ひよこ日記 第4節

14、いつもと違う業間体育に恥ずかしくて涙ぐむ

 登校後、すぐに男女同じ教室で着替えるのも、案外すごいかなと今は思う。当時も前の普通の学校ではプールなど一瞬裸になる場合は男女別々だったのに、裸教育だと幼児扱いで、男女一緒にいつも着替えさせられるので、男子は嬉しいだけだけど、女子にはエッチだと思う。最初は麻衣は裸が見えないように、私服からさっと体操着に着替えたが、下半身はブルマだけで登校するようになってからは、単に落ち着いて脱ぐだけになった。着てるものをブルマ以外は全部脱いだら、普通に着替え終了なので、着替えなのか脱衣なのか分からない。とにかく、他の子はパンティをブルマに穿き替える苦労してるのを横目に楽勝で着替え終了だった。もともとブルマが好きなので、ブルマで通学が平気だったせいもあるけれど。友達はなぜかブルマ通学は恥ずかしいと言う女子が多かった。学校では平気だけど、町の人のいる(町といっても学校付近の田舎町だけど・・・)普通の道路では恥ずかしいらしい。そりゃあ、マラソン大会のように真冬にブルマ1枚にされたうえに、引っ張り上げて穿くように命令されれば、お尻丸見えだし、食い込むし、全裸みたいな気分になるので町の人の多い道路では恥ずかしいけれど、普通に女子が道路で普通にブルマ姿でいるのは、可愛いと思う。そんな訳で、その日も麻衣は普通にパンツを持たずに、というか下着を最初から持たずに、身に着けずに、学校へ登校していた。

 そうしたら、その日は、業間体育は大勢の人が視察に来るらしい。裸教育が学校自慢で、雑誌でも学校での裸の子供の様子が写真付きで掲載されるなど、裸教育で有名な小学校だったので、どうやらその視察らしい。以前、麻衣は10年前くらいの雑誌を見せてもらったけど、顔のはっきり写った高学年の女子が、乳房や乳首もあらわにして柔軟体操をして海老ぞっている写真(半ブリッジ)は、かなり恥ずかしい。自分でないので、所詮は他人事だけど、それでも恥ずかしい姿に赤面させられた。あと、体育の授業中で、6年生が相撲の授業でブルマ1枚で大股開きをしてる写真もあった。もっと昔は丸裸の子供が運動場できおつけさせられている全裸写真も普通に掲載されていたと先生が言っていたので、エッチだなと思った。それと比べればブルマ1枚ならかなり普通の写真なのかもしれないけれど。そんな訳で、その日は業間体育で視察だということで、先生たちはいらいらしてたようだ。裸教育なんて、少し以前は周囲のどこの学校でもやっていたので、珍しくもなんともないけれど、最近は取りやめる学校が続出してるらしいので、裸教育を続けている学校というだけでも珍しくて希少価値があったのかもしれない。

 裸教育で有名な学校にしては、周囲の学校も以前とはいえ、どこでもブルマ1枚(女子も男子と同じ短パンの学校は短パン1枚)にしていたので、実際には内容に大差ないのが現実らしかった。先生もそう言っていたも、友達もそう言っていた。そこで学校間で競争も起こって、脱げば脱ぐほど厳しくて偉いみたいな風潮になっていったようだ。最初は裸になるのは5年生までで、6年生はかわいそうだから女子は半袖シャツ(体操着)を着ていいとかいう学校も、途中から厳しくなり6年生でも脱がないといけなくなった学校もあるようだ。また、運動場は運動靴姿だったのに、競争の結果、運動場でも裸、素足の小学校が増えたみたいだ。そうやって、どんどん厳しくなり、現在のように、運動靴もダメ、パンティもダメ、靴下もダメ、と、どこの学校でも大抵ブルマだけになってしまったということだろう。しかも裸は夏だけのところも、真冬でも裸にする学校ばかりとなり、さらに今の学校のように大雨の日まで裸で運動場で泥水の中で柔軟体操を頑張るようになったということなのだと思う。

 以前の周囲の学校と同じというのは有名学校としては情けないということなのだろうが、視察のときはブルマ1枚でなく、パンツ1枚(下着のパンティー)にするのが習慣らしかった。麻衣はそれを知らなかった。先生が「今日は大勢の人が見に来るから、全員、いつものようにパンツ1枚で業間体育だ」とホームルームで言ったので、それには驚いた。みんなが、面倒なのに、わざわざパンツを着用して投稿する理由がようやく分かった気がした。

