓室のような広い部屋で、一度素足で外へ出て、そこから裏玄関へ入り(施錠はしてない)、真っ暗な廊下を通って、ようやく先生の部屋だった。ふだんは、来賓などへの接待に使っているのだろうが、綺麗で大きな熱帯魚の水槽もあり(現在は水槽に魚はいなかったけれど、アンブリアが少し残っていた)、テレビやソファーもあり、快適そうだった。日焼けした畳に古い空の道具棚しかない子供部屋とは大差があった。水槽は床に直接置いてあるのではなく、120㎝水槽用の専用台の上に乗せてあった。台といっても、水の重量に耐えられるだけの4本の金属棒で支えただけの台で、台の上の段に水槽があり、台の下の段に熱帯魚の餌と空いたスペースに週刊誌とかカー雑誌が置いてあるのが分かった。どうやら校長か教頭の読んでいる本のようだなと、麻衣は思った。
部屋入り口のところで≪こんな場所で秘密特訓ということは、ここで一晩、素っ裸で正座してこれまでの合宿のことを反省させられるメンタルトレーニングかな。それとも、秘密特訓で先生以外は誰も見てない場所でさせられることだから、オナニーするメンタルトレーニング(女子が先生の前で自分のわれめちゃんのスジをさするだけの簡単トレーニングだが、中学生にはけっこう恥ずかしい)かな≫と考えてしまった。いずれにしても、真っ裸でベッドのある男の人の部屋に入るのだから、先生でなければ、かなりエッチなことには違いないなと思った。
部屋に入ると、すでに部長の白木が真剣な表情で120㎝水槽の横にピーンをきおつけして先生の指示を待っていた。麻衣も仕方なく、すぐに白木の隣できおつけして、指先を真っ直ぐに伸ばした。「つま先できおつけして待て」と言われたので、麻衣たちはつま先立ちして指示を待った。120㎝のブルマと聞くと、小学校指定ブルマだったし(先生がそう言っていただけで、案外120㎝のブルマでなくても黙認してくれた)、中学になっても部活では120㎝の部活指定ブルマをぎりぎりで穿いているので、ブルマ120㎝と聞くだけで厳しさに緊張で身が震えるような感覚になるのだが、まさかブルマでなく、120㎝の水槽に緊張するようになるとは、まだ思っていなかった。
「今日はメンタルトレーニングをしてもらう。部員より上の立場の部長は部員の知らないところで、人知れず部員以上の苦しみに耐えないといけない。そうでないと、部員になめられるぞ。だから、今日は部員たちよりも1段厳しい訓練を課す。ただ、強制はしない。辛い危険な訓練だからだ。死ぬかもしれない。死んだらいつもの校医に部活中の不慮の事故ということにしてもらうから、先生は迷惑でないが、死んだらもうご飯は食べられなくなる。それでもいいなら、特訓を受けろ。自主的に受けるというなら、止めはしない。でも途中で止めたりはできない。やるなら最後まで頑張れ。やらないなら、負け犬として子供室へ戻れ」と言われた。すると、本当にうれしそうに眼を輝かせて白木が「はい、わたし、やります」と元気に返事をしたのには呆れてしまった。仕方なく麻衣も「やります」と泣きそうになりながら、答えた。
「これから1人づつ試練を受けてもらう。先に返事した白木が先だ。試練を受けるまでは、きおつけして試練中の友達を見てるように。白木は試練が先に終わったら、次に試練を受ける子供を見ているように」と言われ、二人同時に「はい」と声をそろえて返事をした。
まず、白木から試練をさせられた。120㎝水槽には少な目に水が入っていた。「これから、先生が抱きかかえて白木を水槽に入れるから、白木は水槽で出してもらえるまで、頑張るように」と言われ、「はい」と真剣な声で白木が返事をした。「白木、昨日の夜の体育館の姿になれ」と言われたので、白木は仰向けにフローリングの床に寝て、両手で両足を抱え込むようにして小さくなった。もともと体の小さい、小学生みたいな雰囲気の女子中学生の白木が、さらに素っ裸で床で身を縮めると、本当に幼児か赤ちゃんのようにチッポケな生き物に見えてしまった。そう意識したのではなく、本能で自然に実際よりも小さく見えてしまうものらしい。先生の1人は白木の両肩を持ち、もう1人は白木の尻を持ち、小さなオモチャのように見えてしまう白木の体を易々と空中に持ち上げた。体重が小学生並みに40キロを切っているので、大きな大人なら20キロを切る小さな置物を持つような手軽さで持ち上げられるわけだ。もう一人先生がいたが、その人はテレビを見て、インスタントコーヒーを飲んでいたが、時々麻衣たち方を見ていた。白木は空中で後ろ回りの回転で一回転させられていた。まるで、オモチャみたいで、お手軽で軽い命だなというイメージの姿だったが、次は麻衣も同じことをさせられるのだから、あまりバカにする気にならなかった。でも、惨めな子供だなというのは、とても良く伝わり、エッチでどきどきしたと思う。静かに白木は水槽へ入れられた。そして、バケツに入っていた水を入れると、水槽は水で満タンになった(下の写真はイメージです)。≪うわ、酷いことさせられるな≫と結構残酷味があり、見ていてどきどきした。そして全身が水の中に入ると、上からガラスの蓋をされてしまった。水槽の中には、どこにも空気はない。水槽の温度計はほぼ5度くらいだったし、中は氷のように冷たいのだろうなと、赤面な素っ裸の子供の虐待のような姿に見ていて興奮してしまった。ガラスを嵌められると、上から金属の留め金を止められて、女の子供の力では絶対に脱出不可能にされてしまった。1分くらいは静かにしていた白木だったが、1分を過ぎると悶え始めた。口からブクブクと空気を吐き出していたので、水を飲んでしまったと思う。「出して」と必死な形相でガラスの中から両手でアピールしていたが、2分を過ぎると、悶え苦しむだけの姿となり、アピールする余裕もないみたいだった。
