ひよこ日記 第26節

121、体育館で待機

 学校の体育館でミーティングの後、待機していて、友達と話したりしたけど、やはり、本番の全裸発表でオシッコするのが恥ずかしいと異口同音に言っていた。実際は事前にトイレに行っているし会場では水分補給もなしなので、出ても数秒なのかもしれないけれど、出すのは本当なのだ。本当は嫌だけど、するしかないのかなとかいう感じの話が多かった。ぼくも、裸教育児にされた段階で、人前で裸にされるのも、クッキリな部分を見られるのも覚悟できてるので、それは幼稚な姿と笑われても我慢できると思う。だからぼくの恥ずかしい部分がクッキリな幼稚っぽい写真をみんなに見られても我慢できると思う(下の写真が証拠。赤ちゃんみたいに穴の位置もわかるけど、負けないぞ)。もちろん男の人とかに見られても、そういう教育なので自分のためと思うから我慢できるけど、でも、人前でオシッコするのは本物の赤ちゃんしかしないことと思うので、幼稚というレベルでなく、生まれたままの本能で出してる姿の気がするので恥ずかしすぎるよ、と、体育館で思った。

 でも本番は素っ裸なので、お尻の穴まで丸見えにして発表するので、そこまでさせられてるのだから、もう小便するくらいは五十歩百歩なのかなという諦めみたいな気分も強くなる。しないと、多分おしおきされるだろうし、するしかないと思う。できなかった子は手を上げさせられて、手をあげない嘘つきの悪い子になるか、それとも平均台とかに跨らされて、尻たたきされ、棒を太ももで挟んで耐えさせられるとかなんだろうな、と思う。どちらも嫌なので、するしかなさそうだった。この合宿では叱られる子は体育館にある平均台の上でお仕置きが多かったので、多分しなかった悪い子は、平均台の上に乗せられる可能性が高い。痛いというより、まだ体の痛みで教えないと分からないからと体罰で叱られる低学年みたいで、幼稚で恥ずかしいことだと思う。言葉ではまだ分からない幼い子扱いされてると実感させられるのと、平均台の上という体罰の場所も、自分を恥ずかしいちびっ子なんだと実感させるのに十分だったと思う。麻衣は一度しか平均台に乗せられていないが(由佳と話に夢中になり、練習に遅れた)、多い子は何度も平均台に乗せられているので、裸教育としては相当甘い合宿とはいえ、お仕置きはされていたと思う。ブルマの尻を素手でぶたれるのは、学校でセーラー服姿でぶたれるより、幼稚な気分にさせられた。

 話していたら、やはり便意が強くなり、トイレでうんこを全部出し切ったと思う。うんこを出した感覚が残ってる身体で、真っ裸で人前で発表させられるこどもたちなので、恥ずかしい子たちなのは事実だけど、まさか本番で小便するとは思わなかったので、それは意外なことだった。体から、出すのは、いくら小便とはいえ発表前のことであり、まさか本番中にするとは思ってなかったので、厳しいというか、これでは可哀そうすぎのこどもたちだと思う。でも、トイレで排便後はお腹がすっきりして、スリムになったので、それは嬉しかった。

 トイレの後、僅かな時間があっただけで、すぐにバスへ移動をした。前日のバスは通勤用のバスのように通路が広いので乗れないこともなかったが、ギネスに挑戦という感じで、大勢がぎっしりと詰め込まれたのだが、今日はバスが2台来てるので余裕がありそうだった。体育館では裸教育に慣れてるせいか気にならなかったが、体育館から外へ出ると、《やだ、ぼく、丸裸なんだな…》と当たり前のことを実感させられて、運動場を横切ってバスの待つ道路まで移動する時は、《女の子なのに、はしたない姿だな》と思った。意地悪で素っ裸で移動するのでなく、あちらにコインロッカーとか更衣室とかはないというだけの理由と説明された。たしかにグラウンドの周囲は高くしてあって、競技場らしいが、簡単に作られてるかんじで、特別に利用できるような部屋とかは無さそうだった。

 風がないせいか、《うわ、寒い》とは思わなかったが、体育館よりは気温が低く真冬らしい寒さだった。運動場は砂地なのでいいけれど、道路を移動する時は、僅かな凸凹でも足の裏が痛かった。まだ足の皮膚がこどもなので弱いのと、冷たさとで、痛く感じるのだろう。でもバスに乗り込むと、満員ではあるけれど、普通のバス移動というかんじがした。ただ昨日のように体操着姿でないので、少しエッチなだけだ。由香も健気に全裸になっていて、体操着でも可愛いけれど、全裸だと一層可愛いのに驚いた。全裸でも、あまり可愛らしさに差のない子や、むしろ体操着の方が見栄えがいい子もいるのだが、由佳は体の形がいいせいか、幼いこどもの輪郭がごく可愛いので、へえと思った。でも、可愛いと合宿でも評判のぼくの姿も、ぼくが由佳を見てるように他の子たちから見られてるのかもしれないのだが… 由佳の方が幼い分は可愛いと思うのだが、先生に可愛いと抱きしめられたりしたのは、なぜかぼくばかりだった。顔がボーイッシュなせいもあるのかな、と思う。

 バスの中は非常に温かく、これなら体操着姿でも、裸教育児姿でも同じことだと思った。それに窓が高い位置にあるし、乗ってしまえば恥ずかしさもなく普通の移動というかんじだった。今日は風がないのがいいと思った。同じ気温でも、風がないなら、ずいぶん寒さは感じにくい。もちろん緊張してるので、発表中は吹雪の中でも晴天無風でも寒さは感じないだろう。でも、本番の発表は午前と午後の2回あるので、その途中の休憩時間には寒さが全く違うと思う。合同発表会のずっと後の選抜発表会では、風と雪の中で厚着でも寒がる観客の前に一糸まとわぬ真っ裸で飛び出したので、「やだ、あのちびっ子たち、凄い寒いよ、可哀そうすぎる」とか「恥ずかしすぎる」とか言われたけれど、この日は普通に全裸発表というだけで、寒そうとか可哀そうとか言われる日ではなかったと思う。

 移動中は由佳が「頑張ろうね」とぼくに言っただけで、緊張からかみんな寡黙で静かな車内だった。昨日は公開リハーサルだったし、人前でマスゲームするのも同じはずなのに、あまり緊張はなく、みんな車内でも普通に会話してたと思う。やはり、体操着着用だから緊張が弱いのもあるかもしれないが、所詮は練習だという気楽さもあったのだと思う。「失敗したり、ちゃんと言われた通りに出来なかった子は、帰ってから厳しいお仕置きをうけて、体で反省してもらう」と言われていたので、余計に本番なのだなと意識させられた。こどものせいか、やはり、大人にお仕置きされるのは、恥ずかしいという以上に怖いなという気がした。本番で失敗したら、後でお尻の痛さに耐えられるかなと不安になるけれど、それは失敗した自分が悪いのだから、お尻を赤くして償うしかないと思うのだ。移動中、色々ついつい考えてしまい落ち着かないので、蛙逆立ちをしたら落ち着くのを思い出して、バスの中で信号中にバスの狭い通路で蛙逆立ちしたら、「やだ、練習?」と笑われてしまった。先生にまで、「こんな場所で練習するなんて、幼稚だな」と笑われてしまい。これは恥ずかしい思い出になってしまった。でも、先生に蛙逆立ちで、躾けられて、蛙逆立ちで教育された面もあるので、いつもさせられることをするのは安心するのは普通なので仕方ないと思うのだ。もともと裸教育で恥ずかしいことばかりさせられてるので、蛙逆立ちくらいだと、あまりにも普通すぎて恥ずかしい気がしないのかもしれない。

 強い子なので、幼稚なこと、恥ずかしいことには負けないけれど、でもバスで笑われたのは、特別に幼稚と言われた気分で少し赤面だった。赤ちゃんなみにワレメクッキリで頑張ってる子なので、させられてることも幼稚だけど、気分もかなり幼稚になってるのかもしれないと思った。ワレメとか肛門とかばかり気になるので、ぼくのことを変態と思うかもしれないけれど、でも、そんなことはなく、裸教育でブルマ1枚とか素っ裸とかにされるような子だと、みんな自分の恥ずかしい部分のことを自然に考えてしまうようなのだ。人前で全裸蛙にされる日は、ずっと自分の肛門のことばかり考えてしまうと、他の子たちも言っていた。ぼくは、やだな、見られたくないな、恥ずかしいな、エッチだな、興奮だな、と、そんなことばかり思ってしまう子だけど、でも他の子も同じなのだと知った。人前で素っ裸で性器とか丸出しにさせられて恥ずかしがらないのは、生まれて間もない赤ちゃんだけで、実は幼児ですら恥ずかしがるのである(本当)。まして、もう幼児でないこどもが全裸発表させられて性器や肛門を意識しなかったとしたら、よほど鈍感な子と思う。ぼくがエッチなので、エッチなことばかり書いてるのでなくて、裸教育で脱がされると、自然にエッチなことを考えてしまうものなのだ。でも、それを真剣に強い心で乗り越えれば、それでいいことで、何を考えていようと、きちんと発表を言われた通りに出来れば、それで負けない子、いい子なのだと思うのだ。体がエッチでぞくぞくすることまで、させられても、きちんと真剣にやりぬけば、何を考えていても問題ないし、緊張が強く失敗の許されない本番では、変な部分を意識していても、それ以上にやり抜くぞという真っ直ぐな気持ちの方が強くなるので、肛門を意識して技を見せてるからって、だらけたり、いい加減な技になることはないと思うのだ。それは、みんな同じで、みんな猛烈にエッチで、体がぞくぞくするほどでも、でも真剣にやり抜く子に躾けられてるので、きちんと調教されたちびっ子らしい、きちんとした演技を見せられるということなのだ。全裸っ子とか、ブルマ1枚っ子にされると、エッチなことも一杯考えるけれど、でも、全身の素肌やワレメちゃんで感じる見られてるというエッチさよりも、真剣に言われた通りにやり抜く姿を見せるのが強い子でかっこいいと思う心が強いので、エッチな心でも問題ないということなのだ。変なことも一杯想像される全裸だけど、それに本人もエッチな気持ちで、赤面さに体がぞくぞくするほどでも、でも、自分のためなのだから、負けてたらダメと思うのだ。変な練習、赤面な幼稚な練習も、秘密にしていちいち書かなかったけれど、合宿でもいろんなことをさせられたので、その成果が本番なのだから、頑張ろうとかやり抜こうと、ついつい緊張してしまうのは仕方ないことと思う。先生の前で体育館の床の上で股を開いて、開いた股を足で蹴られて気合を入れられたこともあるし、叱られた子全員が素足にされて冷たい氷の上でブルマを脱がされた性器丸見えで前屈して反省させられたこともあるのだ。足の裏が冷たくてゾクゾクしてオシッコが出そうなのに、負けずに前屈を続けるちびっ子たちは、させられてる自分でも強い子だと思った。「おちんちんもついてないワレメっ子なんだから、せめて、きちんとやり抜け」と強く叱られて、逆に、いい子にされるんだと震えてしまうような快感もあったと思う。