「えーっ、ブルマでないんですか?」と驚いて麻衣は担任に訊き返した。

「だから、パンツ1枚だと言ってるだろ」と男の担任はいらいらした様子で言った。

「あの、ぼくはブルマで登校したので、パンツは持ってないんですが」と仕方なく麻衣は言った。

「だから?」

「いつも通り、ブルマで業間体育を受けては駄目でしょうか?」

「全員白いパンツなのに、一人だけブルマだったら、なんて、だらしのない学校だと思われてしまうだろ。駄目に決まってるだろ」

「えっ、じゃあ、どうすればいいんですか?」

「パンツを忘れた子は、ワレメ姿で運動すればいい。みんな、そうしてるんだから。ブルマ姿よりは、ワレメ姿の方がましだ」

 そんな酷いことを言われたので、麻衣は一瞬意味が分からなかった。

「ワレメ姿って何? ワカメ?」と、頓珍漢なことを言っていまった。

「バカ、ブルマ姿はブルマを穿いた姿だし、ワレメ姿というのは、ブルマを脱いだ姿に決まってるだろ。ワレメとは女子の性器のことだ。知ってるだろ?」

「はい。ワレメちゃんとは言いますが」

「ワレメ姿とは、その女子の性器を丸出しにした姿のことだ。まだ子供だから丸出しでもいい」

「え・・・」と、麻衣は言葉に詰まった。子供だから性器丸見え姿でもいいというのは、もちろん意味は分かる。でも、それは幼稚園の幼児なら、まだ赤ちゃんみたいなものだから、性器丸見えでいいというような意味だと思う。丸見えで排尿をしたりオムツを交換してもらう幼児と大差ない子供だから、赤ちゃん扱いで見えてもいいという意味だと思う。実際幼児も赤ちゃん体操とかして、丸裸で運動したり体を大人にマッサージしてもらったりして喜んでるのは見たことがある。子供だから丸出しでもいいと麻衣も思った。でも、まさか、もう小学生の麻衣まで、子供だから丸出しでいいと言われるとは思ってなかった。まだ小学生なんて赤ちゃんの延長なのかな、と、少し涙ぐんでしまった。業間体育の時間までブルマ姿でうわのそらだった。他の女子はすでにパンツ1枚になってる子もいたし、ブルマ1枚のままの子もいた。

 いよいよ着替えの時間になり、既にパンツ1枚の子は、そのまま赤白帽子だけ被って、運動場へ出て行った。ブルマ1枚の子は、ブルマからパンツに着替えて、着替え終わると、運動場へ出て行った。もう外では子供たちが1年生から6年生まで並び始めていた。外を見ると、1年生くらいの男子が1人だけ真っ裸で、真っ裸だと、目立つのでパッと見てすぐに分かった。低学年の1年生なら幼児みたいなものなので、大したことでないなと様子を見て少し思ったけれど。1年生の男子はオチンチンを人前に突き出したり、振り回したりして、ふざけて遊んでいた。それを見て女子がきゃあきゃあ言っているのが見えた。

 もう時間がない・・・と、やむなく麻衣はブルマ1枚だったで、急いでブルマを脱いだ。蛙逆立ちの上手な子供は素っ裸でお手本を見せるような、ブルマを脱がされても普通の小学校だけど、学校の体育館の裏で体罰でひっそりと全裸体罰を受けるとか、1等賞のお手本として全裸になるなら、多少は配慮されてたり、自慢だったりするので、我慢できるけれど、単にパンツを忘れたから素っ裸では間抜けすぎだし、文字通り幼児レベルの子供みたいで恥ずかしすぎると思った。それでも我慢してブルマをどきどきしながら赤いランドセルの中にしまい、走って運動場に出た。麻衣は最前列に並ばないといけないので、恥ずかしさで目が潤んでいた。

「全員きおつけ」と朝礼台の上から先生に言われ、きおつけをした。知らない大人ばかりが、大勢、朝礼台の後方で子供を見ていた。全員、身体検査のように、下着のパンツ1枚できおつけという、恥ずかしい姿になっているからか、エッチで惨めな子供だちだなあという気がした。でも、自分はワレメ姿できおつけしてるのだから、凄い格好をしてるのは間違いなかった。でも、ここまでさせられてしまうと逆に、まるで他人がワレメ姿できおつけさせられてるような気分で、他人事のように可哀想なエッチな子供だなとか思ってしまうから、案外平気でいられるのには驚いた。

「みなさん、綺麗に整列できました。赤ちゃんのように、パンツを穿き忘れてきた幼児みたいな子もいるようだけど、次回はしっかり忘れ物をしないで学校へ来なさい。分かったなら、大きな声で返事しなさい」と言われたので、ピーンときおつけしたまま、「はーい」と片手を上げて大声で返事をしたけれど、惨めさで涙がどっと出てしまった。ワレメ丸見えで大声で返事するのは、かなり幼稚っぽくて恥ずかしい。一瞬、本物の幼児みたいな気分になってしまった。業間体育で返事する時は、片手を上げ返事すると決められていた。

「もう高学年だろ。あと数か月で中学生になる子が、そんな幼稚ではだめだぞ。学年と名前、性別、反省の言葉を言いなさい」と言われた。もう一度、片手を上げて「はーい」と大声で返事してから、「6年生。久保田麻衣。女子です。パンツを穿かずに学校へ来ました。先生ごめんなさい」と言ったら、頬っぺたに涙が流れてしまった。最前列で注目されてるだけに、恥ずかしすぎるし、惨めな子すぎて、おかしくなりそうだった。なにしろワレメ丸見えで、女子の性器をクッキリと露出させて大勢に注目されてるうえ、叱られてるのだから、エッチな目で見られても不思議はないし、男の人も見てるのだから、恥ずかしい。