「おしっこ、漏らした」と先生に笑われていたが、股間から黄色いものが出ているのが見えた。そして、そのまま苦悶の表情で気絶してしまった。失神して完全に意識を失ったらしく、苦しみから解放されたみたいに、水に浮かんでいた。ちょうど3分を過ぎたとき、ようやく蓋の金具を外されて、3分30秒くらいは水中で悶えていた白木は、ようやく空気の全くない水槽から出されて、床の上に置かれていた。腹を押されて、口から水を惨めに「うぎょむ」と言って吐き出すと、息を吹き返して、激しくはあはあ呼吸をしているのが見えた。白木はそのまま抱き上げられて、テレビを見ていた先生の膝の上に座らさせられて、「ほお、小さな体で限界まで頑張ったな」と体を触られていた。マッサージでよく触られてるけれど、膝の上で体を触られる白木は生きたオモチャという言葉そのもので、かわいいというより、みじめな生き物に見えたけれど、白木はそれでも嬉しいのだから仕方ないと思った。死ぬかもしれないと気絶した後で、簡単に蘇生してもらい、小さな限界まで頑張った体を先生に触ってもらって感じてもらうのだから、命全部を見てもらってるようなものなので、生きている実感というかうれしさはあるのかなあと思った。
次は麻衣の番だった。水中に3分以上入れられると知り、絶対に3分は子供1人では我慢できない長さだなと思った。でも、自主的とはいえ始まってしまえば強制的にさせられるのだから、耐えられなくても大人の強制で3分以上水中にいるしかなくなるので、死ななければ生きて戻れると思った。時間は教えてもらえないので、白木は恐怖と苦悶と快感で失神したのだろうけれど、麻衣は教えてもらえないとはいえ、大体3分少々と分かっている分は気が楽だった。本当に時間も知らずに入れられると、本当に水槽から延々と出してもらえず、死んでしまうような気がしてこわいと思う。白木は永久に水槽から出してもらえず、そのまま死んでしまうかもしれないのだという恐怖に打ち勝って生還したのだから、強い子だなと思った。麻衣は2番手なので、そこまでの恐怖はないけれど、果たして水中にカップヌードルができてしまうほどの時間沈められて大丈夫かなという不安と恐怖の方が強かった。白木は水中にずうっと入れられてる熱帯魚みたいになって頑張っていた。それと同じことをさせられるんだなと思った。
藻の点いた余り綺麗でない水槽のうえに、白木のオシッコ入りの水槽に入れられる運命になった麻衣は、さすがに緊張からか顔に血の気がないようだった。「まるで、これから殺される子供だな」と、テレビを見ていた先生に笑われてしまった。でも、そのくらい緊張していたと思う。
「寝ろ」と言われ白木と同じように、麻衣はフローリングの床の上で「きおつけ」して天井を見ていた。途中で電話が来て中断させられていたので、ずうっと「きおつけ」して天井を見ていたが、3分以上してようやく電話が終わって先生が戻ってきて、「小さくなれ」と言われた。麻衣は体を小さくして、両手で両足を抱きかかえた。おもちゃのように空中に持ち上げられて、麻衣は白木の逆に前回転で一回転させられて(下向きにされて)、水槽の上に運ばれた。もう、自分自身が先生たちの生きたおもちゃになりきってる感覚で、≪おもしろエッチに、麻衣の全部を見られてしまうんだ≫と思いながら、10センチ先の水槽を見つめていた。3,2,1、と秒読みの後、そのまま水槽の中へ押しこまれた。水の中というか、白木のおしっこ水の中に全身を入れられたが、興奮していたのか、不思議と冷たさは感じなかった。水温は5度だから、気が張っていて、感覚がマヒしていたんだろう。氷水の中に入れられたようなものなのに、体に水を感じただけだった。そして、そのまま蓋を閉められたらしく、水槽から出られないのが何となく分かった。空気はどこにもないし、水と砂利と水草しか入ってない水槽に、麻衣が入っていて、みんなに眺められていて、熱帯魚の気分だった。麻衣はかわいいと先生たちから評判で(白木でさえ、そんな評判はないのに)、そのせいか、記念写真なのかもしれないし、訓練の実務的な記録なのかもしれないけれど、何枚も写真を撮られているのが分かった。きっと撮られた写真を大勢にみられて笑われるんだろうなと思ったけれど、空気のない水槽に惨めに閉じ込められているので、それどころではなかった。どんどん苦しくなり、我慢しきれず、水槽で大暴れをして、水をたくさん飲んだ。水というか、おしっこというか、とにかく飲んで悶えていた。目の前が暗くなり、意識がなくなりそうな苦しみだった。そして、麻衣も水中でおしっこをしてることに気づいた。おしっこしてる白木を幼稚な子供と思っていたけれど、自分も同じ姿になってるんだなと思った。そろそろ失神した方が楽なんだけれどな・・・と麻衣は思った。≪白木と全く同じ場所で、同じように苦しんでる姿をみんなに見てもらって、幼稚でみじめな、おもらし惨めっ子と思われただろうけれど、でも、負けない強い心を見てもらえたんだから、まあ、いいか≫と、案外のんきなことを思っていたような気がするのだが、水槽中の試練に必死すぎてよく思い出せない。ガラスの中に閉じ込められて、すごく残酷味のあることをさせられてると思うし、実際3分以上も仮に子供が100人とか入れたら何人かは死ぬ子もいるのだろうから、実際に残酷なことをされたのだと思う。白木のように簡単に息を吹き返す子が大半だろうが、そのまま心肺停止になる子もいるかもしれない。そうなっても、練習中の不慮の事故なので仕方ないということになるのが孤児の常なのだろうし、それが普通のことなのかもしれないけれど、いくら白木が孤児だからって、あのまま息を吹き返さなかったなら残酷すぎだなと思った。でも息を吹き返したのだから、結果はいいということなのだろうけれど。