 バスが到着し、全員が普通の広いグラウンドの前の駐車場で降ろされた。バス専用スペースなのか、今日はがらがらで、ぼくたちを降ろすと、バスはさっさと移動して見えなくなってしまった。一般の車は反対側の有料駐車場なのかもしれないが、こちら側からは見えなかった。でも何台か舗装された駐車場の端の方にバスが停車してたので、ぼくたちの発表を見に来た団体客なのかもしれない。バスが温かだったせいで、ドアから出ると寒かったが、既にかなり緊張してるのか興奮してるのか、運動場を横切った時ほどは寒さは感じなかった。引率は先生1人きりで、知らない先生だった。考えてみると合宿は、ほとんど知らない先生ばかりだった。でもその引率の先生は一番厳しい先生だったので、あまり羽目を外していたらビンタされると思った。全員素っ裸で寒さに震えながら話を聞いていた。まだプライドが強いので、オシッコが出ない子がいるかもしれないが、ちゃんとこどもの心に戻れば自然にオシッコは出るから、大きい子というプライドはすてて、無垢なちびっ子になりきりなさい、というような内容だったと思う。しなかった子は平均台に乗せられて、金属バットで尻をぶたれるということも知った。痛くて歩けなくなりたくないなら、幼児になりきりなさいと言われ、《よし、絶対に出してやるぅー》と心の中で思った。

 「まだ、時間があるから、10時まで、全員きちんと正座して待つように」と言われた。ミーティングは立って聞いていたので気が付かなかったのだが、正座してみると、駐車場のコンクリートが非常に冷たいのが分かった。負けずに背筋を伸ばして、幼児のようにお尻を突き出して正座したんだけど、足のコンクリートに接した部分が冷たくて痛くなってきたのと、素っ裸なので仕方ないけれど、ワレメちゃんがスースーするかんじで、こんな変な場所で素っ裸で正座させられる惨めな子という気分満点だった。これも裸教育の躾けのうちかもしれないが、少し厳しすぎると思う。先生は寒いから後で来るからと、どこかで行ってしまい、ぼくたち女子だけが残されて、恥ずかしげもなく駐車場の真ん中で正座を続けてる状態だった。

 駐車場で全裸でいるぼくたちを見て、「今日、全裸で体操を見せる子たちじゃないの?」と言う知らない人もいた。「どこかの幼稚園なの? 寒いのに可哀そうに」とか「すごいことさせられてるね」とか言われた。でも、全裸の女子が駐車場で正座をさせられてるのを見れば、それは普通の反応と思うので割と平気だった。このくらいで落ち込んだり恥ずかしがっていたら、本番なんてやり抜けないと思う。でも、「この子たち、叱られてるの?」「これって、お仕置き?」と話してる人もいて、それは少し赤面に思った。こんな体罰を受けてるとしたら、ただの保育園なみのチンチン丸出しが普通の裸保育児と同じレベルと思う。体罰と思われるのは恥ずかしい気がした。大人に言わせると、全裸にされてるんだから、体罰でも待機でも、させられてることは同じだから同じと言われるかもしれないが、こどもにはこどものプライドがあるので、体罰と待機では恥ずかしさが大違いなのだ。

 でも、それより、もっと恥ずかしかったのは、中学1年生か小学6年生くらいの男子2人組が、通るときに女子たちを見つけて、「女が、凄い変なこと、させられてるぞ、友達呼んでこよう」と、友達を呼びに行ったことだ。変なことと言えば、変な姿かもしれないけれど、裸教育されてるだけなので、あまり面白がられても仕方ないと思うのだ。小学時代に体罰でブルマ姿で運動場で「きおつけ」をして長時間仰向けに寝ている姿にされたのも、変なことをさせられてて恥ずかしいと思ったけれど(写真下参照)、今は全裸なので変なことなのは同じでも体の肌を全部見られてしまう分は余計に恥ずかしいと思う。息が白い寒い場所で全裸というだけでインパクトはあると思う。

 しばらくして、男子が友達を連れて、10人くらいで来たので、《わあ、恥ずかしいなあ》と思った。冬らしく男子たちは厚着で、冷気に触れてるのは顔と手のひらくらいだった。でも正座してる女子は、全身冷気に晒されてるのだから、寒そうな姿だった。しかも、叱られてるみたいに背筋をピーンと伸ばして正座してるんだから、惨めな子たちに見えると思う。

 「うわ、恥ずかしい奴ら」と男子に笑われた。「お前ら、そんな格好してて、恥ずかしくないんか」と笑われた。「幼稚っぽいやつら。もう一度、赤ちゃんできるぞ。こいつら、素っ裸でオシッコしそう」と面白がられた。

 そこまでは、まあ普通のヤジと大差ないので、良かったのだが、一人の男子が「わあ、こいつ可愛い」と言い出して、「うそー」と言って、ぼくのところへ男子が集まってしまった。

 「こいつ、何て名前だ?」と一人が言った。

 「体に、くぼたまい、と書いてあるぞ」と別の男子が答えていた。全裸だと名前が分からないと困るということで、バスに乗る時に全員が体に、途中で雨などで流れ落ちないように油性のペンで名前を平仮名で書かれていたのだ。ブルマに名札をつけている同じ位置に名前を書くとは前日のミーティングで言われたので、乗車時に淡々と複数の先生に手分けして名前を全員が書かれていたのだ。でも、淡々と名札がわりに書かれた名前だけど、それを男子に読まれて、少し恥ずかしい気分がした。ぼくの性器の右上に「くぼたまい」と書かれていた。本番の発表は性器丸見えになるだけでなくて、名前も同時に分かるので、便利だけど、されてる方は恥ずかしいと思う。でも、本番でなく、待機中に性器の近くの文字を読まれるのは、性器も見られてるみたいな気がして(実際、上半分は見えてるけれど)、恥ずかしいと思った。

 「かわいい顔して、真っ裸で変態かあ」と嘲られた。

 「おまえの、あまんこに、ちんちんぶち込んだろうか」とかエッチなことを言われて、ぼくの両方の乳首をつままれた。

 「お前、どこに触ってるんだ。変態かよ」

 乳首を触られたので、男子を見たら「触ったら、にらまれた」と言っていた。でも正座してるしかないので我慢してたら、乳首に触って、普通に体に触れると分かったみたいで、指で性器を触られた。5秒くらいだったけれど、ワレメちゃんの中を触られたと思う。肛門にも触られたので、思わず「やーん」と体が震えてしまった。

 「こんな可愛い子のおまんこに触った。くぼたまいの、うんこの穴にも触ってやったぜ」と男子は興奮してたが、その時に先生が来るのが見えたので、少年たちは去っていった。時間も10時を過ぎていた。いい時に先生が来てくれたけど、もし来なかったら、男子全員の性のおもちゃにされたかもしれないので、助かったと思った。肛門を触られてもじっとしてる赤面なおもちゃにされたけれど、5秒くらいだし、1人だけなので、助かった。でも、お尻の穴に触ったので、絶対に変な想像されてオナペットにされたと思うけど、裸教育児の立場なので我慢するしかないと思う。先生にも触られたことは黙っていた。お尻の穴に男子の指の感覚が残ってるので、《ぼくって、惨めな子なのかな》と思った。

 大勢に通りすがりに見られたけれど、正座は強い子にするために、わざわざさせられたのだと思うので、負けずに正座を続けられてよかった。1時間ほども正座したので、足が痺れて立ち上がるとふらついた。

 「よし、これから、本番だ」と言われた。本番といっても、このまま駐車場から、まっすぐに全裸のままグラウンドの大勢の見ている前に行くだけなのだ。緊張が強くなり、もうお尻の穴を触られた感触を忘れかけていた。駐車場から、全員が幼児みたいに元気に行進して、入り口へ向かった。真っ裸で大勢の前で強い子になりきるのだ。《負けないぞ》と真っ裸の体で行進しながら思った。《みんなの全裸のおもちゃになりきるぞ。負けずにワレメ丸見えで、自分を出し切ってみせるぞ》と、真っ裸の体で思った。