「反省してるなら、態度で示してみろ。今日はおまえが朝礼台の上でラジオ体操と柔軟体操のお手本をしなさい」と言われた。朝礼台に上がると、さっきの1年生の丸裸の男子は小さい子なのに可哀想ということで、許されたらしく短パンを穿いているのが見えた。朝礼台に上がったら、誰かが「やだ丸見え」と言ったので、みんなに、どっと笑われた。

「ほら、笑わない。誰だ業間体育なのに無駄口をたたくやつは。裸で反省して体操するのだから、笑ったらだめだ」と先生が言うと、ラジオ体操第2が流れて、麻衣は朝礼台でジャンプをした。股がスースーすると思ったら、少し濡れてるみたいだった。うわあ、恥ずかしいな、みんな見ないで・・・と心の中で思った。ちょっと失禁しただけでもワレメ姿にされてる子供はおしっこが見えてしまう。普通は見えないのに、おしっこまで見られてしまうのが厳しいと思った。そういえば以前、部活の合宿でスポーツマッサージしてもらった6年女子がワレメが光っていたので、先生に「なんだ、マッサージされて感じちゃったのか」と言われて、「これは、おしっこです」と最後まで言い張っていたけれど、裸教育されていると、おしっこなら恥ずかしくないという気分になってくるのも事実だ。体罰でビンタされる時などは、ブルマを必ず下げられるので(どこの学校でも、そういうものらしい)、おしっこで濡れた性器を先生に見られるくらいは当然とかいう気持ちになるのは仕方ないと思う。麻衣もそうなっていたが、さすがに朝礼台の上で、おしっこをちびってると思われたら恥ずかしい。それでは本物の幼児だと思うから。

 それでも、ラジオ体操は普通に、慣れてくるとワレメ姿だということも忘れて頑張れた。でも、その後の、柔軟体操と変形姿勢の運動はかなり羞恥心が起こった。まず、朝礼台の上で蛙逆立ちをした。ブルマで蛙逆立ちなら普通なのだけれど、ワレメで蛙逆立ちだと、後ろの見物人から麻衣の肛門が丸見えになる。それでも、習った通り、股を大きく広げ、いつものように自主的に爪先を真っ直ぐに伸ばして、蛙逆立ちをした。その後、頭を地床に付けた蛙逆立ちというのをさせられ、蛙逆立ち姿のまま顔を朝礼台に密着させた。女の子にしては、うんちをしてるみたいな、セクシーで恥ずかしい姿だなと思ったけれど、頑張りぬけた。その後、アンテナ、半ブリッジ、ブリッジ、大の字など、恥ずかしい技ばかりを見せた。ワレメちゃんが、はっきり光ってて、まるでぼくってエッチな本やビデオの素っ裸の少女みたいだなと思った。でも、教育なのだから、真剣に頑張った。でも、一番恥ずかしかったのは最後の大股開きの運動で、まるで性教育の教科書みたいな姿だと思った。男子児童とかは、女子の生殖器(外性器)がどうなってるのか、色とか形とか丸見えなので、性教育にもなったと思うし、先生も性教育に役立ったと言ってたし、低学年なみに濡れた性器を広げた恥ずかしい女児になりきらされたし、なりきれたと思う。頑張れて強い子だったなあと自分でも思った。

 朝礼台を下りたら、「いい子に育つように、お尻をぶってやるから、来い」と言われた。先生の近くへ行くと、先生に体を持たれて空中に持ち上げられた。みんなの前で、真っ裸でお尻をぶたれて、ぶたれる度に、良い子に成長していくような気持ち良さを感じた。途中で「やーん」と女の子特有の恥ずかしい声を出してしまい、物凄く恥ずかしかった。お尻をしっかり叩かれて、赤い痛いお尻で列に戻った。業間体育なので僅か15分程で終了したのだけど、自分にとっては数時間に感じられるほど長かった。

 でも、こんな羞恥の体験はまだ可愛いもので、中学1年生になってから体験したマスゲームでは、延々と真っ裸で、どんなに恥ずかしいと思っても糸一本落ちてない運動場で頑張りぬいた。服なんてどこにもなく、丸裸で時にはワレメを広げさせられてやりぬくしかなかった。そんな中1の時の厳しさと比べると、人前でパンツなしで運動させられて尻叩きされた程度は、甘い経験だったと思う。中1のときは、自分のワレメを自分で広げて海老ぞる姿をお客に見せるという、オナニーする子供というエッチそのものみたいな表現運動もリハーサルの練習でメンタルトレーニングとしてさせられたので。ワレメの中身くらいは平気で見せられないと、本番は大勢見てるから頑張りぬけないと、公開リハーサルでお客の前で、オナニー姿にされた女子の中1たちは、いくら実際は本当にしてるのでなくスジを擦ってるだけでも、そして、光ってるワレメを僅か数秒だけ広げて見てもらっただけでも、やはり健気に頑張れた女子だちだと思う。でも、そこまでさせられても頑張りぬけたのは、小学時代の厳しいこういう裸教育のおかげだと思う。麻衣は裸教育で良い子に成長できたので、裸教育してくれた人たちにとても感謝してるし、もう一度小学生に戻って裸教育をされてみたいな、とよく最近でも思う。オナニーするメンタルトレーニングは高校とかの演劇部で多かったと後で知ったが、高校生でもさせられるのだから、小学生なら全裸マスゲームのリハーサルのついでにさせられても何の不思議もないなと思う。とにかく頑張れて嬉しかった。