気が付いたらフローリングの床の上に大の字になって寝かされていたので、麻衣は失神してしまったのだろうなと思った。辛くて耐えきれなくなる前に意識を失って、苦しみが少なくてよかったと思う。もし2分30秒のときの苦しみが、失神せずに更にカップ麺がのびそうな時間まで続いていたら、そして更に苦しみが強くなっていたら、地獄の苦しみだったと思う。辛くて素っ裸で悶えて、適当なところで意識を失って本当に良かったと思う。
麻衣が意識を回復すると、「これが、素っ裸で水槽の中で頑張った強い子か」と抱きかかえられて、ソファーに座っている先生の膝の上に乗せられた。「死ぬと思ったか?」「辛かったか?」「おしっこして、気持ちよかったか?」と尋ねられて、負けずに元気に「はい」と答えられたので、うれしかった。麻衣たちのことを心配して厳しくしてくれてるんだから、もっともっと、素直ないい子にならないとダメだな、と、思った。先生に、膝の上で全身を触られて、女の子の性器もつかまれて、「小さな性器でよく頑張ったな」と言われたので、負けずに「女子の性器丸出しで必死の頑張りを見られてうれしいです」と答えたら、「かっこいいぞ」とほめられた。「そうか、丸出しでも頑張れる子か?」と言われたので、「はい、いつでも丸出しになって、自分を出し切ります!」と言ったら、ぎゅっと性器を握られて「こんな小さい性器で、必死の命の見せて、本当に可愛い子だ」とほめられて頭を撫でられて、正直うれしかったです。手を握られるのも、性器を握られるのも、麻衣の成長のためにスキンシップしてくれてるんだから、どちらも同じだと思います。
子供の部屋に戻ると、急激に睡魔に襲われて、泥のように眠り、朝まで意識はなかったです。水槽にも負けずに頑張れた、そんな、麻衣、強い子ですか? みんなが麻衣の必死の姿を知って、元気になってもらえたらいいなと思います。あと、マスゲームの強い子の姿も、全裸で蛙逆立ちしてる写真も本当は大勢に見てほしいです。肛門を開いて蛙逆立ちしてる子の顔、真剣でかわいいと思います。赤面だけど、負けない姿はかっこいいかな・・・
29、苦悶の120㎝水槽
昨日の水槽を使った秘密訓練は泣きそうなくらい厳しい特訓だった。いつも大好きなブルマをはいてるから苦しみに耐えられる面もあるけれど、水槽では、入る前にブルマをとらされる。とらされるというより、部屋に脱いでくるので、どこにもブルマはない。ブルマは麻衣の守護神みたいなもので、ブルマだと自然に元気が出るのに、それなしの特訓ということからして辛いことだと思う。とにかく水槽は狭いし苦しいし、水槽の中の姿を写真にも撮られて、惨めな子でいるところを写真にされたので、誰も見ないでという気分だったが、どうやら写真は大勢にみられてしまったようだった(水槽写真はイメージです。実際の麻衣たちの写真とは異なります)。
ブルマありだと、けっこう強気で、どんな試練でも受けてやるという気分なのに、どうしてブルマを脱がされると自信がなくなるのか、とても不思議だった。実際に元気も自信もなくなるんだから、仕方ない。ブルマありでも、ブルマなしでも、同じ久保田麻衣だろうがと言われても、確かに麻衣は同じかもしれないれど、実際に精神状態も変わってしまうし、どうやら表情も変わってしまうらしい。ブルマで蛙逆立ちだと中学生らしい顔だと言われたけれど、ブルマなしで蛙逆立ちしてる写真は、みんなに「幼児に見えるよ」と言われた。ブルマなしだと、こころの中も幼児化してしまうみたいで、逆に恥ずかしさを忘れて大胆なこともできたけれど、やはり、自信も元気もなく、人形のように感情をなくして大胆なことをしてるだけなんだと思う。
鉄棒にまたがってプロペラ回転(横回り)をさせられる時でも、ブルマありだと案外簡単にぐんぐん回転できるのに、ブルマなしだと回転が弱いと思う。鉄棒にはプラスチックのパイプを10㎝くらいに切ったものが被せてあり、実際には鉄棒でなくパイプにまたがるので、たとえ素っ裸でプロペラ回転をさせられても、股が金属棒に擦れて痛いということは全くない。理屈で言えばブルマのないぶんだけ、身軽になっているはずだ。それなのに、何か体が重く感じてぐるぐる回転しにくいのだった。昨日の水槽での特訓も、素っ裸で(水中なので風呂と同じことで仕方ないが)ブルマもパンティーもなしで、自分の体だけで水槽に入れられたので、余計に大変だったのだと思う。もしもブルマも一緒に(はいてなくても)水槽に入れてもらえたら、もう少し元気よく強い心で頑張れたのにと思う。
そのうえ水槽は透明だし、水も透明な綺麗な水だし、100ワットの白熱電球のスタンドで照らされていたので、中からは眩しいだけで外は見えないけれど、外から子供の様子は丸見え状態なので、きちんと頑張っていないと、すぐにバレてしまうのも大変なことだった。白木(体操部の部長をしてる中2の少女で、小5くらいに見える。あどけない)と比較されるので、白木より頑張れない子と思われるのも、それでは必死に頑張ってる意味ないので、いやだと思う。だから丸見えなだけに緊張もするし、写真も撮られるから強い子だと見えるような姿を撮影されたいし、いろいろと大変な特訓だったと思う。
ところが、その翌日も再び深夜に毛布の中で眠っていたら、深夜の2時ごろだったと思うが、放送が入った。「秘密特訓するから白木と久保田は即座に素っ裸になって先生の部屋へ来い」という内容だった。放送で、目が覚め、半分くらい寝ぼけながら毛布から出てブルマを脱いだ。ブルマが行方不明にならないように、ブルマを壁のハンガーにかけた。白木は脱いだらその場に置いただけだった。麻衣ほどブルマを大事とは思ってないようだった。もしブルマをなくしたら、もう着るものがないので、慎重になってるんだけど、白木はあまり気にしてないのかもしれなかった。