 122、会場へ

 恥ずかしいだけみたいに見える発表をする会場のグラウンドまで、低学年の行進の練習みたいに、元気一杯の行進をさせられて向かった。更衣室へ寄るわけでも、脱衣所があるわけでもなく、既に数時間前から素っ裸(バスの中で途中のパーキングでの休憩も含めると)なので、そのままグラウンドまで歩いていくだけだった。ブルマと赤白帽子だけにして裸教育してる小学校なら、ここら辺はどこでも(少し前までは)そうだったので、しかも12才の6年生でも裸にされているので、13才で裸にされてるなら似たようなものだが、ただ今日の発表は赤白帽子とブルマなしなので、その分だけ厳しいと思った。もちろん赤白帽子は軽く小さいし、ブルマはさらに軽く小さい(丸まるとパンティーなみの大きさでしかない)ので、重量的には僅かな差でしかないと言われそうだが、やはり一番恥ずかしい部分が丸見えになってしまうので、やはり厳しいと思うのだ。普段のブルマ1枚姿は、120cmブルマが指定なので、体を隠せる面積は狭いし、体の輪郭も丸わかりだし、へそも丸見えなのだが、つまり相当素っ裸に近いのだが、それでもブルマ1枚姿だと服を着てるという感覚だが、今日のように素っ裸だと、服を全部脱がされた女子中学生という気分で惨めさも感じるのは仕方ないことだ。セーラー服からパンツが見えるくらいでも、エッチだとか、恥ずかしいとか言う生意気な子もいるけれど、でも、そのくらいでエッチというなら、麻衣たちはエッチすぎる姿だと思う。でも、もうここまで来たら、頑張るしかないと思った。服を着たくてもどこにもパンティーすらもないのだから。

 普段は部活時ですら着用してるブルマと赤白帽子を、本番の発表では脱がされるというのは厳しいことだけれど、逆に考えると本番だからこそ中途半端に女子中学生や小6の裸を見せるのでなく、全部見せるところに価値があるのかな、と、思う。見物客は健気に頑張るこどもの姿を見に来ているのであって、別に体操着を見に来てるのではないのだ。もちろんブルマを見たいという懐古趣味の人もいるかもしれないけれど、やはり素っ裸になって女子そのものを見せる方が、健康なこどもの心身を見せるという意味では、しっかりと見せてることになるので価値があるんだな、と、そう思って頑張った気がする。体操着もぴったりしたものを着用すると体の一部みたいな気がするが、でもそれは錯覚で、体操着はぼくではなく、ぼくは丸裸のぼくがぼくそのものであるし、ぼくを見てもらうことなんだと思う。そう思って、しっかりと手を振って行進をした。手を大きく振り、太ももを高く上げる行進は、元気良くてかっこいいと思うけれど、素っ裸でそれをすると、カッコよさよりも幼稚っぽい姿に見えてしまう気がした。こんなふうに行進してグラウンドに入るのだから、まるで幼児が幼稚に行進して入ってきたみたいに見えるだろうし、事実本物の幼児と勘違いしてる人も多かったと思う(ずうっと開会式から閉会式まで裸になっていた中1の運動会でも幼児と思われていたほどなので)。

 人の見てない場所で素っ裸にされて、部活でしごかれるのは、部員なので仕方ないと思うのだが、大勢の人の見ている場所で素っ裸で必死の子にさせられるのは厳しすぎると思う。少女虐待というか、可哀そうすぎな気がする(特に由佳みたいな小6の小さな子なら、なおさらだが)。でも、するしかないと覚悟を決めていたので、ぼくは負けずにきちんと行進してグラウンドに入った。強い子ですか? こういう厳しい教育だったので、恥ずかしいコスプレとかをさせられても、赤面しながらも負けずに素っ裸になり恥ずかしい(踊ると性器も見えてしまう)衣装を着用できる子に成長した(上の写真参照)のだから、やはりこういう厳しい経験で強い子に成長したのは間違いなので、こういう厳しさを与えてくれた先生たちには、今は感謝してると思う。でも、行進してる時には、恥ずかしさに自分を見失ってる感覚で、恥ずかしいエッチな夢を見てるような気分だった。小さなこどもなのだから、ブルマ1枚でも素っ裸でも同じようなものと言われるかもしれないが、させられてる方にすれば、全然違うのだ。ただ、見てる方は、《なんか、幼稚っぽいのが出てきたぞ》という気分がしただけだと思う。それは幼児の全裸運動会と変わりないと思う。裸に近いコスプレ写真(上)ですら、かなり幼稚に見えるけれど、素っ裸だとホントに幼児みたいに見えてしまうと思う。自分の体だけで、自分を隠すものが何もない無防備な姿なので、よけい怖いとか思って不安になるのだろうけれど、由佳は初の全裸発表なので相当緊張してるらしく、苦しそうに呼吸してるのが分かった。心拍数もすごく高そうで、可哀そうすぎな気がしたけど、こういう教育なのだから、ぼくも由佳も最後まで頑張るしかないのだ。明るい真昼間で、大勢の人が昨日と同じように見てる場所へ、赤ちゃんみたいに全部丸見えで登場するのは、慣れてるはずのぼくでも緊張した。やはり学校だと教育なんだというイメージが強いので、ブルマ1枚でも裸でも、裸教育の一環というかんじで、あまり緊張そのものはないのだが、こういう学校と無関係な場所で、施設を借りる費用分だけで儲けてるわけでないとはいえ、一応は有料で見せてるのだ。無料でないので、する方は責任重大だし、見世物なので、失敗は許されないのだと思う。何より、こういう普通の人が見る場所だと、恥ずかしい見世物みたいな気分になるので、させられる子は緊張しても仕方ないと思う。素足、全裸、性器露出、と、恥ずかしさも満載だけど、でも幼児と同じになりきることで強い子にする教育なので、幼児と同じように恥ずかしがらずにするのが本当なのだと思うし、恥ずかしがってる分は甘えてるんだと思った。グラウンドは最近流行の人工芝とかではなく、砂地なので、体はすぐに砂によごれて、全裸の砂人形みたいになり、ますます幼稚に見えてしまうのだろうけれど、きっとワレメちゃんの中まで砂でざらざらになってしまうだろうし、肛門の周囲にも砂がついて、丸見えなだけでなく、かなり幼稚なお尻の穴に見えてしまうだろうけれど、それは仕方ないことなので、頑張るしかないと思った。一番前の見物席は正面が低くなってるので、その目の前で運動するのだから、こどものお尻の穴とはいえ、丸見えなのだ。もちろん、「女子中学生に穴があいてるのを見てるのはシュールでいい」と言っている人もいたが、もし、こういう発表でない場所で穴を見せてたら変態な惨めな子でしかないと思う。なにしろ、本当にぼくがうんこを出してる穴そのものなのだから、ぼくの秘密そのものというか、ぼくの本当は一番見られたくないエッチな部分と思う。でも、それを負けずに丸見えにするのが、強い子でかっこいいのかもしれないけれど。行進を終了してきおつけしたが、一番前の列なので、一層緊張したと思う。もっとも、後ろの列だと全員全裸なのが見えるので、《やだ、わたしたち何をさせられてるんだろう》と、無駄に考えてしまいそうなので、やはり緊張はすると思うが…

 最初は立ったまま、体の曲げ伸ばしで、砂で汚れるのは足の裏だけなので、きれいな素肌のままだった。大勢に見られてるせいか、そして全裸写真も撮られてるせいか、緊張で微妙に体がこわばってる気がしたが、見物客から分かるほどではなかったと思う。でも、厳しくビンタとブルマで調教されていなければ、動きが悪くなっていたかもしれない。きおつけですら、実は緊張でカチコチになって、ピーンときおつけしてたのだから、運動で若干からだがこわばるのは仕方ないと思う。由佳とかは、緊張で少し震えていたけれど、そういう試練を乗り越えて、いい子に成長するんだから、応援してる気持ちだった。最初から見ていた小学生の男子に「丸裸にされて、惨めなやつら」とか言われたので、目にじわっと涙が出るのを感じた。でも、もし男子がおちんちん丸出しで発表させられたら、いくらおちんちんが付いていても恥ずかしいと思うので、そんな風に言うのはすこし酷いなという気がした。でも、丸裸で万歳したり、屈伸したりと、運動してるんだから、惨めな子に見られてしまうのは、当然なのかもしれないけれど、はっきり言わなくてもいいのにという気がした。帽子1枚が衣装だった時は、丸裸とはいえ、帽子は身に着けてるんだという、少しは甘くしてもらえたという微妙な安心感があったが、今日は帽子1枚すら身に着けていないので、文字通りの丸裸というか、一糸まとわぬ姿なので、しかも服なんて、どこにもないのだし、夢の中の出来事みたいな気分になるのは、一種の自己防衛作用なのかもしれなかった。夢の中なら現実ではないので、どんな破廉恥な姿でも、恥ずかしいことではないのだから。