15、意地悪先生

 いつもは担任が授業なのに、夏ごろ、一度担任が学校を休んだことがあり、その日は須藤という先生が担任の代りをした。須藤先生は学校では「意地悪先生」とか言われて嫌われていた。女子の特に低学年の女子に体罰するとき、子供のブルマを下げてビンタするのだが、普通の先生は口で「ブルマを下げろ」と言うのに、須藤先生は自分の手で女子のブルマの股の部分をつかんでブルマを引っ張り下げるので、評判が悪かった。しかも、ブルマを下げられて性器が見えてるときに、「くそ」「小便娘」「ワレメ娘」などと汚い言葉を言われ、子供をいたぶるように執拗にビンタをするので、みんな須藤先生のことを嫌っていた。その日は担任が休むのは前日から知っていたが、代わりの先生が教室に入ってきたとき、みんな「えーっ」と嫌な顔をした。そこまで須藤先生は評判最悪だったのだ。

 でも、何事もなく1時限の算数の授業が終わり、ほっとしていたら、2時限の体育の授業は雨が降っているのに運動場に整列をするように言われた。みんな体育館だと思っていたので、すごく嫌そうな顔をしていた。低学年と違い6年生は大きい子なので、雨でも厳しく外で体育ということもあるにはあるのだが、今日は土砂降りで、外というのは少し酷いなと麻衣は思った。

 放課時間にみんな早速着替えた。着替えといっても、もともと裸教育なので、最初からブルマ1枚なので、赤白帽子を被ってゴムひもを顎に掛けるだけである。麻衣も赤白帽子を被った。赤白帽子といっても白ばかり使い、赤を使うのは子供を色分けしたい時(運動会や男女で競争するときなど)だけで、白色にして帽子を被った。今日はクロッツ走の授業だと聞いていた。

 チャイムが鳴ったときには運動場に整列していないといけないので、早目に運動場に出て、男子が後ろ、女子が前に横長に2列で整列して、きおつけをしていたらチャイムが鳴った。最初は赤白帽子のおかげで大丈夫だったが、チャイムが鳴る頃には赤白帽子はずぶ濡れとなり、髪がどんどん濡れてくるのが分かった。

 雨が酷すぎて、学校の校舎が霞んで見えてくるほどだった。急に閃光が光り、近くに落雷したので、子供の悲鳴が上がった。大音量だし、近いので身の危険を感じた。合計3回も近くに落雷して、一度は、運動場の近くの電柱に落雷した。女子は怖くて泣いているようだったが、激しい雨で涙なのか雨なのか分からない状態だった。手で顔を拭い、しゃくりあげている女子がいた。みんなの上に雷が落ちたら、みんな死んでしまうのあなあ・・・と麻衣はふと考えた。雷雨の中できおつけしてるので、ブルマがずぶ濡れになり、布が性器とか肛門に密着するので、小便をちびった子供みたいで、とても気持ち悪かった。でも、雷の恐怖で、それどころではなかった。落雷の中、それでも全員脱落せずにきおつけしていたのだから、全員裸教育でよく躾けられていたのだと思う。先生はなかなか運動場に現れなかった。麻衣たち女子はブルマ1枚なので濡れても透けないけれど、男子は白い窮屈な短パン1枚なので、ちらっと男子を見てみると全員布が半分透けていて、クラスで一番可愛い男の子のKくんが横チン(おちんちんが横向きになっているだけでなく、少し下向きだった)なのが透けて見えていた。あんなに横チンだと、もう少しでズボンからチンチンの棒がはみ出してしまうかもしれないなと、麻衣はエッチなことを考えて、少し赤面した。でも、あんなに明確におちんちんの形が分かるのだから、横チンだと思ってしまうのは仕方ないと思った。金玉もチンボも形まではっきりだったから、見れば誰だって、おちんちんの向きとかが気になってしまうのは仕方ないと思う。

 15分くらい全員が運動場で死にそうな思いで雷雨の中できおつけしていたら、急激に雨が弱くなり、周囲も明るくなって、雷の音もあまりしなくなった。遠くの方で音がしているので、さっきと比べると余り怖くなかった。普通の雨になり、ほっとしていると、黒い傘を差して須藤先生が職員室から出てきた。みんなの整列している運動場の中央まで先生が来ると、日直が「きおつけ」「礼」「休め」と言い、授業になった。先生は子供たちの様子を観察してるような様子で順番にみんなを眺めていた。 