暗い室外へ出ると冷気が強かった。冬だから当然なのだが、やはり狭い部屋に大勢いると大勢の体温でけっこう温度が上昇してるんだなと分かった。真っ裸の体に冷気を感じながら、暗闇を歩き裏玄関から分校の校舎に入り、廊下を歩いた。廊下も真っ暗で幽霊でも出そうで怖い気がしたが、我慢するしかなかった。廊下のむこうに明るく見えてるのが先生の部屋で、入ると照明が眩しいと思った。
昨日は水槽が台の上に乗せてあったが、今日は水槽は床にじかに置いてあった。空中のような場所で苦しんだ昨日と違い、今日は床の上の水槽で特訓をさせられる様子だった。先に白木が水槽に入れられ、全身を水の中に沈めて、健気にも必死に耐えている姿が可愛いようでもあり、残酷なようでもあり、エッチなようでもあり、見ていてどきどきした。もがき苦しんでるのが、子供の虐待を見てるみたいで、少し興奮させられるものがあった。所詮他人事なので、かなり冷静に様子を眺めていたが、余りに苦し気な様子に、正座してるわれめちゃんを、おしっこで濡らしそうな気分だった。
昨日と違うのは、機能はガラスの水槽に蓋をしてしまい、水しかない空間に耐えさせられたのだけれど、今日は蓋を使わないという点だった。やはり特訓2日目なので、昨日よりは厳しい内容ということなのだろうけれど、先生の手で首と股をつかまれて、水中に押し付けられているので、昨日のような無機的な残酷さと違って、少し暴力的な残酷さがあるかなあという気がした。股をつかむのは大人ならエッチだろうけれど、子供だし、小さい子が股を持たれて運動してるのと同じことで、体を持ちやすい場所なのだから仕方がないと思う。しっかり体を固定するには、首と股を両手で持つのが一番簡単だと思う。それに、エッチとかエッチでないとか考える余裕はなかった。次は麻衣の番なのだから。結局、今日は白木は失神しそうになって、ぴくぴくしてたけれど、頑張りぬいて水槽から出された。ずいぶん長い時間水しかない場所にいたので、水を飲んでいて、げほげほと吐いていた。先生が白木を逆さに持って背中を叩いていたので、気管支へ入った水は出たと思う。もう中学生とはいえ、ずいぶん長い時間耐えて、かわいいだけでなく、精神力もあるなあと、ライバルを見て思った。水を吐くとぐったりした顔で正座をして、水槽を見ていた。
いよいよ麻衣の番になり、名前を呼ばれて、「はい」と大きい声で返事をして、先生たちのいる場所へ行った。水槽と反対側のソファーの方向である。ソファーの先生は麻衣が行くと、「先に準備運動をする。白木は2年だから、運動なしで試練を受けさせたが、まだ久保田は1年ぼっこなので、先に運動してから水に入ってもらう」と言われた。「はい」と大きい声で返事をした。まず、先生の膝の上で「つばめ」をさせられた。先生の膝に腹ばいに乗って、ピーンときおつけをした後、体をエビぞらせた。ちゃんと、指先も、足のつま先も真っ直ぐにピーンと伸ばして頑張った。燕の後、今度は床の上で蛙逆立ちとブリッジをしたら、かなり疲れてフウフウ言っていたら、「よし、準備運動終了」と言われた。そして床でうつ伏せのまま、きおつけをして呼吸を整えさせられて、それから小さく体を丸めるように言われて、丸めると先生に首と股をつかまれて、ソファーのある場所から水槽まで空中を運ばれた。物を運んでるような手軽な感じでもたれて、手軽に運んでるみたいで、大男なので小さな体重の小学生並みの麻衣の体なんて、人形を運ぶのと大差ないのかもしれない。肛門と性器に先生の手が密着していて痛いくらいだけど、我慢して小さくなった姿勢を維持していた。床には下されずに、直接水槽へ入れられた。ゆっくりと入れられたけれど、水槽の水は入れ替えたばかりのようで、非常に冷たかった。朝に昨日は断水していたので水道のパイプの水は氷点下になっていたのだろう。とりあえず今は断水はしていないので、昨日よりは水温は高いのだろうけれど、子供が3分も入れられる水にしては、水温が低すぎると思う。白木も特訓後、顔に血の気がなく、がたがた震えていたほどだったので相当冷たい水なのは事実だろう。10秒20秒なら低温でもたいしたことないけれど、時間が長いので温度の低さも辛いと思う。でも、緊張していたせいか、冷たいと思ったけれど、普通に耐えられた。そして水槽の底まで体を入れられると、全身が冷たさに包まれて、体温がどんどん失われていく感覚がした。昨日の水槽の方が明らかに水温は高くて、普通の水だったけれど、今日のは氷水に近いと思った。氷のぷかぷか浮かんでいるジュースの中のようなものだ。
昨日は浮力のせいで、水槽の中間に浮かんでる感覚だったのだけれど、そして蓋で覆われて密閉されてるから、許してもらえるまで出られないだけだったけれど、でも今日は先生に手で体を持たれてるから水槽の底まで沈められたような感覚だったし、事実その通りだった。白木を沈めていた時に、「冷たすぎて、手が痛いくらいだな」と言って先生が笑っていたので、覚悟はしていたが、本当に冷たい水だった。「おう、大丈夫か。白木を押さえつける手が冷たいなら1分くらいで交代してやろうか」とか別の先生が言っていたけれど、結局は最後まで同じ先生が白木を押さえつけていた。特訓を受ける方も大変だけど、特訓をさせる方も大変なくらい低温ということだったようだ。手が冷たいということで、先生は今度は片手はゴム手袋をつけていたが、もう片手は素手のままで、ゴム手袋では股はつかみにくいという話だった。それで、右手のゴム手袋をしてる手で首を持たれ、素手の方で股をつかまれて、麻衣はそのまま水中の人となった。