 前半で、一番エッチというか、恥ずかしいと思ったのは、きおつけした状態から、徐々に足を左右に開いていき、足を180度開く技だ。運動選手などだと180度以上に開いてるので、たいしたことないと思うかもしれないが、普通の小中学生にはけっこう大変な技なのである。そして、180度開ききったところで、左右に手をまっすぐに伸ばすのである。つまり、頭を含めると「土」の字のような姿になり、頭を除くと「エ」という字の姿になるということである。別にブルマ1枚姿でなら、180度開いても、そんなに恥ずかしくないのだが、素っ裸で180度開かされると、陰核包皮(女の子のオチンチン)まで露出してしまうことになるので、「ワレメちゃんから、お豆が見えてるぞ」と笑われてしまった。全部丸見えにする発表なので、いまさら見えても大差ないのかもしれないが、やはり変な部分まで見られたという気がする。しかも、その時に、「ちびっ子が、またを開いてます。もう、痛くない!」と、アナウンスされたので、つまり「もうマタグラは痛くない」と言われたと同じことで、性器の中身まで露出して技を見せてる時に、マタのことを痛くないと言われると、見てる人の意識が女の子の下半身に集中してしまうような気がして、かなり赤面なアナウンスだと思ったけれど、どうすることもでないので、我慢してまたを開いていた。これが1分も続くので、ワレメちゃんがスースーするというか、剥き出しで気持ちいいような感覚になってしまい、《ぼくって変態なのかな》と少し思ってしまった。素っ裸だと今では問題あるので、コスプレ写真しか出せないけれど、こんな小さな体でエッチな剥き出しの大股開きをしてたのだから、自分でも幼稚さに負けない強い子だったと思う。女の子がお豆を見せて股の痛みに耐える姿を見せるんだから、かっこいい子にされてたと思う。

ラジオ体操と大差ないので、どうということもない前半だったけれど、素っ裸なのに、全員一斉にブリッジを最後にするので、それは子供だから許される赤面な格好だなと思う。こどもなので、どんな、はしたない格好でも、許されるということなのだろう。女子中生が見物客に、おまんこを突き出すなんて、こどもでないならエッチすぎると思う。大人の指示でパンツを見せるくらいでも緊張するこどももいるけれど、素っ裸でおまんこを突き出すのは、さらに一層緊張を強いられる技だと思う。ブリッジは前半は普通のブリッジなので、それでもたいしたことはないのだが、後半は半ブリッジといい、ひざから下を地面につけてブリッジするので、まさに「ぼくのワレメ、1分間、発表します」と言ってるようなものだし、性器くっきりの写真も間違いなくとられてしまったと思う。でも、ぼく、負けないぞ!


  123、幼児運動

 前半は軽い感じの音楽が流れていて、でも音楽とは無関係に笛の合図で動いたので、みんなに合わせるのは簡単だったし、足の裏が汚れただけなのだが、でも、リハーサルと違い自分の体を隠すものが何もない姿なので、やはり恥ずかしさは格別だったと思う。それから、リハーサルと内容がかなり変えられてしまったので、間違えないように注意していたと思う。一人だけ間違えると目立つので緊張ぎみだった。

 ところが、前半が終わると、音楽がリズミカルな普通の音楽から、幼稚な音楽に変化するので、みんなは「幼児運動だね」とか言っていた。これは本番だけ単純に加えられたもので、一度も練習をしていないので、ぶっつけ本番の体当たり演技という感覚だった。もちろんミーティングでプリントを配られて、することを丸暗記させられた。といっても、することは5つだけなので、5分もあれば暗記できるのだが、それを1時間かけて記憶して、暗記したかテストをされた。だから、やり方は知ってるけれど、本当にするのは初めてなのだった。

 幼児運動の1つ目は、万歳をして運動場を転がるだけだ。運動会のマスゲームとかでもさせられることがある技なので、特別幼い技というわけでないが、丸裸で万歳して転がると、本当に幼稚っぽく見えると思う。前半は足の裏しか汚れていなかったのに、いきなり全身が砂だらけになるのも、なんか幼稚っぽい姿に見えるみたいで、少しエッチで恥ずかしい気がした。

 「ばんざーい、ごろごろごろごろ」と音楽だけでなく、まるで幼児にさせてるようなアナウンスが入るのも、幼稚さに拍車をかけている気がした。もっとも、全裸発表するこどもは「まだ幼児の延長みたいなものだから、裸でいいんだ」というスタンスなのだから、幼児なみの子に見えてくれないと困るという面もあると思う。幼児と同じマインドのこどもだから、素っ裸にさせても大丈夫ということなのだから、もし女子高校生みたいに見えてしまうと、少女への性的虐待というか破廉恥な姿を大人が強要したことになってしまうので、あくまで幼児みたいな演出というのは理にはかなってると思う。実際に幼稚な音楽と幼稚なアナウンスで、見物人はまるで幼児の全裸運動会を見てるような、《赤ちゃんみたいなこどもたちが、幼稚なことをさせられて喜んでるな…》という気分だったのでないかと思う。でも、実際にはぼくは幼児でないし、小学生ですらないので、性器をツルツルにされて幼児のふりをしてるだけで、幼稚な姿になりきらされて赤面だし興奮してたと思う。素っ裸が恥ずかしいことも、エッチなことも十分に分かってる年齢なのだが、何も知らない幼稚なこどもの姿になりきらされるのが、全裸発表での試練なのだと思う。本当に幼児なみの赤ちゃんの内面なんだと思われて、幼稚と笑われて、「もう一度幼稚園へ行けるぞ」などと言われて、それに負けずに頑張るのが強いなんだと思うのだ。もっとも、もともと学校が裸教育だったので、全裸発表と言っても、ブルマと赤白帽子を脱いだだけ、という程度のことかもしれないけれど、全部脱ぐだけでなく、幼稚に運動場をごろごろ転がるというのは、赤ちゃんそのものの喜びみたいに見えてしまうようで、「この子たち、素っ裸が似合ってるわ」とか言われた。見物してる低学年のこどもには「お姉ちゃんたち、恥ずかしい。幼稚園なみ」と言われるし、本当に見物人からは幼児運動を見せることで、赤ちゃんなみのこどもばかりと、そう信じさせてしまったようだ。素っ裸だから、いやらしいとか、変態みたいとかいうクレームはなく、無邪気でかわいいとか、こんな幼稚っぽい子たちがいるんだねとか、素っ裸でも問題ない小学校前のチビスケたちを見てるのと同じような感想ばかりだったらしいのには少し驚いた。

 手足をピーンと伸ばして、顔を庇わないで転がることと書いてあったので、顔に砂がつくことを我慢して転がったら、耳や目に砂が入ってくるのが分かった。耳や目だけでなく、お尻のスジにも、ワレメちゃんにも、砂が入り込んできて、砂人形みたいになってしまった。全身が砂で真っ白なので、生きた砂人形にされて頑張る子たちにされたんだと思う。

 転がり終えたら、今度は行進させられた。どうして、ここで行進が入るのか、意味が分からなかった。登場する時と退場する時に行進するのは移動のためという理由があるので、まだ意味は分かる。でも、ここで幼稚な音楽に合わせて、その場で元気に行進する姿を見せるのだ。相当幼稚に見えたのか、見物の小学生から「1,2,1,2」と、言われてしまい、すっごく幼稚に見られてるんだなと思った。「元気一杯の行進です。どの子が一番元気かな」とアナウンスがあったので、プリントに書いてあった通りに右手を高く上げて、「はーい」と大きな声で言った。「かわいい」と笑われたけれど、書いてある通りするしかないので仕方ないと思った。でも、元気に右手を上げると、本当に自分の意志で右手を上げたような気がして驚いた。本当にぼくって、幼児と大差ないのかな、と、そんな気がした。精神は外観に宿るというのは嘘でないようで、本当に幼児に見えてしまう姿をさせられると、心の中も知らないうちに幼児化してしまうものなのかもしれない。

 「よーし、今度は前回り競争だっ」と言われて、グラウンドの中央付近から、正面のお客の目の前の辺りまで、素っ裸で前転をさせられた。1回転や2回転なら、まだ身軽な12才前後のこどもなら朝飯前だろうが、20メートルくらい前転させられたので、目が回ったし、ふらふらになる感じで、《ぼくって、何をさせられてるんだろう》と思いながら、必死で転がった。髪の毛も砂だらけだし、地面に頭を軽くぶつけてしまうのか、脳震盪みたいなかんじで、ふらふらになるし、ただの惨めな子たちにされてるようなものだと思う。でも、見てる方には、これもかなり幼稚に見えるらしく、「ちびっ子頑張れ」などと応援をされた。回転するたびに、足と足の間が丸見えなので、余計に幼稚に見えるのかもしれない。それでも男子がさせられてるなら、おチンチンが見えるので、まだかっこいい面もあるけれど、「全員、メスですぅ」と言ってるようなものなので、幼稚な子というだけで自慢になるものもなく、恥ずかしいだけの気もする。でも、これは後半はお客の目の前で体操するので、そのために前転で移動したと言えるかもしれない。

 前転が終わると、「元気に大の字だー」と言われて、本当に観客の前で(しかも近くで)、女子全員が大の字をさせられた。真っ裸で思い切り、人前で股を広げるのだから、幼児と同等の子という前提がなければ許されない姿だと思う。女子全員が性器を見てもらってるのと同じなのだから、ただの小便のスジでしかない赤ちゃんと同等のこどもでないなら、エッチな姿をしてることになると思う。でも、ぼくたちは、幼児になりきっているので、エッチでないんだと思った。ブリッジなら、まだ技を見せてるという感覚があるので、技を見せてるから見えてしまったという風に解釈できるけれど、大の字は、手足を広げるだけなので技というより、手足を広げただけだと思う。まるで、人前で素っ裸で大の字になって嬉々としている幼稚なちびっ子(というより、赤ちゃん)そのものな姿だと思う。