 女子ばかり5名ほどが名前を呼ばれて、みんなの前に出された。その中に麻衣も含まれていたので、前でみんなの方を見てきおつけをした。「どうしてゴム紐を顎に掛けていないんだ」と言われた。雨で気持ち悪いので、つい紐を外していたのだ。5人全員が急いでゴムの紐を首につけた。「どうして学校で決まってる通りに出来ないんだ。決められた通りに出来ないような子は生きている資格がない。死んでしまえ。5人は今から、学校の屋上から飛び降りて死んでしまいなさい。いやか?」と言われたので、全員「嫌です」と答えた。「じゃあ、体罰で許すから、言われた通りにしろ」「はい」「今、一人前に、ブルマの布でワレメちゃんを隠してるけど、罰として、ワレメちゃんでブルマの布を隠してみろ」「はい」と、5名全員が自分の性器のスジの中へブルマの布を入れた。麻衣も急いでブルマに布を入れた。ブルマは穿いたままだけど、一番隠したい性器の部分だけ布がスジの中なので全員性器丸見えになった。先生に麻衣はブルマをつかまれ、限界までブルマを引っ張り上げられたので、お尻も性器も丸見えで、男子の横チンどころではない恥ずかしさになってしまった。「体育の授業が終わるまで、布はワレメに隠しておけ」と言われ、5人は恥ずかしい変なブルマ姿のまま列に戻された。濡れたブルマが女子の性器を押し広げてくるので、オナニー中の子供のようなエッチな気分になってしまい、思わず「やーん」と変な声を出してしまい、しまったと思ったが手遅れだった。傘を差したままの須藤先生は、雨の中でワレメを見えるようにブルマをはいて裸できおつけしている麻衣の近くに来ると、「何がやなんだ?」と言った。「ワレメが変な気持ちで声を出してしまいました」と仕方なく言うと、「性器を露出させてるから、すーすーして気持ち良くなったのか?」「そんなことないですぅ」「変な声を出すなら、ブルマの股の部分の布だけでなく、ブルマを全部ワレメの中に入れてみるか? 女の子の穴に入れると全部入るぞ」と言われたので、そんなことしたら性器が限界まで広がって痛いし穴も壊れちゃうよ、と、泣きそうになり、「嫌です」と答えた。麻衣の低学年なみの性器にブルマを入れるのは物理的に無理だと思った。見た目も低学年みたいに綺麗で、色も全然黒ずみはなく、自分で幼い性器だと思っていた。すると、「今回だけは許してやるが、もう一度声を出したら、今度は本当にさせるからな。分かったな?」「はい」と、許されてホッとして麻衣は返事した。マラソンの練習ということで、その後、学校の周囲の道路を走らされた。道路を傘を差した人が歩いてくるたびに、「やーん、見ないで」と心の中で言っていた。真っ裸よりも、性器だけを出してブルマ1枚の方が、変態みたいでずっと恥ずかしいと知った。「やだ、あの可愛い子供、どうしてオシッコの部分を丸見えにしてるの?」と2人組が話してるのを聞いて、赤面してしまった。運動場にようやく戻ってくると、恥ずかしくて必死で走ったので、苦しくてたまらず、そのまま泥水の運動場に倒れこんでしまった。余程、恥ずかしかったのだろう。なんと女子では1位、男子を含めても5位で周囲の道路を一周してきたことになる。これは苦しいはずだと思った。「ほお、こんな恥ずかしい姿でも1位か。頑張ったな」と須藤先生は言うと、麻衣の方へ寄って来て、「おまえだけ、特別可愛い顔をしてるけど、性器も低学年みたいに幼稚でかわいいなあ」と言いながら、先生は丸見えになっている麻衣の性器のスジを横へ広げて、「ほお、布がスジの中に食い込んでるな」と馬鹿にしたように薄ら笑いをすると、「可愛い子供だ」と言いながら、ぼくの性器を手で何度も擦った。スジを擦られて、本当にいってしまいそうなくらい変な気持ちになったけど、声を出すとブルマを膣の中へ入れられる体罰なので、我慢して声を出さなかった。でも、先生の手で何度も何度もスジを擦られたので、性器いじりされてる6年生と大差なくて、先生に「おっ、子供の性器なのに、一人前に糸を曳いたぞ」と言われた時は、恥ずかしくて死にそうだった。「どうして、こんなに可愛い子供が生きてるのかな。他の先生もみんな、お前ばかり可愛いと言ってるのは知ってるか?」「はい」「でも、可愛いからって、性器が低学年みたいだからって、お前だけ甘くできないから、覚悟しておけ」と言われ、くすぐったいのと気持ちいいのとで、ぼくって変態なのかなと、ふと思ってしまった。先生に自分のスジを直接触られたのは、顔が可愛いからなのかなと、ふと思った。そうしているうちに、全員が戻ってきたので、ようやく性器いじりから解放されて、声を押し殺して耐えていただけに、ほっとした。