体が動かないように股を固定されてる感じで、首の方は手で下に押し付けられている感じだった。かなり暴力的な力で押し付けられているので、許されるまで水中から出られるような気は全くしなかった。どちらかというと、麻衣のお尻が高い位置で、顔は低い位置で、水槽で前傾姿勢をさせられてるような感覚だったと思う。夢中で頑張っていたし、写真も撮られるので、ちゃんと強い子の姿を撮影されるように、頑張れるだけ頑張るしかない立場だったと思う。白木は最後まで耐え抜いたのに、麻衣だけ気絶してる姿を撮られるのは、白木に負けたようで嫌だった。昨日と違い、ゴム手袋で首を押さえつけられてるので、顔は水槽の砂利に押し付けられていた。顔は柔らかい砂利と砂の中に半分くらい埋まってしまっていた。顔は砂の中で、肛門は高い位置で、恥ずかしい格好してるなと思ったけれど、写真を撮られながら頑張った。冷たいのと苦しいので、気を失いそうになりながら、訓練に耐えている感じだった。肛門の窪みは持ちやすいらしくて、先生がぼくのお尻の穴を親指で抑えてるので、指が肛門に入ってくるみたいで、水中浣腸少女にされてる気分にさせられた。何も着用もせずに、直接先生の手でお尻を持たれてるんだから、手が恥ずかしい部分に食い込んでくるのは、むしろ当然のことで、そんなことを気にした麻衣がませていただけなのかもしれないと反省しながら、必死に耐えたけれど、水中の時間は泣きそうなくらい長いので、だんだん意識を失いそうになって、「お、あったかいものが出てきた」と言われたので、苦しくて、子供のぼくはおしっこを出してしまいました(と、思うけれど)。
結局、気がついたら、床板の上に大の字になっていたので、白木と違って3分たたないうちに気絶してしまったのだと思う。意識のないまま、水槽から出されて、床に大の字にされて、意識不明のままいたのは、どのくらいなのだろうと時計を見ると、どうやら2分くらい大の字になっていたようだった。水槽の中で頑張りぬいたぼくを、性器の中身まで全部丸見えで見てもらえて、強い子だったと思います。
2人は「よく、頑張った」とほめられて、先生に抱っこしてもらえたので、まるで小学生低学年みたいだけど、このときは素っ裸の冷たい体をギュッと締め付けられて、とても嬉しくて≪頑張ってよかった≫と、思いました。
いつもは、ブルマの強い子だけど、ブルマなしでも強い子になれるぞと教えられて、少し成長できたと思います。それが秘密訓練の成果だと思います。成長した分は、余力として部長になったときに生かしていけるといいなと思いました。水槽の砂利に顔を押し付けられて気絶するなんて、惨めな恥ずかしい子かもしれないけれど、最後まで負けずに頑張った強い心はかっこいいんだ、と、思いながら子供部屋に戻りブルマも穿かずに、そのまま毛布の中で朝まで眠り、気づいたら朝になっていて、周囲は明るかった記憶があります。
30、翌朝の120㎝水槽
120㎝水槽で涙のメンタルトレーニングというか秘密特訓をされて、翌朝、爽やかな晴れた日だったけれど、冬らしい寒い日だった。やや北風もあり、こういう北風のある日は体操着にジャージ姿という他の部なら問題にもならないことだろうけれど、裸教育中で防寒の方法のない子供たちにとっては、少し風があるのと、少し風がないのでは大違いで、疲労度がまるで違うので、あまり楽しい天候でないのは事実だった。曇っていても気温が高ければいいのだけれど、晴れていても寒いし風もあると、体温が奪われて運動場での練習は大変だった。この日の練習とかのことは、いずれ書くとして、とりあえず、水槽を使って、わずか数十センチの幅と高さと、それと比べると若干長い奥行きの、とても狭い場所で秘密特訓された翌日のことなので、それに関連したことだけ書いておきたい。狭い場所の訓練の中でも、水槽の中での訓練は、間違いなく上位に入る狭さの場所での訓練だったのは間違いない。一番狭い訓練は、やはり、全員がメンタルトレーニングで、苦しみに耐える訓練とかで、夏合宿のときにダンボール詰めにされて頑張った訓練だろう。全員分の小さな、子供でないと入れないダンボール箱に入れられて、ガムテープで止められてしまい、手で持つところから空気が入るから窒息はしないけれど、窒息しそうな気分の狭い空間で訓練時間中頑張らされるのは、大変だった。ダンボールが10個くらいしかないので、前半に入れられる子と、後半に入れられる子がいて、麻衣は前半だったけれど、とにかく苦しいだけだった。狭いのと姿勢を変えられないのと、体を丸めてないといけないのとで、苦しみは簡単そうに見えて実際には相当なものだった。知らない人が見たら甘いメンタルトレーニングに見えるかもしれないが、現実には全然甘くなく、普通のサーキットトレーニングの方がよっぽど楽だと思う。素っ裸で、手足を紐で縛られてから、先生に体を持たれて箱の上に立たされて、全員の準備が終わったら、箱の中で小さくなるように言われて、箱に丸くなるとぎりぎり入れる箱に入り、順番に蓋をされて、ガムテープで止められるのだ。後半に見ていたら、ダンボールに子供が入れられてガムテープで止められると、本当に単なる密封された箱にしか見えない。とても女子が素っ裸で入れられてるとは、思えないような、小さな箱が置かれてるだけの風景になってしまう。それから、邪魔になるからと、箱は台車で移動させられる。誰も使わないからということで、運動場にあるトイレの、男子トイレの方の中に段ボールが無造作に置かれてるのには、≪やだ、可哀そう…≫と、自分もされたことも忘れて笑ってしまった。