 「きおつけー」と言われて、音楽が止まり、真剣な表情で(そうプリントに書いてあった)ピーンときおつけさせられて、幼児運動は終わった。でも、そのきおつけは2分くらいもあり、「どの子が、一番、ピーンとできたかな」と言われて、恥ずかしさに目が潤んでしまった。こんな人前で全裸できおつけ競争させられて《負けないぞ》とだけ思うような子は、本当に幼児と同じだと思う。というより、幼児でも、これをさせられたら照れると思うのだ。ワレメちゃん丸見えのきおつけの最中に、カメラのシャッター音とかするので、《ぼくの全裸写真を撮られてるんだ》と、エッチだなと嬉しさと恥ずかしさの気持ちだった。いい子の真剣な姿を見てもらえるのは嬉しいけれど、性器丸出しの写真を撮影されるのは惨めな子みたいで幼稚で恥ずかしいと思った。冬なので、かなり厚着の女子小学生に、きおつけの真似をされた。真似してる小学生は厚着だけど、ぼくたちは素っ裸できおつけしてるんだなと思うと、あまりに幼稚なことをさせられてると思って、涙ぐんでしまったけれど、でも、どんなことでも素直にする子が、いい子なんだと思うし、後半も負けないぞ、と、思った。

 学校でパンツ検査される学校とかもあり、スカートをめくるのが恥ずかしいとかいう発言を聞いたことがあるけれど、その程度のことで恥ずかしいなんていうなら、ぼくたちはどうすればいいの、という気分だ。パンツ丸見えにされるどころか、最初からパンツを脱がされて頑張らされているのだ。それでも、強い子だから恥ずかしくなんかないぞ、と自分に言い聞かせて、真剣に発表したのだから、恥ずかしすぎると思う。スカートをめくらされてパンツを見られるのも勇気はいるけれど、パンツそのものを脱がされて、というか着てるものを全部脱がされて見られて頑張るのだから、はるかに強い心がないとできないことだと思うのだ。「惨めな子たち」と小学生に笑われてしまうほどほどなので、パンツを脱がされるのは厳しい教育と思う。でも、ぼくは負けない子だったと思います。一度、ぼくは脱がされたパンツを先生に手渡して、ぼくのパンツと全裸のぼくを観察されたこともあったけれど、ぼくは負けませんでした!(本当です!)


※裸教育児の久保田麻衣の顔写真


124、生まれたままの姿で

 前半は順番が少し変えられてるだけでリハーサルとほぼ同じだったが、中間に幼児体操が挟まれたので、その分は時間が長くなり、リハーサルでは比較的短時間なので素っ裸でも恥ずかしさは限定的だったのが、本番はそれより長い時間素っ裸を見られたり写真を撮られるので、さらし者にされてるような感覚は強くなり、大変だった。しかも幼児体操は幼稚な内容なので、それを実際は中学生のぼくがさせられるのだから、恥ずかしさ満点だった。特に砂まみれになって運動場を転がるのは幼稚っぽくて恥ずかしかったし、小さい子たちが叱られてるみたいに、全員がピーンと「きおつけ」させられているのも恥ずかしかった。まだリハーサルとか練習とかでしていれば、少しは慣れてしまえるだろうし、こんな感じなんだなと分かってる分は緊張も少ないのかもしれないが、ぶっつけ本番でいきなり加えられて、本番でそれをするのが初体験ということなので、新鮮さはあるけれど、《こんな大勢の見ている人前で体操着も下着も着ないで、きおつけしてるなんて、ぼくって、女の子なのに、なんて恥ずかしい子にさせられてるんだろう》ときおつけしながら赤面していた(というか、ぼーっとしていた)。

 でも、それよりさらに幼児体操を挟まれたことで赤面なのは、リハーサルでは後半は一番前列にされたぼくでも、徒競走用の白いラインより手前に立っていたので、大勢の見ている前といっても二十数メートルは観客から離れていた。望遠レンズでなら体操着姿を大写しにできるかもしれないが、普通のカメラでは小さくしか写らないだろうし、見物人も少し離れて見てるので、それだけさらし者感覚も薄かったと思う。ところが幼児体操で惨めにごろごろ前転させられたので、全員の位置は全体に二十メートルくらい前よりになったことだ。それでも一番後列のこどもは、かなり観客からは離れているのだが、最前列のぼくは観客の目の前で後半の全裸発表をさせられるので、これなら普通の小さなカメラでもぼくの全裸写真が普通に大きく撮影できてしまうし、見物客からもぼくの体の細部まで丸見え状態になってしまう。全裸でも手でぼくの恥ずかしい部分を隠せるとかなら、まだいいのだが、体操しないといけないので、隠しようもなかった。これでは、いやでも緊張してしまうわけだった。すごくドキドキしながら、恥ずかしい現実ではない夢を見ているような感覚で、ひたすら後半は頑張ったかんじだ。《やだ、見ないで》と思いながら、ぼくを全部見られてしまった惨めさと恥ずかしさの発表だった。

 最初はアンテナ(上写真)とかの苦しいだけで、難易度そのものは高くない技から始まった。アンテナは肩と腕と頭で体重を支える技なので、支えやすくて簡単ではあるのだが、頭に血がのぼる感じで時間が長いと、かなり辛い。冬の冷気に素肌を晒して、大勢の見物人の前で素っ裸でアンテナの苦しみに耐えてる子たちは、みんな健気だと思う。ぼくは自分がさせられたので、してる子たちの大変さが分かるので、それを素直にするこどもたちの健気さは実感としてよく分かる。前半や中間部は音楽が流れていたので、まだ雰囲気は幼稚とはいえ、楽しそうではあったのだが、後半は笛の合図だけなので、笛に操られる人形みたいな感覚である。一斉にきちんと躾けられて整然としてるので、余計に人形感覚が強い。あたかも、魔法をかけられて笛に操られている全裸のこどもたちという雰囲気だ。全裸だと、その緊張や動揺から、なかなか整然と揃った演技にはなりにくいもので、そういうバラツキが体操着を脱いでする全裸発表の欠点になりがちなのだが、ここのグラウンドの上に立たされたこどもたちは、厳しく身も心も大人に調教されてる(先生も調教するぞ、と言って、酷い事もされた)こどもばかりなので、真っ裸でも整然と一糸乱れぬ動きをしてるのは、魂を抜かれて操り人形にされてるこどもたちみたいで、させられてるぼくの目から見てもエッチでセクシーで健気に見えると思うのだ。

 でも、ショッキングだったのは、リハーサルでは普通にアンテナをするだけだったのに、本番ではアンテナの途中で笛が鳴ると、そのままの姿勢で両足を左右に限界まで開かないといけないことだ。素っ裸でアンテナに耐えて震えてる姿を見せるだけでも、さらし者みたいなので、そのうえ苦しい姿勢のまま大股開きをするのだから、これでは、ただの可哀そうなこどもたちと思う。もちろん、運動会の教育での発表というよりは、競技場での見世物なのだから、可哀そうな子たちに見える方が見世物としては面白いのは間違いないと思うけれど。でも、させられてる方は「これが、ぼくの、またです」と言ってるような気分で惨めさとか屈辱感が強いと思うのだ。もちろん白木みたいなマゾのこどもなら、大人に粗末に扱われて酷いことをさせられてるんだ、と、嬉しくて感涙なのかもしれないけれど。でも、ぼくは普通のこどもなので、白木のように虐待されたい、粗末にされたい、酷いことをさせられたい、というような願望はないので、恥ずかしさに白昼夢を見てるような感覚で耐えてただけだ。でも、こういう厳しさに耐えられる子が強い子なんだな、と、させられて実感として分かったと思う。やはり、こういう厳しい教育は、一見可哀想に見えても、こどものためになるし、多くのこどもがさせられるべきなんだと思う。もちろん普通のこどもは、ここまで恥ずかしいことをさせられなくても(多くの小学校の運動会のように)ブルマ1枚とかで発表させられるだけでも十分だと思う。裸教育の学校なら、どこでもブルマ1枚や短パン1枚で運動会をさせられていたので、そういう健気な姿の(小6でもオッパイ丸出しで体操してるような)運動会の写真は現在でも多く残されているようだ。でも、ここにいる子たちは、親がいないとか色々なハンデキャップのあるこどもばかりなので、やはり普通の裸教育よりは、むごいことをさせられて、負けずに頑張らさせられるのは仕方ないと思う。運動会でも案内パンフレットに「親のいない女子たち全員、真っ裸にされた」と書かれてしまい赤面さに負けずに頑張ったが、ここでも、こどものために厳しく全部脱がせてるのだから、ちゃんと頑張らないといけないと思うのだ。大きい子なのに素っ裸の女子なんて、すごく恥ずかしい生き物で、見てる方が恥ずかしいだろうに、それでも、きちんと指導してくれたのだから、本番では恥ずかしい子になりきって、きちんと頑張らないといけないと思うのだ。