 体育の授業が終わると、手でブルマを絞った。水が沢山出た。先生に性器の粘液の糸を見られてしまったとショックだったので、恥ずかしさにボーっとしながら、ブルマを真っ裸で絞っていた。それからオシッコを出し、性器を綺麗にふいてから、少し濡れたブルマを普通に着用した。ぼくを反省させるために性器を擦ってくれたんだと、無邪気に反省して、音楽の授業の準備をした。


 16、裸教育について

 小学時代のことを、ここまで色々おもしろおかしく書いてきたが、多少大袈裟に書いた面はあるけれど、全くの創作という部分はなく、だいたい、ありのままだと思う。普通は子どもを裸にするのは、幼児が主で、それは社会に幼児は裸にしていいという合意ができているから可能なだけで、赤ちゃんに近いから裸でいいとか、本人が幼くて恥ずかしがらないから裸でいいとかいうのは、全く関係ないのだと思う。その証拠に、現在は幼児でも、裸にすることに抵抗感のある大人が、社会情勢の変化と共に増えてしまい、合意ができなくなってしまい、裸保育を中止する保育園や幼稚園が続出した。今は幼児ですら裸にするのは問題視する人も多い。だから、幼児だから良くて、小学生だからダメということでは全くないと思う。単に、大人の都合で、合意があるかどうかということだけで、脱がされるかどうかが決まるだけの話なのだ。そういうことが、最近はっきりしたと思う。幼児ですら男の保育士には触らせず、脱がすこともなく、裸の写真なんて撮ったら一大事だ。昔はどうかというと、幼児の全裸写真は普通に保育書に載せられていて、幼児がワレメを触りながら本の挿絵になっていたりしたほどなのに。昔の保育所を調べてみると、びっくりすると思う。ほぼ赤ちゃん扱いされている。それなのに、現在は裸どころかUVが健康に悪いとかで、夏でも必ず服を着せているではないか。

 そんな訳で、麻衣の育った地域は裸教育はどこでもやっていて、小学生の裸は普通だった。さらに麻衣の小学校あたりは、幼児と同じで小学生は裸でいいという合意が出来上がっていたのだと思う。そうなると、本人が恥ずかしいかとか、まだ赤ちゃんみたいなものなのかとか、そういうことは全く関係なく、本人の意思とは無関係に裸教育されてしまうのだと思う。現在の麻衣の通った小学校は法律も変わり、社会情勢も急変したため、子供は裸でいいという合意はなくなってしまったようだ。だから、裸になるのは男子だけで、もともと男子は水泳でも裸になるくらいなので、裸教育というよりは、男子なので爽快感があるので運動は裸でやろうというだけなのだろう。女子はしっかりとハーフパンツとジャージ姿で、以前とはすっかり様変わりしてしまった。

 麻衣の小学6年生時代は完全に地元の同意が出来上がっていたので、当たり前のようにブルマ1枚にされたし、体罰なので人目につかない体育館の裏などで丸裸にされていても、赤ちゃんと同じようなものだからという感じで、みんな見て見ぬふりで問題になることもなかったのだと思う。普通に、半袖シャツ、ブルマ、赤白帽子、下着、という普通の体操着姿の女子を丸裸にするのは、エッチで可哀想ということになり、そこまでされることは、いくら体罰でも、まずないと思う。スクールセクハラという本を読んでみたら、ビンタされる時はブルマを脱がされたという話は載っていたけれど、体罰で丸裸にされるという話はどこにも載っていなかった。普通の教育だと、女子の体操着姿なので、ブルマを下ろさせるくらいが、心理的にも限界なのだと思う。ところが、もともと裸教育だと、どうだろうか。そもそも、身に着けているのは、学校によっても違うだろうけれど、麻衣の小学校ではブルマだけだった。布切れ1枚身に着けてるだけなので、先生もだんだん、幼稚っぽい裸体の女子に、幼児を見てるような感覚になってくるんだと思う。女子の方も、裸の生活なので、朝から晩まで、ずっと裸なので、幼児気分に近くなるのは間違いない。しかも、トイレに行くと、当然だけど、ブルマを下げるけど、そうすると下着のような小さなブルマはくるくると丸まって、足に細い紐のように見えるだけだ。実質的には真っ裸と変わらないのは、容易に分かると思う。毎日、何度もトイレに行くので、当然だけど、そうすると学校で全裸になるのは特別なことではなくて、ごく普通のことのような、お風呂屋さんで裸になっているかのような、そんな気がしてくるのは事実だ。だから、体罰で抵抗なくみんなブルマを下げてしまう。脱がす方も幼児扱いで、脱がされる方も幼児気分で、どちらも幼稚園ごっこをしてるような状態になるので、普通の教育よりも、驚くほど子供を全裸にすることに対する敷居が低くなるのだと思う。少し下がるどころでなく、「子供なんだから、全員、ずっと全裸で本当は十分だ」という先生もいたくらいで、びっくりするくらい、全裸なんて普通のことにされてしまうのだと思う。ましてブルマ1枚なんて、裸のうちに入らないと思ってるようで、マラソン大会も裸だったし、運動会もお客が無数に来るし、必ずしも父兄とは限らず、よその学校の小中学生や、見知らぬ大人も来るのに、普通に裸だった。