男子の小便器が3個くらい並んでいる場所の前に、小便器に押し付けるような感じで、便器の下に密封された箱が無造作に置かれていて、汚らしいものが箱に入っていそうな雰囲気に見えてしまう。でも、実際は、女子部員が素っ裸で詰められていて、苦しみに耐えてるんだから、エッチで残酷で、笑ってしまいそうになる。可哀そうだけど、メンタルトレーニングなんだから、仕方ないのかもしれない。後半の子は、途中から地元の男の子たちが運動場を野球で使うからと、トイレの裏側へ移動させてたけれど、トイレの裏はガラクタ置き場になっていて、要するに一時的なごみ置き場になってるんだろうけれど、そこにダンボールが置かれたので、まるでゴミが捨てられてるみたいで、さらに粗末な扱いになってしまっていたが、どこに置かれても、中の子は全く見えないのだから同じことだと思った。前半の麻衣たちはトイレの中だけで、ゴミ捨て場に置かれてしまう目には合わなかった。そんな狭い空間の中で何度かメンタルトレーニングをさせられて、30分くらいから、長いときは数時間も箱詰めにされていたと思う。一番長かったのは、特訓を受けさせられた数人が箱詰めにされて、深夜の体育館の男子トイレに箱を置かれたときで(そう聞いただけで、見たわけでないので、実際の場所は分からない)、そのまま先生たちは部屋に戻って眠ってしまったようで、麻衣たちは深夜の狭い場所で苦しみに耐えているしかなかった。真っ暗な男子トイレに女子が閉じ込められて、密封された箱から出られないのだから、しかも素っ裸で頑張ってるのだから、悲惨な運命に耐えてるのは事実だった。朝、ガムテープが剥がされて出してもらえた時は、全員ぐったりしていたし、麻衣もふらふらと倒れこんでしまったほどだった。とても危険なトレーニングなので、全員無事で何よりだった。あと、時間は短かったけれど狭かったのは、樽に詰められたときだ。体がぴったり入る大きさの樽に押し込まれて、蓋をされて、枯れ葉のスキーをするという学校わきの斜面から落とされた。樽は転がり落ちていくのだけど、すごい勢いで回転するので、気絶する子もいたほどだった。滅茶苦茶に回転してるけど、何もできないで、なすがままに転がっていくのは素っ裸のおもちゃの子供気分で、惨めさと辛さとの入り混じった気分で、心理的にも実際的にも大変だった。樽は下まで転がって止まるけれど、バウンドしたり、思わぬ方向へ転がったりと、バウンドして木にぶつかってる樽を見て、≪わあ残酷だな≫とエッチで面白かった記憶がある。あの中で素っ裸で女子が耐えてるんだと思うと、必死の心を思うと、エッチだし残酷な訓練だなと思った。樽に普通に入れられて転がされるのでなく、素っ裸で入れられるのが、全裸で苦しみに耐えさせられるというエッチさと残酷さがあるのだなと思った。遠心力と回転で気絶しそうになるほど苦しいけど、時間は短いので、おしっこをちびることもなく、やり抜くことができたのは強い子だったなと思う。まあ、色々あったけれど、やはり一番危険で、一番生死すれすれの子供にされるのは水槽のトレーニングなのは間違いないと思う。急斜面を転がり落ちるのも危険だけど、水中だと窒息する危険や、おぼれてしまうので、やはり危険度は高いと思う。それに急斜面はスキー用のコースなので、危険のないように整備してあるので、よほどコースから外れてしまわない限りは転がるだけで命の危険はないと思う。もちろん二十数人もさせられるので、数人はコースを外れて、危険な状態になっていたし、実際に木に衝突して気絶していた子もいたので、まるで危険はないとはいえないと思う。でも、やはり一番、直接的に命の危険を感じて怖いと思うのは、ダンボール詰めでも樽詰めでもなく、水槽内で頑張らされることだと思う。訓練中は水槽内部の狭い空間が自分の全宇宙なので、その中で生き抜くには強い生きたいという気持ちがないと、本当に死んでしまいかねないと思う。実際に危険なので、させられたのは白木と麻衣だけだった。こんな風に書くと、入れられたのは、ダンボールと樽と水槽だけと思うかもしれないが、実際には夏も冬も1週間も合宿があり、毎日メンタルトレーニングをさせられるので、日替わりみたいに、ずいぶんと子供扱いというよりは、物扱いのような色々なことをさせられたものだと思う。素っ裸にされるので、余計に物扱いにされがちなのかもしれないけれど。小さな女子が素っ裸で必死になっていたら、おもちゃみたいな存在なのだから、おもちゃ扱いしてしまうのも仕方ないことなのかもしれないけれど。孤児院で昔子供を袋詰めにして体罰で吊るしていたという話だけど、普通のメンタルトレーニングで、体罰でもないのに袋詰めで吊るされたりもしたし、しかも素っ裸で吊るされたので真っ裸で苦しむことになり、惨めさ満点だったりもした。体罰でも、叱られた女子が素っ裸で花壇の砂の中にパイプを咥えて埋められて、体を紐でぐるぐる巻きにされてるので、パイプを咥えてないと息もできなくされたこともある。とにかく秘密特訓とかメンタルトレーニングとか体罰は、子供の虐待と紙一重みたいな世界だったので、そういう厳しい世界が好きな子供には毎日が夢のような試練の連続だろうし、嫌いな子には地獄の合宿なのは間違いないと思った。麻衣は、好きなような嫌いなようなで、白木のように厳しくされまくるのが大好きでもないけれど、葵のように嫌々で渋々やってるというほどでもなかったと思う。裸教育の地獄の特訓は女子でも限界まで頑張らされるので、甘えは許されない世界だった。でも、やはり、一番怖い訓練は水槽だったと思う。毎日毎日日替わりみたいに様々な子供扱いとは思えないような悲惨なこともさせられたけれど、一番危険を感じるものは、やはり本能的に水を怖いと思うので、水がらみの特訓が怖いし、特に水槽のような狭い空間なら逃げ出せないだけに一層怖いと思ってしまうのだろう。ブルマを脱いでお尻を持ち上げる尻たたきは確かに恥ずかしいけれど、怖いということは全然ないと思う。