 割と後半の早い段階で蛙逆立ちだった。でも、本番ではリハーサルとは逆で、お客の方へ顔を向けて蛙逆立ちするので、実はそんなに恥ずかしくはなかった。全裸蛙姿と、真剣なぼくの顔を見られただけだ。全裸蛙(全裸の蛙逆立ち)をすると、自分より前方で全裸蛙をしてるこどもの肛門が全員クッキリ丸見えになるので、《ぼくたちって、なんて恥ずかしい破廉恥な姿をしてるんだろう》と赤面な気分になりがちなのだが、それに《ぼくも、今、あんな風に肛門を見せて蛙逆立ちしてるんだな》と目が潤んでしまうのだが、今日は最前列にいるので、前方には全裸蛙のこどもはおらず、させられてる子の肛門を見ることもなかった。やはりこどもの肛門がいっせいに見えると、強烈にエッチなことをさせられてるみたいで赤面なのだが、そういうことはなくてよかったと思う。でも全裸蛙の写真を撮られてしまったので、真剣な(真剣だとすごく幼く見えるらしい)ぼくの表情を見て、興奮してオナペットにしてしまうような男の方もいると思うので、それは恥ずかしいと思う。でも変な写真を撮られても、発表を見てもらってるのだから、それは仕方ないと思うのだ。ぼくの顔は、みんなに「かわいい」と言われがちだが、素っ裸だと、かわいいとは言われず、「幼い」と言われるようだ。ぼくの素っ裸の蛙逆立ち姿の写真を、学校の毎月配るプリントに載せてもらった時も、やはり「幼児に見える」と言われた。本当に幼児が蛙逆立ちしてる姿みたいに写っていて、自分でも幼さに驚いた記憶がある。ぼくの素っ裸の写真を学校で配布してもいいと思えるほど幼く見えたのだから、びっくりだし、自分でも《こんな幼稚に写ってるのなら、みんなに見られても仕方ないか》と思ったほどだった。でも、男子が興奮してたので、クラスの男子のオナペット写真にされたと思う。恥ずかしいことだけれど、裸教育されてるのだから、我慢するしかないと思った。その幼稚な写真を記憶してるので、最前列で蛙逆立ちしてる時も、幼児になりきらされているような感覚が強かった。幼い顔で、蛙逆立ちしてると自分でも知ってるので、毛を剃られてツルツルにされた性器で、全裸で股を開いて耐える姿を写真に撮られたり、近くで見られるのは、惨めさと嬉しさとを、砂だらけの体で感じてるような感覚だったと思う。

 半ブリッジは、まさに「ぼくの性器を見てください」と言ってるような気分で、もしマスゲームでないのに人前でこんな姿をしたら、単なる変態少女だと思うほどだ。海老ぞったセクシーなポーズだし、足を折りたたみ、顔も反対側なので、お客からは、ぼくのおへそと、性器と、太ももだけが見えてることになる。もしエッチな目で見られてるのだとしたら、惨めな子の格好だと思う。でも、《見てる人はエッチな目で見てるのではなくて、ぼくの技を見てくれてるんだから、恥ずかしくないんだ》と自分に言い聞かせて、思い切りよく海老ぞったのは強い子だったと自分でも思う。このくらいでは負けないぞと、強気で人前で発表してたと思う。

 でも、お尻を突き出したり、海老ぞっり、恥ずかしいことばかりなので、目は涙でいっぱいになってしまったと思う。でも、虐待されてるのではなく裸教育されてるだけなのだから、恥ずかしくないんだと、必死で後半は苦しみに耐えたり、頑張って女の子らしさを見せたりした。体の柔軟性を見せるのが、女の子らしさを見せることと教えられたので、先生に女にしてもらったんだと思う。

 でも、最後頃の、犬のオシッコの技の発表は、強気な心が挫けそうな瞬間だった。お客にお尻を向けて四つん這いになる。お尻を向けるのだから、失礼な格好だけど仕方ない。相手をバカにするのに、お尻を一瞬出して、お尻ぺんぺんみたいな真似をする男がいるけれど、それどころか麻衣たちは素っ裸なので、ずっとお尻丸出し(当たり前だけど)なのだから、そのお尻をお客に向けるだけでも、かなりはしたない姿と思う。そもそも女の子がお尻を出すこと自体がセクシーで恥ずかしいことだと思う。だから、裸教育でない女子はお尻を出すことはない。でも、こういう立場なのだから、お客にお尻を見せるのは仕方ないと思う。でも、それより恥ずかしいのは、次の笛で、片足を高く上げることだ。

 四つん這いで全裸で片足を上げたりしたら、まるで性教育のテキストみたいに、変な部分が丸見えになると思う。もちろん、みてる小学生の男子とかには、なまの性教育になるのだから、役立たないというわけではないかもしれないが、ぼくの体で男子を性教育しても恥ずかしいだけだ。お尻の穴とか、スリットとかが、冬の風にスースーする感覚で、いくらマスゲームでも涙がこぼれそうになる。泣いてもいいとは言われてるけど、泣いたら、体のストリップショーだけでなく、心までストリップショーさせられてるみたいで恥ずかしさ倍増になるので、絶対に恥ずかしくて泣けないと思う。なんとか目が潤む程度でこらえていた感じだ(下の写真が間接的だけど、ぼくの肛門と性器)。

 「こどもたちは、オシッコする犬になりきってます」と、ここで恥ずかしいアナウンスがされたので、ますます恥ずかしさ倍増だった。「みんな、きちんと、なりきれたかな」と言われて、僕はうっかり「はい」と言ってしまい、「やだ、あの子、『はい』って言わなかった。赤ちゃんなんだ」と言われて、笑われてしまった。1分後に笛が鳴ると放尿しろと言われていたので、このまま笛が鳴らないでほしいと思った。リハーサルでは笛は鳴らなかった。蛙逆立ちと向きが逆なので、麻衣の前方の女子たちが、保健の教科書の模式図みたいに隙間の穴を見せてるのが見えた。無慈悲にこれまでと同様に笛が響いた。残酷な響きのような気がした。

 こんな場所で、オシッコするなんて、そもそもいいのだろうか、と、そんな気がした。強い緊張があるので、すぐに小便が出るはずがなかった。でも、しないと、お仕置きが待っていて、自分の素っ裸の肌の痛みで(つまり、尻たたきとかビンタとか平手で体叩きとか、体中に手の跡をつけられて反省させられることになりそうということ)、つぐなわされるので、体罰が嫌ならするしかないのだった。時間は1分あるのだから、1分の間にすればいいのだからと、必死になった。驚いたことに、麻衣の前方の女子は、本当に放尿してて「やだ、この子たち、本当に犬になりきってるんだ。幼稚っぽいわね。こどもだから恥ずかしいって、分からないんだ」と言われていた。もちろん水分は朝食後は取ってないし、トイレで小便もうんこも全部出してからマスゲームしてるこどもばかりなので、5秒くらいとか、一瞬で小便は止まってしまうのだが、でも、全裸の女子中学生の体から小便が出てくるのは、同じくさせられている麻衣の目から見てもショッキングだった。幼稚というか、恥ずかしいというか、女子の秘密を全部見られてしまうんだと思った。オシッコをしなければ単に割れてるだけでエッチでないと教えられたから、ワレメ丸出しでも負けずに頑張れたのだが、今日はオシッコさせられるのだ。オシッコをしなければ割れてるだけかもしれないけれど、オシッコを想像されるのは恥ずかしいし、まして本当にここから出しますと出してみせるのは数段恥ずかしいことと思う。強い子で負けないぞと、そういう気持ちでここまで頑張ってきたけれど、ここで、ここで精神的に幼児に崩壊したと思う。保育士さんに叱られて、おまえは外でオシッコしろと言われて本当にしてしまう幼児は、こんな気持ちなのだろうか。《どうせ、ぼくなんか幼児と同じなんだもん》と思ったら涙がポロポロと出て、自然に下半身が温かくなった。どうやら小便が出たらしい。出るのに笛が鳴ってから30秒ほど経過してたけれど、本物の幼児になりきってみせた瞬間みたいな気がした。幼児というより、赤ちゃんになりきったということだろうか。人前で平気で素っ裸でオシッコしてしまう赤ちゃんです、かっこいいですか、と、そんな惨めさと嬉しさというか、開放感があり、尿道から小便が出る感覚が幼稚園児に戻ったみたいな感覚がした。一日園児にされたけれど、今なら、もっともっと本物の幼児になりきれたと思う。ワレメちゃんから、水を出したので、光ってよく見えるみたいで、「こんな可愛い子が、本当にオシッコした」と言われてしまった。ほぼ全員が本当に全裸発表でワレメちゃんの隙間からオシッコを出すところを見られたのだから、厳しい強烈な体験をさせられたこどもたちだと思う。

 でも、そのあと、立ち上がって片足を高く上げさせられるのだ。これでお仕置きされないぞ、という安心感と同時に、性器が濡れてるので、次の技は恥ずかしいと思った。もちろんオシッコで濡れてるだけと見てる人は分かるので、オシッコで濡れてるだけと言い張る必要はないけれど、普通は放尿後は紙でふくか、手でふいてるのに、今日は濡れたままにしておくしかないのだ。

 笛がなり、立ち上がり、再び笛が鳴って、片足を頭の横まで上げた。すると、まるで「ぼくの濡れた部分を見てください」というかのようなポーズになってしまった。

 「ちゃんと、オシッコできましたー、って、見せてくれてるよ」と笑われてしまった。緊張と恥ずかしさで足が震えている。ぼくのオシッコを見られてるんだと思った。濡れて光ってるのが、幼稚なぼくのオシッコですと、発表させられてる気分だった。実際に発表してるのだけど。ぼくの、体もこころも秘密も、全部丸出し、丸見え、スッポンポンの子にされて、自分を全裸見てもらう発表の技は終わった。

 笛が鳴ったので、そのまま全員が、運動場にバタンと倒れた。

 「これで、裸教育の発表は終了です。みなさん、会場を出てください」というアナウンスがあった。

 「エッチだったね」

 「かわいそうだった」

 「幼稚ッぽいね」

 「あんなの赤ん坊と同じじゃん」

 バカにしてたり、不満そうだったり、興奮してたり、人それぞれに色々なことを言い、みんな帰りはじめた。ぼくたちは会場から見物客がいなくなるまで運動場に倒れているようにと言われていた。ぼくは死体のこどもになりきって、ワレメをスースーさせながら、微動もしないで耐えていた。顔が砂だらけだ。