 裸教育をしていると、最初は女子だからという遠慮が男性教師にあっても、すぐに遠慮はなくなってしまうのだと思う。よそから来た先生は最初は裸の女子に照れ臭そうにしていても、すぐに慣れてしまい、そういう人の方がむしろ子どもを幼児扱いすると思う。

 麻衣も宿題忘れで呼び出された時、ブルマを脱ぐように言われ、その姿で座っている先生のひざの上に、先生の方を向いて座らされた。先生の両足をまたぐようにして、先生のひざの上に座ると、足をバレリーナのように180度開かされ、先生からワレメちゃんが丸見えだよと思いながら、その姿のままお説教をされて、お説教が終わると、尻たたきをするからと言われ、すぐに真っ裸のまま尻たたきのポーズをとり、たっぷり尻をぶたれた記憶がある。尻たたきのポーズというのは、四つん這いになって、両足を90度くらいに開いて、まっすぐに伸ばした姿である。それが、誰もいない体育館とかなら、昔ならありがちな助けてくれる者のいない少女虐待というだけなんだろうけれど、その体罰をされたのが職員室なのだから、今考えると、とても恥ずかしい姿をさせられていたのだと思う。

 ブルマの下に下着を身に付けされている小学校なら、そこまで簡単に脱がされることもなく、まして職員室で幼児のお仕置きのようにされることもないのだろうけれど、ブルマの下に下着を身につけるのは禁止で、地域の合意が出来ていると、小学生も赤ちゃんも立場としては何も変わらないのだと思う。先生たちから見たら、恥ずかしい、みじめな小スケ(小学生の女)が、職員室の人のたくさんいる場所で、赤ちゃんだから、お仕置きされているというだけの話なのだろう。大人から見ると、裸教育児の小スケは、まだ人間でなくて、赤ちゃんと同じ、恥ずかしい未熟な生き物というだけなのだろうと思う。先生によっては、そんな小スケを、生きた玩具と思っていたり、ワレメ丸出しで頑張る、人権なんてない好きなようにできる生き物としか思ってないのだろう。実際に、これまで書いてきたみたいに、麻衣は外観が可愛い子どもだったせいもあるだろうけれど、子どもだから許される姿に何度もされたし、子どもでないなら恥ずかしくて我慢できないようなエッチなこともさせられて育った。子供をブルマ1枚にするまでが、つまり子供を生きたおもちゃ並みにするまでが大変なだけで、一度ブルマ1枚の裸の生活が行われてしまえば、残りのブルマを脱がすハードルはびっくりするくらい低くなるのだと思った。だから、小学校の体罰でも、中学校の女子だけのマスゲームでも、いとも簡単にブルマを脱がされたのだろうと思う。実際に女子の側も、セーラー服姿から職員室で全裸になれと言われれば羞恥心から誰しも強く抵抗すると思うが、すでにブルマ1枚(つまり、ぼくならキューティーハニーのパンティーまで脱がされた状態)の場合に職員室で全裸になれと言われたなら、素直な良い子だったら、たぶん健気にも抵抗せずにブルマを脱いできおつけすると思う。麻衣もそうだったので、それは分かる。結局裸教育というのは、究極的には脱げば脱ぐほど良い、脱げば脱ぐほど強い子、脱げば脱ぐほど真剣で健気という結論になりがちなのだと思う。だから中1のマスゲームでも、強い子の心と体をみんなに見せてやれとか言われて、本当に真っ裸で発表させられてしまったのだと思う。もちろん男子も見ているし、普通に来賓も見ているのにかかわらずである。

 ブルマ1枚だと、どのくらい生地が小さいか(麻衣の小学校は小6でも、小1と同じ120㎝のブルマが指定だった)は、下にぼくのブルマの写真を出しておくので、それを見て判断してほしいと思う。ブルマ1枚で、しかも小さいブルマだと、おへそが全員丸見えになる。男子の白い短パンでノーパンだと、キンタマとチンボの形がくっきりだけど、おへそは全く見えない。男子の短パンは案外上下に長いのだ。女子のブルマはメーカーによって、おへそが出るものと出ないものがあるが、麻衣の小学校は出るタイプで、しかもサイズが小さく左右に布が伸ばされるので、おへそが丸見えというだけでなく、おへそのかなり下の方まで見えていた。しかもノーパンでワレメに布が食い込むので、ワレメの形がくっきりだ。そのうえおへそが丸見えだし、お尻も丸出しに近い。普通に穿けばお尻半分くらいまで隠れるけど、ブルマを上の方で穿かされていたいたため、お尻は3分の2くらいまで出てしまっていたと思う。そんなわけで、もともと真っ裸と体の輪郭を見られてしまう点では大差なく、だから直接自分を体を見られるか間接的に体を見られるかの違いくらいの感覚になってしまい、裸にどんどん慣れっこになっているのもあり、他の地域では出来ないような恥ずかしいことでも(全裸発表とか)平気でできてしまうまでに、しつけられ、育てられるのだと思う。