とりあえず、朝食を済ませて、まだ訓練時間まで30分くらいあるので、子供部屋でのんびりしていたら、再び白木と麻衣だけが呼び出された。≪麻衣は水槽の中で最後まで頑張りぬかず、あっさりと気絶してしまったので、叱られて体罰なのかな≫と、麻衣は思っていた。そうしたら、叱られるのは麻衣でなくて白木の方だった。麻衣はブルマを水槽に持ち込めたら安心なのにな、身に着けてなくても一緒に入れてもらえると元気になるのになと思っていたけれど、まさか、ブルマを持って水槽に入れば先生に見つかってしまうのは明白なので、ブルマを持ちこむことはしなかった。ところが、白木は余程水槽の訓練に命の危険を感じていたらしく、小さな御守りを手に握っていたらしいのだ。ブルマを持って水槽に入ればバレてしまうけれど、小さな御守りなら一緒に水槽に入っても発見されにくいのは当然のことだった。「水槽内には自分の体以外のものを持ち込み禁止」と言われていたのに、白木はこっそり数センチの小さな御守りを持ち込んでしまったらしかった。白木が水槽で悶え苦しんでいる時に手に何かを持っているのを、見物していた別の男の先生が発見したらしかった。それで、今日、何を持っていたのか問い詰められて、それから体罰だった。麻衣は、一緒にメンタルトレーニングを受けたので連帯責任で体罰になるところだけど、昨日は必死で頑張れていたので「体罰を受ける白木を見て、一緒に反省しているように」と言われた。要するの実質的には体罰なしで、体罰をうける白木を見て、自分もされていると思って反省しなさいというだけのようだった。麻衣は、またがるのが好きで、よくブルマで自由時間に手すりなどにまたがって遊んでいたが、子供なので別に恥ずかしいとも思わず、気持ちよがっていたが、それは自分で勝手にやってることだった。ところが、白木は体罰で1メートルくらいの長さで3㎝くらいの厚さの板に体罰でまたがらされていた。最初にブルマを脱いでから20㎝くらいの幅の板に両足を折り曲げてまたがり、両手も折り曲げて手足を使って板を挟むことをさせられていた。まず正座するように板にまたがって、足をガムテープで固定されて、そのまま前へ倒れこんで、今度は両手で板をはさんで、その両手を板に固定されていた。そのあと、体を板に紐で固定されてしまい、板にまたがった変な姿のまま白木は動けなくされてしまった。素っ裸で板を挟むように縛られるなんてSMショーみたいでエッチかなと思ったけれど、体罰なのだから仕方ないことだった。先生の部屋で板に体を固定されて動けなくされた白木はそのまま外へ運ばれた。
昨夜は部屋に置かれていた水槽だが、どうやら水槽を捨てるらしく、今朝は外に水槽が置かれていた。一晩、ずっと野ざらしになっていたらしく、水槽の上に薄い氷の膜のようなものが出来ているのが分かった。氷が張っているというほどではないけれど、薄く表面だけ氷かけているようなかんじだった。学校の校舎のすぐ近くに置かれている水槽には水が満杯に入っていたので、外へ運んでから水を追加したのだろうか。そして水槽の上にはガラスの蓋が置かれていた。ガラスの蓋ははめ込むような蓋で、ガラスとはいえ強度は十分そうで、水中の女の子の弱い腕力で何とかなりそうには見えなかった。水も怖いけれど、この蓋を閉めらるのが、一昨日は非常に怖かったのだ。昨日は先生の手で押し付けられたので、惨めな気分はしたけれど、閉じ込められる怖さは和らいで、その意味では楽だったと思う。
麻衣は水槽の前に、背筋を伸ばして、というより、お尻を突き出すみたいに背筋をそらして、幼稚っぽく正座をさせられて、白木の体罰を見て反省するように言われた。板に固定された身動きできない白木は、そのまま無造作に水槽の中に板ごと入れられた。そして、そのままガラスの蓋を閉められてしまった。空気のない水で満杯の中にいる白木は自力では動けず、苦しくても悶えてじたばたすることもできず、許してもらえるまで耐えるだけだった。昨日は訓練だったので、じたばたできたけれど、今日は体罰なので、じたばたすることもできないのだなあ、可哀そうだけど板に抱き着いたまま頑張るしかない子供のようだった。板を挟んでるのだから、何もない水槽に体だけで入れられるよりは、安心感があるかもしれないなと思った。苦しくてもがこうとしても、もがくこともできず、どんどん苦しくなって、金魚のようにパクパクしていて、水を飲んで苦しんでる様子だった。何度も水槽に入れられて慣れてるから大丈夫だけど、いきなり入れられた子供だと窒息して溺れ死ぬかもしれないくらい長い時間水中に入れられていた。
残酷というか、死んだら死んだで仕方ない、それだけの子供なのかなというエッチさがあり、残酷で可哀そうすぎで面白いなと思った。さすがに4分近くになった時に、水中で失神してしまった。