 「こどもたち、退場しないで、倒れたままなんだね」と笑われた。

 「全裸死体みたいだね。まるで殺されて捨てられてるこどもみたい」とも、言われた。

 こうして、午前中の発表は終わり、後は午後の発表だけになった。死体になりきって5分後くらいに、笛がようやくなって、全員が普通のこどもに戻った。


 125、束の間の休憩時間

 「大きい子なのに、運動会で全員一斉にマスゲームさせられるのは、おもちゃにされてるみたいで恥ずかしい」と、運動場での昼食時間に言ってる6年生女子がいたし、その妹(3年生くらい)も「お姉ちゃんたち、みんな恥ずかしすぎる」と親に話していたのを聞いたことがある。でも、その麻衣がたまたま寄った小学校は、時代遅れのブルマ姿にはされていたが、上半身を裸にされて乳房や乳首を出し、おへそを出してマスゲームをさせられるのではなく、マスゲームなのに全然脱がずに(体操着のまま)マスゲームをしてたので、《これの、どこが恥ずかしいんだろう?》と、不思議に思ったことが小6の時にあった。麻衣の小学校は裸教育で運動会ではブルマ1枚だったから、ブルマにされてるような厳しい学校ならマスゲームは男子と一緒に裸にされる(ブルマ1枚にされる)という先入観があったので、昼間の話と相まって、拍子抜けという気がしたものだ。でも、冷静に考えると、四つん這いになって、お尻を上げたり海老ぞったりと、まるで運動場とセックスさせられてる女子みたいな姿にされていたので、エッチと言えないこともないか、と、思った。でも、いくらセックスみたいなエッチな運動をさせられていても、体操着姿(ブルマに半袖)なので、体操着の女子を見て、セックスを連想するほど想像力豊かな男性はどれだけいるだろうかと思うと、昼間の話は大げさすぎる気がしたものだ。その程度で恥ずかしいというなら、知らない見物人の人々の前で、ブルマ1枚どころか、パンツまで脱がされて頑張る麻衣たちは、どうすればいいんだろうと思うのだ。

 とりあえず、その赤面な全裸発表が終了して、運動場に倒れこんだとき、《ふう、恥ずかしかった》と、惨めさ満点だった。いくら、強い子でかっこいいと言われても実際に恥ずかしいんだし、実際に惨めに砂まみれで涙ぐんでするんだから仕方ないと思う。お客が見物席から、ほぼ退場する数分後には普通の子に戻って、ようやく立ち上がったのだが、実際に何分くらい死体のように運動場に倒れていたかは、時計を見ていたわけでないので分からない。自分としては10分くらいは、させられてた気分もするが、恥ずかしいから長く感じているだけで、実際には5分ほどにすぎないのかもしれない。

 グラウンドに死体のように微動もせずに(一度倒れたら、動かないようにと言われた)、めいめいの姿で倒れている女児たちを見て、見物客は「かわいそう」と言ってる人もいたし、面白がって写真撮影したりして、なかなか帰らない人もいたが、倒れていると実際に冬なのでグラウンドの乾燥した砂から冷たさが体に伝わり、全身がどんどん冷えてくるので、せっかく運動して体が温かくなったと思ったら、この数分間で再び体は冷え切ってしまったのだ。地面の冷たさを我慢して、素っ裸でじっとさせられてるのだから、実際にかわいそうなこどもたちと言えなくもないと思った。

 ブルマ1枚の小6の運動会は厳しいなと思ったけれど、ブルマと赤白帽子だけの運動会も、今日の発表と比べると、すごく甘かったなと思うのだ。ブルマと赤白帽子を脱がされただけと思うかもしれないけれど、それを脱がされてしまうと、一番見られて恥ずかしい部分が見えてしまうだけに、女子にとっては強烈な体験になると思う。

 倒れている数分は精神的には、かなり余裕があった。それは「変な踊り」の全裸発表で全裸死体姿を演じさせられていたので、慣れてるおかげだった。ぼくは、シャッター音がしたり笑われても、ピクリとも動かないで我慢し、《死体になりきってるぞ》と、強い子で少し自慢だった。具体的には「倒れる格好は自由でいいが、一度倒れたら笛がなるまでは、いつまででも1mmも動くな」と言われていたので、倒れた時のうつ伏せ姿を持続していた。仰向けに倒れた子もいたけど、ぼくは「変な踊り」の癖があるのか、自然に無意識にうつ伏せに倒れてしまった。練習は一度もしてないし、どう倒れてもいいので、無意識に倒れたのが、うつ伏せということだ。

 僕は、足を左右に90度くらい開いて、うつ伏せに倒れたので、数分間は冬の寒気で、お尻の穴がスースーと冷たかった。お尻の穴が丸見えだなと、自分でもわかったけれど、強い子で耐え抜けて、いい子だったと思う。ちびっ子の倒れてる姿を写して何が面白いのかと思うかもしれないけれど、大勢の女子が全裸で一斉に倒れてるのは、それなりにエッチに見えるようだ。仰向けに倒れたうえに、大股開きしている恥ずかしい子もいたので(麻衣は、笛がなり即座に立ち上がったので、仰向けに倒れてる女子が大勢いるのが見えた)、小6とか中1の女子が全裸で股を開いてるんだから、エッチな目で見れば、とてもやらしい姿と言えなくもない。もちろん、そんなエッチな目で見てる人はほとんどいないとは思うけれど。

 股を開いて倒れても、男子とかなら体が硬いので、それなりに開くだけのことが多いけれど、柔軟性のある体に調教された女児だと、開いても痛くないし、練習の癖で、ついつい信じられないほど大股開きしてしまうようだ。ぼくは死体姿を見せる技をするので、股を開くのを見せる技とは思っていなかったので、そこそこにしたが、本気でがばっと180度くらい開いてる女子もいたのだから、健気というか洗脳されてるというか、恥ずかしい子たちの集団と言えなくもないと思った。自分もさせられてて言うのは説得力ないけど、股を開く演技ではないのだから、いくら自由だからとはいえ、みんな股を広げすぎだと思った。自主的にしてることなので、健気な子たちとも言えるけれど、見方によっては変態少女みたいと思う。ぼくは、股を大きく開くことよりも(先生に股を開けなんていわれてない!)、死体そのものになりきることに努力をした。おかげで、「あの、かわいい子、本物の死体みたい。アウシュビッツで殺されて全裸で捨てられてるこどもの写真が、あんな感じだったよ」と言われてしまった。麻衣の近くで言われたので、多分、麻衣のことだと思う。かわいいと言われて嬉しかった以上に、本物の死体に見えると言われたのが、以前学校の体育館で訓練させられた技を認められたみたいで嬉しかった。頭のてっぺんから、つま先まで、ピクリともしないで、冷たい地面の上で全裸で砂まみれの体で倒れてるのは、強い子でないとできないと思う。恥ずかしさにも、寒さにも、写真撮られることにも、お尻の穴が見えてることにも、負けないこどもにしてもらえて、先生には「ありがとうございました」と心の中で言ったほどだった。こんな恥ずかしい素っ裸の生き物をここまで厳しく指導してくれたのだから、ぼくの恩人なのだと思うのだ。

 ブルマ1枚でも、高学年とか中学生の女の子にとっては、相当恥ずかしいことなのに、さらに厳しくブルマもとらされて、お尻の穴を見せたまま動かないのは、とても勇気がいると思う。こどものお尻の穴くらいたいしたことないと思うかもしれないが、ぼくの食べたものが全部出てくる、口とお尻までつながっている恥ずかしい穴なのだ。この穴を開いて、本当にぼくのうんこを出してる部分なのだから、ぼくの命そのものというか、恥ずかしくないというなら嘘になると思う。死体になりきりながら、《ぼくの肛門を見て、強い子と思ってくれるといいな》と思った。もちろん、見ている小学生でも、うんこを出す穴ということくらい分かるのだから、ぼくの体とこころを見せるだけでなく、うんこの穴まで発表して、幼稚な一匹の生き物だと人格まで見られてしまう(全部を見てもらう)、エッチで強烈な発表なんだなと思う。言葉ではまだ理解できない幼いこどもなので、素っ裸の体に「強い子のこころ」を教えられたんだと思う。人格まで見られてしまう惨めさに負けない子にするために、こんなふうにさせられてるんだから、させられてる子は負けずに期待に応えたないとダメだと思うのだ。砂だらけで、ワレメちゃんまで砂でざらざらする体で、濡れた下半身が冷たいのと、肛門が見えてるのを恥じらいながら、運動場に倒れていたので、《先生に、いい子にしてもらえた》と嬉しかった記憶がある。何時間でも笛がなるまで動けないのだから、惨めな子たちかもしれないけれど、今は試練に耐えるだけだ。全員惨め姿をさせられてるわけだけど、ぼくは観客席に近いのか、顔が可愛いせいか、ぼくの死体姿に視線が集中したみたいだ。大勢に、笑われたし、倒れてる時に全裸撮影(シャッター音がした)もされたのだから、幼稚なオナペット少女と思われたかもしれないけれど、厳しさに負けない強い子と思ってもらえたら嬉しいと思う。