 子供をスッポンポンにするのは嫌らしいというのは最近の考え方でしかなく、昔、海女さんでも全裸に縄を付けただけで海で漁をしていたような時代なら、子どもの全裸は子供らしくてかわいいという普通の評価に落ち着くはずなのにと思う。子どもを脱がすと犯罪に巻き込まれるというのも大ウソで、昔も今も子供が被害者になる犯罪には大差ない。やる者は子どもの姿に無関係にやるし、やらない者は子どもが全裸で池で遊んでいてもアハハと笑って見ているだけだ。とにかく、麻衣は、全裸は美しい、全裸は恥ずかしくないと習って育ったせいもあり、小学生時代くらいは裸教育でいいと今でも思っている。今の時代では無理だけど、時代が変われば、法律も変わるので、その時に裸教育をすればいいと思う。スパルタ時代は子どもを真っ裸にして教育したのは有名だけど、時代が変わると、それでは酷すぎるという見方に変わり、スパルタ教育はできなくなった。ところが第2次世界大戦終了後しばらくは西洋でヌーディスト運動とかいう全裸礼賛みたいな味方に変わったので、世界中で子供の全裸教育くらいは普通だった。フランスなどは、ごく最近まで、プールの授業は男女とも丸裸の学校が多かったし、西ドイツなどでも全裸でマスゲームをさせる学校が多かったようだ。これは第2次スパルタ時代と言えなくもない。日本でもプール掃除を全裸でするとか、掃除時間はブルマ1枚になるとか、裸教育が全国的に盛り上がった時期もあったが、結局のところ、上からの子供の裸は幼女でも猥褻という押し付けと、それに迎合する人々によって、現在の子どもは昔に比べて恐ろしく不自由になってしまったと思う。

 麻衣の学校は、全国平均よりは10年、近隣の学校よりも5年くらいブルマ廃止が遅れたようだ。だから麻衣も中1までブルマ1枚(中学では部活だけだが)にされ、中2の途中でブルマ廃止になり、学校外でブルマを穿くと危険なので絶対に穿かないようにと学校で指導された。では、どうして麻衣の小中学校だけブルマ廃止が遅れたのかというと、それは裸教育だったからだと思う。女の子をブルマ1枚するのは、パンティー1枚にするのと大差なく、清々しく見え厭らしさがない。ところがハーフパンツ1枚にしたならば、下品で厭らしく見えてしまうと思う。単なる外観上の印象の話だが、実際問題として女子を裸にする方にとっては馬鹿にできない問題だと思う。裸が下品で厭らしいと見られてしまうと裸教育なんて不可能になるから、見た目が清々しいブルマ姿を尊んで、いつまでもブルマ廃止にしなかったのだろうと思う。女子も含めた裸教育、つまり普通の裸教育をしている小学校は、どこもブルマ廃止が遅れたと思う。そしてブルマ廃止と同時に裸教育も廃止の学校が多いようだ。それは裸教育廃止と同時にブルマの必要性がなくなったともいえるかもしれないが。ブルマは脱ぎやすく、身に着けやすく、ベルトもないので、脱がせやすく、簡単で、手軽で、小スケ、中スケにぴったりの裸教育用の衣類だったのだと言えなくもない。

 ブルマを忘れた子は、真っ裸でいいというのも、裸教育らしい子どもの裸の合意が得られている地域らしい判断だと思う。ただ、身体検査とか、時々、パンティー1枚にされることがあり、だから登校時には学校で利用しなくても下着は着用してこないと、真っ裸にならなくてはいけない羽目になることがあり、ノーパンで投稿することが多かった小6当時の麻衣はよくそういう失敗をしてワレメ姿にされてしまったのが懐かしい思い出となっている。

 ぼくの120㎝のブルマは何度も話に登場しているが、写真で見た方が早いので、こういうブルマ1枚にされていたのだと、ブルマを見てもらおうと思う。みなさん、見てください、これがぼくの本物のブルマ※です。(ちょっと恥ずかしい)・・・


※写真関係はこのブログでは省略されています。一部、アメブロに麻衣関連の写真があります。





i MAI me (愛 麻衣 みい) ~裸教育児の久保田麻衣小学生物語

小学生時代の麻衣を物語風に脚色して連載風に不連続で投稿するブログです。ぜひ愛読者になってください。基本はノンフィクションですが、物語なので面白く脚色されています。ごく普通の6年生の女子小学生(わたし)が、裸教育の小学校に入れられてブルマ1枚にされて学校生活をし、最後にはバレーボール1個を持って半泣きの全裸マスゲームをさせられるまでの日々を日記風に描いたものです。おもしろエッチなので、ぜひ見てね。

0コメント

  • 1000 / 1000