気絶した素っ裸の女子は水から出されても気絶したままだったが、板から外されても、呼吸をしていないのが分かった。一人の先生に足首を持たれて逆さづりにされて腹や背中を叩かれると、口から水を吐いたようだった。それでも息を吹き返さないので、人工呼吸をして、男の先生にマウスツーマウスで、人工呼吸してもらっていて、先生に鼻をつままれて、息を吹き込まれていた。白木の口と先生の口が密着しているけれど、非常事態なので、エッチとか恥ずかしいとか言っている場合でもなさそうだった。先生は柔道をしていて、閉め技でよく呼吸が止まるのは見ているから、別に部員の呼吸が止まっても驚かないといっていた。冷静に人工呼吸をしているだけなのは分かったし、慌てている様子もなかった。心臓は弱いながらも動いていたという話で、備え付けの電気仕掛けの機械を使うまでもない様子だった。心臓が動いているので、後は息を吹き込んで自立呼吸を待つだけなので、落ち着いているのだろう。水槽で溺れて事故死した女子もいたという本当か嘘かは不明なうわさを聞いたことがあるので、白木みたいに水槽に閉じこめられて、そのまま息を吹き返さない惨めな子もいたのかもしれないなと思った。でも、とりあえず、数分後に白木は意識を回復し、でも、まだ動けないようで、先生に息を吹き込まれるたびに、腹が膨らんでいるのが見えた。ようやく、白木が自分で息を始めたので、先生は白木から口を外した。相手が子供なので、汚いとかエッチとかいうことは全然なくて、ただの人形に口をつけているようなものなのだろうなと麻衣は思ったが、実際はどうなのかは分からない。ただ白木が簡単に口をつけて息を吹き込まれてる手軽な子供なのは事実だった。あと数分入れられてたら死んだのだろうけれど、でも、死ぬぎりぎりまで頑張らされた子供なのは事実だし、とても軽い命だなあという気がした。実際、部員が本当に死んでも、訓練中の事故で簡単に片付けられて終わりなのだろうなと思った。しかし、水中で板にまたがったまま気絶する恥ずかしい姿を見せられて、≪強い子でかっこいいなあ≫と思ったのも事実だった。麻衣はここまではさせられなかったので、助かったと思った。神妙に反省してる顔はしていたけれど、全裸の美少女の赤面な体罰を見せられて、エッチで残酷でどきどきして見ていたのは事実だった。白木の命が弄ばれているのが面白いなと思った。可哀そうなのも事実だけど、エッチな体罰だと、結構興奮してしまうのは事実だった。
夏合宿では箱詰めにされたと話したけれど、冬合宿の白木の体罰などと比べれば甘い試練だし、自主練習で校外の道を走るときはスクール水着を着てもいいと言われたので、ずいぶん気楽な気分だった。冬合宿だと自主練習で外を走る場合でもブルマ1枚のままだし、水泳の訓練の時は素っ裸だったので、水着になることもなかった。夏合宿で素っ裸で道路を走ったのはクロッツ走の訓練の時と、クロッツ走の大会(部員だけの大会だが)の時くらいだった。クロッツは、もともと素っ裸で走るものと国際的に決まっていて、何かを少しでも身に着けるとマラソンとかマラソン大会とかになってしまうので、それは甘い夏合宿とはいえ仕方のないことだったと思う。数日食事抜きにされて、水も量を制限されて、空腹でふらふらの体で、重い古タイヤを持って道路を走るのだから、地獄のようなマラソンだと思う。クロッツは女子がやるもので、それは新体操と同じで、男子はやるものではなく、男子がさせられたら、気持ち悪いと思う。やはりおちんちんがプラプラしてない女子だから許さる競技なのだなと思う。子供が真っ裸でクロッツをさせられている写真はたくさん残っているが、どれも女児ばかりだ。外国での競技の写真を見せてもらったけれど、みんなワレメを丸見えにして走ってるけど、おちんちんの付いている子供はいなかった。女子だから、残酷競技でも、可愛いし、見世物になるということなのだろうと思う。
たびたび話が脱線をしたけれど、すっかり白木が水槽に閉じ込められる体罰から体力を回復した様子だったので、学校の垂直の棒に真っ裸で登らさせられていた。素っ裸で股を広げて、両足で棒を挟んで、棒をよじ登る白木はすっかり元気な普通の女子中学生に戻っていた。麻衣もブルマを脱いで、一緒によじ登るように言われたので、白木とともに細い棒を挟んで、よじ登った。鉄棒とか、のぼり棒とか、女の子だからかもしれないけれど、よく、棒に足を挟んで頑張らされるなあと、思った。
あと、写真は使えないので、似たような絵になるけれど、冬合宿の後で人前で集団体操の発表があるので、もちろん全裸発表をさせられるので、男子の前まで走って行って、「メンタルトレーニングで全裸を見てもらわないといけないので、協力してください。いいですか?」と、尋ねて、協力をしてもらう同意を得て、真っ裸になって見てもらうというメンタルトレーニングも冬合宿以降にさせられた。真っ裸を見られることよりも、真っ裸を見てくださいとお願いするのが、恥ずかしいと思った。「好きなところを好きなだけ見てください」と言わないといけないので、一番秘密にしたい部分も普通に全部見られてしまうし、きっと女子の変な部分を見て、男子も興奮していたというか、性的な興奮があったと思う。でも、厳しい訓練なのだから、頑張るしかなかった。
そもそもマスゲームが人前で恥ずかしい格好をさせられるのだから、素っ裸を見られるくらいは平気になっておかないと、きちんと頑張れないと思う。エッチだけど、本番の前の訓練なので仕方ないのだなと思う。
人に、「スカートをめくって、ちょっとパンツを見せる」というメンタルトレーニングくらいでも、恥ずかしがったり、泣いたりしてた女子が、同級生の男子の前で素っ裸になってワレメちゃんまで見てもらうメンタルトレーニングをできるようになったのだから、厳しく訓練されて躾けられた成果なのだと思う。とにかく、120㎝のブルマというのも部員の指定の子供ブルマを思い出すし、120㎝の水槽というのも残酷訓練を思い出すしで、120㎝と聞くと、なんとなく今でもどきどきしてしまうようだ。幼稚っぽい可愛い顔(写真は短大1年の時で、中学時代の顔はもっと地味で素朴なかんじ)だと先生からも言われたけれど、だからって甘くしてもらえたわけではないのは、120㎝の水槽の秘密訓練の話からも分かったと思う。
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