 ぼくの体は、コスプレ写真(上の写真参照)を見てもらえば、だいたい分かるだろうけれど、全裸だと凄く可愛く見えるようだ。ブルマ1枚を見慣れて先生でも、素っ裸のぼくの体を見て、「かわいいなあ」と言ってくれたほどだから。もっとも、それは性器の形がいいという意味も含まれていたのかもしれなけれど、こどもらしい可愛い体つきをしてるのは、自分でも素っ裸で体育館の鏡の前に立たされたので自覚していた。体罰で素っ裸でぼくの全身の体の映る鏡を見ながら立たされた経験があり、鏡の中の自分が幼稚で惨めな幼児なみの生き物にしか見えないのに驚いた経験がある。とにかく脱ぐと幼稚に見えるので、幼稚な生き物が恥ずかしいと分からないから素っ裸で運動場に平気で倒れてると思われていたと思う。ぼくたちの死体姿を「こどもだから、できる姿だね。こんな恥ずかしいこと、こどもでないと出来ないことだね」と笑われてしまったが、中1なら(生意気のようだけど)立派に恥ずかしいし、エッチなことをさせられてるくらい全員が分かってると思う。だから、変なことをさせられるから、みんな本番前は呼吸が苦しくて辛そうなんだと思う。それを何も分からないこどもだから可能な技と笑われてしまうのは、惨めなこどもたちなのだろうけれど、実際に自己評価の低い中1だったから《どうで、こどもだから、このくらいは仕方ない》と我慢できた面もあるのだから、全く的外れな事を言われたわけでもないと思う。ワレメの中身まで、つまり、性器から肛門にいたるまで砂で隙間をざらざらさせながら、最後の技を必死に続けるガキンチョになりきり、ようやく笛がなった。先生に何をされても、何をさせられても負けないこどもになるのは、裸教育児の運命なのだと思う。裸教育児にされた以上は、裸の体に教えられるのだから、体罰でこどもの肛門に先生の指を入れられたりとか(指浣腸)、椅子に座った先生のおひざの上で、つばめなどの全裸体操をさせられるくらいは、こどもの全裸調教と思って我慢できないとダメだと思うのだ。もちろんこどもにとっては、辛いし恥ずかしいし惨めだけれど、そういう厳しさがあるからこそ、こういう真冬の厳しい発表で、笑われてしまうほど幼稚な生き物になりきれるんだと思う。

 笛がなり立ち上がると、集合と言われて、全員が砂だらけの体で集合をして、グラウンドに正座して話を聞いた。技自体は簡単だし、学校でたっぷり練習済みなので、簡単な技ばかりだった。柔軟性の必要な一部の技を除くなら、いきなりでも出来そうな、幼児並みの技ばかりなのだ。だから、メンタルトレーニングとかは厳しくても、実際のマスゲームの練習そのものは簡単で、今日の幼児体操に至っては練習すらしていないのだ。やる順番と回数を覚えさせられて、僅かに練習してリハーサルをして、その翌日には本番なのだから、簡単な発表会と言わなくもなく。綿密に繰り返し練習するような発表会でないのは事実だ。それでも、全員がきちんと技がそろうのは、厳しく躾けられてるこどもばかりなのだろう。でも、練習が簡単なのはいいけれど、内容を簡単に変えられるのは閉口だった。この時のグラウンドでのミーティングでも、さらに内容を変更された。こんなに内容を変化させられたらリハーサルをした意味がなさそうだが、今思えば、いきなりだと出来ないこどももいるので、徐々に変更を加えることで、ぼくたちは全裸の惨めさ満点の技の出来る子へと慣らされていったのだと思う。

 ミーティングでは、2分間の「犬のオシッコ」の技を、2分間の蛙ポーズに変更されてしまった。つまり、1分間の全裸蛙のあと、蛙逆立ち姿のまま残りの1分はつま先を地面に付けていい、という説明だった。でも、最初の1分は、普通の前を見た蛙逆立ちで、手のひら以外は絶対に地面に付けてはダメで、もし手を地面に付けた子は、後で紐で鉄棒に縛り付けられて反省させられると言われた。お仕置きされるのだから、1分経過の笛が鳴るまでは、絶対に手のひらしか地面に付けないぞと、思った。それ以上の蛙逆立ちは体力的に限界なので、笛の跡は足をついていいと言われたが、蛙逆立ちの姿勢は維持したままだと言われた。同じと思う方もいるかもしれないが、体重の軽いこどもとはいえ、足を地面につくのと、手のひらだけで体重を支えるのでは、苦しさが全然違うのだ。最初の1分は苦しいけれど、最後の1分は楽そうだなと思った。

 蛙逆立ちと、犬のオシッコを逆にするという説明だけでなく、中間部の幼児体操もかなり変更された。午前中の幼児体操は幼稚なだけだった気もするが、午後の発表の幼児体操は大変そうだった。というのは、前転の前に後ろ回りが加えられたのだ。グラウンドを笛の合図があるまで、延々と後ろ回りでバックさせられて、それから、正面観客席の近くまで、ひたすら前転させられると分かった。午前は少し目が回ったで済んだけれど、これでは自分で自分が何をしてるか分からなくなって、悪夢の中にいるような気分になりそうだなと思った。寝転んで横回転も、午前のは少し回転しただけだったのに、午後の発表では、笛の合図があるまで延々と横回転をさせられると知った。これでは、砂まみれどころか、全身が砂で真っ白になりそうだし、ワレメだけなく、肛門まで砂でざらざらしそうだった。

 ミーティングの最後に、犬のオシッコで全員が放尿したことを、先生にほめてもらった。頑張れてよかった。でも、その後がショックだった。犬のオシッコと蛙逆立ち姿は順番を入れ替えただけなので、笛が鳴ったら、犬のオシッコの時と同じで、放尿するようにと説明された。つまり、蛙逆立ち姿で、つま先を地面に付けたら、放尿しないといけないのだ。もともと蛙逆立ち姿はトイレの時の姿と似てるのだけど、足をついたら、ますますトイレの中にいるような姿になると思う。そんな格好で放尿させられるのだから、まるで、ぼくのトイレ姿を見てもらうようなものだなと、赤面させられてしまった。理屈は分かるし、犬のオシッコの姿を、蛙逆立ち姿に変更しただけで、オシッコは同じという意味なのだろうが、両足を開いた排便時のような格好で放尿しないといけないのだから、オシッコ姿を公開するのと大差ないと思うのだが。

 蛙逆立ち姿での放尿というショッキングな変更を聞いて、みんな「やだ」と余りの恥ずかしさに笑っていたけれど、本当に午後にはさせられるのだから、する覚悟を決めないとダメだなと思った。

 ようやくミーティングが終了し、束の間の自由時間となった。ミーティングで一般車の駐車場のある表側へは出ないようにと言われた。ここのグラウンドは簡単な整備があるから、グラウンドにはいないようにと言われた。要するに裏側の大型車置き場の方にいろということなのだろう。正座から立ち上がり、ようやく全身の白い砂を払い落した。でも、水で洗う場所はないので、下半身についた黄色い小便の跡は、どうすることもできなかった。小便の跡を見て、本当に人前で出したんだと赤面な気持ちになったが、するしかないことだったので仕方ない。手で、うまく下半身の砂を払い落したが、オシッコで密着した砂は落ちにくかった。でも、上手にある程度落してから、グラウンドを出た。ずうっと真冬なので素っ裸なので、比較的暖かい日とはいえ、ずうっと寒さに耐えている感じで、腹が膨らむからと、もちろん昼食はなかった。発表に支障があるので、それは仕方ない。空腹感もあったけれど、午前の発表の興奮も残っていたので、興奮しながらグラウンドの裏側に出たというかんじだ。素っ裸なのに、次の集合の12時になるまでグラウンドには戻れないので、外で素っ裸でいるしかなかった。

 裏のグラウンド付近の目立たない場所で時間をやり過ごす女子が多かったが、そこは北側なので陽があたらず寒そうだった。グラウンドを出たところに、気持ちよさそうなパイプの手すりがあったが、これ以上久保田麻衣伝説を作っても笑われるだけなので、我慢して棒にはまたがらなかった。棒が好きなので、棒のそばにいると、跨りたくなると困るので、足早にそこから離れた。そして勝手についてきた由佳と共に広い道を横断した反対側にある公園の東屋で休憩した。東屋の長い椅子の上に乗ると、家の中にいるみたいで、素っ裸でいるだけに落ち着いた気分になった。あんな日陰の物陰にいて震えているより、ここの方がずっといいと思った。でも、普通の公園なので、近所のこどもも親と共に来た。それはいいけれど、親が素っ裸のぼくたちを見て、自分のこどもに「見ちゃだめ」と言って、あっちへ行ってしまった。エロビデオと同じで教育に悪いと言いたげだった。でも、裸のこどもを見ただけで教育に悪いというなら、本当に裸にされてるこどもは、どうすればいいのだろうか。裸教育はこどものためになるということを知らない人の反応としか思えなかった。「こんなもの、こどもに見せられない」と全裸発表を見て言ってた大人もいたけれど、見せられないほど有害なことを、真っ裸でするぼくたちは、そんなに教育に悪いことをさせられてるんだろうか、と、ふと思った。

 公園で全裸でケロっとしてるので、大人やこどもに笑われたけれど、服そのものがないのだから仕方ないと思う。ぼくは自由に椅子の上で遊んでいたが、由佳は恥ずかしいのか、椅子の上で体が見えないように体育すわりをして小さくなっていた。

 公園に来たおかげで由佳のことをいろいろ聞けたのは良かったと思う。午後は、蛙逆立ち姿で小便させられることが赤面だとドキドキさせられたが、でも束の間の平和というかんじで、のんびりできたのは良かったと思う。

i MAI me (愛 麻衣 みい) ~裸教育児の久保田麻衣小学生物語

小学生時代の麻衣を物語風に脚色して連載風に不連続で投稿するブログです。ぜひ愛読者になってください。基本はノンフィクションですが、物語なので面白く脚色されています。ごく普通の6年生の女子小学生(わたし)が、裸教育の小学校に入れられてブルマ1枚にされて学校生活をし、最後にはバレーボール1個を持って半泣きの全裸マスゲームをさせられるまでの日々を日記風に描いたものです。おもしろエッチなので、ぜひ見てね。

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